Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

老舗、頑張ってました❣️

2020年05月15日 | がんばれっ!
【老舗、頑張ってました❣️】

なかなか通える時間が取れなくなって
休会していた書道教室が
今月で引越してしまうというお知らせが
届く。

作品と書道セットを引き取りに、
久しぶりに銀座へ。
(といっても、実は職場から
徒歩10分🚶‍♂️。
それだけ外出してなかったってこと。
ステイホーム🏠 或いは
ステイカンパニーの日々。)

久しぶりの銀座は
なかなか面白かった❣️

先ず、書道教室の二軒隣は
買えないことで有名な、
【空也のもなか】。

ところが、なんと赤い旗を立てて
《営業》アピール。
午後3時でも、山積みの《もなか》たち。
普通は予約せずに店を覗いても
けんもほろろに「完売。」と言われるのに。
というわけで、【空也のもなか】
ありがたく購入。






書道のお道具を引き取って、
四丁目付近へ。

デパートなどは全てクローズ。
何か夕食のものでも、
と思ったが銀座は食料売り場もクローズ。

ふと、【木村屋】の紙袋を持った人に
目がいく。

あ、木村屋さん、やってるんだー❣️

あんぱんで有名な【木村屋】へ。

店内は半分以下の品揃え。
大好物のくりいむちーずのあんぱんget。
久しぶりのお買い物はやっぱり楽しい。





銀座はやってるお店3割あるか無いかくらい。
不思議なお店が開いていた。

例えば、
高級銀器のGEORG JENSEN。
(正直、この時期、需要は少ないかと。)
そして
安価なダイヤモンド💎専門店。。。

UNIQLOやGU. GAPなどの
ファストファッションのお店。
検温とか徹底してるようだった。

今日のもう一つの目的は
ここのところ、お世話になった方に
何か贈り物を、というのがあった。

さすがに銀座とはいえ、
全てのデパートがクローズなので
諦めながら、、、もしかして、
千疋屋さんは開いてるかも?と
半分期待して行ったら、、、

営業してました❣️

そこで無事、御礼の果物🍒を送り、
ついでに大好物の
【フルーツサンド】もget💓





泰明小学校前の某カフェは
飲食店に提示されてるガイドライン
全く無視で、(カフェなので換気は◎)
全然ソーシャルディスタンスとらずに
しかも、狭い席にたくさんの人が向かい合ってお喋りしていたり、、

えーーーーっ。
許されてしまうわけ?こういう営業‼️
と、
一瞬、自粛police🚓になりかけた私。

が、
人の店のことだ。
オーナーの感覚が違うのだろう、と
気分を取り直して、帰社した。





今日の久しぶりの銀座歩きでの、学び。

【老舗】が頑張ってる!ってこと。

空也のもなか
あんぱんの木村屋
銀座千疋屋

キラキラな外資系のブランドビルの中で
生き残ってきた、銀座の老舗の
心意気を肌で感じた。

さ、
私も頑張ろっと。






2020年05月03日 | がんばれっ!
今日は、心地よい風が
なんとも気持ちいい。

本当に
こういう日は1年に数回しかない。

そんな中、
久しぶりに好きな曲♫に出会えた。
藤井風さんの【優しさ】。

心地よい風が吹いて、ベランダの花が眩しいくらいに美しい。





近頃、毎晩夢に、父が出てきたり、社員が出てきたり、仕事しなきゃ!と。
焦る気持ちもあるし、
出る電話の80%がキャンセルの知らせなので
メンタル的に
さすがに強い方だと自負する私も
壊れるかもしれない、、、。

もう、医療体制のところに
しっかり資金と人材を投入して
普通の経済回すことも考えて欲しい。

専門家、って
色々な専門家の意見も聞いて欲しい。

コロナにかかる人も大変だけど
人生でおえないほどの
借金を抱えなくちゃいけない人のことも
考えて欲しい。







風に揺れる花を愛でる時間の中で、
仕事に対する負荷と不安も同時に増す、2020年のGW。

#そろそろ経済もまわそうよ
#メリハリつけようよ
#風
#藤井風

コロナに同調する?~飲食編

2020年04月25日 | がんばれっ!
<この世界(コロナ)に同調する?>


とにかくどこも<コロナ>で、ある。

スマホの中のSNSのテーマも、
テレビの番組も、
人の話題も。。。

それで、ニュースも沢山観るけど
それなりの、教授の方とか経営者の方とか
そういう方々の<コロナ論>なども目を通す。

最近はAfter コロナではなく
同調、With コロナに慣れよう。
”これがこれからの世界だ!”みたいな文章が多く目につく。



Non,non,non。。。。
嫌々、とんでもないことでございます。

つまり、その方々は
リモートワークが普通になり、会社に行く必要もなくなってくるし、
そういうライフスタイルに慣れる第一歩として
今回の<コロナ>があるという。

まぁ、確かに、私もわざわざ行く必要を感じない<会議>なんてのは、ある。
でも、ほんとぉにみんな、Zoom会議やオンライン飲み会、楽しいの???
正直、私は疲れる。
オンライン飲み会、もうしばらくやんなくていいなぁ。。。
今は会議や面談は仕方ないけどね。

やっぱり、人と会って、なんぼ、だと私は思っている。
とくに、<食>の場ではね。





飲食業が今、苦境に立たされている。
私自身が、その当事者そのもの。

それで、<テイクアウト>だ、<デリバリー>だ、と
躍起になってはじめている。
色々やり方やお店の場所や考え方があるし、
大手チェーンと個人店との違いもあるし、
テイクアウトで人件費と家賃が賄えるわけではないし、
デリバリーは業者のマージンがすごくて、利益取るにはものすごく売らないといけない。

それなのに、上記に話したような
<コロナに同調する世界>の文章を書く人の中には
<テイクアウトこそがこれからの飲食業だ!>みたいなのを割とよく見かける。

テイクアウト、ってどうしようもなく
忙しい時は大変助かるのだけれど、
(だから私は普段の方がデパ地下お惣菜なんて有り難いけど
家に居るんだったら、ぜったい、手作りの方が美味しいよねぇ。。。)

これからの飲食業が<テイクアウト中心になる>なんていうのは
私は、嫌だね。





お店に入るドキドキ感。
店内をぐるりと見渡してから、メニューを開く好奇心。
自分では持っていないグラスに注がれるシャンパーニュ。
前菜の美しさに感動しながら、
目の前にいる<誰か>とのおしゃべりが、何より大切。

そもそも私は
<何を食べるか>より<誰と食べるか>重視

自分のことを聞いてもらったり
相手の話から知らないことを学んだり
他愛のない昔話に笑いあったり。。。

そこに、美味しい食が供される。

サービスの人との会話も楽しかったり
まだ知らない食材や盛り付けに感動したり。

飲食って、ほんとぉに楽しみ方が深いし、広い。

たかだか、<コロナ>が流行った数か月で
今まで長年培ってきた、
レストランの楽しみ方や
大好きな仲間たちと集う楽しみ方が

<もう、それは古いよ。>

みたいな事を書いたり、
思ったりするなんて、
私からしたら、ナンセンス。。。

まぁ、私はもともと
新しいもの、好きではなく
なじんだものを愛するタイプだから、なおさら、かもしれない。





私は<コロナ>に同調なんてしない。
<コロナ>は台風みたいなもんだと思ってる。
だから、
台風が来ている間は静かに<STAY HOME>

コロナの影響が長引くかも、しれない。
恐る恐るしか、日常は戻らないかも、しれない。
経済的なダメージは数年続くかも、しれない。

だけど、
<コロナ>ごときに、
私の価値観を変えたりは、しない。

努力はいっぱいしなければならないかもしれないけど
ぬくもりのあふれる世界を
私の<After コロナ>にしていきたい。



医療従事者の皆様へ

2020年04月21日 | がんばれっ!
<医療従事者の皆様へ>

だんだん
日本人でも、
そして
私の知人でも、<新型コロナ肺炎>に罹患する人が増えてきた。

その症状を詳しく
Facebookなどを通じて読むたびに
たとえ<軽症者>であって
ものすごく苦しい、インフルの何十倍も大変、と綴っている。

いつも驚くのはその<感染力>だ。
今、東京をはじめ、国内では院内感染が非常に多いと感じる。
そして、
医療に必要なマスクや防護服の不足や
感染リスクと闘う、医療従事者の方のお声は悲痛きわまる。

使命感で、精一杯の気力と体力で
多くの患者の方を診ていらっしゃるのだろう。
頭が下がる思いでいっぱいだ。

自分の会社のことも、大変だが
休業を決めたココロの中の多くを占めていたのは
この、医療従事者の方の負担をこれ以上増やしてならない、
医療崩壊を防がなくてはならない。
そのために、
自分もコロナにかからないようにする。
社員やお客様もコロナから守りたい。
それが、
休業を決めた、大きな理由。





そんな有り難い医療従事者やその家族に
嫌がらせがある、というニュースを目にする。

は?

お医者様や看護師の方々が今、どれだけ頑張っておられるか。。。
想いを寄せたことがないのであろうか。
なんと、人として、寂しい心を露呈してしまっているのだろうか。。。

私の会社でも、病院の中にレストランを2か所営業している。
そのうちの1つは今も時間短縮で営業を続けている。

それは病院側からの希望だった。

このような状況下で
一瞬でも、くつろぎたい。 
それをかなえてほしい、と言われた。

社員たちも、医療従事者の方、患者さまとご家族に
安らいでいただきたい、という気持ちで頑張ってくれている





イタリアの病院の屋根から日本人女性の演奏家が
美しいバイオリンの演奏をされている映像を見た。
医療従事者の方が
少しマスクをずらしたり、メガネをとって
その音色に全身を預けていた。

その光景に、自然と涙が溢れた。。

今、演奏家たちも苦しい。
でも、人々のココロを和らげることが出来るのは
音楽であったり、
食であったり、する。

今、<不要不急>とされているものたちだ。

コロナ禍で、リモートワークが推進されているが
繋がる楽しさや便利さがあっても
ココロが揺さぶられたり、人としての温かみをダイレクトに感じられることは
私はあまり、無い。



今日も美しい夕焼けが窓の外に。

この夕焼けも見ることが出来ずに
ウィルスと向き合い続けて、人々を救っている

医療従事者の方々に、心の一番深いところからの、感謝を。

やっぱり、助け合い

2020年04月19日 | がんばれっ!
<やっぱり、助け合い>

2つ前、<3年ぶりの投稿~3年ぶりのワケ>で書いたが
3年ぶりに毎日、夕食作り。

先日、取引先の銀行の支店長から
”えっ?社長、料理とかするんですか?”と言われ、
ピキッと青筋が立ったが
何を隠そう、夢見るオトメ時代の私は
ありとあらゆるお稽古をしていたので、
(有閑マダム、特に海外に住むことを夢に見てたので。。。)
料理の師範も、シュガーケーキの免許も、テーブルコーディ―ネーターの資格も持っている。
えへん。

というわけで、昔話をしても仕方ないのだけれど
やる時はやるのだ!

ここで、今、私が大変助かっているし、
たぶん、農家さんや企業さんも助かっていると思うのが
<産地直送>。
これは、自分が購入する場合もあるし、
ありがたく、贈ってきてくださるものも、ある。

ホテルや旅館、飲食店に納入するために作っていた食材を
直接購入する。
現地の方のお顔がみえる、<ご縁>のある土地のものから。

<ご縁>のあるところの愛情こもった食材に包まれて、しばし
コロナ禍の、大きすぎる不安が和らぐ瞬間でも、ある。




こちらは、壱岐のお野菜たち。

私は曾祖母が壱岐の出身。
いつもから、壱岐牛、壱岐焼酎など壱岐の食材をお店で扱っているが
壱岐に行くのも大好き。
白川市長はじめ、玄海酒造の山内会長、、、
島の皆様にいつも温かくお迎えいただいている。
その、壱岐の食材を
去年オープンした<壱岐イルカパーク>の高田さんたちが集めて送ってくれる。
さすが、ビジネスセンスあるね、高田さん!Good Jobです。

高田さんをご紹介くださった
《けこね企画》けこねさまも
いち早く弊社商品をご購入くださったり、
冷凍🍓苺などを贈ってくださいました❣️




じゃがいも、大根など、ほんとぉに島の土で育ったものは美味しい


今日は、長崎県庁にいらした時に
ずいぶんとお世話になった、古謝さんのご親戚がやっている
宮古島の名物 <古謝そば>が届いた。

なにしろ、私はソーキそばが大好きすぎる。
沖縄が大好きすぎる。(大好きすぎて、日焼け気にせず、シミが出来た💦)
辛い時も、沖縄の空と海を思い出して、頑張っている。







夕べは、八丈島から<八丈島 月桃水>が届いた。 
由木子さん、安藤さん、ありがとうございます♥
癒しの香と、殺菌力があるという月桃水。
予期せぬプレゼントに涙。。。







そして、私が知らないところで
シャンパーニュ講座でずっとお世話になっている
青木冨美子先生が多くの方に
弊社の、
松本楼のレトルトカレーセット 自宅待機キャンペーンを
宣伝してくださっていて
青木冨美子先生の生徒の皆様からご注文が!!!

また、自称《幼馴染》的友人の
ワインインポーター🍷 川上大介氏も
Facebookなどで弊社商品をご紹介下さっている。

ほんとぉに涙、涙。 

たくさんご購入いただいてたすずりょうさんのお嬢様も
ご自身のインスタで素敵な写真をアップしてくださったり。。


https://www.instagram.com/p/B_CuZp3nMwm/?utm_source=ig_web_copy_link


こういう時って、ひとしお、その方の優しさとか、思いやりとか、機転とか、
そういうものが、ココロに沁みいる。。。。

(ちょっと宣伝。このキャンペーンは5月末まで延期します!)


http://www.matsumotoro.co.jp/gift/special2020.html



今、窓の外には美しい青空が広がっている。
鳥が鳴いているのも聞こえる。
植え替えたばかりの、夏の花、サフィニアも鮮やか。
静かで美しい日曜日の午後だ。

一方、
目に見えないウィルスに世界が、侵されている。
感染の恐怖も、経済への計り知れない暗闇も、
自分の明日も、わからない。

この、両極を結ぶもの。
結んで、チカラを与えてくれるもの。

それは、、、

やっぱり、<助け合い>でしかないのかな、と。

Good Day!






3年ぶりの投稿~3年ぶりのワケ

2020年04月18日 | がんばれっ!
<3年ぶりの投稿~3年ぶりのワケ>


いろいろ、3年ぶりである。

このブログを書くことも、
毎日、夕食を作ることも。

この3年間はある意味<非人間的>な生活であったと言っても過言ではないかもしれない。
今、コロナ禍の現状からふりかえると、<かなり、贅沢な。>ではあるが。

昨年の今頃、4月は社会的に<働き方改革>なるものがクローズアップされ
大切に思っていた社員から<反旗>を翻され、悩み、消耗していた頃だが
世の中の<働き方改革>に逆行していたのが
私の生活であった。

いや、
傍からみたら、<楽しそうで幸せそうで、リア充>である。
私も、そうであった、と否定はしない。
が、
ボロボロであったので、ある。





週休2日。
当たり前のようなルーティンだけれど
(私も以前は死守していた)

3年前、つまり、今の立場になって以降
10日に1日休めるのがやっと。 つまり、1か月に3日である。
夜も、<夕焼け>なんぞ見たことが無い生活。

たまの休みは、ドロのようになっていた。
13時くらいまで、起き上がれず、
やっとの思いで起き上がり、シリアルを食べ、観葉植物の世話、
洗濯、ご先祖様へお線香、部屋の換気。

だいたい、夕方からはヘアサロンで髪の手入れを予約してあるか
ドロドロすぎるカラダのメンテナンスで、アロママッサージに駆け込む。。。で休みは終了。

14日間連続で休めないと、かならず
<蕁麻疹>が出たり、<足>がガクっと折れたりするので
やはり、14日間連続勤務は止めよう、せめて10日。。。

買い物に行く時間も無いので、朝食など最低限の食料は
<Amazon Fresh>。会社まで届けてくれる。



今、世界はコロナ禍の真っ最中である。

私の周りも、殆どが<止まった>。

仕事も、休業をせざるを得ない状況になった。

とはいえ、
休業するにはそれなりの、準備や手続きなどが必要で
緊急事態宣言が出てから、昨日までは何かと慌ただしかった。

そこで、
復活したのが、

3年ぶりの、夕食作りと
3年ぶりの、ブログ、なのである。

いいのか、悪いのか

社員80名とパートさんの生活を
全部背負い込んでるのに<休業>って、どんなことなのか。。。
とてつもない、果てしない、
私の器を何十倍にも広げないと、受け止められない状況であるが
<現実>だ。

でも、今はどうしようもない。
世界中が止まっているのだから。

ということで、
暫く、今まで3年間の生活を180度転換して

静かに想いや思い出を綴る時間を取り戻してみようと思う。

次は、<コロナ考>。




寒い

2017年08月16日 | がんばれっ!
寒い。

誰だ、今年の夏は猛暑だって言ってたのは。

寒いし、ずっと雨だし
仕事だからまだ良いけど、
雨だからお客様少ないし。

あー、7月に
沖縄行っておいて良かった。





さて、
雨で、お店は暇だけれど
こういう時は《晴耕雨読》。

たっっっっくさん、
読まなければならない本がある。

資料のまとめもあるし。

こういうときこそ、
根を詰めてやってみようか。

今日、これからの時間は
集中してみよう。

少し
気になることから
距離を置くためにも。



棲み分け

2015年09月06日 | がんばれっ!
住んでる世界が
違うんだな。


そのことに、
気付くまでには
もがきもあるし、
失望やら、
興味やら、
期待やら、
そこにはうっすらと
《夢》みたいなものすら
あったりする。

そう、
ちょっと時間がかかるのだ。







でも
乗り越えられない違和感を感じた時

そこは
私の、住む場所ではないんたろうな。
というところに辿り着く。


他人から見たら
そんなことは一瞬でわかるのかも
しれない。
が、
自分のことは
なかなか見えない。


そこには
《もしかしたら》
という、filterがかかるから。

でも、しょせん
人は変わらない。

自分に都合のいい言葉が
鎧になっている。

でもね、
そんなものはしょせん、茶番。







time lagの果てに
また
お互いの存在すら気にならなくなる、
そんな
棲み分けの世界に
たどり着けたら、いいな。







Instagram始めました!

2015年04月19日 | がんばれっ!
伝統や
古き良きものを愛する
山羊座のせいか、

新しいもの、が苦手。


話題の場所とかも、
しばらーくして、
混まなくなってから行くし、
さして
行きたいと思わないとこには
どんなに世間が騒ごうと、行かない。

たとえば、
スカイツリー。


iPhoneにしたのも
6が出て、docomoで使えるようになってからだし、
とにかく
新しいもの、こと、場所に
飛びつかない。


FACEBOOKは、
3.11の時に、何かと情報得るのに良い、
とのことで
仕方なく始めた。

Twitterは、
大好きな石井ゆかりさんが
毎朝占いをアップするとのことで
それが読みたいだけ、の理由で始めた。


若い世代は
FACEBOOKではなく
Instagramだ、とずいぶん前に聞いた。

写真が好きな私は
興味はあったのだけれど

新しいものに
手をつけるのに、
時間が、かかる。

で、
ほっておいた。





先週
カメラマンの徳吉さんに
Instagramを勧められた。

ちょうど
毎朝、お弁当も撮ることにしたので
ちょっとやってみようかな、で
先ほどInstagram登録してみた。


最初のアップが
今日の夜のchampagne。


Perrier Jouetの、
雰囲気、出てるでしょ?
どぉかなー。



で、
もう1枚はやはり、これ。




My ふなっしーず。


というわけで
Happy sanのBlogを読んでくださっている
みなさま。

どぉやら、
FACEBOOKのお友達、とは
あまり被ってないみたいなのだけれど

是非、Instagramの
ayanokosakaをフォローしてくださいね!

写真、頑張る。V(^_^)V


ちなみに、
Twitterは
私はあまり呟いていません。
ほとんど、ふなっしーのリツイートばかり。
ふなっしーと
石井ゆかりさん見るためだけの、
アカウントかな。笑。


FACEBOOKは
色々問題が生じるので、
キホン、
知人しかお友達にしていません。

でも、
Instagramは
写真のみ、あげていこうかなと
思っているので
よかったら、フォローしてくださいね。



非日常の、日常

2015年03月22日 | がんばれっ!
福岡空港、最終便の出発待ち。

確か、先週も此処にいた。
その数日前は、長崎にいた。

そして、
今度はもっと遠くに行く。

今まで行ったことの無い、
非日常の、世界。






何だか、
非日常が、日常となっている。

博多や
長崎の常宿に
当たり前に何時もいる自分が居る。

ドルフィンみたいに
思う処へ、が私の本質だとしたら

ありのまま、に生きているということに
なるのだろうか。






新月、
春分の日が、過ぎて
いよいよ2015年がスタートした。

まったく
私の年末から先頃までは
凍りついていた日々だったので

暦どおり、
春を迎えた気持ち。

with とんでもない重症の花粉症。



たまたま
春分の日に、すごーい方に
お目にかからせて頂くタイミングとなり、
何だか面白い話をいっぱい聞いた。


やみくもにアタマから信じるわけでは
ないけれど

自分では見えない、
自分では意識出来ない、
そんなジブン、がいることも

たまには
誰かの言葉で知ることも
大事なのだろう。







この春分の日を待ち構えていたように、
なだれの如く、
新しいことがやってきた。

乗っていいんですよね?


恐る恐る、
ある人に聞いてみた。


今はどんどん乗るタイミングです‼️


そぉ、答えが返ってきた。


とにかく
誰が待っているのか、
何が起ころうとしているのか、

ハッキリとした確信がないのだけれど
行ってみることに、しようか。

と、
石橋を叩きながら歩く、ハズの
山羊座A型の私が
動いてる。







バチカンの神様が繋がり、
日本の神様とも繋がり、

不思議なことがふってくる。


さて、
夜間飛行で
東京に、戻ろう。




泣きそうに、なった

2012年09月19日 | がんばれっ!
泣きそうに、なった




私が上海万博で開催した<孫文と梅屋庄吉展>は
運営は上海在住の学生を中心としたボランティアの皆さんが頑張ってくださった。


その中に、上海在住の社会人の方も加わってくださり
朝早くから夜遅くまで一生懸命お手伝いくださった。

今日、
松本楼を訪ねてくださった純子ちゃんも、その一人。


北京や上海に住んで
さまざまな交流事業のお手伝いをしたり、飲食店の立ち上げなど
すご~く活躍している日本人女性の一人だ。







彼女のような頑張り屋さんの日本人の若者はとても多いと思う。
日本にいたら
きっとそんな苦労はしなくても良いだろうに。。。と思ってしまうところもあるが
きっと
自分の力で切り開いていく喜び、ワクワク感なんかは
やはり上海とかのほうが味わえるのかも、しれない。

とにかく、すごいなぁ。。。といつもその活動ぶりに感心していた。



ここでご説明するまでもなく、
ここのところの混乱。 
テレビやインターネット、新聞などさまざまなメディアに
動画や
写真や
記者や住んでいる人のレポート、
中国での報道、微博、
学者や政治家の先生方の主張、お話。。。。。

どぉしても気になり、
注目してしまうけれど、 良くない話ばかりで、正直つらい。


国交正常化40周年、という節目の時に
こうも崩れるものか、と
そのあっけなさに呆然となる。

それだけ、

この40年間、多くの方が苦労し、切り開き、重ねてきた<関係~グアンシィ>が

あっという間に崩れてしまうのだから

積み上げてきた側の人間からすると
砂の城、のようだ。。。。










この混乱の中、上海から一時帰国した純子ちゃんが
お店にいらして、
私の顔を見た瞬間、こぉ言った。


”あやのさんの顔を見たら、泣きそうになっちゃいました!”


・・・う~ん・・・わかる、わかる。

純子ちゃんがどんなに現地で頑張っているか、が想像できる私は
彼女がどんな想いでこの事態を受けとめているのだろう。。。と思うと
抱きしめてあげたくなってしまう。。。


私たちの力ではどぉにもならないこともあるけれど、
人の想いが何かを動かすことも事実だ。


それぞれの立場で、隣国とのつながりを
多くの人たちが持っている、と思う。

実際、わたしたちが何気なく使っていたり、着ていたりするもの・・・
良く見てみると中国製だったりするのはもぉ当たり前だ。

だから、中国に行ったことなくても、友人がいなくても、
中国との関わりの無い生活なんて、
誰もおくっていない。



私は、ただ、平和を願っている。

笑顔で、中国の人たちに日本に来てもらって
この美しい国を好きになってもらいたいと思っているし、

日本の若者にもアジアのパワーを知って
努力奮闘してもらいたいとも思っているし、

それは
すべて次の世代へ続く平和のため。


どうか、平和を願う想いが多くの人のココロに広がっていきますように。。。。。









書道の、お稽古

2012年07月09日 | がんばれっ!
書道の、お稽古



最近はじめたばかりの、書道のお稽古。


書道は小学生の頃に習っていた。

自宅のあった同じ区画に書道の先生が住んでいたこと、
小学生の時の担任の先生が皆、字がとてもきれいだったこと、
たまたま小学2年の時の書き初めで入賞したこと・・・

などがあり
小学生の頃から、私にとっては<字がきれい>ということはテーマであったと思う。


その後、イギリスにある学校に行ったものだから
書道とは縁が無くなってしまったが

イギリスの村のお祭りなどでは
私たち日本人が筆でイギリス人の名前を書いてあげると

たとえば
(サリーさんだったら、砂里以 とか適当に当て字で・・・)
書いてあげると
めちゃくちゃイギリス人は喜んでくれたので
村のお祭りでそんなことをすること以外は
墨と筆から遠ざかってしまった。









大学を卒業した後くらいだったか、
あるいは在学中だったか忘れたけれど
当時、イギリスかぶれしていた私は
書道ではなく、カリグラフィーを習い始めた。


ペン先でインクボトルからインクをつけて
同じ角度に、さまざまな字体を書いていく・・・
装飾の絵や
グリーティングカードなどもきれいで、大好きだった。

銀座のギャラリーで2回ほど、
初心者ではあったけれど
作品を展示したことも、ある。 


その後、全く自由のとれなかった<魔の15年間>に突入し、
カリグラフィーも仕事でWelcome Boardを書く程度になってしまった。







今年に入って

一連の孫文・梅屋に関する行事が一段落したのと、
書道家、という肩書を持つ方と知り合いになったことがきっかけで

ずっとやりたかった<書道>に
小学生以来、チャレンジしてみようかな、という気持ちになってきた。


どうしても、仕事の都合上、
きっちりと時間指定してあったり、あるいは通うのに遠い場所であったり、
日本のお稽古にありがちな、
わりと女性の厳しい序列のあるようなお教室は無理だなぁ。。。。と。


上記の条件をクリアしたお教室を、見つけた。
(見つけた、というより
上記書道家の先生が以前、教えていらした場所、と聞いて訪ねてみたら
時間や場所などが私の条件に合っていた。)





会社から抜け出して
歩いていける場所。

1か月に3回というコースにしたので
仕事の折り合いをつけて、通える。



・・・ところが、
お気楽な私は、大きな間違いをしたことに
お教室に入ってから、気づいた。




大人の教室、といった感じのエントランス。
隣は美術の教室なので、アートな感じ。


・・・というのは

ここのお教室に通っている方々は
プロみたいな方ばっかりなのだ。。。。


もぉ、
お坊さんみたいに写経みたいなのを延々と黙々と書いていらしたり、
ぜんぜ~ん読めません、というようなアートな文字や
漢字の草書?みたいなこれまたぜんぜ~ん読めませんという文字を
大きな半紙にさらさら書いておられたり、
書道展などで見るような、独特の文字を書かれる方ばかり。。。

つまり、
プロの方が作品を書いたり、
技術を極めるために通っていらっしゃるお教室みたい。。。


そこに
小学生みたいに、楷書すらまともに書けない私が。。。








最初はやばっ・・・
と思っていたけれど

だんだん開き直って


”徹底的に出来ない自分”を楽しむ自分を見つけられるようになってきた。


というのも、

私はわりと、どこにいっても
初心者、というか
あなた誰? というか
そういう待遇をあまり受けない。


フラワーアレンジメントは大学のころから私が先生となって教えていたし、
飯田深雪先生のお料理やマナーのお教室では
母も昔習っていたことから、先生方に大切にしていただいたし、
カリグラフィーもそのもの自体新しいものだったので
そんなに生徒間同志の差はなかったので、適当に楽しめた。


ましてや、最近は
仕事柄、立場上というか、実力以上のことをやってきていたので
甘えがきかないし、どちらかというと
指示することも多くなってきている。


そんな中、

この書道のお教室では

徹底的に
一番、へたくそな、初心者で、ある



私には<M的>要素があったのか、と自分でも驚くが

結構、この

”ダメねぇ・・・・。

という視線が、案外 気持ち良かったり、している。





今日もそんなダメな自分と向きあいながら
それでも
書って、奥がすごく深いし
少しづつ、お手本を見ながら書いていくことが楽しいなぁ。。。と感じながらの、お稽古だった。


今日も白髪のおばあちゃまもお稽古にいらしていたが
私も白髪のおばあちゃまになる頃には
さらっと筆を走らせるようになっているかも。。
いや、
なってみせるぞっ


そんな、
書道初心者を楽しんでいる、今日この頃の、お話


2011~2012年 ゆく年くる年

2011年12月31日 | がんばれっ!
2011~2012年 ゆく年くる年



2011年が終わろうとしています。

誰のココロの中にも
さまざまな想いがよぎる時が流れています。


一人ひとりが365日という共通に与えられた時を過ごしました。


私の2011年も特別な時間がたくさんありました。

2008年に開いた扉。
2009年、出版
2010年、上海万博という階段をのぼり
2011年が私の中では屋根の上となることを

年のはじめからわかっていました。
そして
すごく、肩に力の入っていた一年でした。


3月、東北大震災が起きた時
私は孫文の生まれ故郷に居ました。

そのことも、偶然ではないような気がして仕方ありませんでした。

帰国してから
友人たちの力を借りながら
チャリティーコンサートを企画したりしました。
しかしそのうちに、
私のやることは私がやらなければならないことを一生懸命やることだと思いました。


私のしていることは
今すぐ効果のあることでも
儲かることでもありません。

でもアジアの中に生きる、生きていく日本人として
大切なことである、

ということをわかってくださっている
方々のお力をいただきながら
辛亥革命100周年に関する行事を終えることが出来ました。


無事終えた後は
そのひとつひとつ、
出会ったおひとりおひとりが
宝石のように美しく輝いています。。。が


その最中は
緊張も、疲れも、
たたかれることも、
企画がつぶされるなどのトラブルも、ありました。


ただ、今年が終わりつつある今この時には
感謝ですべてを終えたい、という気持ちでいっぱいです。


記録として今年やった活動の、
思い出せるものだけを残しておきたいと思います。


<講演会>


・2011年1月  神宮ロータリークラブ (30名)
・2011年1月  早稲田大学 中国塾  (80名)
・2011年1月  神奈川日中友好協会  (150名) 
・2011年2月  長崎県主催ブリックホール (500名)
・2011年2月  壱岐市一岐国博物館   (230名)
・2011年2月   サンクチュアリ出版  (50名)
・2011年2月   暦日会       (講演録音)
・2011年2月  工学院大学      (30名)
・2011年3月  ANA全日空中国室   (80名)
・2011年4月  中央新ロータリークラブ (30名)
・2011年4月  東京ロータリークラブ  (250名)
・2011年4月  町田ロータリークラブ  (40名)
・2011年5月  (社)諫早大村法人会  (50名)
・2011年5月  東京中華学校(四谷)  (300名)
・2011年6月  愛媛新聞主催愛媛クラブ プレスセンター  (50名)
・2011年6月  大愚塾(一燈園)米原  (20名)
・2011年6月  日中友好協会東京支部  (150名)
・2011年7月  西北ロータリークラブ   (40名)
・2011年7月  国際善隣協会       (40名)
・2011年7月  交詢社         (200名)
・2011年7月  東京国立博物館     (150名)
・2011年8月  長崎楽会         (45名)
・2011年8月  日中交流クラブ      (20名)
・2011年9月  広州日本総領事館主催中国メディア向け講演会 (80名)
・2011年9月  広州日本商工会議所記念講演会        (150名)
・2011年9月  広州日本人学校 講演会           (200名)
・2011年9月  広州三菱商事30周年記念講演会       (120名)
・2011年9月  経済同友クラブ 講演会           (80名)
・2011年9月  日中友好協会 講演会            (70名)
・2011年9月  九州醤油業協同組合講演会          (60名)
・2011年10月 平河町サロン講演会             (30名)
・2011年10月 中村会 講演会               (50名)
・2011年11月 長崎上海友好締結15周年記念講演会     (80名)
・2011年11月 長崎上海航路就航記念船上講演会       (50名)
・2011年11月 横浜華僑総会建国百周年双十節記念講演会   (80名)
・2011年11月 波佐見ライオンズクラブ記念講演会      (150名)
・2011年11月 神戸孫文記念館 記念講演会         (70名)
・2011年11月 神奈川日中友好協会 辛亥革命100周年記念講演会 (120名)
・2011年11月 麗澤大学 辛亥革命100周年記念講演会    (70名)
・2011年12月 塾・梁山泊講演会                (30名)
・2011年12月 アパマンショップホールディングス総会記念講演会 (1300名)










<論文他>

・日本国際問題研究所 発行 6月 国際問題
焦点 中国の自信と不安の巻頭エッセイ  辛亥科組み100周年 孫文と日本人のかかわり

・東京国立博物館・毎日新聞発行 孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本
 ~辛亥革命秘話 孫文と梅屋庄吉

・長崎新聞連載 富貴在心  18回




<テレビ取材>

・中国中央電子台 CCTV 辛亥革命関連取材 3回
・台湾テレビ 中華民国建国100年記念番組
・シンガポール 辛亥革命100周年記念番組
・NHK ドキュメンタリー 辛亥革命 ~孫文
・NHK ドキュメンタリー 宋慶齢
・長崎国際テレビ 梅屋庄吉の特集番組
・長崎テレビ  梅屋庄吉の特集番組(上海・香港ロケ)
・とちぎテレビ











<展示会>

・3月 広東省 中山市 孫文と梅屋庄吉展
・6月 台湾経済文化代表処 孫文と日本人たち展 梅屋庄吉を中心に
・7月 東京国立博物館 孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本
・9月 香港 中華総商会主催 孫文と梅屋庄吉展
・10月 長崎歴史文化博物館 孫文・梅屋庄吉と長崎展
・10月 武漢 辛亥革命博物館 孫文・梅屋庄吉と長崎展









<新聞掲載>

毎日新聞、日本経済新聞、読売新聞、朝日新聞、東京新聞、産経新聞、
西日本新聞、長崎新聞を
中心に数えきれないほどの記事をご紹介いただきました。
北京でも人民日報に1ページ、梅屋庄吉夫妻のことが紹介されました。
(北京の日本大使館の方が驚いて翻訳して知らせてくださいました。)
中国でも、南京、広州、香港など各地で多く報じていただきました。


<雑誌>

東京人、歴史関係月刊誌、人民中国などの日中関係の雑誌、
講談社セオリー他


<映画関係>

ジャッキーチェン主演の1911のお手伝いをさせていただき、
東京国際映画祭でジャッキーチェンさんとお話しさせていただく機会もいただきました。






<訪中> 中国政府の辛亥革命行事参加、上海・長崎航路銅像贈呈他、8回










  

<長崎訪問> 20回(講演会、展示会準備他)









来年は肩の力を抜いて過ごそう、と今日思いました。

今年走り続けて
見えなかった景色を観たり、
聞こえなかった音を聴いたり、していきたいな、と。


そして今年成らなかったけれども
まだ捨てていない夢の実現に向けても、
また歩き出そう、と思っています。








ゆく年2011年・・・

・・・くる年2012年。


あと1時間で、今年が終わり。
そして 新しい年が始まる。


”感謝”の一言をここに残しておきたいと、思います。


そして、

ココロの底から、

私たち、日本人、みんな、

がんばろう! 



  

男児、かくあるべし

2011年04月23日 | がんばれっ!
男児、かくあるべし



半身不随状態。
右半分の
アタマ、眼球、首、背中・・・全部痛い。痛いよぉぉぉぉぉぉ。。。

ロキソニン漬け。これもかなりカラダに悪いはずだ。。。

頭痛・鎮痛剤のロキソニンは処方箋が無くては手に入らない薬だったが
この春より市販されるようになった。

実はまだ市販されていないが、
ロキソニンの湿布薬、というのもある。

今日は全身これを貼り、更に飲み薬も飲んでいる。 痛みは治らない。
どこか悪いんだろうか。。。


毎年恒例の人間ドック。2月に受診、を何年も続けているのに
今年は辛亥革命関連の行事があまりに忙しくて2月は受けられず、
3月に振り替えたら、震災。計画停電などが心配で延期。
5月末に受けることになっている。









私は見た目、非常に丈夫そうに見える。
そして、しっかりしているように、見えるらしい。
たしかに
骨太、筋肉もちゃんとついている。

スポーツクラブで測定すると
かならず、”何かスポーツ本格的にやっていましたか?”とインストラクターに聞かれる。
脂肪ブヨブヨの人からすると
ある意味、憧れの体型でもあるらしい。

反対に、私はもうすこし上半身、上のほうに脂肪が欲しいと願っているのだが。(笑)


で、この前もベストセラー作家の山崎拓さんに

”歩くリーダーシップみたいな方ですね。”とまで言われた。










私と本当に付き合うと、
そういう人間ではないことが良く分かる。

だから私のまわりの友人達はみんな

”私がいなくちゃ、あやのさんはやっていけない。”

くらいに思ってくれていて、支えてくれる。

でもこの、支えてくれるのは大半が、女子だ。


男性からは ”君はしっかりしているから、大丈夫だよね。”と言われてしまう。

どこが大丈夫に思えるのかわからないけれど

普通に悩むし、傷つくし、不安もあるし、泣いたりしている。

先週のようにショックを受けることが続くと・・・

案の定、このような<ロキソニン漬け>の苦しい状態にも、陥る。



地震や放射能の問題でも
正直、不安がいっぱい、だ。












先週からの、一連のとても困ったことを<太郎ちゃん>に相談した。


太郎ちゃんとは、たまに会って、ビールを飲みながら近況報告会をする。
たまに大ゲンカもするけど、仲直りする、いわば幼馴染みたいな、トモダチ。


”あんまり困るようだったら、オレからちゃんと言ってあげましょうか?”

太郎ちゃんはそんな、心強いメールを返信してくれた。
やっぱり、男児たるもの、
困っている女性をちゃんと守ってくれなきゃ、ね。


男児、かくあるべし。




困った人につけこんだり、
グダグダグダグダグダくだまいたり、
ねちねちねちねちしつこくしてきたり、

あるいは

”心配しています”と言いながら、しらんぷりする人。
自分の立場や周りの目ばかりを気にして本心からの行動が出来ない人。。。

震災以降、
ほんとぉに、色々なことが起こり
色々な人のほんとぉが、見えてくる。











そういう意味では今日、毎日新聞に
被災地で
自身も被災しながら、地元の消防団として頑張る男性と
ボランティアで被災地入りしたシングルマザーが

めでたく、結婚した というニュースが載っていた。

その女性は、

”こんな時だからこそ、お金やモノではなく
正義感や責任感が強い彼の姿がたのもしく思えた。”のだという。


うぅぅぅぅん、わかる。



 男児、かくあるべし。