浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

雲間より一条の光 天降り
目もくらみたり 黄金の海

「御垂訓」

2018-10-27 00:34:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


   講演 七

 「現世は生命・物質不二の現象界 
          この世界のことなり」

過去世とは、
実在界と現象界を体験したその世界であり、
現世といいますのは、
現象界すなわちこの世のことで、今の私たちです。

今の私たちは物質と生命、
つまり私たちの肉の体と、
これを動かしている生命の二つが、
一つになった世界にいます。

先ほどの例でいいますと、お湯の中には
スポンジボールが沈められ、
スポンジボールの中に
お湯が浸透しているようなものですね。
この肉体というスポンジに生命が入って、
その二つが一つとなっております。

生命と物質とが不二というのは、
この二つが切っても切れない、
分けることのできないものだという意味です。
現世というのは、
物質と生命の二つが一つとなって
離れることのできない世界であり、
これは植物についてもみな同じです。

生命があるから花が咲いているのであり、
生け花などもまだ生命が切れていないのです。
水が切れて何日か経ちますと、
この生命がなくなります。
すると枯れてくるのです。
植物は切断されても生命はあるのです。

私たちのこの肉体も腕の切断、
足の切断をしましても、
物質と生命が離れてしまったところが、
光子体(霊体)でちゃんと生命と
つながっております。
だから足の無い方が、
その無いほうの足の先が
痒くなったりするのですね。
何も無いのですけど、無いところが痒いて、
掻いたら気持ちよくて治るそうです。

これは光子体(霊体)が
肉体の中に宿っている限り、
物質の手足は無くても、
神経まで感じるようになっているのですね。
足も無いのに足の先が
痛いのだとかよくおっしゃって、
さすったら治ったとか、
その辺りを掻いたら心地よいとか聞きます。

花もそうです。木の葉なども葉をチョキンと
切りましても、
光子体はもとのままあるのだそうです。
物質は無いのですけど、
光子体はちゃんとつながっているそうです。


  ~ 感謝・合掌 ~


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