長崎歴史文化博物館<孫文と梅屋庄吉展>フィナーレ!
3月25日。
いよいよ半年間にわたって開催されていた
<孫文・梅屋庄吉と長崎>展がこの日、最終日を迎えた。
長崎市内を走るタクシーの窓には
ほとんどこのステッカーが貼られていたので
今度から
もぉこういうものが消えてしまうのはさびしい気がする。。。
タクシーに貼られている展示会のステッカー
最終日、
展示会場はもう1回、観ておきたいという方も訪れてくださっていた。
博物館の皆様、お世話になりました!!!
展示会には
私の家で保管されている史料のほか、
北京・上海・武漢などからお借りしている史料もあり
このような大規模の展示会はおそらくもう開催することはできないかも、しれない。
この展示会のために奔走してくださった
元長崎県参与の藤氏も最終日、駆けつけてくださった。
梅屋庄吉が80年前中国に4体送った銅像の
完全複製の前で多くの方が記念撮影をした。
最後に私も藤氏と。。。。
400名以上、国内外からVIPがかけつけた
開幕式であったが、
最終日はとても静かに幕を閉じた。
長崎歴史文化博物館の関係者、
湖北省武漢からいらした中国の関係者、
長崎県の孫文・梅屋プロジェクトの皆様と記念撮影。
そして、皆様から花束をいただき、感動。。。。
その後、
鍛冶屋町の炉ばた屋ゑびすにて
関係者の皆様が集まってくださり、慰労会を開いてくださった。
・・・当然のことながら、盛り上がり、飲みすぎて
酔っぱらいムード。。。
私が長崎市内にワンルームマンションを買うために
情報を集めよう!みたいな話題で・・・そろそろお開きに。
翌、26日の夜には
日本経済新聞社の杉田会長(長崎・大村ご出身)が
展示会が終了したので、
お疲れさま会を・・・ということで席を設けてくださった。
料亭 春海
静かな日本家屋。 ここを利用させていただくのも、はじめて。
本当にお世話になった
中村知事、李総領事、大堀館長さまと
杉田会長との会食の席は若輩の私にとって
大変貴重でありがたい機会。
冒頭、李総領事から
孫文と梅屋のこの歴史は
長崎の宝であると同時に
日本と中国にとっても、<宝物>である・・・とおっしゃっていただいた。
李総領事は
中国からVIPがいらっしゃると必ず博物館に出向き、
自ら1時間以上時間を割いて
館内の展示物を案内してくださった。
中国からの銅像寄贈に関しても
さまざまな手続き上の難しい問題も積極的に関わって
スムーズに流れるようにしてくださった。
大変にお世話になりました。 非常感謝。
長崎県中村知事、中華人民共和国駐長崎総領事 李先生、
日本経済新聞社 杉田会長さま、長崎歴史文化博物館 大堀館長さまと。
展示会の来場者数そのものは6万人弱。
10万に満たなかった、ということで
人数に関しては、少なかったかもしれないが
その間、展示会に足を運んだ方々は
日本を代表する政治家、経済界の皆様、
中国各地のVIP,歴史研究家、マスメディアの方々。。。。
ということを考えると
どれだけ重要な展示会であったか、ということがわかる。
2010年の今頃、
長崎で<梅屋庄吉>の名前を知っている人は
ほんの、数名であったと思う。
実際、県の関係者もまったく知らなかった、というのが実情である。
しかし、この2年間の取り組みで
長崎県全体のおよそ6~70%の方々が
梅屋庄吉のことを知るようになったという。
李総領事は続けられた。。。。
”これからです。。。”
そう、
長崎での展示会は終了したけれど
これから
<孫文・梅屋>の絆がこれからのアジアにとって宝物である、ということが
もっと多くの
日本人、中国人に伝わるようになるのは。。。。
本当にこの展示会に関して
多くの方々にお世話になったことに対して
適当な感謝の言葉がみつからない。。。
でもやはり、この言葉を。
ありがとうございました。。。
3月25日。
いよいよ半年間にわたって開催されていた
<孫文・梅屋庄吉と長崎>展がこの日、最終日を迎えた。
長崎市内を走るタクシーの窓には
ほとんどこのステッカーが貼られていたので
今度から
もぉこういうものが消えてしまうのはさびしい気がする。。。
タクシーに貼られている展示会のステッカー
最終日、
展示会場はもう1回、観ておきたいという方も訪れてくださっていた。
博物館の皆様、お世話になりました!!!
展示会には
私の家で保管されている史料のほか、
北京・上海・武漢などからお借りしている史料もあり
このような大規模の展示会はおそらくもう開催することはできないかも、しれない。
この展示会のために奔走してくださった
元長崎県参与の藤氏も最終日、駆けつけてくださった。
梅屋庄吉が80年前中国に4体送った銅像の
完全複製の前で多くの方が記念撮影をした。
最後に私も藤氏と。。。。
400名以上、国内外からVIPがかけつけた
開幕式であったが、
最終日はとても静かに幕を閉じた。
長崎歴史文化博物館の関係者、
湖北省武漢からいらした中国の関係者、
長崎県の孫文・梅屋プロジェクトの皆様と記念撮影。
そして、皆様から花束をいただき、感動。。。。
その後、
鍛冶屋町の炉ばた屋ゑびすにて
関係者の皆様が集まってくださり、慰労会を開いてくださった。
・・・当然のことながら、盛り上がり、飲みすぎて
酔っぱらいムード。。。
私が長崎市内にワンルームマンションを買うために
情報を集めよう!みたいな話題で・・・そろそろお開きに。
翌、26日の夜には
日本経済新聞社の杉田会長(長崎・大村ご出身)が
展示会が終了したので、
お疲れさま会を・・・ということで席を設けてくださった。
料亭 春海
静かな日本家屋。 ここを利用させていただくのも、はじめて。
本当にお世話になった
中村知事、李総領事、大堀館長さまと
杉田会長との会食の席は若輩の私にとって
大変貴重でありがたい機会。
冒頭、李総領事から
孫文と梅屋のこの歴史は
長崎の宝であると同時に
日本と中国にとっても、<宝物>である・・・とおっしゃっていただいた。
李総領事は
中国からVIPがいらっしゃると必ず博物館に出向き、
自ら1時間以上時間を割いて
館内の展示物を案内してくださった。
中国からの銅像寄贈に関しても
さまざまな手続き上の難しい問題も積極的に関わって
スムーズに流れるようにしてくださった。
大変にお世話になりました。 非常感謝。
長崎県中村知事、中華人民共和国駐長崎総領事 李先生、
日本経済新聞社 杉田会長さま、長崎歴史文化博物館 大堀館長さまと。
展示会の来場者数そのものは6万人弱。
10万に満たなかった、ということで
人数に関しては、少なかったかもしれないが
その間、展示会に足を運んだ方々は
日本を代表する政治家、経済界の皆様、
中国各地のVIP,歴史研究家、マスメディアの方々。。。。
ということを考えると
どれだけ重要な展示会であったか、ということがわかる。
2010年の今頃、
長崎で<梅屋庄吉>の名前を知っている人は
ほんの、数名であったと思う。
実際、県の関係者もまったく知らなかった、というのが実情である。
しかし、この2年間の取り組みで
長崎県全体のおよそ6~70%の方々が
梅屋庄吉のことを知るようになったという。
李総領事は続けられた。。。。
”これからです。。。”
そう、
長崎での展示会は終了したけれど
これから
<孫文・梅屋>の絆がこれからのアジアにとって宝物である、ということが
もっと多くの
日本人、中国人に伝わるようになるのは。。。。
本当にこの展示会に関して
多くの方々にお世話になったことに対して
適当な感謝の言葉がみつからない。。。
でもやはり、この言葉を。
ありがとうございました。。。