Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

福岡壱岐の会での、講演

2012年02月05日 | 日中友好
福岡壱岐の会での、講演



1月20日。
午後博多に到着。

何しろ博多行の飛行機は毎時間朝早くから夜遅くまで飛んでいるので
とても便利。
そして何が便利って、博多は空港から博多駅エリアまで10分前後のアクセス。


博多ではだいたい日航ホテルが常宿。
一息ついてから、駅の反対側、レオパレスホテルへ向かう。

この日は<福岡壱岐の会>賀詞交歓会での講演会。






壱岐は曾祖母 梅屋トクの生まれた土地。

当時の梅屋の日記を読んでいても
度々、壱岐へ帰ったり
壱岐からウニが届く、なんていうのも見つかる。

2009年にはじめて壱岐を訪れてから
私も壱岐の大ファン。


自給自足の出来る、美味しいものいっぱいの、
日本の原風景の残る、本当に美しい島。


壱岐へは博多港からジェットフォイルで1時間。

だから
長崎県ではあるけれども
福岡が経済圏であるようなところも、ある。


<福岡壱岐の会>は壱岐出身で福岡でご活躍されていらっしゃる方々が中心の会。


もちろん、会場には<壱岐焼酎>が、ずらり。。。。












最初に壱岐市白川市長のご挨拶。





私のいただいた講演時間は30分!


講演会を数多くさせていただき、
たどり着いた答えは
私の講演時間は90分がちょうど良く、
プラス15分くらいの質疑応答・・・というのが
ご満足いただける内容と、なる。


30分というのは本当に駆け足で
さらに
普段でも早口、と言われる私の口調がさらにスピードアップして
”立て板に水”状態になる(らしい。。。)


梅屋夫妻のことについて事前知識がある方には良いが
はじめての方はあっけにとられているうちに30分が過ぎてしまうと思う。




壱岐の方が昔から召し上がるという麺料理



講演会の後は、
ビールや壱岐焼酎で乾杯乾杯、ですっかりいい気分に。






玄海酒造の山内会長、福岡壱岐の会会長の幡鉾さんたちと。。。



私は故郷が無い、と思ってずっと生きてきたけれど
最近はすっかり
壱岐と長崎は私の故郷のつもり、になっている。


こうした温かい土地の方々とのふれあいも

梅屋夫妻が私に残してくれた大きな宝物。


レオパレス博多から
日航ホテルまで、大好きなJR九州博多駅を通過して
フラフラしながら帰った。


3月には壱岐の一岐国博物館に
梅屋トクの胸像が設置され、5月まで梅屋トク展も開催される予定。


トクおばあちゃまも
里帰り出来て、さぞ天国で喜んでいることでしょう。。。




<孫文・梅屋庄吉と長崎><長崎上海航路>記念シンポジウム in 長崎

2012年02月04日 | 日中友好
<孫文・梅屋庄吉と長崎><長崎上海航路>記念シンポジウム in 長崎




1月23日、長崎ブリックホールで
辛亥革命100周年・日中国交正常化40周年を記念して
孫文・梅屋庄吉と長崎、長崎上海航路就航記念のシンポジウムが開催された。


この日は月曜日。 ランタンフェスティバル初日。
中国式のNew Year's Dayでも、あった。


最初に中村法道知事を中心に昨年発足した
<孫文・梅屋庄吉推進協議プロジェクト委員会>の第3回委員会が開かれた。






時間30分では説明しきれないほど
多くのプロジェクトが昨年行われた。

プロジェクトを推進している間に
辛亥革命の発端の地、湖北省や
孫文先生の生誕の地、中山市と長崎との
友好交流締結など
孫文先生と梅屋庄吉の友情の歴史をベースに
現在の
友好交流の輪が広がりを見せていった。


孫文先生と梅屋庄吉夫妻の銅像が中国から贈られ
長崎県からは上海紹興公園に梅屋庄吉像が贈られた。

展示会や多くの交流事業も行われ
上海航路の就航も現実となった。


推進協議会委員会は予定時間を過ぎて、終了。
その後、
シンポジウムの会場となったブリックホールに

どどどどぉ~っと多くの方が入場されてきたのには驚いた!

会場の案内係の方がどんどん2階席へ案内する。

立ち見の人も!!


実はこのシンポジウムの日は平日の午後だったので
来場者はそんなにいないんだろうなぁ、、と思っていた私は圧倒された。




2階席の上の方までぎっしり!!満員御礼



まず、シンポジウムは

中村法道長崎県知事、
李文亮長崎総領事、
そして私の

3人によるトークショーからはじまった。








中村知事
多くのプロジェクトをひっぱっていってくださった



李総領事は長崎への思いも深く、このプロジェクトを
積極的に、全面的に応援してくださった





私はこのプロジェクトは辛亥革命100周年で終わるものではなく
むしろ、
これがスタートの年であると思う・・・。

これからは<アジアの時代>であるといわれているが
本当の意味でのアジア人だった梅屋庄吉なここ、長崎でだからこそ、生まれたということ

そのことをこれからもお伝えしていきたいし、
長崎の皆様は長崎というアジアへの架け橋の場所にいらっしゃるということを
この友情の歴史を通して感じていただければ嬉しい、、、

というような趣旨のことをお話しした。(と思う。)



3人のトークショーの後は
中国社会科学院近代史研究所前所長であられる
歩平先生による基調講演。 

パワーポイントでさまざまな歴史資料や
先生の見解をまとめられたものをスライドで見せていただきながら、
先生の、
なんと<独学>で習得された日本語での講演に聞き入った。





歩平先生は辛亥革命100周年を記念して
孫文先生と梅屋庄吉夫妻像を寄贈するという素晴らしいご提案をしてくださった方でも、ある。


近代史、には当然、<戦争>がある。

日本・韓国・中国 それぞれの<戦争>について
被害者意識にだけ立つのではなく
それぞれの被害を認識しあい、
たとえば、広島・長崎と南京がそれぞれの戦争被害について
わかちあう、などの交流も大切ではないか、と話された。

片方の国からだけみる<戦争>ではなく
互いの国の視点からみて、思いを共有してはじめて、
私たちはこれから<アジアの時代>と胸をはって言えるのではないかな、と
思った。







歩平先生の基調講演の後は
歩平先生、上海の兪彭年先生、
谷野作太郎元中国大使、東京大学の川島先生・・・と
そうそうたる顔ぶれのパネリストの先生がたによる
シンポジウム。


コーディネーターの脇田先生は
全体の流れをみながら
会場の皆さんの興味をひくテーマを次々と先生がたになげかけていかれた。
















長いこと外交の最前線で日中関係にかかわってきた
谷野元大使。
外務省からの資料もお持ちくださり、
フランス・ドイツも戦争を過去繰り返してきた両国だけれど
エリゼ条約を結び、さまざまな交流で互いの信頼関係を築いていることを
ご紹介くださった。
このお話に、日中関係をゆるぎないものにしていく大きなヒントを感じた。




川島先生ははまさに歴史を学ぶことによって
現代社会を見つめる、という視点でお話されるので
目からウロコの、ことがたくさんありますし、
多くの学問的裏付けの上にお話しされるので
そのお話のどれもが<かっこいい!・・・のデス>






<上海万博などを通じて、上海の皆さんが梅屋庄吉を知ることになりましたが
上海の皆さんはこのことをどう思っていらっしゃるのでしょうか?>


という脇田先生の問いかけに上海の兪彭年先生は


~テレビや映画などで頻繁に南京大虐殺など
日本の侵略戦争のことがとりあげられるので、
多くの中国の人々は日本人は<恐ろしい、怖い、鬼のようだ>と思っている。

しかし、梅屋さんのような<良い日本人もいるんだなぁ>ということを知った。

でも、梅屋さんがいくら良いことをしたとしても
それが日本の中国に対する侵略戦争を消すことにはならない。~


というご発言をされた。


ずいぶんはっきりとしたご意見だなぁ、と思ったが
もしかしたら大多数の中国の方の率直な意見かもしれない、とも思った。


私が上海万博をはじめ、
武漢、中山、香港、東京、長崎などで展示会をさせていただいてきているのは

何も

梅屋庄吉で日本の侵略戦争を無いものにしよう、

なんてこれっぽっちも、思っていない。


日本が多くの中国の方々を犠牲にした戦争はもちろん大変な歴史であると思っている。

でも
中国やアジアの将来、平和をのぞんで生きた日本人もいて
その日本人は
近代中国を築いた孫文先生はじめ多くの方々と
深い友情で結ばれていたのですよ、

ということを、という歴史もまた

日中の間の大切な歴史ではないでしょうか?

というのが私のやってきたこと、やっていることの思いだ。



このほかにも結構
白熱したテーマがいくつかあり、

登壇されていらっしゃる先生方も超一流の先生ばかりなので
私も
おそらく会場にいらした皆様も

食い入るように聞いていたのではないだろうか。


~日中交流の新しい潮流~という副題が
提示されていたが

実に素晴らしく濃い内容のシンポジウムであったと思う。



この後、
私たちはランタンフェスティバルの開幕式に出席した後
<はし本>に場所をうつし

お酒をくみかわしながらも

実はまだこのシンポジウムの興奮さめず
続編を繰り広げた。。。。







梅屋庄吉の、銅像除幕式 at 上海 紹興公園

2011年12月10日 | 日中友好
梅屋庄吉の、銅像除幕式 at 上海 紹興公園



2011年11月4日。

梅屋庄吉が昔住んだことのある家のすぐ近く。
ここは
孫中山故居記念館などからもほど近い閑静な住宅街。

そこに緑いっぱいの小さな公園がある。

<紹興公園>。


この日、長崎の皆様の浄財で
(私と松本楼も参加させていただきました!)
梅屋庄吉像が設置された。










長崎県からは県議会の先生方や
長崎県の主だった皆様がご参列、

上海総領事 泉様、

黄浦区長、上海対外友好協会の皆様・・・

長崎と上海のVIPが勢ぞろいして
盛大に除幕式が行われた。







中村知事のご挨拶


梅屋庄吉が14歳ではじめて訪れた場所、上海。
梅屋庄吉夫妻が晩年2年ほど住んだ、上海。
私の母が生まれた場所、上海。
そして
私の大好きな場所、上海。

ここに梅屋庄吉が再びよみがえる。

こんな嬉しいことは、無い。


除幕式には息子もVIPにまざって、参加させていただいた。
息子は梅屋庄吉にとって
玄孫。第5代目、となる。











緑の中にひときわ映える
金色の梅屋庄吉像は
長崎県の彫刻家 山崎和国先生の作品。



ずっと私たち親子がお世話になっている
上海人民対外友好協会の王加新先生と作家の山崎先生と記念撮影。

今回の銅像設置にも
ひとかたならぬご尽力をいただいた。




孫中山記念館 劉館長と。




中村法道 長崎県知事と梅屋庄吉を囲んで



そして、
孫文・梅屋庄吉プロジェクトの中核を担ってくださった
藤参与とも記念撮影。


しばらく
色々な方々との記念撮影が続いた。

静かな紹興公園が、この日はとても賑やかで
近所の人たちが

”何事だろう。。。”という顔で
のぞきに来ていた。

これから、梅屋庄吉もここに居ます、
ご近所の皆様、どうぞ大切に守ってくださいね。。。。














上海・長崎友好締結15周年記念講演会とパーティー

2011年12月10日 | 日中友好
上海・長崎友好締結15周年記念講演会とパーティー









翌日からはお仕事。

上海市と長崎県が友好締結をして
15周年の節目となる今年。

まず、錦江飯店で
私が<孫文と梅屋庄吉>の講演をし、
それから
観光の取り組みなどを発表する会が開かれた。








講演会場



講演があと15分くらいで始まる、という
そのタイミングで
また胃痛がはじまってしまった。。。


講師控室の机の上で

”もぉ、だめ・・・。”とうめいてみたが

同席していた長崎県の方も
息子も全然つれない。。。。

仕方なく
胃薬を飲んで、会場に向かう。

いつものようにマイクに向かうと痛みは消えた。。。



講演を終えて、高田元長崎県知事ご夫妻と。。。



大きな宴会場に場所を移動して
300名くらい?(もっといらしたかも)の
大きなレセプション・パーティーがはじまった。





ここではいつも上海でお世話になっている
孫中山故居記念館の元館長と現館長や
上海対外友好協会のメンバーと親しく乾杯。








息子も末席に参加させていただき
長崎県議会議長 宮内さまと記念撮影をさせていただく。






さあ、いよいよ明日の朝は
梅屋庄吉の像が
上海に設置される、記念すべき日!





辛亥革命100周年記念行事 ~その2 武漢第1日目

2011年12月10日 | 日中友好
辛亥革命100周年記念行事 ~その2 武漢 第1日目



武漢到着は真夜中。

今回のホテルはWestin。
武漢にWestinがあるなんて、知らなかった。
(1年前の武漢訪問では
ひどいホテルで散々な思いをしていたので
武漢に対して非常にマイナー印象を抱いていたが
今回のWestinでだいぶ改善。)








疲れた足に嬉しすぎる足マッサージ機が
客室内に!
これにどれだけ助けられたか。。。。





武漢初日。

まず武昌蜂起で命をおとした兵士たち、革命家たちに
祈りをささげる式典から始まった。







武漢大学の馮先生と。
武漢の辛亥革命100周年の一連の取り組みで
先生は中心的な役割を果たされた。




日本の記者の方から
この活動への参加について取材も受けた。













武漢辛亥革命博物館(旧)を訪問。
ジェームズ・カントリー博士のお孫さん、そして
ひ孫のチャールズさんと。。。




道中仲良しになった
香港の辛亥革命活動の代表の実業家の方々と。




新しく100周年を記念して建設された
辛亥革命博物館の前で
全員で記念撮影。




この新しい博物館の中には
ちゃんと梅屋庄吉夫妻のことが説明展示されていた。







しかも、ジェームズ・カントリー博士の写真の横に!


というわけで
カントリー博士のご子孫たちと一緒に記念撮影!






香港からいらしたMr Lyu が
武漢で美味しい魚料理を食べさせる店があるから
ごちそうする!とおっしゃり

ランチタイムは武漢の魚料理をプライベートで
ごちそうになった。









この白い魚のスープが有名らしい・・・
すごく濃厚で栄養たっぷり、な感じだった。



最後はこの野菜をスープでしゃぶしゃぶにしていただく



Mr Lyuご家族とランチのあとの記念撮影






晩さん会の後、
辛亥革命記念のショーが
野外ステージで行われた。









中華人民共和国建国60周年のときにも
天安門広場でこのような野外特設ステージでの
ショーがあった。

踊りあり、歌あり・・・で歴史を振り返る
すごく豪華なステージ。

昨年の武漢訪問で
武漢って超苦手!と思っていたけれど
今回の武漢訪問は美味しい魚料理に出会えたり、
旅の同行者の皆さんとも仲良くなりはじめたりして
とても楽しくなってきた!


武漢2日目は次ブログにて。










辛亥革命100周年記念行事 ~その4 南京

2011年12月10日 | 日中友好
 辛亥革命100周年記念行事 ~その4 南京



南京は雨。

中華民国が建国された南京政府の跡を訪問。
















中山陵の近くに迎賓館があり
そこで盛大な晩さん会が開かれた。

どの地に行っても
その土地のTOPが晩さん会を開催する。

だんだんパターンがわかってきたし
色々な方とお友達になり、晩さん会も楽しくなってきた。








翌日はラッキーなことに
私たちが中山陵訪問の間だけ、雨が止んだ。

もし雨だったらこの階段、
上って降りるのは大変









今回の参加者には
後で知らされたのだが年齢制限があった。

このように移動も多く、階段などもあったりするので
80歳以上の方は招待されない、ということだった。

父はギリギリセーフの79歳だが
一向の中でも特に元気で
中山陵の階段も誰よりも足取り軽く、どんどん上っていき
息切れもせず、
その体力に周囲が驚いた!










頂上には孫文先生がお眠りになられていた





・・・やはり万感胸せまる思いがした。

母が他界してから5年間、
孫文先生と梅屋庄吉関連のことを色々やってきた。

その、孫文先生とご対面出来たのだ。。。




このように高いところに孫文先生は眠っておられる



そして、
その横にある孫中山記念館の前には
梅屋庄吉が寄贈した孫文像が堂々と建っていた。









後ろ姿も良いです。。。



孫文先生のファミリーの皆さんと記念撮影。

彼らは孫文先生のお兄様 孫眉先生の子孫。
現在マカオにある梅屋庄吉が寄贈した孫文像は
昔は中山にあり、
彼らは自分の庭にあった孫文像に非常に愛着を持っていたという。

同じものがここ、南京にあり
しかも梅屋庄吉が寄贈したものだとわかると
とても喜んでくださった。

こういうコミュニケーションが
今回の旅の大きな収穫!





孫中山記念館の中には
ちゃんと梅屋庄吉夫妻も紹介されている。

孫文先生の子孫、
私と同世代(第4代)のSun君と記念撮影。





南京滞在は他と比べて短く、
次の訪問地 広州へ向けて、またまた
チャーター機で出発!  



辛亥革命100周年記念行事 ~その1 北京

2011年12月10日 | 日中友好
辛亥革命100周年記念行事 ~その1 北京



2011年10月7日から16日の長期にわたり
中国政府による
辛亥革命100周年の記念行事に
孫文先生の日本友人 梅屋庄吉の子孫として参加した。


北京の空港に着くまで
一切詳細スケジュールが知らされなかった。
(宿泊するホテルまで・・・。)


飛行機を降りたところから
”国賓”だった。
まったく別ルートで中国入国。
そのままリッツカールトンホテルへ直行。


この先、すべての移動は
パトカー先導。





リッツカールトン 北京










客室は超豪華!




その夜は私も理事に就任した
<宋慶齢基金会>主催で、
孫文先生の子孫の他、
基金会関係者による夕食会が后海の宋慶齢故居記念館で開催された。






理事長の胡啓立先生と



李秘書長はお酒がとても強い!






翌朝は日本でも江沢民先生がお元気に登場したことで
トップニュースになった
北京人民大会堂での記念式典。
(人民大会堂へはいっさい手荷物やカメラの持ち込みが認められず写真は無し)



午後は孫文先生が北京でお亡くなりになられた後
南京の中山陵に移られるまでしばらくお眠りになられていた
碧雲寺にお参りに。


















その後、政治協商会議主催の晩さん会が
北京市内某所で行われた。












政治協商会議主席全国委員会主席 賈 慶林先生と



香港でお世話になった
董建華先生(元香港行政長官・政治協商会議副主席)と。

董先生は9月の香港の<孫文と梅屋庄吉展>の
開幕式にご出席をいただき、董先生の別荘で昼食会を
開いてくださった。

今回も夕食会の私の席の目の前が董先生だったので
緊張しながらも、お話させていただいた。




政治協商会議副主席 王剛先生
王先生は辛亥革命100周年記念行事の中国側のトップであられて
国務院から寄贈された<孫文・梅屋庄吉像>のことも、
長崎歴史文化博物館の展示会のことも
全部関わっておられたので、その件についてもお話もさせていただいた。

中国のトップの頭脳はすごくて
きっとあれだけ大きな国をけん引されているのだから
ものすごく色々な案件があるでしょうに
すぐにスイッチが入って
梅屋庄吉に関することがスラスラ出てくるのだから、凄い!!!




国務委員 戴乗国先生と




中国共産党中央政治局委員 劉延東女士と


中国中央テレビCCTVのニュースで
毎日登場される中国のトップの皆様とご挨拶をさせていただき感動。



今回の辛亥革命100周年記念活動には
世界中から
革命に携わった方々の子孫・関係者が100名
中国に招待されている。

そこで、歴史上の人物の子孫の皆様との
感動の出会いがたくさんあった。



黄興先生のご子孫の皆様

黄興先生は今年ジャッキーチェンが主演した映画
1911でジャッキーが演じた
辛亥革命で中心的な役割をされた方。

梅屋とももちろん、親交があった。



今回の活動のメインゲスト。
孫文先生の直系のご子孫。



孫文先生ご子孫ファミリーと。
(孫文先生にはご兄弟もたくさんおられて
それぞれのご子孫も孫ファミリーとして参加されていらした)



上海の同済大学でお世話になっている蔡建国先生は
北京大学を創立された蔡元培先生のご子孫。





今回の活動で一番うれしかったのが
英国人ジェームズ・カントリー博士のご子孫にお目にかかれたこと!
ジェームズ・カントリー博士がいなかったら
孫文先生と梅屋庄吉は出会っていません!!






この夕食会のあと、
真夜中、
北京の某空港からチャーター機で武漢へ。








武漢到着は午前1時をまわっていた。。。。







広州総領事館主催&広州日本商工会議所主催の、講演会

2011年12月10日 | 日中友好
広州総領事館主催&広州日本商工会議所主催の、講演会




2011年9月8日。

午前中、広州総領事館主催の講演会と
そのあと、かなりの数のメディアの取材を受けた。






会場は花園酒店内


広州には孫文先生の足跡がたくさん残っているが
日本の広州総領事館のよびかけで
関係者の多くが集まってくださった。

なかには学生も多くいて
興味深そうに話を聞いたり、パワーポイントの画像に
見入ったりしていた。

質問も、専門家が多いので
かなりたくさんお受けした。。。汗




広州対外人民友好協会の陳先生もかけつけてくださった




中山市からも孫文記念館の方々が・・・



広州総領事も最初のご挨拶からずっと
講演を聞いてくださった



広州黄ホ軍官学校からも館長さんらがかけつけてくださり、談笑



講演会の後は
かなりの数のメディアの質問攻めにあった。






こんな風に写真撮影も依頼されて。。。



気がついたら時間はお昼を過ぎていた。

午後にはまた日本商工会議所主催の150名くらい集まる講演会が予定されている。



Mrs青柳が大急ぎで私にワンタン麺を食べさせてくださり
30分ほど休憩。

しかし、この頃から12月初旬まで
私は胃痛に悩まされることになるのだが
午後の講演会の直前、激しい胃痛に襲われ
立っていることも不可能に。。。


会場近くのソファーで休ませていただき
いよいよ日本商工会議所主催の講演会スタート。
私の紹介を司会の方がやっている最中も

”もぉ、ダメ・・・・。

というくらい激しい胃痛に見舞われていたのだが
いざ、ステージにあがり
マイクで

”ただ今、ご紹介いただきました・・・”と始めると
全身の神経がアタマに集中し始めたせいか
胃痛のことは気にならなくなった。


日本の経済のために
ここ、広州で頑張っておられる日本の企業戦士の皆様に
梅屋庄吉の話をさせていただいた。



広州総領事の奥様たちも会場にかけつけてくださった


無事、90分間の講演を終え
そのあとは懇親会。



日本商工会議所の会長を務めていらっしゃる三菱商事の渡辺さまと



朝から緊張の連続で
激しい胃痛に見舞われたものの、何とか無事終了。

この日の夜も
青柳ご夫妻にマッサージ店にご案内いただき体力回復。


翌日は
広州日本人学校と三菱商事広州30周年記念の会にて
講演会2本立てAgain.

そのお話は次ブログにて。




香港での、孫文と梅屋庄吉展~その3

2011年12月09日 | 日中友好
香港での、孫文と梅屋庄吉展~その3



展示会開幕式の後、
香港元行政長官 政治協商会議副主席の董建華先生の別荘で
昼食会が開催された。






以前香港訪問の際にも
香港の政治の要職を務めていらっしゃる
Henry Tang氏の私邸での夕食会にお招きいただいたことがあるけれど

香港のTOPクラスの方々のおもてなし、は
自分の家に招く、という欧米スタイル。






敷地内には大きなプールも。。。









庭でお肉を焼いている。これがメインディッシュ



プライベートビーチのある
香港でも有数の高級な別荘地。






孫文・梅屋プロジェクトで大変にお世話になっている
谷野元中国大使と。





董建華先生と福田元総理を中心に
いろいろな話題で昼食会は盛り上がった。






素敵なバルコニーで食後に記念撮影。






日本商工会議所の岡村会頭と。





香港でのさまざまな活動を応援してくださり
成功に導いてくださる香港貿易発展局の日本首席代表 古田さまと福田元総理とも
記念撮影。





素晴らしい香港でのひと時を過ごさせてくださった
董建華先生、福田元総理と。



董建華先生の別荘でのランチョンが終わった後
香港フェリー乗り場に直行。

フェリーに乗り、マカオへ移動。
これは長崎県のご一向さまに同行させていただいた。


マカオのお話はまた次のブログにて。







香港での、孫文と梅屋庄吉展~その2

2011年11月25日 | 日中友好
香港での、孫文と梅屋庄吉展~その2





Four Season Hotelの部屋からの眺め



朝8時。
香港のリージェンシーホテルで朝食会が始まった。





中華総商会会頭 ジョナサン・チョイ氏が
今回の孫文と梅屋庄吉展の主催者。

北京からは政治協商会議の重鎮や香港経済界のTOPの皆様が出席、
日本からは福田康夫元総理、日本商工会議所 岡村会頭をはじめ
長崎県知事、熊本県、福岡県の副知事、
九州財界の皆様が大集合。


















朝からすごすぎる・・・
(低血圧の私はただただ圧倒されっぱなし。。。)







朝食会が終わると
香港の中心街にある展示会の会場へ移動。



主催者のジョナサン・チョイ氏と



ジョナサン・チョイ氏と私でメディアのインタビューに答える。









辛亥革命100周年という節目に
北京・香港・日本の政治、経済の重鎮が勢ぞろいして
孫文と梅屋が出会った場所、
香港で展示会を開催する・・・という

香港中華総商会会頭 ジョナサン・チョイ氏だからこそ
出来るすごい企画だった。


開幕式も香港らしく
今までの展示会の中で一番、華やか。













香港元行政長官 政治協商会議副主席 董建華先生



福田元首相のご挨拶


この時の福田元首相のご挨拶は本当に感動的なスピーチで
会場内にいた
香港の方々も、私たち日本人にとっても忘れられない素晴らしいスピーチだった。




主催者のジョナサン・チョイ氏のお計らいで
香港の小学生、中学生、高校生などの学校にこの展示会開催を知らせて
多くのこどもたちがこの展示会を見に来たという。


孫文・梅屋の友情を理解し、
素晴らしいことだと思ってこの友情を広める活動を応援してくださる方々、というのは

日本・中国・香港・・・の政界・経済界の
本当にトップクラスの方々であったり

中国のことを本当に良く知るビジネス関係の方々、

梅屋の生き方を理解してくださる魂の高い方々で、ある。


”金を出したなんてたいしたことない。”
”孫文は梅屋の名前を書き残していない。”

ある方々からはこういうバッシングは
いまだに続いている。
嫌がらせも、多くある。


でも
梅屋の生き方に共鳴してくださり
このように世界的に素晴らしいつながり、絆を広げてくださる方々が
どんなに素晴らしい方ばかりか、を思い出した時、

”引き寄せの法則”ではないけれど

国境を越えたこの歴史を意味する素晴らしさを理解し
しかもそれを応援しようとしている方々と

孫文・梅屋が求めていた世界が”=”であることを
感じずには、いられないのである。





2011年9月 香港での、孫文と梅屋庄吉展~その1

2011年11月25日 | 日中友好
2011年9月 香港での、孫文と梅屋庄吉展~その1



9月2日、香港に向かった。

本来、3月末に予定されていた香港での
<孫文と梅屋庄吉展>が東日本大震災のため延期となっていたが
半年遅らせて開催されるためだ。


香港での宿泊先はFour Season Hotel。

River Viewの最高のロケーション。
部屋もゆったりとしている。





最近、高級ホテルや旅館ではおなじみとなっている
ロクシタンのアメニティ。





バスルームも豪華



ホテルにチェックインしてすぐに向かった場所は
香港の孫文記念館。


ここで、九州経済界の重鎮や長崎県からの訪問団と合流する予定。

ホテルのタクシー乗り場で
お世話になっている西日本新聞社の傍示さまとばったり。
一緒に孫文記念館へ向かった。

余談だけれど傍示さまは大学の先輩でもあり
一連の孫文プロジェクトに当初から応援してくださっていて
心強い存在。




西日本新聞社の傍示さまと


そして、
長崎県の中村知事、県議会議長の宮内さま、長崎市副市長ご一行も孫文記念館にご到着。



中村知事、孫文記念館の方と記念撮影


孫文記念館見学や説明を受けた後、
九州財界の方、長崎県知事皆様と
香港貿易発展局主催の夕食会へ。




香港ではとても有名なお店だとのこと



この夕食会から
日本商工会議所の岡村会頭も合流された。








九州電力の貫副社長ともお隣のお席で
楽しくいろいろなお話をさせていただいた。




夕食会参加のメンバーでの、記念撮影。



さて、次の日は
8時スタートの朝食会からはじまる
Big Dayとなった。

その様子は次ブログにて。




中国社会科学院近代史研究所~北京

2011年11月25日 | 日中友好
中国社会科学院近代史研究所~北京




怒涛のように過ごしてきた今年後半。
2011年辛亥革命100周年の本番が今年の秋だった。

FaceBookの登場もあり報告がFBに偏っていたため
ブログの更新が滞ってしまったことにお詫びしつつ
年内に今年のことはフォローすべく
時期は夏にさかのぼるけれど、UPしていこうと思う。


さて、8月半ば。
急遽、北京にある中国社会科学院近代史研究所にて
孫文・梅屋夫妻の銅像寄贈の記者発表があるというので
1泊2日で北京入り。







このために重要な約束をキャンセルしなければならなかったが
中国では2~3日前にスケジュールが決まることは
”急なこと”では無いそうだ。 というか、日常のことだという。

少なくても1か月以上前に段取りを始める日本人とは
決定的に違うところであると思う。

やぎ座A型の私としてはやや臨機応変にかけるところがあるので
”急な変更” ”急な来客”に対応することに
必要以上にストレスを感じてしまうわけだが
中国とのお付き合いとはこういうこともある、ということを
今回もしっかり学ばせていただいた、わけである。



宿泊は北京ペニンシュラ。


Welcome Fruits


北京のペニンシュラは部屋が狭い。






でも今回はホテルまでの送迎をペニンシュラに頼んだところ
飛行機の搭乗口までホテルの人が出迎えてくれて
一般とは違う出口から空港を出て、ホテルには部屋に直行。
部屋でチェックイン、という超VIP待遇。

これで、
急な出張へのストレスがかなり軽減される。



クラブラウンジでほっと一息。



ホテルのサービスって
目には見えなかったり、形ではなかったりするが
身体的あるいは精神的な緊張やストレスをどれだけ
フリーに、そしてハッピーな方向に持っていけるか、という点なのだろうと
思ったり、する。





その日の夕食は中国社会科学院近代史研究所 所長 歩平先生が
おいしい中華料理をごちそうしてくださった。

中国で私がおいしいと思える料理に出会うのは
少ないのだけれど
日本人の好みをご存じの歩平先生のチョイスはさすが。◎。


翌日、朝から
社会科学院内で銅像寄贈の記者発表が行われた。








中国国務院新聞弁公室からも
要職についておられる先生が同席。

長崎県からも藤参与が出席。
<孫文と梅屋庄吉プロジェクト>について
長崎県の取り組みをご説明された。












南京の王先生が銅像のレプリカサンプルを持参され発表。




近代史研究所所長 歩平先生と。


この銅像寄贈は歩平先生のご発案。

80年前梅屋庄吉が中国に4体の孫文像を寄贈。
その時代、五四運動もおこり
抗日運動が盛んな時期であった。


その後、日中戦争を経て
国交回復にも時間がかかり、
そして40年前に国交回復。

梅屋の寄贈した孫文像はその後の
中国の文化大革命の時期も生き残り

日本と中国の歴史を観続けてきた。


そして今年、辛亥革命100周年にあたり
今回は
中国から日本に孫文と梅屋夫妻の像が贈られることになった。



こんな素敵な話が
日中の近代史上で起こるなんて。。。。



無事、記者発表を終え
私はすぐに空港へ。。。

短い夏の北京滞在だったが
大切な仕事ができたのかな、と
空港へ向かう高速道路脇に続く
プラタナスの並木を眺めながら、思った。





長崎歴史文化博物館 孫文・梅屋庄吉と長崎展

2011年10月27日 | 日中友好
長崎歴史文化博物館 孫文・梅屋庄吉と長崎展










武家屋敷を再現した長崎歴史文化博物館。

長崎は鎖国時代も開港していた特有の歴史文化を持つ街。

歴史文化博物館はそうした特別の歴史史料を
美しい館内でゆっくりと鑑賞出来る。


そこで、10月1日から<孫文・梅屋庄吉と長崎展>が始まった。







今まで私も国内外で<孫文と梅屋庄吉展>を合計8か所も
開催してきたけれど
長崎歴史博物館のものが最大規模だ。


梅屋史料を全面提供しているほか
中国国内でも1級品といわれる
孫文先生、宋慶齢先生の愛用したものや遺品も
中国から特別に展示協力で貸し出されている。



















立体的に復元された孫文先生の執務室や
子供にもわかりやすい芝居小屋風の展示もある。

そして、
梅屋庄吉がMパテー商会で撮影した映画が上映されていたり

梅屋庄吉が派遣した撮影隊による<南極探検フィルム><辛亥革命フィルム>も
上映されている。

映画ファンにとっても、超貴重映像








孫文ゆかり、あるいは梅屋庄吉ゆかりの品々。
念のため、書くけれど

私が提供した史料・文物は
<すべて、本物>










そして、

80年前梅屋庄吉が中国に贈った4体の銅像は
中国では今、最重要歴史保存物になっていて
複写、複製が作れないのだそうだが

中村県知事じきじきに中国の政府高官にお願いをして
完成したのが実物大の梅屋庄吉が送った孫文像。




南京で3D撮影をして、実物とまったく同じものを再現。








こちらも必見。

第3革命時に孫文先生の要請で
梅屋庄吉が滋賀県八日市市に設立した飛行訓練学校で
使われていたの飛行機を完全復刻し、展示されている。







長崎と孫文先生のかかわり、

九州出身者が孫文先生の革命に深く関与していたことなども紹介。

長崎の華僑の方からも

貴重な黄興や孫文ゆかりの品々も展示提供されている。

歴史的に長崎がいかに
重要な役割をはたしていたか、もとてもよくわかる展示になっている。




ジャッキー・チェン主演の映画、<1911>が
11月5日から全国ロードショーされるが

映画を観る前か
映画を観た後には

必ず、長崎まで足を運んでください。


いったい、その映画の裏側で

どんな動きが、ここ、日本であったか、、、、を
具体的に知ることが出来るから。


映画観ただけでは、実際のところ
日本人としては理解が難しいかも、しれないが

この展示会とダブル鑑賞で、はじめて

今年、<辛亥革命100周年>がいかに中国だけではなく、
日本でも、世界にとっても

大切な一年であったか、を実感出来るはず。











世界の歴史はつながっている。。。。



おそらく、この規模の孫文先生と日本人の深いかかわりを
展示するのはこれが最初で最後の機会となる。


なぜなら、中国からこんなに孫文先生関連の文物を借りられるのも
長崎と中国の深い関係と努力があるから、で

同時に、展示の大半を占める梅屋庄吉史料も
こういう形での展示の予定は今後、もう無いからだ。


長崎歴史文化博物館での

<孫文・梅屋庄吉と長崎展> は来年2012年 3月25日まで。



必見の、大切な、大切な、歴史を観に来てください!





長崎歴史文化博物館 孫文・梅屋庄吉と長崎展 開幕式

2011年10月26日 | 日中友好
長崎歴史文化博物館 孫文・梅屋庄吉と長崎展 開幕式




2011年9月30日

長崎歴史文化博物館で孫文・梅屋庄吉と長崎展 開幕式が盛大に執り行われた。

350名にものぼる
中国・日本国内からのVIPで
普段は静かな博物館もごったがえしていた。





中村長崎県知事、田上長崎市長、歴史博物館 大堀館長、
宮内県議会議長、李駐長崎総領事とともにVIPをお迎えしました。




開幕式には
辛亥革命100周年日本実行委員会委員長を務められている
福田康夫元総理、中国大使館 韓公使、
北京から国務院新聞弁公室、中国社会科学院近代史研究所所長、
上海対外人民友好協会、中山市、湖北省、江蘇省などからも
省政府の要職の方々がご出席、

毎日新聞社社長 朝比奈様、中国各地の孫文記念館の館長、
九州の経済団体の代表、長崎県議会の皆様・・・・・

とにかく
日本のひとつの自治体でこれだけ中国各地から一度に
要人や孫文関係者を集めるのって例が無いかもしれないくらい
すごい開幕式。











会場に入りきれない約200名はホール外の特設席で
モニターで開幕式に参加。。。




テープカット





そして、会場内の内覧会。

私は福田元総理や中国の要人の方と会場内をまわりました。


この日は中国国務院新聞弁公室から寄贈された
孫文と梅屋夫妻像、も博物館内で初披露。




南京からもこの銅像を作成してくださった王洪志先生もかけつけてくださいました。



そのあと、あわただしく博物館から
長崎随一のロケーションに立つホテル

<長崎ガーデンホテル>に場所を移動し
記念のレセプションが開催されました。






そこでは私もご挨拶をさせていただきました。





孫文先生と梅屋庄吉が願った<アジアの平和>。

二人の死後、日本と中国は戦争をし
長崎には原爆も落とされた。


<平和>を世界に訴える使命をおった長崎。
そこでまた100年前、
アジアの平和を願った二人の友情の展示会がはじまり
これから100年先にもそれを伝える銅像が中国から贈られた。


とても、とても意義深いことだと思う、というような内容のスピーチ。


このスピーチはなかなか好評で
その場で
中村長崎県知事に原稿ちょうだい、と言われ手渡し、
中国社会科学院近代史研究所所長の歩平先生から
スピーチ良かったから原稿をメールで送ってください、と言われた。



鏡割り。 中国からのお客様は嬉しそう。





東京国立博物館でお世話になった
毎日新聞社社長の朝比奈様と。




上海に寄贈する梅屋庄吉像を制作された山崎和国先生と。




梅屋庄吉が孫文先生のリクエストにこたえて設立した
飛行学校でパイロット養成をした坂本寿一さんの、ご子孫の方も。。。






本当に多くの方のおかげで

素晴らしい展示会会場が完成し、
そして展示会開幕式が無事終了。



梅屋庄吉夫妻が子孫に残したもの、というのは

国境を越えて

温かい人々の輪の中で過ごすことのできる

このような至上の喜び、

なのかもしれない。






辛亥革命100周年記念行事に参加のため、訪中

2011年10月06日 | 日中友好
辛亥革命100周年記念行事に参加のため、訪中




学園祭のその後の報告も書いておりませんし。。。

9月の香港での<孫文・梅屋庄吉展>、
その後訪れた

マカオ、海南島、広州でのいろいろなご報告も書いておりませんし。。。


先日、9月30日に長崎歴史文化博物館で
大々的に行われた

<孫文と梅屋庄吉展>のご報告もまだ。。。。



なのですが

明日(7日)から、訪中Againです。



いよいよ私の活動のピークというか
山場というか


中国政府による
辛亥革命100周年の記念行事に参加してきます。


北京では人民大会堂で大々的に行事が開催されるようです。

その他、武漢、南京、広州、中山・・・と

孫文先生ゆかりの地

それぞれを、孫文先生の子孫の方々と訪問して
各地の記念行事に参加します。


FBでは逐一ご報告していきますが
こちらBlogでは少しあとになってしまうかも、です。ごめんなさい。



それでは行ってきます