Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

シンガポール訪日団、長崎訪問

2012年02月18日 | 日中友好
シンガポール訪日団、長崎訪問



2月17日、シンガポールの国家遺産局と
シンガポール孫中山南洋記念館の皆様が長崎を訪問されました。

孫中山南洋記念館の館長は
昨年1月に東京の私の自宅にいらして
梅屋関連の資料をご覧になり
シンガポールでも孫文と日本人の関係を広く広めたい、という気持ちをもたれ
震災で訪日が遅れたものの、
今回国家遺産局の方と、記念館の方々を連れて
再度、日本にやっていらっしゃいました。


現在、梅屋庄吉関連資料は
長崎歴史文化博物館に展示してあるため
長崎にご案内することに。。。


シンガポールご一行は
神戸の孫文記念館、
荒尾の宮崎兄弟記念館訪問後、長崎入りされました。


長崎ホスピタリティには
彼らも本当に驚いていました。


まず、昼食後、県庁に向かいました。













県庁では中村法道知事がシンガポール訪日団を
お迎えくださいました。


長崎県では<孫文・梅屋プロジェクト>から
アジア戦略を打ち出していて、昨年からさまざまな取り組みを
されていらっしゃいますが
アジア、というのなら
シンガポールも大事。。。と私が今回、
県の方にお願いして
こうして知事表敬も実現しました。


経済・観光ではシンガポールも日本も
両想いの非常に良い関係を築いていますが
歴史では戦争により分断されがちなアジア近代史ですが
孫文ネットワークは
アジアを結ぶ大事な歴史だな、と
あらためて、実感いたしました。








英語が堪能な坂越局長はさっそく
シンガポールとの交流の時期について
話し合いを始められました。。。



県庁訪問後は、長崎歴史文化博物館で
<孫文・梅屋庄吉と長崎展>を1時間30分以上もかけて
ゆっくり見学されました。





中国から寄贈された孫文と梅屋夫妻銅像の前で。。。


その後
歴史博物館内にある会議室で
これからの取り組みに関しての意見交換。


なんと
シンガポール訪日団からは
梅屋庄吉がシンガポールで映画興行をやっていた時の
英字新聞や、シンガポールでの滞在場所まで調べて
たくさんの資料をお土産に、と持参されました。


梅屋庄吉は自身があまり詳細なことを書き残したり
あるいは
庄吉に世話になった大陸浪人たちの回顧録にもほとんど(なぜか)
登場しない、ということもあり、
その存在には
疑問を投げかける人も少なくない中で

こうして、
実際に、本当に、シンガポールで映画興行をしていたこと、
それが当時の新聞にも紹介されていたこと、の
足跡がきちんと残っているということに
非常に感動しました。

さすが!シンガポール!です。



私たちは夕食までの時間、
原爆記念館を訪問。

100年前の交流の歴史とともに
また
非常に大事な戦争、原爆の歴史も静かに振り返る時を過ごしました。

私は少年が赤ちゃんをおぶって、はだしのまま
直立不動の写真の前で
涙が止まりませんでした。。。。


長崎は
交流の歴史とともに
原爆の落とされた場所としての
平和のメッセージの発信地でありつづけることの、
大切さをココロの深いところから感じました。



夜は
長崎県、歴史文化博物館館長の皆様と
シンガポール訪日団と親睦を兼ねて夕食会が開かれました。


非常に和気あいあいと、
中国語と英語の飛び交う
インターナショナルな宴席となりました。



シンガポール孫中山記念館館長と
大堀歴史文化博物館館長








宴席で、

まさか孫文は100年後に
自分が訪れたシンガポールと長崎が
自分の歴史を軸にこうして
同じテーブルを囲んで、こんなに楽しい時を過ごしているなんて
想像もしていなかっただろうね、

とシンガポールの館長が話されました。


私は、

でもこれこそが、梅屋の描いた理想であり
願っていた姿だ、と答えました。


素晴らしい交流の1日となりました。


シンガポールの皆様、
そして
<長崎ホスピタリティ>をぞんぶんに発揮して
あたたく迎えてくださった
長崎の皆様、

本当に、ありがとうございました

翡翠の庄~その2 お食事編

2012年02月05日 | 旅館&Hotel
翡翠の庄~その2 お食事編



食事は食事処へ。
個室になっていて、くつろいでいただくことが、出来る。


まず初日の夕食。




翡翠の庄は地産地消をモットーに掲げている。
エノハという川魚や豊後牛、
近くでとれた野菜や自家製のハムがメニューに並んでいる。



最初の前菜は自家製ハムが並んだ洋風のものと
お正月のおせちのような前菜が並んだ和風のもの。

そして、とてもシンプルな野菜の煮物。





エノハ(川魚)のお刺身も出てきた。
最初はパクパクいただいていたが
ふと、
川魚であることを思い出し、あまり生でいただくのはよくない、と思い直し
途中で箸をとめる。

目黒通り沿いにある寄生虫博物館がアタマをよぎる。。。


その後、なんと驚いたことに
先ほど食べたエノハの刺身にするために身をそいだ後の
骨が
から揚げされて出てきた。



エノハの骨のから揚げ


すごいっ! これも堂々お品書きには<揚げ物>の一品としてあげられている。

はっきり言うと
ここのお料理、ほとんど原価率、かかっていないんぢゃないか。。。


そして次にドン、と生野菜サラダが出された。





そしてまたまた、エノハの焼き物。





豊後牛が登場し、ちょっとほっとする。
(だって、1泊2食で36000円~だもん。エノハと野菜だけではちょっとさびしい。)





〆はまたまたエノハのお茶漬け



デザート


正直言うと、夕食の中では
突出しとして出された<鴨味噌>が一番おいしかった。
美味しかったので
私の誕生日パーティーでアイルランド音楽を奏でてくださった
モリヤスご夫妻にこの鴨味噌を送ることに、した。



翌朝。



朝食は湯豆腐とかサラダとかご飯に味噌汁の、王道メニュー。

ただ、朝食は王道メニューの
素材が地元でとれたほくほくの新鮮さがあり、大満足。


とれたて卵の卵かけご飯は絶品




そして、食べきれないからお持ち帰りして
帰りの<ゆふいんの森>号でいただいたのだが
この宿の敷地内で作っている、このパンは最高に美味しい




東京にこのパン屋さんがあったらきっと大行列。

姪っ子ちゃんに送りたいな、と思ったが
宅配はやっていなかった。


わがまま言って、コーヒーを部屋まで運んでもらい
出発までの時間、
大きな炬燵に入り、コーヒーを飲みながら
窓の外に広がる長湯ダムの静かな景色を楽しんだ。


今まで
色々な温泉旅館に泊まったけれど
かなりここ、翡翠の庄は個性的な宿だと思った。


帰りはまた
くじゅうの山並みを抜け、湯布院駅に戻り
<ゆふいんの森>号で鳥栖まで。

鳥栖から白いかもめに乗り換えて長崎入りした。



2012年最初の、温泉旅行の、お話。




翡翠の庄~その1 温泉とお部屋編

2012年02月05日 | 旅館&Hotel
翡翠の庄~その1 温泉とお部屋編



くじゅう連山を眺めながら
湯布院からドライブすること45分。


目的地、長湯温泉<翡翠の庄>に到着。

タクシーを降りると、まず迎えてくれたのが
こんなにラブリィな山羊さんたち




黒山羊さんと白山羊さんの赤ちゃん!
思わず、~黒山羊さんからお手紙着いた♪の歌を思い出しちゃいました!




山羊さん親子の後ろ姿  ほほえましい。。。









わりと重々しい雰囲気の門をくぐると
かやぶき屋根の母屋が見えてきて。。。










なんというか、最初に書いておくけれど
このお宿はホスピタリティーには欠ける。
宿の主人のやり方を
あくまでもつらぬきとおしている形の宿で
ニコニコと”いらっしゃいませ”という出迎えもなく
しばらく
お茶も出ず、母屋で部屋の準備ができるまで待たされた。



母屋には囲炉裏や・・・



近くでとれた野菜や・・・



地元のお人形らしきものが飾ってある



そして、ここ長湯温泉は
<日本一の炭酸泉>ということで有名で
その説明が宿のあちこちに貼ってある。

宿の近くには<ドイツ村>と名前のついている
住宅地もあり、
ドイツのバーデンバーデンとかと温泉の友好交流もあるようだ。





しばらくして、部屋に案内してもらった。

ここも鹿児島妙見温泉の<忘れの里雅叙園>に似ていて
1軒1軒、古民家風の建物が並んでいる。
部屋そのものは、忘れの里雅叙園より、かなり広めの造り。



部屋の玄関。



大きな炬燵が広々とした居間におかれている



ベッドルーム
夜、とっても寒いのだけれど
電気敷布が敷いてあったので、ぶるぶる震えることなく
安眠出来た。



ベランダも広々





ベランダからの眺めは素晴らしく
木立のむこうに静かな長湯ダムが見渡せる







ベランダには<露天風呂>がついている。
しかし、
ここは温泉ではなく、沸かし湯。




これが温泉だったら、いうことないのになぁ。。。残念。

ホームページには<露天風呂付部屋>とあって
そこかしこに<源泉かけ流しの宿>とあるので
当然、お部屋の露天風呂も温泉だと思って、すこし奮発して
このお部屋にしたのに。。。
すこし、だまされた感、あり。

電話予約の時に説明してくれるとか、すればいいのに。(ぶつぶつぶつ。。。)


気を取り直して
せっかくなので、温泉に入りに行くことに



内風呂。

なんというか、炭酸泉っていうよりも
アクのういた不思議なお湯。

脱衣所も温泉までの階段も
木造の小屋で超寒い。 こごえそうになりながらたどり着く内湯なので
さすがに温まる。。。


お客様が脱衣所でさぞかし、はだかで寒いだろうなぁ、ということは
ここの宿はあまり気にしないらしい。

もっと言えば、24時間かけ流し、と言っていながら
翌朝、温泉は止まっていて
私だけではなく、ほかの女性客もふるえながら
この温泉にたどりついたあげく、
水のように冷たく、ぬるくなっているこのお湯にさらに震え上がる、という
温泉宿にあってはならない出来事に遭遇してしまった。。。




敷地内にはいくつかの貸切露天風呂も。

母屋に立ち寄り、空いていれば鍵をもらって入るというシステム。



敷地内は広いのでこういう道を歩きながら
露天風呂へ向かう。 ちょっと寒いし、不便
季節の良い時は良いかも。



こういう小屋が敷地内に点在し露天風呂になっている。




露天風呂もやはり、炭酸泉というわりには
細かい泡はなく
濁った、アクの浮いたようなお湯。
外が寒いので露天風呂のお湯もぬるく、じぃーっと入ってみたが
温まらなかった。

おまけに野趣あふれる宿、ということで
良いのだけれど
ゴキさんとか、いろいろな虫が
露天風呂まわりにいて、

あまり女性向けではない、と感じた。


良かったのは、セラピールーム。

エンジェル・ファームというセラピー施設があって
さまざまなトリートメントが
予約制で受けられる。

しかもこんな癒されるロケーションで。。。








ヘッドセラピーは気持ちよく
髪もサラサラに。。。
セラピー中に腰や背中にひいてくれた<ホットストーン>が超気持ち良かった。

自然の中で受けるセラピー、
これは都会で疲れている人にはおススメ。


夕方になると
温泉から部屋までの廊下のところに

<湯あがりに一口くらいはおごります>と書いてあり
オレンジジュースと小さなビールの缶が・・・。







次ブログは
翡翠の庄のお料理編





ゆふいんの森号に乗って・・・

2012年02月05日 | せずにはいられない・・旅の話
ゆふいんの森号に乗って・・・



博多で<福岡壱岐の会>講演の翌日、
私は大好きなJR九州の特急列車<ゆふいんの森>号に乗って
湯布院へ向かった。


JR博多駅は
私のような列車大好き人間にはたまらない。

ソニック、白いかもめ、さくら、ハウステンボス号、
みどり、ゆふいんの森・・・

ホームに停車中の特急列車や新幹線が沢山見られる!!!


この特急列車は亡き母と息子が大好きな列車。
今回で3度目の乗車となる。

3度目だが、・・・やっぱり乗るとワクワクする。







ホームに入ってきた<ゆふいんの森>号





車内。 床は木目。 景色がよく見えるように
普通の列車より座席が高い位置にある



運転席も先頭車両に運よく席がとれると、こんな感じで見ることが出来る




車内販売はこちらのブッフェ・カーで。
ゆふいんの森オリジナルのお弁当、焼きそば、サイダーやチーズケーキ
クリアファイルやストラップなどもここで購入。



私はコーヒーとチーズケーキを
車窓の景色を楽しみながら、堪能。






車内ではこんなサービスも。。。



(・・・ふつう、子供向けだろう、このサービス、と
ココロの中で思いながら、私もちゃっかり。。。)




ゆるやかに流れる川の風景や・・・




田畑をのんびり眺めながら、列車は進む




湯布院駅



湯布院駅に到着。 
多くの観光客でにぎわっている。 
以前と違うのは韓国人の観光客がとっっても多い!!


私の今回の目的地は湯布院では、無い。


ここからさらに車で45分ほど
山を抜けて行った先にある、長湯温泉だ。


雄大な由布岳をみながら、タクシーに乗り換え長湯温泉へ。。。


2時間くらいのゆふいんの森号の旅、
車内も楽しいし、
車窓からの眺めも美しいのであっという間。



今度は日田あたりをのんびり散策する旅もいいな、と思っている。







福岡壱岐の会での、講演

2012年02月05日 | 日中友好
福岡壱岐の会での、講演



1月20日。
午後博多に到着。

何しろ博多行の飛行機は毎時間朝早くから夜遅くまで飛んでいるので
とても便利。
そして何が便利って、博多は空港から博多駅エリアまで10分前後のアクセス。


博多ではだいたい日航ホテルが常宿。
一息ついてから、駅の反対側、レオパレスホテルへ向かう。

この日は<福岡壱岐の会>賀詞交歓会での講演会。






壱岐は曾祖母 梅屋トクの生まれた土地。

当時の梅屋の日記を読んでいても
度々、壱岐へ帰ったり
壱岐からウニが届く、なんていうのも見つかる。

2009年にはじめて壱岐を訪れてから
私も壱岐の大ファン。


自給自足の出来る、美味しいものいっぱいの、
日本の原風景の残る、本当に美しい島。


壱岐へは博多港からジェットフォイルで1時間。

だから
長崎県ではあるけれども
福岡が経済圏であるようなところも、ある。


<福岡壱岐の会>は壱岐出身で福岡でご活躍されていらっしゃる方々が中心の会。


もちろん、会場には<壱岐焼酎>が、ずらり。。。。












最初に壱岐市白川市長のご挨拶。





私のいただいた講演時間は30分!


講演会を数多くさせていただき、
たどり着いた答えは
私の講演時間は90分がちょうど良く、
プラス15分くらいの質疑応答・・・というのが
ご満足いただける内容と、なる。


30分というのは本当に駆け足で
さらに
普段でも早口、と言われる私の口調がさらにスピードアップして
”立て板に水”状態になる(らしい。。。)


梅屋夫妻のことについて事前知識がある方には良いが
はじめての方はあっけにとられているうちに30分が過ぎてしまうと思う。




壱岐の方が昔から召し上がるという麺料理



講演会の後は、
ビールや壱岐焼酎で乾杯乾杯、ですっかりいい気分に。






玄海酒造の山内会長、福岡壱岐の会会長の幡鉾さんたちと。。。



私は故郷が無い、と思ってずっと生きてきたけれど
最近はすっかり
壱岐と長崎は私の故郷のつもり、になっている。


こうした温かい土地の方々とのふれあいも

梅屋夫妻が私に残してくれた大きな宝物。


レオパレス博多から
日航ホテルまで、大好きなJR九州博多駅を通過して
フラフラしながら帰った。


3月には壱岐の一岐国博物館に
梅屋トクの胸像が設置され、5月まで梅屋トク展も開催される予定。


トクおばあちゃまも
里帰り出来て、さぞ天国で喜んでいることでしょう。。。




長崎ランタンフェスティバル2012

2012年02月05日 | せずにはいられない・・旅の話
長崎ランタンフェスティバル2012




1月23日のランタンフェスティバルの開幕式。

底冷えする寒さの中、
多くの方々が開幕式に参列されていらっしゃいました。

華やかなランタンフェスティバル。

今回は言葉は少な目。
異国情緒あふれるランタンフェスティバルの長崎をお楽しみください!




開幕式会場




可愛いロマン長崎のお姉ちゃま



シンポジウムに参加の先生方とご一緒に開幕式に参加








市内のお寺からいらした僧の方がまずお経をあげられてから
開幕式がはじまります。。。




開幕のスタートボタンを押すと、長崎市内の1万5千のランタンに
光がともります。。。






























FaceBookでお友達になった松本さん。
会場で大忙しのところ、お声をかけてくださり
一緒に記念撮影。

























私の好きな真っ赤なランタンたち。。。


















このランタンフェスティバルは
皇帝パレードや中国のさまざまなお祭りも開催され
とても賑わいます。


私も今年2度目ですが
本当に街中がいろいろなランタンで彩られて
美しく、
とても素敵なお祭りです。。。

是非一度、
異国情緒あふれる
ランタンフェスティバル開催中の長崎を
訪ねてみてください!





<孫文・梅屋庄吉と長崎><長崎上海航路>記念シンポジウム in 長崎

2012年02月04日 | 日中友好
<孫文・梅屋庄吉と長崎><長崎上海航路>記念シンポジウム in 長崎




1月23日、長崎ブリックホールで
辛亥革命100周年・日中国交正常化40周年を記念して
孫文・梅屋庄吉と長崎、長崎上海航路就航記念のシンポジウムが開催された。


この日は月曜日。 ランタンフェスティバル初日。
中国式のNew Year's Dayでも、あった。


最初に中村法道知事を中心に昨年発足した
<孫文・梅屋庄吉推進協議プロジェクト委員会>の第3回委員会が開かれた。






時間30分では説明しきれないほど
多くのプロジェクトが昨年行われた。

プロジェクトを推進している間に
辛亥革命の発端の地、湖北省や
孫文先生の生誕の地、中山市と長崎との
友好交流締結など
孫文先生と梅屋庄吉の友情の歴史をベースに
現在の
友好交流の輪が広がりを見せていった。


孫文先生と梅屋庄吉夫妻の銅像が中国から贈られ
長崎県からは上海紹興公園に梅屋庄吉像が贈られた。

展示会や多くの交流事業も行われ
上海航路の就航も現実となった。


推進協議会委員会は予定時間を過ぎて、終了。
その後、
シンポジウムの会場となったブリックホールに

どどどどぉ~っと多くの方が入場されてきたのには驚いた!

会場の案内係の方がどんどん2階席へ案内する。

立ち見の人も!!


実はこのシンポジウムの日は平日の午後だったので
来場者はそんなにいないんだろうなぁ、、と思っていた私は圧倒された。




2階席の上の方までぎっしり!!満員御礼



まず、シンポジウムは

中村法道長崎県知事、
李文亮長崎総領事、
そして私の

3人によるトークショーからはじまった。








中村知事
多くのプロジェクトをひっぱっていってくださった



李総領事は長崎への思いも深く、このプロジェクトを
積極的に、全面的に応援してくださった





私はこのプロジェクトは辛亥革命100周年で終わるものではなく
むしろ、
これがスタートの年であると思う・・・。

これからは<アジアの時代>であるといわれているが
本当の意味でのアジア人だった梅屋庄吉なここ、長崎でだからこそ、生まれたということ

そのことをこれからもお伝えしていきたいし、
長崎の皆様は長崎というアジアへの架け橋の場所にいらっしゃるということを
この友情の歴史を通して感じていただければ嬉しい、、、

というような趣旨のことをお話しした。(と思う。)



3人のトークショーの後は
中国社会科学院近代史研究所前所長であられる
歩平先生による基調講演。 

パワーポイントでさまざまな歴史資料や
先生の見解をまとめられたものをスライドで見せていただきながら、
先生の、
なんと<独学>で習得された日本語での講演に聞き入った。





歩平先生は辛亥革命100周年を記念して
孫文先生と梅屋庄吉夫妻像を寄贈するという素晴らしいご提案をしてくださった方でも、ある。


近代史、には当然、<戦争>がある。

日本・韓国・中国 それぞれの<戦争>について
被害者意識にだけ立つのではなく
それぞれの被害を認識しあい、
たとえば、広島・長崎と南京がそれぞれの戦争被害について
わかちあう、などの交流も大切ではないか、と話された。

片方の国からだけみる<戦争>ではなく
互いの国の視点からみて、思いを共有してはじめて、
私たちはこれから<アジアの時代>と胸をはって言えるのではないかな、と
思った。







歩平先生の基調講演の後は
歩平先生、上海の兪彭年先生、
谷野作太郎元中国大使、東京大学の川島先生・・・と
そうそうたる顔ぶれのパネリストの先生がたによる
シンポジウム。


コーディネーターの脇田先生は
全体の流れをみながら
会場の皆さんの興味をひくテーマを次々と先生がたになげかけていかれた。
















長いこと外交の最前線で日中関係にかかわってきた
谷野元大使。
外務省からの資料もお持ちくださり、
フランス・ドイツも戦争を過去繰り返してきた両国だけれど
エリゼ条約を結び、さまざまな交流で互いの信頼関係を築いていることを
ご紹介くださった。
このお話に、日中関係をゆるぎないものにしていく大きなヒントを感じた。




川島先生ははまさに歴史を学ぶことによって
現代社会を見つめる、という視点でお話されるので
目からウロコの、ことがたくさんありますし、
多くの学問的裏付けの上にお話しされるので
そのお話のどれもが<かっこいい!・・・のデス>






<上海万博などを通じて、上海の皆さんが梅屋庄吉を知ることになりましたが
上海の皆さんはこのことをどう思っていらっしゃるのでしょうか?>


という脇田先生の問いかけに上海の兪彭年先生は


~テレビや映画などで頻繁に南京大虐殺など
日本の侵略戦争のことがとりあげられるので、
多くの中国の人々は日本人は<恐ろしい、怖い、鬼のようだ>と思っている。

しかし、梅屋さんのような<良い日本人もいるんだなぁ>ということを知った。

でも、梅屋さんがいくら良いことをしたとしても
それが日本の中国に対する侵略戦争を消すことにはならない。~


というご発言をされた。


ずいぶんはっきりとしたご意見だなぁ、と思ったが
もしかしたら大多数の中国の方の率直な意見かもしれない、とも思った。


私が上海万博をはじめ、
武漢、中山、香港、東京、長崎などで展示会をさせていただいてきているのは

何も

梅屋庄吉で日本の侵略戦争を無いものにしよう、

なんてこれっぽっちも、思っていない。


日本が多くの中国の方々を犠牲にした戦争はもちろん大変な歴史であると思っている。

でも
中国やアジアの将来、平和をのぞんで生きた日本人もいて
その日本人は
近代中国を築いた孫文先生はじめ多くの方々と
深い友情で結ばれていたのですよ、

ということを、という歴史もまた

日中の間の大切な歴史ではないでしょうか?

というのが私のやってきたこと、やっていることの思いだ。



このほかにも結構
白熱したテーマがいくつかあり、

登壇されていらっしゃる先生方も超一流の先生ばかりなので
私も
おそらく会場にいらした皆様も

食い入るように聞いていたのではないだろうか。


~日中交流の新しい潮流~という副題が
提示されていたが

実に素晴らしく濃い内容のシンポジウムであったと思う。



この後、
私たちはランタンフェスティバルの開幕式に出席した後
<はし本>に場所をうつし

お酒をくみかわしながらも

実はまだこのシンポジウムの興奮さめず
続編を繰り広げた。。。。