浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

'「御垂訓」

2018-10-13 13:42:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―2

主題:調和の心を持って
      自然に生きれば
        光の世界が見えてくる


先の続き・・・

その面に関してだけは、
自分の心を苦しめていません。
だから、
案外うまくいくのです。

では、
人のことなんか放って
置くいて自分さえ
よかったらいいのか、

と、いいますと、
勿論そんなことはありません。
それでは、
生まれさせて戴いた目的が
果たせません。

その目的とは人々が、
互いに手を取り合って調和し、
愛し合いながら、
自然の姿にそって生きることです。

それに反して、
仮の世渡りなど
決して長続きしません。

何も求めず
心からの親切で
自分の中に悪に勝る善を
積めばいいのです。

苦しみは消えて
光に満たされた世界に
生きられると思います。



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「御垂訓」

2018-10-13 00:40:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


       講演 六
「過去世は己が修業せし前世 
     すなわち過ぎ去りし実在界と
            現象界の世界なり」
先の続き・・・
お釈迦様の話に「前世物語」というのがあります。
それによりますと、お釈迦様は七回生まれ変わられて、
転生の過程でいろいろと身を捨てて命を投げ出して
人を救われ、或いは自分の肉を虎に食べさせて
虎を救うという体験を積まれて、
やっと仏になられたということです。

これと同じように、
私たちも一人ひとりが転生の過程でこのことを
学んでいますが、この法はお釈迦様が生まれる
生まれないに関係なくあったということを、
お釈迦様ご自身がおっしゃっていおられます。
「私がこの世に出ようが出まいが、そんなことに
関係なく、正しい自然の法は厳然として
存在していたものである」と。

「法」はちゃんと厳然として存在しているものです。
ただ、その法の在り方を仏陀がお説きになり、
イエスがお説きになったのです。


   ~ 感謝・合掌 ~


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