今日はジャガイモを植えた。雨が降って間もないのでちょっとぐちゃぐちゃしていたが、まあいいか。
もう最近は本当に老人性痴呆を疑うような感じで、電話を忘れていって、もちろんカメラも忘れたし、写真も撮れなかった。
もう最近は本当に老人性痴呆を疑うような感じで、電話を忘れていって、もちろんカメラも忘れたし、写真も撮れなかった。
屠殺(とさつ)と打とうとしたら日本語変換しない。ネットで調べるとどうやら言葉狩りらしい。あきれた話だ。こういうことをしたり、それを肯定するものは肉は食わないでほしい。たとえば、自分は肉を食っておきながら屠殺(とさつ)(だろうが屠畜だろうが)は他人にさせ、あまつさえ、屠殺と言う言葉さえ忌避するということが、ひいては屠畜業を差別する、タブー化することと直接つながっていると思う。

読まなきゃなあ、と思っていて、なにがきっかけだったか1ヶ月もたたないのにもう忘れてしまったが、読んでいる。「本当に怖い」などと言うが、確かにやたらに死んだり、殺したりする。こどもがごっこで本当に殺してしまう話とか、灰かぶりでは姉が肉をそいで小さい靴に足を突っ込み血だらけでバレるとか、ぎょっとするが、全体として「乾いた」書き方なのでそんな怖くないなあ。
もしかしたら、当時、死はもっと身近なもの、日常の中にあったのだと思うのだが、そういう感覚をなくしてしまった現代人だからこそ「本当に怖い」などと感じるのではないか。
死が日常の中にあったことは最近では「この世界の片隅で」なんかですごくよく描かれているし、僕自身はバッハのことを思い出してしまう。バッハはふたりのおくさんと、あわせて20人の子を作り、その中で成人したのはたしか4人なのだ。前の奥さんだって、旅から帰ってきたらもう死んでいて埋葬まですんでいた。
継子継母もたくさんいたのだろう。冬はみんな飢えていたのじゃないかなあ。
そういう世の中で語り継がれている童話。そして、グリム当時キリスト教的価値観によってすごくゆがめられた、その典型がグリム童話なのだとも思う。

wikiに「公開当時には、アメリカ国内ですらあまり知られていなかったマフィアの世界を一般に知らしめ、現在に至るまでそのステレオタイプを確立した映画」だと書いてあり、それはへえ、と思ったことだ。
もう、数年前からNHKのニュースを見ていない。ひどすぎて。
もっとまえから政治の状況はひどすぎるのだが、最近は度が過ぎている。
ツイッターをほんの少し見るだけでも安倍晋三や幹事長はじめ周りの馬鹿どもがいかにひどいか動画の断片でもわかる。だれが自民党に票を入れているのだ?もっとも選挙も不正が行われているというもっぱらの噂だ。せめてこうして、みんなひどいと思っていることを表明しないと、ますますつけあがると思う。もうつけあがっているのか、、、、
もっとまえから政治の状況はひどすぎるのだが、最近は度が過ぎている。
ツイッターをほんの少し見るだけでも安倍晋三や幹事長はじめ周りの馬鹿どもがいかにひどいか動画の断片でもわかる。だれが自民党に票を入れているのだ?もっとも選挙も不正が行われているというもっぱらの噂だ。せめてこうして、みんなひどいと思っていることを表明しないと、ますますつけあがると思う。もうつけあがっているのか、、、、
ふと思いついて「ファブリーズのリスク」と打って検索してみたら、まあ、出るわ出るわ、ものすごい数のファブリーズやらリセッシュやら、危ないと出てくる。TVであまりにも考えなしの感じの宣伝をやっていて、あの殺菌成分って何なんだろう?と思っていたのだが、やはりよくわからない、しかも適当に混ぜたもので、表示義務もないという。まあ考えたらそりゃあそうで、そんなに簡単に除菌消臭できるとしたら、危ない、あやしい化学物質に決まっている。でも適度に使えば便利でもあろう。それも当たり前の話だ。何事も盲信しない方が良い。