Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

Love Kabira~その2

2010年07月31日 | せずにはいられない・・旅の話
Love Kabira~その2



Kabiraは毎食、Buffet。

毎夜、ディナータイムには
服装やお食事にテーマがある。

たとえば、

ドレスコード:オールホワイト

とか、ピンクまたはブルーとか、オールブラックとか。


食事:イタリアングルメとか、フレンチ、とかアジアンテイストとか。


たまたま持ち合わせた洋服がドレスコードにあっていたら、
ラッキー

G.Oの皆さんと一緒に
その日のKabiraの雰囲気を盛り上げることが、できる。







Club Medはフランスの会社なので、シェフやパティシエも
フランスや世界各国から集まっている。
そのせいか、パンはとっても、充実している





ダイニングにて。 姪っ子ちゃんと




夕食の後は、ショータイム。

朝やお昼はたとえば
フロントデスクで働いていたり、
テニスやウィンドサーフィンのコーチだったり、
Kids Clubの保母さんだったりするG.Oたちが
夜はステージの上で
踊ったり、歌ったり、大変身する。






ついでに観客も一緒に踊ったりすることになるから
私はこのショータイム、大好き。


私たちの滞在中にははじめてのショー

<マイケル・ジャクソン・ショー>もあって

G.Oたちの真剣な踊りに圧倒された私たち観客。



MJのショー


そのショーが終わった後はG.Oも観客も
超ハイテンションのまま
バーでディスコタイムとなり、
その輪に入って久しぶりに大声でシャウトしたり、踊ったり。


その様子を最初、姪っ子ちゃん達もおもしろがってみていたが
そのうちに部屋に帰ってしまい、
少し付き合ってくれていた息子にも

”そろそろやめたら?”と言われたので
仕方なく、途中で部屋に。。。
(・・・南国系遺伝子の私は
実は踊るのが大好きなのだ。ははは。)



きれいな海と太陽とハイビスカスと
やたらファンキーなG.Oたちと
愉快なテンションは
私の本性に心地よい。


たとえば、夕食のテーブルにもG.Oたちがやってきて
おしゃべりしたり、する。


"写真撮りましょう。”となって最初に撮った1枚は、これ。





たぶん、ブログ初お目見えの姉。

それぢゃあ、つまんないよぉ、ともう1枚、Kabiraのノリで
撮り直したのが、これ。






そうそう。この、ノリがKabira流。



Happyがいっぱいの、Kabiraでは
こんなきれいな虹も






次ブログでは
スポーツ三昧の様子をご報告。









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Love Kabira~その1

2010年07月30日 | せずにはいられない・・旅の話
Love Kabira~その1



とにかく、すべてを置いたまま
遊んでしまおう。


夏休みに入った息子や姪っ子ちゃん達と
私が大好きなKabiraに飛んだ。


上海万博を1ヶ月前に控えたこの忙しい時期に、と
周りの人は驚いた様子だったが
数週間、全然休み無し、超運動不足の私は
たぶん、日本で一番好きな場所、Kabiraで
自分を取り戻す時を持つことに、決めた。



羽田~那覇、那覇~石垣へのトランジット
那覇空港に着くなり
まずいつものように、大好物<ソーキそば>をいただく。



 



石垣空港からClub Med Kabiraまでは
およそ40分。

マングローブが浜辺に並ぶ遠浅の海をながめ、
緑の濃い道を抜け、
ざわわ、のさとうきび畑を通り過ぎると

そこはとにかく、とにかく
私にとっての最高の場所、Kabiraにたどり着く。






Kabiraに来るのは今回で3回目。

息子が4歳の時、はじめての海はきれいな海がいい。
思い切って、二人でやってきたのが第1回目。


2回目は4年前。
母が亡くなり、私にとって色々転機の年だった。
ここはRebornのため、Kabiraだ、と
浄化も兼ねて訪れた。


そして、今回3回目。

何も考えず、ただひたすら
カラダを動かして、
めちゃくちゃ遊ぶぞぉ~と意気込んでのKabira入り。



姪っ子ちゃん達ははじめての、Kabira.

到着するなりハイテンションのG.Oに少し驚いた様子。
(*G.Oとはスタッフのこと)


デラックスオーシャンビューの部屋は
4年前から内装を変えて、ちょっとおもしろいインテリアになっていた。












休むまもなく、私は
小さい子どものようにはしゃぎながら
海へ向かった。


そうそう、これがKabiraの海!!!












おととい、
毎日新聞社の朝比奈社長さまとお食事している時に


”僕はね、ポリネシア系の遺伝子が濃いと思うんだよ。
南国に行くとね、
飛行機降りたとたん、むあっ、とするでしょ。
同行者はあれが不快感があるっていうけど
僕はなんだか気分が盛り上がってくるんだよね。
遺伝子が里帰りして喜んでいるみたいな。”


おっしゃっておられた。


・・・社長私もまったく同じですっ


思わず、間髪入れずにそう応えてしまった。


そう、

今は実は<日本人>だけど
私の遺伝子の中には

南の国の住人だった記憶が濃い。


最近、経済発展めざましく
高層ビルが連立する中国ばかり行っているけれど

私のキホンはここ、

って、私の中の遺伝子が喜んだ。


しばらく
皆様には、きれいな海と
私の本性暴露のブログをお届け、の予定。









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第一次一个人从上海坐火車到南京

2010年07月19日 | せずにはいられない・・旅の話
第一次一个人从上海坐火車到南京



大変なご無沙汰をしておりました。
毎日、楽しみにアクセスしていただいた皆様
大変申し訳ございませんでした。


夏至以降、
色々な流れが急速になる、とは言われておりましたが
日々、いきなり大舞台にリハーサル無しで立っているような
その連続と

怒涛のように押し寄せる連絡事項、
メールの多さにさすがに
ブログを書く元気が残っていなかった、というのが事実かも。


そんな毎日を過ごしているうちに

<夏>がやってきましたね。


さあ、南京に一人で汽車旅をした
報告から、ブログ再開です。







”ごめん、忙しくて一緒に行けなくなった。”

と言って上海の寅次郎兄から手渡された切符。

良く見てみると・・・


<二等車


ただでさえ、一人で中国の汽車に乗るのは初めてだというのに

と、
いきなり、パニック状態に陥った私。

パニックになり
”日本でさえ、グリーン車に乗ることが多いというのに
などとちょっぴり周りが聞いて唖然、とするようなことも
平気で口にしてしまふ。



”一等車と二等車、全然違いは無いよ。”

と寅兄は言う。

しかあし

ここは<格差>の国だ。

一等と二等に歴然とした違いがあろうことは
素人の私にだって想像がつく。


上海で親しい中国の先生方や知り合いたち、
遣唐使船でご一緒だった
角川会長はじめ、角川文化財団の皆様は
私は一人で南京に行くのは、無謀だ、と言って心から心配してくださった。


"何かあったら、すぐに電話しなさい。”
”もっと早く知っていたら一緒に行ってあげたのに。”



うぅぅぅx皆さんの送別の温かい言葉が胸にしみる。。。






出発の日、午前中には
毎日新聞上海支局長の鈴木さんから取材の依頼を受けていた。

ところが私は
自分がこれから一人で二等車に乗って南京に行かなくてはならないという
不安ばかり話していて、
全然、取材になっていなかったと、思う。


結局、
毎日新聞の鈴木さんと
読売新聞の楽ちゃんにがっしり付き添われて上海駅へ向かった。


一等車乗客と軍人は
だいたい、
駅の待合室に入る、入り口から別待遇だ。

ほら、
やっぱり、一等車と二等車は全然違うぢゃないか。


端午節の連休と重なり
駅は人、人、人、・・・人民だらけ。 


世界中の人間がここにいるんちゃうやろか

あまりの人の多さに空気が薄く、
完全に気分が悪くなった私を

現地で鍛えられた新聞社の女性二人が支えてくれ、

もみくちゃになって、改札をとおり、ホームまで降り、
座席に座るまでを見届けてくれた。


うぅぅぅぅ

ここでも頼れるは、女友達なのだ。


あまりの人の多さと緊張感で
汽車の写真を撮るのを忘れた。


車体は日本の新幹線<こだま>と<ひかり>とだいたい同じ。
車内もだいたい同じ。
トイレはさすがに、遠慮した。

何ごとかと思うような
大きな声での会話が普通の中国の皆様に囲まれて
2時間30分の汽車の旅。


車内で読んでいた本は
フルタ女史からいただいた<孫子の兵法 36計>。


きっと、

中国の皆様から見たら

かなり珍しい、日本人の女性が
ひとりで旅行してるんだな、と思われたに

違いない。。。


もちろん、こうして
ブログをかいているわけだから無事、南京にたどり着いたのは言うまでもない。


中国初心者、を
卒業した

南京への一人汽車旅の、話。