Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

初☆デート

2008年03月31日 | mama
初☆デート




やっと雨があがって
ほっとしている。

今日は息子の初☆デートの日。

・・・といっても8名くらいの
ご一行さまだけれど
その中に、大好きなマオちゃんがいるのだ


先日のブログでもお伝えしたように
行き先は

<東京ディズニーランド>


まるで、修学旅行のように
きちんと
仲良しグループ(男子5名、女子3名)で

<しおり>を作成したりして
この日を迎えた。







息子には緊急用に携帯電話は
買ってあるが
あまり使っていない。

だけど

今回のディズニーランド計画のために

頻繁にマオちゃんとのメールのやりとりを

するようになった


天気予報が

だったので、

”晴れるといいね。
みんなでてるてる坊主作ろうよ。”

なんていう可愛いメールのやりとり。


息子も嬉しそうに返信する




いいなぁ~。

ちょっと羨ましい私。


きっと今日の初☆デートの
ディズニーランドは、一生忘れられない思い出になるハズ。








息子の初☆デートは小6かぁ・・・

私は中学2年生

ちょっと自慢しちゃおうかしら。


当時私たちはイギリスにいて、

学校行事で、<ウィンブルドン見学>があった。


学校の規則も
男女交際も

めちゃくちゃ厳しい学校だったけれど

なぜか、この<ウィンブルドン見学>の日は
カップルで自由行動しても
怒られないのだ。


なので、この日、
カップルたちは、正々堂々と二人で
初夏のウィンブルドンを楽しむことが出来る。


私は、度々ブログ登場の
<Kevin>君が大好きで、
二人ではじめて、デートしたのは
このウィンブルドン

嬉しかったなぁ~









私自身、こんな素敵な初恋の想い出があるので

息子の恋にも寛容だ。


でも、

来年、中学・高校一貫の男子校を受験する予定の息子。

しばらく、女の子とデートなんて出来ないのだろうな。


ちょっとかわいそうな、気もするけれど。



とにかく、

今日の一日が、素敵な想い出になる
とっておきの、一日であることには間違いない。


頑張れ 息子よ。

Have a nice day










ひとつ散る、ひとつ咲く

2008年03月29日 | sweet & bitter story
ひとつ散る、ひとつ咲く



桜、満開。






これほど精一杯満開な桜に

胸がいっぱいになり、

そして、
感謝をする。


人にはそれぞれの、桜に対しての
想いがあると思うけれど

私にとって<桜>は、母への想いと重なる。











昨日はダイナビジョン代表の
穴口恵子さんの、個人セッションがあった。
(*これについては、次のブログで・・・)


セッションが行われるレインボー・エンジェル・マジックは
中目黒に、ある。

私は、20年近く、代官山に住んでいたので

代官山~中目黒一帯は、目をつぶっても歩ける・・・

といっても、この界隈は急激に変化をしている街でもあるので

昔あった小さなお店が、マンションに変身していたり、
なんてことも多々ある。
ちょっぴり、寂しい気持ちに、なる。


桜が、こんなに満開だということを
少しも考えずに
中目黒に到着した私は
しばらくその見事なまでの桜の咲き誇るさまに
すこし、驚き
そして、今日、ここにこうして私を導いたのは

偶然ではなく、母だな・・・と感じた












病弱だった母は、あまり外を歩いたりしない人だったけれど
この桜の季節はせっせとよく歩いていた。

お気に入りのコースは

西郷山公園の桜を見て、それから
目黒川沿いのこの桜を楽しむのだった。


以前、目黒川はよく大雨であふれていたので
一度、川の工事をするために、
全てのこの川沿いの桜が伐採されたことが、あった。

母は、涙をぽろぽろ流していた。

私はまだ、中学生くらいで

桜の木が切られることに涙する母は
なんて、繊細な人なんだろう・・・と
思っていたが

今の私は

桜が精一杯咲いているその姿にさえ、涙
出てきそうだ。


川の工事が完成して、また桜の木が植えられた。

あれから、十数年たって
桜は、こんなに見事に咲きそろうようになった。


あんまり、天気が良くて
あんまり、桜が満開なので

母は、私を誘って、このお気に入りの桜を
見に来たい、と思ったようだ。









2年前、桜が満開の頃
母は病室で、心臓や肺に水が溜まっているので
横になることも出来ないまま、

まだ意識もはっきりしていて
まだ本当に美しかったのに

治療をするすべがなくなったために

薬を打ち続けて、眠らせていった。


そして、桜が散り始めるのと同時に

まるでお人形さんのように可愛らしい姿のままで

天使になった








寒い、暗い 冬を越え
花の咲きそろう、春になった。


そして、春は新しくスタートする時期でも、ある。


始めること・・・があるということは
終えること・・・もあるということ。

ひとつ、咲かせるために、
ひとつ、散らせよう。


母とのつかの間の目黒川沿いの花見を楽しみながら

私のココロの中で

そんなことを、ふと思ったのだった













ゆだねる

2008年03月27日 | スピリチュアル
ゆだねる






まっすぐな春の光をうけて
桜が咲き出した。








今年の冬は寒くて、桜の木のそばを通っては

”本当に、今年は桜が咲くかしら?”

などと心配していたにも関わらず

きちんと春の光をうけて、桜はいっせいに咲きそろう


”ゆだねる”

ってこういうことなのかな、と。

私も両手を大きく広げて、
宇宙からふりそそぐ光に、身をゆだねてみる。









どしゃぶりの雨の後の春の光は
まっすぐに私にも届く。

あの雨は<浄化>の雨だったのかしらん。。


大きな変化が起こる前には
いったん、とてもすることがあったり
 驚くことがあったり
 げせないことがあったり

ということが起こるのだけれど

最近それらはのサインでもある、ということが
感じとしてわかってきたので

なるべく全ての出来事に感謝しながら
時を過ごしてみる。

そして、<ゆだねて>みる。


すると、光のごとく、すべてのことが

桜がいっせいに咲くときのように

良い方向へ、動き出す








昨日、仕事で大宮にいた。

駅で、ふと、頭の上に光が降りてきた(気がした)

その時、ある人からそろそろ大事な決定事項が
下されるだろうな、と思った。

それから、30分後くらいだっただろうか。

携帯電話が、鳴る

私が不在だったので、
私の代わりに電話をうけた社長がいくぶん
興奮気味にかけてきた。

そう、私がさっき ”そろそろくるだろう。

と思った事柄について、電話が入ったというのだ。


結果は朗報。 大きな、大きな、朗報なのだ。


そして、これはきっと

私の夢の実現につながる大きなきっかけになると確信した。


そして、次の朝には

すぐさま、夢が動き出す状況になる。

夢の実現のキーパーソンとなるであろう人たちから
しばらく連絡がなかったにも関わらず、
急にあれこれと電話やメールが、入ってくる。


春の、溢れるような光のごとく
導かれていくような、感じがしている。





Archangel Ratziel B106


昨年10月22日に誕生した
B106 大天使ラツィエルのボトル。

なかなか日本に到着しなかったのだけれど
やっとこの3月半ば過ぎに到着。

そして、私の手元にやってきた。


私はその、美しい

ミスティ ペールオリーブと
ミスティ ライラック

の2色のボトルをながめながら


”このボトル、この3月に届くのが
私たちにとって、ベストなタイミングだったのかもしれない。”


と思った。


・・・というのも

このブログを読んでいらっしゃる方も
私と同じように感じていらっしゃるかもしれないのだけれど

この3月から起こすアクションは
今後の12年間の幸運につながる・・・という。

動きながら、波動の上昇を感じている人が
この時期から6月にかけてかなり多く出てくるそう。


宇宙に身をゆだねてみる。


桜の花が春の光で咲くことを
なんの疑いもなく、宇宙にゆだねているように

わたしたちも

寒い日があっても 
雨の日があっても 
雷に驚く日があっても


宇宙にゆだねてみよう。


きっと、光がよき方向へ、導いてくれるはずだから。













どーでも、ええやん

2008年03月23日 | 見つけたHappyたち
どーでも、ええやん




私は東京生まれ。

実は関西弁が苦手だった。

よく、

東京の人が ”アホちゃう
と言われるのと

関西の人が ”バカみたい
と言われるのとでは

お互いに、
自分の話す言葉でないほうが

<傷つく><ほんとうに馬鹿にされた気がする>

と感じるという話を聞いた時

本当にそうだなぁ・・・と。


”アホちゃう”と言われると

脳の中が空っぽみたいな感じをうける。



”バカみたい”と言われると

ある一定の物事について、くだらない、とか
劣っているとかいう感じをうける。

なので、”アホちゃう”と言われたほうが
全面否定されたようで
嫌だなぁ・・・と感じていた。








ところが、だ。

最近、関西弁のほうが

<Happy道>に近いのではないか、と
思うようになった。


同じ言葉でも

ポジティブな波動と
エネルギッシュな波動と
ハートフルな波動が、

感じられるのだ。


オーラソーマ的に色で表現すると

<レッド~オレンジ>。


なかでも、気に入っているのが

今日のタイトルでもある

”そんなん、どーでも ええやん”

という言葉。



つい私たちは、ココロの中で

ブツブツブツ・・・とつまらないことを
自問自答していたり、

他の人に言われたことについて
あれこれと悩んでしまっていたり、

要は

自分に必要のないことを取り込んでしまって
知らず知らずのうちに
それらにエネルギーをとられていたり、する。



そんな時に颯爽と登場するのが、

”そんなん、どーでも ええやん”

という一言。


自分自身で言ってみる。


”そんなん、どーでも ええやん。”

すると、もう一人の自分は

”そうやね。”

と気軽になる。




でもこれをフツウの言葉(東京弁?)で言ってみると


”そんなこと、どうでもいいぢゃない。”

すると、もう一人の自分はついこう反論したくなる。

”えー・・・、でもさぁ・・・”


そして、その思考回路に
延々とはまっていくので、ある。






九州の言葉は、もともと、好きだ


”よか、よか

と言ってもらうと

ココロの深いところから許されるような、
大きな懐に抱かれるような感じさえ、する。


”いいよ、いいよ。”

とフツウに言われると
そのこと一つに対しての許し、という印象。


なので、<方言>って大事にしていってもらいたいなぁと思う。

日本人の、
大切にしてきたほっこりした、

炊きたてのご飯でつくったおにぎりのような

そんな温かさが言霊として伝わってくる。









・・・というわけで

最近の私は


<そんなん、どーでも ええやん>

という言葉のおかげで

ちょうど今日の春の陽気のように

軽やかでいられる。


多分、宇宙はとてもシンプルなもので

あれこれとまわりくどい説明や
あれこれとかけひきをするような思考など

重いエネルギーはとおらないのかも、しれない。


シンプルで、ええんや。


そう、そしてもうひとつ
最近大切にしている
Happyに後押ししてくれる言葉。


”やったら、ええやん。




そう、自分の声以外のことが聞こえてきて

あれこれ悩んでいたら

つたない()関西弁で言ってみる。


”そんなん、どーでも ええやん。”


そして


”やったら、ええやん。”



きっとココロが軽やかになって
Happyな波動に自分を、持っていける、ハズ











幸せの、予告

2008年03月22日 | sweet & bitter story
幸せの、予告



突然ですが、昨日こんなことを、言われた、お話。


”あなたを幸せに出来る男性なんて、そういない。
 1万人いたとしたら、ひとり、いるかいないかだよ。”と。





私は低血圧なので
(頭に行くまでに、時間がかかるので)
何か言われたとき、とっさに反応できないのだが

だんだん脳まで到達して
これが、かなりショックなコトバだった、ということを
感知する。


目の前にいる人から
こんなことを言われるとは、思っていなかった。



こういう言葉を言われたのは
実は何度も、ある。

20代の頃なんて、よく言われた。

要は、私はファミリービジネスをしている家の娘なので
私と結婚するということは
つまり、お婿さんかなにかに
ならなくてはいけないのだろうか、とか
大変そうだなあ、とか

確かに、社会に出たそこそこの立場の社会人だったら
そんなことも思うだろう。


でもまさか、この年になって言われるとは、
正直思っていなかった。


だって、

私たちはもう、社会に出て20年近く経っているのだし、

どんな仕事につこうが、
どんな人と結婚しようが、

大変と思えば大変なのだし、
幸せと思えば幸せなのだ、ということが

わかっている年代だと思ったからだ。


バブルでGOの時代の私たちにとって
キラキラの大企業で働くことは
他の何にもまして、<ステイタス>だったし

私も、ひとまず外資系の企業で働いていたので

大きな企業で働くという重要な意味はようくわかる。


でも、30代半ばを過ぎてくると
転職をする人も多いし
家業を継ぐ人も出てくるし
子会社へ出向する人も出てくるし

それぞれの、生き方を選ぶようになり
それぞれが、頑張っている姿をみて
自分も頑張ろうと思ったり、するのだ。

これは、

男性だから、とか
女性だから、とか

<そんなの、関係ない







ぢゃあ、離婚して
子供を一人で育て上げたからか?
(もう今年で12歳なので
いわゆる子育て、の部分は卒業した感が、あるので)


それの、何が悪いんだろうか。
人生で、失敗があって、何が悪いんだろうか。

それが、重いっていうことなんだろうか。
(体重は軽くはないけど・・・

私はこうしてブログでも
実生活でも、堂々とこのことを話している。


だって、私はこうしたことから
多くの気づきを得て
多くのことを学んで
多くの人に支えてもらって

そして、とても、幸せにしているのだから。









”幸せになれると、いいね。”

”どんな人がいいの? 会ってみるだけ、会ってみる?”


私なら、目の前にいる人に
こういう

幸せな、予告 あるいは
幸せになるような言葉をかけるだろう。


<あなたを幸せに出来る男性なんか、いないよ。>

とどうして言えるのだろう。

そんな、相手が悲しくなるような予告
(あるいは予言というのでしょうか)を

なぜするのか・・・私には理解できない。


人生のちょうど中間地点まで歩いてきた私たちは
それぞれが
それぞれの、荷物を背負っている。

背負いながら、幸せを感じながら生きていく。



私は、今、目の前にいる人を大切にしようと思う。

限られた時間の中で会っている時には

お互いが幸せになれるような

コトバをかけていこう


そんなふうに、思うし、願う



でも、この<出会えない予告>にも
感謝を、してみる。


だって、

反対に、絶対に私は

私をまるごと愛してくれる人と出会うんだ


って、ココロの底から自分に

幸せの、予告をすることが出来たから。






ミラクルな夜~その2 炙り焼き

2008年03月20日 | スピリチュアル
ミラクルな夜~その2 炙り焼き






谷村新司さんの<音帰しコンサート>が
行われたNHKホールを後にして

カヨコさんと、タクシーに乗り込む。

”西麻布へ”




大人の、隠れ家



昨年の夏に、カヨコさんに連れて来ていただいた
西麻布のバー。

そこの2階で美味しい炙り焼きが食べられる、というので
カヨコさんにお願いして
連れて行っていただく。


ここは、オーナーさんの意向で
限られた人しか入れないし、
お店の場所も非公開。

でも、中に入ると

お洒落なのだけれど、
ほんわかとした空気が流れていて
時間が過ぎるのを忘れてしまう。





日本各地の焼酎がずらり



のどもカラカラ、
お腹もペコペコ、

私たちはまず、で乾杯。


カウンター越しに、ユウさんが
ピカピカな、本日の食材を持って現れる。





ユウさんが、バイクで日本全国をまわり

<ホントウニ、オイシイモノ

だけを炭で炙って、頂く。

私も<食>の仕事の従事者だけれど
こんなにひとつ、ひとつの食材が

驚くような、食材の本来の甘味や苦味、
触感で頂いたのは、はじめて






”このトマトはどこの?”

”徳島”

”このお魚は?”

”長崎”

”このハマグリは?”

”千葉”


”この鶏は?”

”福島”


まるで、私たちもバイクにのって
日本各地を巡っているような感覚に、なる。







カヨコさんは<ナチュラリスト>でもある。

すごい標高の山でスキーをしたり、
大海原をカヌーで渡り、イルカの群れに遭遇したり・・・

そのカヨコさんの原点、
故郷の長崎の島の話になった。

”海が透明で、エイッとさざえをつかまえたり、
ゆらゆらとした小船の上でお昼寝したり・・・。”


長崎、といえば
私の母方の曽祖父母も長崎生まれ。

”同じ土地の血が流れているねぇ

と、私たち。

長崎(九州)人の気質について話す。

ユウさんがそれを聞いて、目の前にドカッと1本。



壱岐の、焼酎

私の曾祖母の故郷、壱岐の焼酎だ。


カヨコさんとは何でもお話するけれど

その日は私の夢について
はじめて、カヨコさんに話をした。

私の夢は2つ、ある。

ひとつは今のお店をキレイにすることだ。
(いわゆる、改装という話ですが)

もしかしたら、来年の2月にかけて
これは実現しそうで、
しかも、
カヨコさんの会社はインテリア(内装)も手がけることを
知った私は、

”カヨコさんと出来たら、素敵ですね

なんていう、話になっている。




そして、もうひとつの夢が

<映画をつくること


私の曽祖父は日本の映画の草創期の人間で
日本活動写真株式会社の創設者でも、ある。

現存している日本最古のフィルムで有名な
<白瀬中尉の南極探検フィルム>は
大隈重信氏に依頼され、曽祖父の会社がカメラマンを派遣して
撮った映像だ。

映画で築いた莫大な資産を
盟友である、孫文先生の辛亥革命、
その志士らに投じていった人物なのだが

その曽祖父の、叶えられなかったことが、2つある。

ひとつは、日中戦争を阻止すること。
もうひとつは、<大孫文>という映画をつくること。

私は、

昨年の6月、上海国際映画祭の前夜祭のパーティーで
スピーチをした時に、

(この日は、新月でした・・・)

ふと、その時に、降りてきたことが、あった。

曽祖父と孫文先生の<映画を日中共同でつくる>こと、だ。

そう、それが、私の夢の2つめ。

曽祖父の夢が、私に降りてきたのだと、思う。




信濃 戸隠のそばをいただきながら・・・




カヨコさんに、その夢を熱く語ったすぐ後のこと、だった。


・・・・



私は息子に、この夢の映画のことを話す時がある。
つい、前日の朝、通学の車の中で

”主役のおじいちゃまの役の候補も
ママ、決めているんだよ。”

”へぇ~、誰?”

”俳優の、Kさん。顔が小さくてちょっと
おじいちゃまに似ているし、
演技も素晴らしいし、イメージなんだなぁ・・

主題歌はモチロン、日本でも、中国でも活躍している
谷村さんなんだ



と、話していた。



・・・・



カヨコさんが、

”1階に場所移して、飲もうか”と言って、

後ろを振り向いたとたん、

私は自分の目を疑った

というか、雷に打たれたような

信じられない現実が、そこにあった。


なんと、後ろを振り向いたら

そこに、

<夢の映画の主人公の候補>である、

俳優のKさんが、いたのだった



・・・・信じられない・・・・


私は、正直、身震いさえ、したかもしれない。

だって、今、その<夢の映画>について
カヨコさんと話したばかり、で

つい前の日の朝、
息子に主人公の候補なんだよ、と話していたばかり、の

まったくの私の頭の中で勝手にあれこれ空想している
夢の映画の主人公が、

<そこにいる>のだもの












1階のバーのソファに座り

私は、このミラクルな夜に乾杯した。


幾つも、幾つも

キラ星が降りてきた夜、だった。


その降り注いでいる、目には見えないけれど

素晴らしい光たちに、感謝を捧げた、


ミラクルな夜の、話











ミラクルな夜~その1 音帰しコンサート

2008年03月20日 | 映画・コンサート・演劇
ミラクルな夜~その1 音帰しコンサート



今年に入っての特徴は、
ある日、

”どかっ”と幸運が舞い降りること、だ。

そう、屋根に積もった雪が
なにかの拍子で、<どさっ>と落ちていくような。


じつはこの、ミラクルな夜も、そう。
あまりにミラクルで、ハッピーなので
2回にわけて、ご報告を。

まずは、谷村新司さんの<音帰しコンサート>。






NHKホール





谷村新司さんは、長い歳月、ご自分の楽曲を
愛し続けてくださっている多くの方に
<恩返し>をしたい・・・。という動機で
今回のアルバムを企画された。

リクエスト曲は4600通、
楽曲数は266曲。

谷村さんは3日間、そのお葉書を
涙しながら読み続けられ、
その中から今回の13曲を選ばれた。

100人のファンの目の前で
ライブでレコーディング。
アリス時代の<明日への賛歌>では
堀内さん、矢沢さんも友情出演された。


その<音帰し>コンサートは
渋谷のNHKホールで開かれた。

コンサートの来場者全員に
<音帰し>のCDがプレゼントされる。

谷村さんとダオのみなさんの、
あふれるような、温かい愛情を感じる。










まずは、<チャンピオン>から。


あの頃、まだ私は小学生だった。

さだまさしさんや松山千春さん、
岸田智史さんなどのフォークを聴く中で、

<アリス>はぐっとオトナっぽい感じがしていた。

谷村さんは、テレビやラジオやウォークマン(懐かしいです・・・)
の中の存在で、
しかも、わたしにとって、<BIG>な存在だった。



今回のコンサートにお誘いしたのは
ブログにも度々登場の、
私の大好きなバー・フレンド
ガーデンデザイナーのカヨコさん。

いきなり、<チャンピオン>で登場した
谷村さんに、<アリス>ファンだった
カヨコさんも、




ファンからのリクエストの葉書を
1枚1枚丁寧に読み上げながら、1曲1曲を歌われる。

軽快で、ユーモアあふれる
トークで、会場内が笑いの渦になったり、

反対に

谷村さんの語りかけで

それぞれが自分のココロに向き合い
自分の歩いてきた道の途中に聴こえていた
谷村さんの歌を思い出し

涙が自然とこぼれたり・・・。


まさに、このコンサートは
<音帰し>そのもの、であった。








<いい日 旅立ち>
<遠くで汽笛を聞きながら>


谷村さんの<旅>の歌。

私のベスト1と2、でもある。

この旅の歌を歌われる時に

~旅に出る時、一番最初にむかうところが、
駅の<ホーム>。

これから、出発するというのに、
<ホーム>というのが面白いですね。~

というコメント。


・・・確かに。

普段、何気なく使っている言葉の
ひとつひとつを拾い上げて

気づいたり、感じたりするココロが

あの谷村さんの素晴らしい歌詞を作り出すのだなぁ・・・





アルバム<音帰し>ジャケット



このコンサートの最後に
谷村さんが、皆様へ~と一つの詞を読み上げられた。


神様と砂浜を歩くお話なのだけれど、

読み上げられた瞬間、私はビックリ


なんと、その日の朝

車の中で、佳川奈未さんの新しいCDを聴いていて
佳川さんがそのCDの中で
同じ話をされていたのを、聴いたばかりだったからだ



コンサート終了後、

谷村さんにお会いして、ご挨拶。

その時に、谷村さんに

”コンサートで谷村さんが読み上げれた詞、
実は、今朝、耳にしたものと同じだったのですよ”と

話した。

すると、谷村さんが
にこっと笑いながら

”僕もね、この話をここのところ、
色んなところで、耳にするのよ。不思議だね。”

そこで、谷村さんと私は

同時に、<うん>とうなづきながら

<今の私たちに、大切なメッセージ、ということですね。>

<そう、そういうこと>

そんな、会話をした。



子供の頃、私にとって<神様>のような
存在だった谷村さんは

引き続き、私にとって<神様>のように
素敵な、そして意味のある出会いを
つないでくださる。








実は、私のコンサートの席の隣は
安倍昭恵さまだった。
そう、安倍前首相の奥様。

昭恵様は以前、福田首相の奥様が
私のところでパーティーを開いてくださった折に
出席してくださっていたので、

<その折は、ありがとうございました>
と、ご挨拶を兼ねてお話させていただいた。

昭恵様はご本人のブログでも紹介されていらっしゃるけれど
子供たちへの活動や
平和への活動を日本のみならず
世界各地をまわり、なさっていらっしゃる。


会話がすすんでいると、
昭恵様のお友達が、いらっしゃる。

日本テレビのチーフプロデューサーで
大平元首相のお孫さんにあたられる方

実はこの方、日中関係の
番組などを手がけていらっしゃる。

なので、当然、私の今取り組んでいる
日中の話に興味を示してくださる。

何かが、つながった・・・という感じがする。


・・・とそのうちに
私のお友達、カヨコさんが到着。

”とっても、素敵なガーデンデザイナーで
いらっしゃるのですよ。”

とご紹介させていただく。

同年代、ということもあり、
コンサートが始まる前と
コンサートが終わった後も
お話をさせていただくことが出来て

素晴らしい出会いに感謝


<タニムラ・マジック>にかかった
素晴らしい出会いと

谷村さん、とダオの皆さんの
温かい気持ちを沢山いただいた、

最高にミラクルな夜、となった。


でも、そのミラクルはまだ、続いた・・・







全ての存在に、平和を~その2

2008年03月18日 | Earth(地球の、こと)
全ての存在に、平和を~その2




寝不足。

昨夜は殆ど眠れなかった。


春になってきたなぁ・・・と感じると同時に
実は冬の寒い時期に
食べだめしていたものが

花の蕾がふくらむように
私もふくらんできて・・・

緊急ダイエットをはじめたばかりなのだけれど
(*これについてはまた追って書きます

・・・やはり、痩せるための特効薬は
恋をして、トキメクことだろうなぁ・・・と。

それで、
恋をする相手を決めた。 ふふふ。
ちょっと気になっていた

<瑛太>ちゃん。

NHKドラマの篤姫の小松帯刀(現在、尚五郎さん)の
役柄がとても気に入ったのと、

映画<銀色のシーズン>も
やんちゃな姿が可愛かったので






そう決めて、早速
息子をはじめ、職場のみんなに宣言

”ママ、瑛太ちゃんのファンになることにした

”今度、撮影で瑛太ちゃんが入ったら
絶対教えてね。ファンになることにしたから。”


すると、息子も職場のみんなも


”ぢゃあ、今晩の<東京大空襲>観ますか?
瑛太、出ますよ。


・・・東京大空襲・・・

ううう・・・タイトルからして厳しい。
せっかく、近頃
中谷彰宏さんに怒られてから
恐れを排除して、明るい光に満ちていたのに


瑛太ちゃんも観たいし
でも、東京大空襲は厳しいし

ココロの中でせめぎあいをしているうちに
午後9時となる。

息子は”これも勉強”と称して
テレビのスイッチを入れる。

そう、日本テレビの<東京大空襲>。




こんな小さなところに、春の花、発見



テレビドラマとは思えない迫力の映像と
恐ろしいほどのリアルな描写で
動けなくなってしまった私。

私は、こういう映像が苦手で

だから映画も、暴力ものや
ホラーなどは、予告編でも目をつぶっている。

でも、おそらく
限りなく、事実に近づけて撮影されたものだと思う。

監督ご自身が東京大空襲を経験されたので
そのリアルさに徹底的にこだわったのだと
インタビューに答えていたのを、偶然見たことが、あった。


昨日の段階で、第1話。
今日が第2話だけれど
ほとんどの登場人物が亡くなってしまった

どうなるんだろう。
でも、今日の夜は私は別件があり
テレビは見られない。


案の定、映像が焼きついてしまい、眠れない。



そこで、

今ある全てのものに

感謝の祈りをささげることに、した

今ある全ての人に、

平和の光をとどけることに、した


日常、小さなことで

ブツブツ言ったり
悩んでいることが

実は、大きな大きな神様からの
<平和>というエネルギーの中で
安心しきって過ごしている
慢心の状態から起こってくるものだと、つくづく反省する。


人間は、こうも愚かな歴史を歩んできたのにもかかわらず
未だに、世界では戦争をしていたり、準備をしていたり、する。





幸せは、ここに、ある



朝、起きてカーテンを開けると

ベランダに色とりどりに咲きほこる
パンジーやヴィオラ、

一生懸命背伸びをはじめたチューリップたちが

目に飛び込んでくる。


平和な、この時に、感謝の気持ちがあふれてくる。


瑛太ちゃんを観たいな、という軽い気持ちで観てしまった
昨夜のドラマだけれど

<平和>のありがたさを
つくづくと味わうことになった。


オーラソーマで使われる祈りの言葉を
今日は、いつもより深く、
気持ちを込めて、言ってみる。



~全ての存在に、平和を







はじめの、一歩

2008年03月16日 | work
はじめの、一歩





金曜日、私がやりたかったことが
実現した。


これは、ほんの、はじめの、一歩。








若い世代(・・・若い、に入れてください)での
歴史の勉強会。

歴史の勉強会、の内容は

<孫文先生と梅屋庄吉>。

中国の辛亥革命は有名だけれど
そこには
深い絆で結ばれた日中間の友情があったことは

日本人でも
中国人でも

ごくごく僅かな人しか、知らない。

でも、
これはとても大切な、歴史だ。


日中関係となると、
比較的年をとられた方は興味を示されるが

若い世代となると、
サッカーの応援しかり、
さまざまなところで、<壁>があることを感じる。


日韓は、<冬のソナタ>はじめ
多くの韓流ブームで溶けていった。

ミーハーかもしれないけれど
私も<冬のソナタ>以前は全く興味が無かった
隣国韓国だけれど、たくさんドラマや映画を観たり
実際に旅行したりするうちに
また、ソウルには行ってみたいと思っているし、
韓国料理も、大好きになった


きっかけのひとつ、になるはずの
大切な歴史の勉強会を
中国大使館の若いメンバーの有志と行い、
懇談を兼ねて、食事もともにした










すごくエネルギーの要ることだったのだけれど、

とんとん、っとスムーズにこの企画がすすんだというのは

このことが、<YES>である証拠。


そして、

<出し切ってしまうと、不思議にまた
エネルギーが沸いてくる>

ということ話を、偶然、耳にしたばかりだった。

なので、

”それなら、試してみよう

チャレンジャーな私は
尊いご先祖さまたちのエネルギーに後押しされるように
この勉強会にトライした。


不思議なことに、

皆を見送った後、
金曜日の夜は、激しいだったのだが

心地よい疲れと
またこれからはじまる<何か>への熱い気持ちが沸いてきて

ココロの中は

妙に、爽やかで
妙に、穏やかだった。


毎日の仕事からは味わえない、感覚だ。

これが、<出し切る>っていうことなのかも、しれない。









同じ時間を共有すること、
同じ食卓を囲むこと、

自分の聞いてみたかったことを質問してみること、
相手からの質問に知恵を絞って、答えてみること、

一緒に笑ってみること、
一緒に問題点をみてみること、

握手してみること、
手を振って、さよならすること・・・。



私の大きな夢への

はじめの一歩は、そうやって

踏み出しはじめた




















銀座★Night

2008年03月14日 | friends
銀座★Night




まだ凍えそうに寒かった、
とある2月の夜。

銀座でちょっとした集まりがあった。

久々にどっぷりとした
銀座Nightだったので
今日は金曜日、ということもあり
画像を中心に銀座の夜を、お伝えします・・・







1次会は銀座8丁目
新橋駅近くの橙家。

個室ダイニングっぽくなっていて
お料理は和食。
日本酒や焼酎のバリエーションが豊富だったのが
印象的。

でも私は、なんだけどね





金目鯛と炙りトロ、美味でした



メンバーはというと

某出版社の方たちと
雑誌の構成なんかを担当するデザイナーの方、

そして
なんと、7歳と15歳も年下の私のお友達。


美味しいお酒とお食事を頂きながらの
とりとめのない会話たちは、

結構楽しかったり、する。



2次会は、その出版社の方
御用達の、銀座のクラブ。
作家の先生方もよくいらっしゃるそうだ。

銀座には、キラキラした美しいショーウィンドーのビルも
沢山あるけれど、

入り口が人ひとりしか通れないような
古い雑居ビルもひしめきあっていて、

各フロアにそれぞれクラブがある。





カクテルの苺が、。可愛いぃ




私がこうした銀座の夜にはじめてデビュー(?)
したのは、かれこれ15年くらい前。

当時、通の人たちが集まって
ワインの先生を囲んでのワイン会をよく銀座でやっていた。

”料理とワインのピタピタ理論”を提唱されていらっしゃる
ワタナベ先生 & フジワラ先生だ。

主催の方は、日英協会の先輩方でいらして
クリスティーズやら、銀座で骨董のお店を持っていらっしゃる方とか・・・。

ワイン会の後には
その先輩方と一緒に、いわゆる
<銀座>という感じの
高級クラブやバーにちょこっとお邪魔したことが、あった。


しばらく、子育てやらなにやらで
そういうお付き合いから遠ざかっていたので、

とっても久しぶりの、銀座のクラブ。

昔は、女性なんかこういうとこ、来なかったんだろうなぁ。







メンバーの一人が、入籍した、ということもあり

いきなりシャンパンの、注文。


”うちは、ドンペリしかないわよ。”

と言いながら、ママが<ドンペリの歌
を歌いながら栓を抜く。


”ひぇぇ~ こんなところで
ドンペリあけたら、幾らかかるんだろう・・・


丁度、そのとき、そのクラブには
編集長さん、もいらしていたり
著名な某先生がいらしていたり

なので、なんと一気にドンペリは3本もあけられた 


”いいの、いいの。
 編集長のおごりだから。”


ということだったけれど、
出版業界って、はぶりがいいんだなぁ・・・

たまには違う業界の人とお付き合いするのも
いい勉強かも。


そういえば、昨年末の高校時代の
同級生の忘年会でも

ひとり、電通マンがいて

2次会は彼の行きつけの銀座のクラブで
いきなり
モエのマグナムボトル、開けたっけ・・・

私たち、もうそういう年代になったのね。


個人的には

シャンパーニュは、

とっておきのものを、とっておきの友人と、
とっておきの時間を過ごすときのために・・・

しかも、のんびりした午後のひと時に
楽しむのが、大好き

昨年の私の友人、ヨシイ君の結婚記念日のお祝いに
フミコ先生が用意してくださったような・・・。







・・・そろそろ、帰らないと。



すると、メンバーのひとり
ハギーさんが

”もう一杯だけ、どうですか?”

ということで、丁度タクシーもつかまらない時間だったので

少しだけ、時間つぶしをすることに。







今度はおしゃれな、バー。

カウンターに座ると、目の前に
大きくて、フレッシュな
キゥイフルーツなどが盛られている。

タカノフルーツか、万惣か、はたまた
銀座だから千疋屋さんのか、

とにかく高級で、特選品であることは
間違いない。


すると、ハギーさんが

”いい苺があるねぇ
 ぢゃあ、今日は苺で。

と言う。


すると、マスターは一言、”はい。”


出てきたのが、その宝石のように美しい
大粒の苺をたっぷり使った

フレッシュ・ストロベリーのカクテル


これ、絶品

ドンペリニヨンを頂いた後でいうのも
大変失礼なのだけれど、

こんな美味しい飲み物、飲んだことがない

というくらい、美味しい。

なぜか、ここのバーのおつまみ(?)は
小さなデミタスカップに注がれた
かぼちゃのスープ。


美味しいことに喜んでいたら
会計時に一気に酔いが、さめる。

な、なんと、このカクテル、一杯¥4000


そういえば、この夜、

お食事して、楽しく飲んで、
クラブでドンペリ頂いて、
このバーで苺カクテル頂いて・・・


怖くて金額をはじき出せないのだけれど、

結局すべて、ご馳走になって
帰宅した。


寒くて、凍りそうな、2月のとある夜。

なんかある意味の

<日本文化>みたいなものも感じた、

銀座Nightの、お話。










国際婦人デー at 中国大使館

2008年03月12日 | 日中友好
国際婦人デー at 中国大使館





3月8日は国際婦人デー。

日本ではあまり大きなイベントとして
取り上げられないが
私は毎年、中国大使館で行われる
盛大な国際婦人デーのパーティーに
ご招待を、うける。


今日は、こっそりそのときの様子を
ご紹介いたしましょう





有栖川公園近くにある、中国大使館



まず、この国際婦人デーの招待客は
日本人、中国人ともに
<女性ばかり>。


そして、男性の大使館員(外交官)の方々が、
フロントでのお出迎えから、
コートを預かる作業から、
徹底的に、ホストの役に徹する。


この日は、福田総理大臣のご夫人や
高村外務大臣のご夫人、
橋本元首相のご夫人たちをはじめ、
女性議員の方々、
日本国内で活躍していたり、
日中友好に携わっていたりする女性が
招待されている。

年配の方の割合が大部分を占める。





エントランスでは、北京オリンピックの巨大マスコットがお出迎え




崔天凱大使がまず開会のご挨拶をなさる。
崔天凱大使は、駐米大使館や国連などで
お仕事をされていらしたので
とっても美しい英語をお話になるが
日本語は話されない。


とてもお優しい口調で
国際婦人デーを迎えるにあたって
男女の機会均等などの中国での現状などについて
話された。



崔天凱大使



続いて国内から上川内閣府特命担当大臣のスピーチ。
(これ、ちょっと長すぎて疲れました

パーティーなど特に、着席で無い場合には
お年を召した方も多くいらっしゃるので
スピーチの長さにも気を配る、
あるいは長くても、笑いを誘うようなユーモアを交えるなどの
工夫をして下さらないと・・・。

ご一緒していた86歳の方は
このスピーチが長すぎて、血圧の状態が悪くなり、
急いで、椅子を探して座って頂きました・・・。


そして、いよいよ
孫参事官の歯切れのよいスピーチと乾杯となる。




友好交流部 孫参事官



孫参事官と我が家とのお付き合いは
かれこれ25年にもわたる。

女性として、美しく堂々と活躍される
孫参事官は、思いやりも深く
私が尊敬する女性の一人でも、ある。





大使館の、お料理


この婦人デーの招待客は全て女性ということもあり、
男性の目がないので
立食なのだが、すごい勢いでお料理が無くなる。


私は基本的に立食パーティーでは
食事はとらないことにしているので

ご一緒した86歳の方のために
お飲み物やお料理を運ぶ係りと
お話を聞いてさしあげる係りに徹する。

そう、若輩者の、心得だ。


福田総理夫人と高村外務大臣夫人と
少しお話することが出来、
あとは
おなじみの諸先輩方にご挨拶をする。




民族音楽の演奏



昨年は、東儀秀樹さん率いる
グループの演奏があったのだが
今年は、中国の伝統的な民族音楽の演奏。

会場内はにぎやかさが、増す



私はこのように
中国大使館主催のパーティーに出席することが多いのだが

自身の中で不消化なものがあった。

と、いうのは
私がこうして御呼ばれするのは
母方の曽祖父が辛亥革命を起こした孫文先生を
物心ともに支えた盟友だったからであり、

私自身が今、このことをどのように受け継ぎ
こうして招待されるばかりではなく、
私が、どのように今後の両国の架け橋になっていけるのか
いつも考えていた。


答えはやってくる。


先日の朝日新聞の取材もそのひとつだった。

今回は、私が若い世代の中国大使館の外交官の皆様を
自宅に招き、歴史の勉強会をすることになったのだ。

一等書記官のセツ先生と

”若い世代で、勉強会しましょう!”という話になり
それが今週の金曜日、現実化することになった。








外交上、両国の間には
解決しなければならない課題は、ある。


以前、谷村新司さんとお話をしている時に
(ご存知のように谷村さんも
長年にわたり、日中の架け橋となり活躍されていらっしゃる)


”中国でね、コンサートをやるときに
コンセントがあったから、差し込めば
ライトがつくと思ったんだよね。

そしたら、コンセントはあるんだけど
電気が来てないんだよね。
あわてて、電源車を用意したんだけど、
つまり、こういうことなんだよね。

自分たちの国で当たり前のことが
他国で当たり前とは限らない。

他国に来たら、他国の常識で行動しないと
いけない、っていうことなんだよね。”


私たち、民間レベルで
そういう意識を持ちつつ、よりよい方向を目指して
いい架け橋を作っていく。


全ては、よりよい方向へ。



大使館にかかっている<福>の文字を
見ながら、そう願った

国際婦人デーの、夜の話。












小さな恋の、物語

2008年03月07日 | mama
小さな恋の、物語




学校から帰った息子が
”あとで、話がある。”

と、言う。

また()先生に怒られたのかな、と
気になる私は、しつこく

”どうしたの?”と聞く。

しょうがないなぁ・・・
という顔をして、
でもじらしながら、やっと口を開く。


”席替えがあってね、僕ね、
マオちゃんの隣になったんだ


おおぅ良かったねぇ、息子よ。


同じ教室内でも、少し席が離れていると
息子はぼそっと

”俺は今、遠距離恋愛中なんだ・・・

と言う。

これまた、私的には、大爆笑なのだけれど。

フィンガー5の<学園天国>みたいな感じ。
(・・・ちょっと古いですか



マオちゃんは、

幼稚園の年長さんの時からの
息子のマドンナだ。

かれこれ6~7年ごしの、初恋だ。
おそらく、小学校卒業まで続く。
なんと、一途な息子だろう


幼稚園からご一緒で、
しかも、小学校に入ってから
クラス替えが3回あったというのに、
ずっと、同じクラス。

加えて、マオちゃんのママと私は
プロントでコーヒーを楽しむ
<PRONTO FRIEND

なので、

バレンタインのチョコレートなんかは
必ず、手作りのものがもらえちゃう


マオちゃんは、バレリーナ。

オーディションを次々受けて
ロシアのバレエ団の公演に出たり、
東京でも幾つかの大きな舞台に立ったりしているので
もちろん、将来の夢は<バレリーナ>。

手足が長くて、日本人離れしたスタイルなので
踊っている姿もとってもキレイ








マオちゃんを含め、

私と息子のまわりには可愛い女の子ばかり


姪っ子のゆうちゃん、りいちゃんは
中学2年と小学5年。
今は義兄の仕事の関係でオランダのアムステルダム在住。


この二人も、身内びいきではなく、
本当に可愛い

ゆうちゃんは、和風の博多人形。
りいちゃんは、西洋風のフランス人形。

亡くなった母も、二人のことをそう例えていた。

ゆうちゃん、りいちゃん、そして息子の3人は
私の大切な宝物だ


そして、息子の幼馴染のアリサちゃんも
大きな瞳で可愛らしいお嬢ちゃま。




2月の中旬過ぎに、
息子がなにやら、お財布を取り出して
ゴソゴソしている。

そして、私になけなしのお小遣いを渡して

”もうすぐ、マオちゃんのお誕生日だから
何か、女の子が好きそうなもの、買っておいて

と言う。


おおぅ、息子よ。なんといじらしい。



そこで私は仕事で横浜まで行った折に

マオちゃんのお誕生日プレゼントと
やはりこの時期にお誕生日を迎えた
アリサちゃんのプレゼントを買うことに、した。



私のお給料はその殆どが
息子の塾と家庭教師とシッター代へ消えていくわけだが

おかげさまで、男の子には
お洋服代が、かからない。

学校は制服だし、スリムなので
結構、いつまでもTシャツなんか着られたりする。


なので、息子の洋服を買わない分、
つい
女の子ものは可愛くて、ふんぱつしてしまう。








姪っ子情報で、だいたい
今の小中学生の好きそうなブランドが、わかる。


この日は、息子から預かったお小遣いに
私からも少しプラスして

マオちゃんには
Samantha Thavasaで、
バレエのレオタードやシューズが入りそうな
この春の新作のバッグ。
限定のチャーム付きだ


そして、
オランダにいる姪っ子二人と
アリサちゃんには

Barbieというバービー人形ちゃんが
モチーフとなっているブランドの

これまたラブリーなシャツを購入

いっきに、娘が4人増えたような
なんとも嬉しい気分に浸る。

大きな紙袋を抱えて、帰社。


息子は緊張しながら
マオちゃんにバースデーカードを書く。

小さなシールでハートの枠を作り
その中にメッセージ

きゃあ、なかなか、やるぢゃない


このプレゼントが渡った次の週の席替えで
なんと、
念願のマオちゃんの隣の席。


この3月は宇宙エネルギーがいっぱいで
いいこともいっぱい起こるというから、

息子にもそのエネルギーが届いたようだ








マオちゃんのママから事前情報で
同じクラスの男女の仲良しグループで
春休み、ディズニーランドに行く計画を立てている、という。

息子も、そのメンバーに入れてもらっている、という。


昨日、息子が遠慮しがちに
私のところにきて、


”ママ、3月31日か4月1日って何か予定はいっている?”

と聞いてきた。


私は、ディズニーランドの件だな、と
すぐ勘づいたのだが
ちょっと意地悪して


”塾に決まってるぢゃん”と言うと

息子は・・・やっぱりな、というような顔になる。


ここで、さすがにかわいそうになり、

”マオちゃんに、ディズニーランド
誘われたんでしょ

とフォロー。


息子は、みんなで行こうかって
話になっているんだ・・・と小声で話す。


そこで、寛大な私は(

”いいよ。一日くらい。
 せっかくのデートだもんね
 楽しんでいらっしゃい。”


と理解ある母親と化す。



グループで、とはいえ、
息子の初デートがディズニーランドなんて、素敵ぢゃない


偏差値で勝ち組な顔した
男の子なんて、モテないぞっ



春の陽気に誘われて

ここのところ、るんるんな息子の、

小さな恋の、物語。











役割、について

2008年03月06日 | work
役割、について




昨日は、超ハードな一日であった。

今朝、意識が<ここ>に舞い戻る
目覚めた瞬間、

”ひぇぇ・・・疲労困憊

というコトバがカラダから聞こえてきた。


が、何とか起き上がり
静かなピアノのBGMを聴きながら

美味しい豊の香苺
玄米フレークとミルクティーの朝食をとり、

いつものようにその日の自分にあう
ポマンダー(*)をつけ
お日様に向かって、深呼吸をする

今日の新しいエネルギーが注入される。








昨日はまず、朝からPTAの仕事が
午後5時過ぎまであった。

息子は小学5年だが
一学年上の小学6年生の謝恩会の”お手伝い”。

机を並べたり、掃除したり
受付の用意と来賓のお出迎え、
進行記録、懇談中のお茶出し、
片付け、来年にむけての反省会・・・

とまあ、こんな感じだ。

仕事量としては、そんなでもないし、
仲の良いママたちとやっているので
楽しめてやれるのだけれど、

<保護者の集まり>は
結構、色々と神経の要ることもあり

おそらく、<母親>をやっている以上
この学校行事関連のPTAの活動は
<一大イベント>であり
<大仕事>で、ある。


午後5時過ぎ、

やっと解放されたのだが
次のアポイントが午後6時半。

それまでにお土産を用意して
青山まで移動だ


会員制クラブ uraku青山の8階にある
レストラン ジョアン

での懇談の席を用意してくださったのは

JR系企業の社長様で

個人消費が伸び悩むこの景気情勢の中にあって
うなぎのぼりで業績を伸ばしている
凄腕の、”大社長さま”だ






そのJR系企業の社長様とキレイドコロの秘書の方、

昨年末、私たちのお店を立ち上げる時に活躍してくださった
コンサルタント事務所のシバタさん、

弊社社長と私、というメンバー。


ゆったりとした、静かなレストランで
まず、シャンパーニュで乾杯。

キレイドコロの秘書の方と
シバタさんがいらっしゃるので

二人の社長様はすこぶるゴキゲンな感じであった。


色々な話が出ている中で

私が今日は終日、PTAの仕事だったということで

(服装も、会員制クラブには硬すぎる
紺のスーツだったし・・・

秘書の方から

”お仕事も、子育ても、大変ですね。”

という話が私にふられた。



昨年、このJR系企業の社長様に
お呼び出しを受け、
たっぷりと、きっちりと、60分にわたって

この企業とお仕事をする上での
心構えと社の方針について
みっちり、とご指導を受けた私は

少しここで、自己紹介をする機会を得たのだった。



~私は、一人で子供を産んで、育ててきました。
そして、
子育てと仕事と
同時進行で、母の闘病生活を支えておりました。


20代の後半の頃には、父や母は口癖のように
”うちには女の子しかいないから。”と言っていたので
何が何でも<男の子>を産まなきゃ、という
プレッシャーというか
責任感もありました。~

と、まあ

私の長いトンネル時代の話を少し、した。


社長様は、大きくうなづき、
特に、母の闘病生活を支える、という点において
それは、大変でしたね、とおっしゃった。


最近は、母の跡を継ぎ
<日中友好>にも力を注いでいます、という
話になると

秘書の方が

”えっいったい、どうやって
子育てと、仕事と、日中友好を両立させているのですか?

と質問される。


そこで、答えたのは、私ではなく、
社長様だった。


”人には、役割ってものがあるということですよ。”と。








人は、それぞれに
自分の役割や使命というものを持って、生まれてくる。

それは、

誰かと一緒のものであるはずがないし、
顔が違うように、ひとりひとり役割も、個性も違う。

たとえばそれは、

同じ親の元に生まれた兄弟姉妹であっても
その<役割>は違うし

同じ学校、同じ会社にいても
もちろん、自ずと違ってくる。


そう、つまり、私も

全ての人も、

自分の<役割>をたんたんとこなしている、ということである。


”みんなちがって、それでいい”

ということだ。


隣の誰かと自分を比べることもないし、
目の前の誰かが出来ることが
自分に出来ないといって、嘆くこともない。










1月に、オーラソーマのイヤーリーディングを
しているときに

お友達のナナちゃんが言う。

”自分の使命というのを
見つけるのが、難しいんですよね・・・”


ヒントはころがっている。


自分の好きなこと、得意なこと、である。

そして、考えたり、やっていると
ワクワクして、自分がイキイキしていると、

<感じる>ことである。


それは、他人からみたら
気の知れないほど
大変なこと、であるかもしれないし、
ささいなこと、であるかもしれない。


”でも、そんなの、関係ない”。


今、地球の波動が上がってきているので

おそらく、答えはみつかりやすくなっているように、思う。


そして、私の場合

自分の使命、役割について<YES>なことは

不思議なほど、動きがスムーズであり
どんどん流れが自然な形でつくられ、
いい出会いにつながっていったり・・・

そうしたことを感じるので
自分でそれを、確信することが、出来る。


おそらく、

意識していようが、
意識しまいが、

それらを<感じている>ので

私たちは、”今”を生きている。




超ハードな一日だったけれど、

<役割>というものについて
考える時間を与えられた一日・・・でもあった。





(*)ポマンダーとは
ハーブとクリスタル、カラーのエネルギーで
つくられている液体で
体の表面3~5cm上を取り巻いている
電磁場に働きかけ、ヒーリング&プロテクションの
効果をもたらしてくれる、”膜”をつくってくれる。
オーラソーマのツールのひとつ。





るんるん☆わくわく

2008年03月02日 | 見つけたHappyたち
るんるんわくわく




3月に入ったとたん、光の量が多くなった。

Welcome 3月


るんるんわくわくとココロが感じていると
るんるんわくわくなことがやってくるから、

不思議


るんるんわくわくの正体は、


・春になって暖かくなってきたということもあるし、
(今年の冬は厳しい寒さだったので


・2月末日に大仕事をやり遂げたという、満足感もあるし、


・言われているように、この3月は世の中のエネルギー波動が
上昇するという流れの中にいる・・・

ということを実感している、ということもある。



とにかく、世の中のニュースでも
私の身近でも

より頻繁に、

<隠されていたもの>
<嘘をついていたもの>
<誤魔化してしたもの>
<ニセのもの>


そういったものが水面下から浮上して

新たに裁かれたり、
方向性を変える必要性に迫られたり、
新しい流れをつくったり・・・

しているのをみるにつけ、

<浄化>と<波動の上昇>を感じので、ある。






ベランダのチューリップたちも、日に日に育ってきています




今年の1~2月はその準備段階だったとのこと。

特に運気や波動が上がる前というのは

何となく居心地の悪い緊張を要することや
理由も無いのに低空飛行をしている感が否めない。

2月の終わり頃、
佳川奈未さんのメールマガジン。
この3月を迎える前のアクションが書かれたものが
配信された。


<嫌なことは2月29日で終えられるよう、
自分なりに出来る対処や処理を出来るだけする>

<気になる人や大切な人にしっかり連絡をとっておく>

というのがあったけれど

しっかりと、その2つのことは
怒涛のように、2月28,29日の2日間にわたってやってきた。

(・・・なので、先週はPCを立ち上げる暇もなく
 ブログ更新が出来ませんでした






とってもラブリーな、3月にぴったりな、ガーベラ




2月、人間ドックでひっかかって
心理的にも、身体的にも、ブルーだったことについて
詳細結果が届いた。

この結果の配達記録郵便の封を開ける時の、
緊張感といったら

そして、おかげさまで
心配していたような事態では無かったことが、判明。

これで、この一件はクリア、となる。



大切な人からの連絡については、

この人間ドックの配達記録が届く直前に
2ヶ月ぶりに電話がくる。

今後の方向性についての話や意見交換、
現状の報告をすることが出来た。



そして、私としては、大きなトライアルだったのだが

朝日新聞社の論説委員の方との
単独4時間にもわたるインタビューをこなすことが、出来たこと。
(記事は4月中旬以降、朝日新聞夕刊のなんと1面に載る予定)


雑誌のインタビューとは異なり

新聞社の論説委員というのは、
多くの経験を積んだベテランであり、
膨大な知識と情報を持っていらっしゃる、
いわば
日本の<知>と<情報>の宝庫のような方を相手にお話をして

それが国内外の不特定多数の方々への情報として
発信されるわけだから、

私としては、大きな、大きなトライアルだったし、
大きな山だっただけに

終わった後の満足感というか、達成感というのは
登山をする人の気持ちに近いものがあったような、気がする。





黄色は、自分の中心とつながる、色







まだまだ勉強不足、駆け出し、怖いもの知らず、と

自分でも論説委員の方を目の前に痛感するわけなのだけれど、

人生はきっと

いつまでも勉強不足・経験不足なのであって

”いつになれば、完璧”

ということは無いのだとしたら、

”今、ここ”

に来た事柄について、

”今の自分”

で精一杯、全力でいくしかない。


自分の深い智恵とつながることの出来る、
ゴールドのポマンダーで全身を覆っての、トライだった。




ゴールドのポマンダーとB14Wisdom in the New Aeon





それら全てから解放された3月の光は
妙に軽やかで、温かく感じる。


不思議なことも、降ってくる。


先週の日曜日のセミナーの講師
山岡先生は、

私の名前もご存知ないはずだし、
もちろん、ブログを書いていることもご存じない。

なのに、ちゃんとこのブログを見つけてくださり、

<自分力の、セミナー>にコメントを書いてくださったり


いつもインターネットで調べて
連絡を取らなくてはいけない、と思っていながら
多忙に紛れて、後回しにしていた件があった。

すると・・・
その会社から、ポンっとお手紙が届いたり。



<何かとつながっている>感じ


るんるんわくわくな3月のスタート。

貴方も、そんな3月のスタートでありますように・・・