Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

幸せを入れる、隙間をつくる

2007年12月30日 | 見つけたHappyたち
幸せを入れる、隙間をつくる





たった今、私の今年の仕事が終わった。

毎年、この30日には
天然冷房の中、夜中近くまで
600個ちかくもの<おせち>の作業が、ある。


今年で5年目くらいになるが

調理場のみんながマロングラッセの
1粒1粒まで手作りしてくれているのを見ては
その頑張っている姿に嬉しくなり、

営業や経理や支店からもスタッフが集合して
真夜中まで荷造りや配送の作業を
一緒にやるチームワークの良さに感動し、

何よりも多くの方のお名前が書かれた
配送伝票を1枚1枚貼りながら
お客様への、
感謝の気持ちでいっぱいに、なる。


これが、毎年恒例になった、私の仕事おさめ。








”ちゃんと洗濯とかしてるの?”


ある時、男性の友人に聞かれた。


・・・モチロン

私はどちらかというと、<洗濯魔>であり、
<片付け魔>だ。


そして、
この年末はおせちの作業以外の時間は、

毎年、変わらず、家の掃除と
お正月の買出しにあけくれる。


今年は特に、

<開けずの扉・開けずの箱>に着手した。

そう、

”幸せを入れる、隙間をつくる”ためだ。










毎朝午前7時50分に家を出る生活を
10数年続けていると

部屋は片付いているのだけれど

<手付かずの場所>というのが、存在してくる。


今年は、特にそこをどうにかしなくては、
という思いが強く

意を決して、数箇所ある手付かずの場所の
整理整頓に着手した。



”いる・いらない”
”いる・いらない”
”いる・いらない”


どうしても、手放せないものが
出てくると、
しみじみとそれを眺めたりして
過ぎた時を懐かしんだり、する。


よくもまあ、

こんなに<いらないもの>が入っていたなあ、と

思うくらいに

既に私にとって不必要なもの、
もう使わないものが出てくる。

これらを押し込んだまま、だったのだ。




ふと、私は、

ココロにもこういうことをしているかもしれない、

と思った。




”幸せです。”


と今は胸をはって言っているけれど

もしかしたら、

私にはもう必要のない<想い>が

ぎゅーっとココロの奥のほうに
押し込められているかもしれない、と。



<モノ>も<想い>も

もう今の自分に必要がなくなったのだったら

手放していかなくては、いけない。





新しい年にやってくる
新しい幸せのはいってくる隙間を

ちゃんとつくっておかないと。










特に来年、2008年は
12年間の新しい運気がはじまる年。

新しい出会い、
新しいモノ、
新しい場所、

新しいコトがはじまる、年。



そんな”わくわく”な運気を
とりいれるためにも

さあ、

幸せを入れるための隙間をつくろう




明日、31日は

新しい年を迎えるために

家で頂くお正月料理や
お雑煮に準備にてんてこ舞い。

母が亡くなって
人数が少なくなったのに

母がしていたように
お正月のものは、ひと揃えする。

75歳になっても"良く食べ”さんの父と
すでに私よりも”良く食べ”さんになった息子のために。



なので、


今年の”Happy-sanになろう!”は

これでおしまい。



多くの方に読んでいただいて

ココロから感謝しております。

ありがとうございます。



2008年が

皆様にとって、幸多き1年となりますように

ココロからお祈り申し上げます












DANDYISM~スバルからオリオンへ~

2007年12月28日 | 映画・コンサート・演劇
DANDYISM~スバルからオリオンへ~




今年のキセキの一つが
谷村新司さんと奥様との出会い。


谷村新司さんといえば
小学6年の時、
当時はラジオを録音して
歌を覚えたものだった。

谷村さん(当時はアリス)のファン、というと
ちょっと大人びた感じもして
まわりの子たちよりも
少し進んでいるような、そんな感じもあった。

いずれにしても、

”神様”のような、
それこそ
”遠いお星様(スター)
であったことには、間違いない。



中国の上海や南京で大学の教授を
勤めていらしたり、
アジア全体での音楽を通しての
活動をしていらっしゃる谷村さんとは

今年私が携わった演劇の
中国公演で色々とお世話になったことが
きっかけ。

今年最後の”歌い収め”となる
DANDYISMのショーに、伺った。








美しい言葉たちが
ピアノの旋律にのって歌われる。

時には楽しいトークもあり、
会場が笑いで包まれる。


そして、会場には400人以上いたと
思われるが、なんと谷村さんはステージから降りて

”これから、会場の一番奥まで
旅にでます”と言いながら


<三都物語>や<いい日旅立ち>

を歌いながら、

一人ひとりと握手してくださったのだ


<いい日旅立ち>を会場全員で歌う。


私も小学生の記憶力は本当にすごいと
思ったのだが
ワンフレーズも間違えることなく
”いい日旅立ち”を歌うことが、出来た。


BIG STARである谷村さんが

ひとりひとり、会場に足を運んだ人を
大切にする姿に

とても大事なことを教わったように、感じた。







そして、谷村さんは
静かに話し始める。


今回のショーのタイトル

スバルからオリオンへ

には、


目に見えるもの、形あるものの時代から
目に見えないものを大切にする時代に
むかっているの・・

というメッセージがこめられている。



<あたりまえ>のものは何もない。

朝、起きて窓を開けたらそこにある太陽も
顔を洗おうとして蛇口から流れてくる水も

すべてそこにあってくれることに
そこにあるのが<あたりまえ>なことこそに

<感謝>しなければいけない・・・と。




私達は大きな宇宙のほんのひとしずくにしかすぎない。

それでも誰かを愛したり、何かを想ったりする
ひとしずく。


この日、この時に生きるということの
大切さを

静かに静かに、語ってくださる。


モノをつくり続けてきたモノの時代から
目に見えないものを大事にする時代にむかう。

形あるものにさらば、と言う勇気をもてるかどうか・・・








もし、<引き寄せの法則>があるのだとしたら

私がまさしく感じているところの

太陽がそこにあってくれることに感謝する気持ち、

そして、これから

私達がむかっている方向・・・

つまり、スバルからオリオンへという流れの中を

感じている、

ということで

私は谷村さんご夫妻と出会えたのかも、しれない。





”太陽や水””大地や空”に感謝する気持ち、

それこそが、幸せになる

Happy-sanになる、第一歩だということを

ココロの中でかみしめながら、


谷村新司さんの、


宇宙にまでひろがっていくような


歌声に、聞き入った、夜。
















Merry Christmas from happy-san

2007年12月24日 | 見つけたHappyたち
Merry Christmas from happy-san






今日、12月24日は今年ラストの
宇宙パワー最大の日。

今朝のおひさまは最高の光を
放っているように感じたのは
私だけではないはず。


皆様にとりまして
素敵なクリスマスになりますように
今日は
今年のhappy-sanのクリスマス・フォトで
ほんわかしていただけると嬉しいです




まず、今年お気に入りの

小樽のガラス工房でつくられた

<ガラスのサンタ>たち。





お散歩サンタ







お買い物サンタ











ティータイム・サンタ











今年の私のクリスマスセッティングです。

ウォーターキャンドルが飾れる
グラス付のキャンドルスタンドに
粉状のオアシスを2色敷き詰めて

白いお花たち

バラ・宿根スイートピー・チューリップ・
ダスティーミラーを入れ

サンキライの実やアイビーを散らします。

テーブルクロスは
フランスのボーヴィレイのクロス。

シャンパーニュはロゼを。








冬のテーブルでも、柄のにぎやかな
テーブルクロスを敷いた場合、

こんなガラスの器に
色とりどりのオードブルを盛るのも

華やかで素敵です。










1ヶ月以上もかかり完成した
日比谷公園 TOKYO FANTASIAの
イルミネーション

日比谷公園で、はじめての
冬の大掛かりなイベントです。







国内最大といわれる巨大なツリー。

このイルミネーションを見るために
日比谷公園はすごいことになっていて
まるで
隅田川の花火大会当日の浅草状態・・・
といえば
だいたい検討がつくでしょうか・・・。









よいこのみんなに

サンタクロースがちゃんと
来てくれますように


息子はサンタさんへの
クリスマスカードに

”家庭用プラネタリウム
 ホームスターがほしいです

と書いてありました。



サンタさんがちゃんと来てくれたら、

しばらく自宅では
毎晩、
プラネタリウムが楽しめるハズ。




これから、我が家に遊びに来てくださる時には

ちょっとした、”星空ショー”が

お楽しみいただけるハズ




私の大切なみなさまに・・・

Happy Happy Christmas!!






from
happy-san






I need you to Survive

2007年12月22日 | 映画・コンサート・演劇
I need you to Survive




横浜 山下公園にほど近い
神奈川県民ホールにて行われた

神奈川フィル・ポップスオーケストラによる

”The Best Xmas Music"コンサートに出かけた。



カリフォルニア出身のブレンダ・ヴォーンを
メインヴォーカリストに迎え

他に3人のゴスペル・シンガーも加わり

オーケストラとゴスペルのコラボレーションが
楽しめるコンサートの構成になっていた。









ブレンダのヴォーカルによる
Amazing Graceにはじまり、


Sleigh Ride,
Saw Mommy Kissing Santa Claus,
Silent Night,
Winter Wonderlandなど

おなじみの
クリスマスソングの数々が
時には愉快に
時にはしっとりと、オーケストラによって
奏でられる。


私は神奈川フィルのご招待だったので
招待席に座っていた
ブレンダのお母様とお隣あわせになった。

ブレンダが舞台に登場すると
もうそれはそれは

”KONISHIKI"サイズのカラダを揺らして
大興奮

ワンフレーズごとに

”今のはよかった
”なんて、素晴らしいの

と独り言をいいながら。














ブレンダがこのコンサートの最後に
選んだ曲は

I need you to Survive

という曲だった。





私達がこの地球上でこうして
めぐりあうのは

戦うためでもなく

憎しみあうためでもない。

肌の色や
宗教が違ったとしても

互いを必要とし
互いの最善を生きていくために

愛しあうために生まれてきた。


だから


あなたのためにいのりましょう。

わたしのためにいのってください。


I need you to Survive









カラダ全体を使っての表現と

魂の叫びのような声は


オーケストラは必要ないのでは、
と感じさせるくらいの
迫力があった。



そしてこの、

魂が震えるような
熱い涙がこみあげてくるような

こういう感動こそ

肌の色や国や地域の違い、
宗教の違いを超えたところの

共通の”何か”であることを
ハートが感じ取る。















ブレンダたちの歌声の余韻を
もう少し楽しんでおきたかった私は

コンサートに誘った友人と
山下公園のはずれのほうにある、カフェに立ち寄った。



”ミナトマチ”横浜らしく

ハイネケンビール(オランダ)あり、
焼酎あり、

メニューには
アメリカンはハンバーガーあり、
ロールキャベツみたいな家庭料理もあり、
パスタもあり、
日本の”いわしの生姜煮”みたいなのもあり、


異国情緒漂う()、メニュー。













ハイネケンを飲みながら
友人としばし
ゴスペルの真髄や
子供の頃のクリスマスの思い出を語り合う。



枯葉が舞う
静かな港沿いの道には
時折車やバスが通りすぎる。


すると、コマーシャルに出てくるような
イルミネーションに覆われた
コカコーラのサンタ・トラックが
2台連続で行き過ぎる。


クリスマスって
こういうファンタジーが素敵だし

静かに音楽を聴いて
キリスト様の誕生をお祝いしたり

”愛”をプレゼントという
形にしておくりあったり・・・


世界の人々を愛と希望と夢で
包む<時>なのだとしみじみ感じた。















今日、12月22日 午後2時22分にあわせて
多くの人々が
地球のために。 世界の人々のために
平和と愛の祈りを捧げた。



あなたのためにいのりましょう。

わたしのためにいのってください。


I need you to Survive・・・。











木を、植えよう

2007年12月20日 | Earth(地球の、こと)
木を、植えよう



おそらく、私達の誰もが

<地球温暖化>あるいは<環境問題>

について関心がないとは、いえないはず。


でも、実際問題として

じゃあ、<私は何をしていけるのか>
ということで

足踏みしている人が多いのではないだろうか。


こまめに電気を消す、
省エネの製品を買う、

そういうところから

”My 箸”を使っています、という人や
”プリウス”に乗っている人など

取り組みは色々だと思う。


そうはいっても
私も移動のためにを使うし
旅行のときにはにも、乗る。

地球のことを憂慮しているとはいえ、
快適な生活を送っていることも
また事実で、ある。










ふと、”木を植えたいな。”と思った。

11月下旬、怒涛のような日々が一段落した頃だ。

最近の私には

この”ふと思う”ことに関して
面白いように情報が現れてくる。

たいがい、こうしてスムーズに情報や
人や物事が動いたり、進んだりすることは

OK、やっていこう

というメッセージあるいはサインである。



・・・どうやって木を植えたらいいのかな・・・




ある日、そんなことを考えている時に
NHKの<クローズアップ現代>が
ニュースの後、そのまま流れてきた。

意識してその番組を見ていたわけではないが
その日の話題が

<インドネシアの森林伐採>だった。


・・・・・・キタ。


その内容は見ているだけで

インドネシアの木が伐採されているにも関わらず
自分のカラダのどこかが
削り取られているような痛々しさを感じた。


皮肉なことに、”ECO"であるはずの
バイオ・ディーゼル燃料を生み出すために
森林が伐採されているということなのだ。

そして、森林伐採後の乾燥した荒地からは
頻繁に山火事などが発生して
そこから排出されてしまうC02は

ヨーロッパで使用されている
バイオ燃料に切り替えられた場合の
C02の削減量をはるかに上回ってしまう、という。

・・・本末転倒ではないか。


私達が排出するC02を吸い取ってくれる
<森林>こそ、
大事にしなければいけないのではないのだろうか。



私は、漠然と<木を植えよう>と思っていたことの

重要性をまさに突きつけられた思いがした。








不思議なことはまだ続く。

そのテレビ番組を見て、3日もしないうちに
ある雑誌が送られてきた。

これは、隔月で送られてくる

ヒトと社会と地球を大事にするビジネス情報誌

なのだが

私が注文したわけではなく

知人(といっても大変偉い方なのだけれど)が
なぜか送ってきてくださる雑誌なのだ。


ぺらり、とその雑誌をめくっていると


<苗木のプレゼントで森林再生>

という記事が・・・


これは、内閣府認証の

NPO法人環境リレーションズ研究所というところが

やっている取り組みで

北海道・南八ヶ岳・インドネシアへの

植林プロジェクトで個人・企業向けに

<贈り物>という形で支援する

プレゼント・ツリーというサービスを行っているものだ。


つまり、たとえば

この時期だったら、”クリスマス・プレゼント”。

モノではなく、”木”をプレゼント、するのだ。

自分へのプレゼントはもちろんのこと
送った相手にも”環境””森林再生”に関する意識が高まる
とっても素敵なアイディアなのだ。


一口¥3500~10000で

自分で植える場所を選定出来、

この植林は最大20年間育成管理される。

そして、植林された木は

国内ではシリアルナンバーで管理され

インドネシアではGPS昨日を利用して
ウェブサイト上で大まかな位置を
認識することも、可能なのだという。


植林事業を実際に行う現地の方の
人件費などを寄付するなどの
色々な植林事業への取り組みも
紹介され、個人でも参加しやすいように
配慮されている。







例えばこれには<CO2 オフセット証書>なるものも
ついているという。


プレゼントした木(植えた木)2本が
オフセット(相殺)するC02は192Kgだという。

これは例えば飛行機で

羽田岡山の往復に一人あたり排出される量に
相当するという。


”日帰り出雲”なんてやっている私は
いっぱい木を植えないと、いけないのだ



というわけで


今年の私の私へのクリスマス・プレゼントは

インドネシアのカリマンタン、
オラウータンの森への木。

北海道とどちらにしようか迷ったのだけれど

昔、小学生の頃、行ったキャンプで

”オラウータン”というあだ名をつけられて以来

なんとなくヒトゴトとは思えない私は

オラウータンの森へのプレゼントにした。



オラウータンへ、

自分へ、

そして地球へ。


そんな、クリスマス・プレゼントが

あってもいいと、思う。









*ちょこっと興味を持たれた方は
こちらのページをのぞいてみて、下さい。

http://www.env-r.com/












風邪を、ひかない

2007年12月19日 | オーラソーマ・ボトルストーリー
風邪を、ひかない



今年の冬はとっても寒い

オランダにいる姪っ子からも
昨日メール

”今年は運河が凍るかもしれません”

と書いてきたので

世界中で、”冬”らしい寒さなのかもしれない。











冷え性の私は、寒いのが苦手だけれど

<地球温暖化>のことを考えると
冬に寒くなって

湖が凍って、ワカサギ釣りが出来たり
オランダの運河が凍って、スケートが出来たり
スキー場が天然の雪に覆われるのことが

ちょっと嬉しかったりも、する。



”風邪、ひかないようにね。”

これが近頃の挨拶になっている。

インフルエンザも例年になく
早いペースで流行のニュースが流れる。

職場でも早々に風邪が流行して

誰が発生源かということで
なすりあい(!?)が続いている。


が、私は、風邪をひかない。


自慢にならない(*馬鹿は風邪をひかないというから)
自慢なのだが

私は、風邪をひかないのだ。


今日はその秘訣をお話しようと思う。











私も毎日、仕事であちこち出かけるし
狭い事務所で誰かが風邪をひけば
うつる可能性は高い。

子供が学校で風邪をもらってくることも、ある。


当然、私も頻度は少ないとはいえ、

・・・キタ・・・

という症状が出る時がある。


まず、

くしゃみ・鼻水・のどの痛み・だるさ・
妙な寒気・妙な眠気・顔のほてり・・・・。


思うに、この時点での
対応がその後のの分かれ道のようだ。


その1

症状が現れたと自覚したら
まず、液体状の<カコナール>のような
風邪薬ドリンクを一気飲み。

(*これは仕事をしている人に有効です。
家ですぐゴロリと出来ない人、
すぐに動かなければいけない人、
明日重要な会議や出張がある人・・・

前の会社にいたときに先輩から伝授された方法です)



その2

その日は出来る限り早めに仕事を打ち切る。

(*たいていの場合、ここで無理をしてしまう。
”たいしたことないよ”と自分と他人に宣言してしまう。
このことこそ、自分と他人にその後迷惑をかけてしまう。)


その3

温かいものを食べる。
自分で作れる状態なら、
野菜のたっぷりシチューやスープ
おうどんなど。

そこに

しょうがを丸ごと1個すりおろしたものを
入れて、食べる。

だから、冬場はしょうがは必ず
冷蔵庫にストックするようにしている。

だいたい、鼻がつまっていたりするので
味がすこしボケて感じるので
そう刺激も気にならないはず。

でも、カラダは温まっていくのを感じる・・・。










その4


家族に”私は風邪気味だから早く寝るの!”と宣言する。

そうでないと、

たいてい女性の場合、家事やら
片付けやらで、みんなより遅く寝ることに
なるわけだが

ここは宣言することによって
家族もスピーディーに寝付くよう、協力してもらう。



その5


自分が<これは、絶対効く>と
信じている風邪薬を飲んで
寝る。

(*私はパブロンゴールドに
絶対の信頼をよせている)

要は、<病は気から>というところを利用して
<これは効くんだ>と信じていると
効くのだと、思ったり、する。



その6

そうはいっても、夜中にのどの痛みが発生する。

のどが熱くて、ドラゴンになってしまった感じ。


そこで、どうするか。


まず、これ。 フィジカル・レスキュー。





オーラ・ソーマのボトルなのだが
これは名前のとおり

カラダの痛みを抑えて
助けてくれる(ような気が、する)

実際、つけてみると
確かに<メンソール>系の香りやスッキリ感がある。

頭痛がするのであれば
こめかみからアタマ全体に塗ってマッサージするし

のどが痛いのであれば
喉から鼻にかけてこれを塗ってマッサージする。

咳がつらいのであれば
ヴィックスヴェポラップみたいに
胸全体に塗ってマッサージする。



その7


のどが痛くて眠れない時には

のどのチャクラの色、(ブルー~水色)の石を
のどにのせる。


ビオラン



ラリマーでも
ブルーレースアゲートでも
カヤナイトなどでもいいような、気がする。

とにかく自分の直感で選んだ石を
喉にのせる。

フィジカル・レスキューのかすかな
メントールの香りと

水色の石のひんやりとした触感を感じながら

呼吸に意識をあわせていく。



その8


そして、自分の痛みを感じているところに

”ありがとうございます”

という。


これは、胃が痛いときなんかにも
効くのだけれど

”痛い、痛い”というと
ますます痛みが強く感じられるのだけれど

”ありがとうございます”

バイ菌や疲れと戦ってくれている
カラダをいたわるように感謝の意識を患部に向ける。


・・・夜中ならば

そうしているうちに、

また安らかに眠れるように、なる。




その9


翌朝、きっと、すっきり起きられる。

少し、のどの痛みが残っていたり
鼻水が出てきたり
咳が出てきたりしたとしても、

前の日の、ブルブル嫌な予感がしていた症状よりも
すっきりしているはず。

そこで、感謝。

念のため、

食後の風邪薬は飲んで、出かける。


こうして、ここ何年も

二日酔いで寝込むことはあっても
風邪で寝込むことは、ない。



その10


実は、今朝もとっても冷え込んでいたので

くしゃみと鼻水が・・・。


でも、ここで

<私は、風邪をひかない>宣言。

その1だけは念のため
飲んできたけれど、多分、もう大丈夫。


<私は、風邪をひかない>


という思い込みもまた、

大切な風邪薬なのかもしれない、と

思うので、ある。













日帰り出雲

2007年12月18日 | せずにはいられない・・旅の話
日帰り出雲



私の日帰りシリーズにまた仲間が増えた。


日帰り新潟
日帰り大阪
日帰り神戸
日帰り南紀白浜(熊野)


そして、今回の、

日帰り出雲。







”12月9日、出雲に行っていらっしゃい。”

ヒーラーのKYOKOさんが日付指定で、おっしゃる。


12月4~5日が長崎だから
そのすぐ後かあ・・・
泊まりは無理だなあ・・・


あっ

でも、飛行機でなら、
日帰り出来ちゃうかも



早速、手帳に
<12月9日 出雲>と書き入れる。

そしてインターネットで
羽田出雲空港出雲大社
のアクセスと時間を調べる。


次にJALのホームページで
マイレージで飛行機の予約。

ふふふ。マイレージで飛行機代Free


こうして、日帰り出雲決行が、決まる。


<開運行動>は楽しくて仕方ない。
これこそ、
”Happy-sanになろう!”という想いを
行動に移すということなのだ








朝、羽田空港の出発便の情報では
全国殆どがマークなのに
目的地の出雲だけが、マーク。


傘、持ってきてないや。
まあ、出雲の空港で買えばいいっか。


と、軽い気持ちで飛行機に乗り込む。



一眠りすると、もう出雲空港。

確かに飛行機に水滴がつくので
雨らしい。


ところが・・・

タクシーに乗ろうと空港の外にでたトタン・・・


ぱぁ~っと

それは神々しいほどの光が
雲の間から差込み

雨は止んだのだった。


”今さっきまで雨だったのですよ”

とタクシーの運転手さん。


”こういうことが、あるんだ

私は変に納得した気持ちで
厚い雲の間から差し込む<光の柱>に
神様たちをみるような気持ちで
窓の外を眺めていた。

なんとなく、なぜ12月9日に
出雲に行くと良い、と
KYOKOさんがおっしゃったのかが
わかるような、気もした。







出雲に来たのは2回目だった。

数年前、神在祭の時に
全国から集まってきた神様に会いにいった。

その時は鉄道マニアだった息子と2人で。

”サンライズ出雲”という夜行列車で出雲まで来た。
帰りもローカル電車の一畑電車とやくもと
新幹線500系を乗り継いで東京まで帰った。


出雲大社も、熊野大社も

その荘厳なお社の姿と
まわりに漂う透明な空気が、心身を清めてくれる。







神在祭が終わったあとの神社は
とても静かだった。


だいこく様もホストの大役を終え
きっと
気持ちもゆったりとされていらっしゃる頃だろう。


正面からお社へ続く松並木を静かに歩く。

神社が大好きな私は

ちゃんと作法を守って、神様にご挨拶にいく。


”たしか・・・出雲大社の作法は
ちょっと他と違っていたんだよね・・・。”







普通の神社では、<二礼 二拍手 一礼>だけれど
出雲大社では、 <二拝 四拍手 一拝>となる。



出雲の神様「だいこくさま」といえば、

<縁結びの神さま>。

この「縁結び」ということは、
単に男女の仲を結ぶことだけでなく、
人間が立派に生長するように、
社会が明るく楽しいものであるように、
すべてのものが幸福であるようにと、
お互いの発展のためのつながりが結ばれること。


私は本当に今年

多くのありがたいご縁を沢山頂いた。


お社を前に

もう気持ちがいっぱいになり

ただただ、感謝をした。

お札にも、

”全ての出会いに感謝いたします。
 ありがとうございます。

と書いて、大きな松の下にかけてきた。










そもそも、神社へお参りに行くというのは

御願いにいくということでは、ない。

神様にお礼に参るところなのだ。


私達がこうして、生きて無事に毎日
過ごしているおかげさまなことに
感謝をしていることを

あらためて神社で神様にお伝えするのだ。


もちろん、初詣もそう。

新年を迎えられたことを感謝しにいくのだ。

”あれも、これも・・・。”と

あんまり欲張りに御願いしないほうが、いいらしい。

だって

私達は、こうして大きな力に守られて
生きているのだから。

このことに、感謝できる人に
神様は光を与えてくださる。







お社のまわりにも沢山神様がいらっしゃるので

出雲大社に参拝される方は

ゆっくりお社のまわりを散策されるといいかもしれない。




建速須佐之男命(タケハヤスサノノミコト)もこちらに。



そして、その大きさがひときわ目につく
注連縄(しめなわ)は
長さ13メートル、重さ5トンの巨大なもので
「国引き神話」の出雲を象徴するかのよう。






ゆっくりと境内を歩いて

そろそろおなかもすいてきた。

名物<出雲そば>を頂くことにした。












あたたかいとろろそばと
割りこそば。

割りこそばには宍道湖のしじみのお味噌汁がついている。




帰り際、

太い大きなレインボーを見つける。






出雲のタクシーの運転手さんは

レインボーを見て喜んでいる私のために
撮影しやすいように車を停めてくださった。




神々の国、出雲の地に

降り立った瞬間に止んだ雨、

出雲の地を飛び立つ前に

あらわれた虹・・・


古代の私達は

こういう天からのメッセージを

ごく当たり前に日常に取り入れていたのだろう。


ここは、やはり特別な、場所。

帰りの飛行機に乗る直前の空をみて

私だけではない。

多くの人が足を止めて

その神々しい空を眺めていた。























えのスパ&クリパ

2007年12月16日 | friends
 えのスパ&クリパ




サンフランシスコの滞在から戻ったタナカ君が
湘南にマンションを買ったという。

週末にはサーフィンを楽しむ、いわゆる
サラリーマンサーファーをやっているところを


”お邪魔しちゃおうクリスマスパーティー兼ねて”。




サラリーマンサーファーの彼のベランダには
ウェットスーツが・・・。




さすがに外国で
アテンドに慣れている彼は

その日、私達が
11時37分の恵比寿駅発湘南新宿ラインに乗って
12時半頃、辻堂の駅に着いて、

まず江のスパへ行って、

女性陣のスパトリートメントを午後2時30分からを予約を入れ、


ゆっくり江のスパでくつろいだあと、

彼のマンションの部屋から見える
夕焼けの富士山を見ながら、
クリスマスパーティーはじまりはじまり・・・と

周到な計画を立ててくれた。





ベランダから目の前に富士山が見える





息子も今日は塾のテストを振り替えて参加。

15~6年と長い付き合いの彼らは
私のことをまるごと受け入れてくれている。

息子にとって彼らは

30歳年上のトモダチでもあり、パパみたいな存在でもある。

一緒に遊んでくれて、”男同士”の会話や
行動をする大好きな<ナカマ>なのだ。

だから、1日くらい塾なんてお休みだ





江ノ島名物 ”しらす丼”



まずは江ノ島で、しらす丼やさざえの刺身ご膳など
地元の味を堪能。


その後、
私とリエさんは江のスパで温泉&ボディトリートメント

タナカ君、ヨシイ君、息子の3人は
江ノ島一周ウォーキングと
江のスパにある全ての温泉入浴、という

体育会系のプログラムの二手に分かれた。





江のスパ



江ノ島の波打ち際にひときわ目立つ
江のスパ。

天然温泉とトリートメントスペース、
マッサージスペース、レストランなどが
入った、ちょっぴりゴージャス系な建物。



私とリエさんはボディトリートメントの前に
軽く天然温泉に入浴。

広い浴場からは湘南の海岸が一望。

おまけに他にお客様は誰もいないので
二人で独占状態。

なんて、贅沢なのでしょう


そして、ボディトリートメントルームへ。

江のスパならではの、メニューが用意されていた。

例えば、弁天オイル(江ノ島の弁天様からとった名前)を
使用したトリートメントだとか

ドラゴンオイルという活性化するオイルを使用した
トリートメントとか・・・。


私もリエさんも<ワーキング・ウーマン>

頭皮から足の先まで揉み解して
リラックス出来るメニューを選ぶ。


それぞれの個室に案内されて
とろとろにとろける
60分のボディートリートメントをうけた。







その頃、タナカ君、ヨシイ君、息子の3人は
かなりハードなスケジュールをこなしていたらしい。

この3人、この後も犬の散歩やら
翌朝も6時半に家を出て、鎌倉までドライブしたり、と
かなり行動的。


タナカ君の奥様ミエさんは熊本のご実家に
帰られている、ということで

今日は、なんと、タナカ君の手料理を
頂くことに






亭主関白風にみえるタナカ君がキッチンに立つとは!

今日のメニューは

・スモークサーモンのカナッペ
・フレッシュグリーンのサラダ
・チーズ・フォンデュ
・しらすスパゲティー
・クリスマス・ケーキ 




チーズ・フォンデュはあつあつで・・・。




そして、私はワインの持ち寄り担当。

なんとも贅沢に

Vin Passionというワイン会社の社長
カワカミさまに
このパーティーのために
じきじきにワインをセレクトしていただいた 







最高に楽しくて
贅沢な レストランに、なる。



タナカ君は、

サンフランシスコで、一流のアメリカ人の方達との
お付合いの中で、
自然に料理をするようになったと、いう。



成功した男性は

女とかギャンブルとかに手を出すのは
もうあんまりしないんだ。

アメリカでは奥さんが怖いしね。

何に夢中になるかって、

<料理とワイン>なんだよ。


と、言いながら、手際よく地元のしらすを使った
<しらすスパゲティ>を作ってくれた。




タナカ君特製<しらすスパ>



ヨシイ君たちも、私達もその日は家に帰る予定だったのだが
ゲームをしたり
話が盛り上がっているうちに

”泊まっていけば”というタナカ君のオファーどおりに

急遽、お泊りすることに。 息子も大喜び


こんな学生時代のノリが出来るのも
この仲間とならでは。



こうして、

1泊2日の<えのスパ&クリスマスパーティー>プランは

温かい友情と愛情に包まれて

無事終了。



お互いの、別れ際の挨拶は

”バイバイ

ではなく、


”ありがとう”だった。





 






Hugの魔法

2007年12月13日 | 見つけたHappyたち
Hugの魔法




ヨーロッパやアメリカのいわゆる
”欧米人”の方々は
普段の挨拶でも

”Hug”(愛情をこめて抱きしめる)をする。


私達が丁寧にお辞儀をしてご挨拶するのとは
距離感が、違う。


それはそれで、私達日本人は、

”Very Polite”(とても、礼儀正しい)

と評価されるのだけれど


最近、<Hug>ってすごいなぁ



人と人の距離をぐっと近づけて
相手を大好きにさせる魔法があるんだなぁ

ということをあらためて、感じている。








<Hug>は、私と息子の毎日の朝の習慣でも、ある。



仕事をしていたり、
友達とのお付き合いもあったり、で

正直、いつも子供とだけ、向き合っているわけではない。
(ブログを読んでいらっしゃる方はお分かりですよね

ワーキングマザーとして生きなければいけないと
決断したとき、
それを潜り抜けてきた先達のママたちの
子供との時間について書かれたものを幾つも読んだ


毎日、1日の報告をしあう
手紙や日記を交換する・・・というのが
多かったけれど

私と息子の場合は、<Hug>だ。


朝起きてきた息子をギューッとHugしながら
毎日毎日

彼が私の宝物であること
彼が生まれてきてくれたことの感謝 を伝える。









母のお通夜の時のこと。

4月、桜が散り始める頃
四谷にあるイグナチオ教会で行われた
母のお通夜には

親戚や父や母の関係者が駆けつける中
驚くほど大勢の私の友人達が参列してくれていた。

中学時代の友達、高校時代の友達、
大学時代の友達、最初に就職した会社の友達、
日英協会で知り合った先輩や友達、
息子のナーサリー時代のママ達、
息子の幼稚園、そして小学校のママ達・・・。

男女問わず、自分のパートナーや子供達を連れて
母へのお別れと私への励ましに来てくれたのだった。


ご存知のように教会ではお別れの礼拝の後
家族が祭壇の横に並び
参列して下さった方に御礼を言う。


・・・確か、中学時代の友人だったと思う。

私の前に来て、
言葉が出なかったのか、いきなりその場で

<Hug>してくれた。


すると、

以降並んでいた、全ての私の友人達が

皆、私にHugをしてくれたのだった


それを見ていた息子は

”ママのところでみんな抱きしめあうから
列がなかなか進まなかったよ。”

とCoolなコメントをしたけれど

私はどれだけ沢山の愛で支えられているのだろう・・・



その悲しい母とのお別れの時も

<Hug>の魔法は私を支えてくれていた。









先日の舞台が千秋楽を終えた時、

主役の俳優さんとの間に
言葉はいらなかった。

ただ、<Hug>をしながら
お互いに、全てのことに、
感謝していた。


<Hug>には、色々な感情や立場や

プライドやそういったものを

すべて溶かして、

<愛>だけを感じ取らせてくれる魔法が、ある。




そろそろ、忘年会とクリスマスパーティーの時期。

私も今日の2本立てを皮切りに
シーズンに突入する。


今年一年を無事に過ごせたこと、

またお互いの時間を作って会えたこと、

その喜びと感謝の時を

抱きしめよう















長崎その2~ぶらりグラバーのあたり

2007年12月12日 | せずにはいられない・・旅の話
長崎その2~ぶらりグラバーのあたり





前日の夜、長崎の川沿いの屋台で
ぎゅうぎゅうに詰められながら
ふうふう言っておでんを食べた。

名もない屋台なのだろうけれど
俳優の大沢たかおさんも立ち寄ったみたいで
屋台のおぢちゃんとの写真が貼ってあった。


こんなところでお酒を飲むのも
いい思い出になるよね、と
ご一緒した俳優さんたちと、笑う。












ホテルに帰って時計をみると
北京の時と同じ、
またまた午前3時過ぎ。


翌朝、8時にホテル出発のみんなとは
ここから別行動。

私が次の朝目が覚めたのは、みんなが
ホテルをとうに出発した時間だった。



ゆっくりと朝食をとり、
その日午後の飛行機までの間、
私は、長崎の街を散歩することに、決めていた。

そう、グラバー園のあたり。





諏訪神社


坂を登り切ると国宝大浦天主堂がある。

しかし私は、そこから左の細い道を抜けて
まず、諏訪神社へ向かう。


いつの頃からか私は神社が大好きになって
吉方位旅行に行くと必ず、
神社でご挨拶することにしている。

さすがに、お祭りでもなく、冬の平日の
神社には人っ子一人いない。

”神様ひとりじめっ

諏訪神社は地元の方々には
”おすわさん”の愛称で親しまれている。

厄除け、縁結び、海の守護神を守る
長崎の氏神様だ。


おみくじもひいて
素晴らしく良いおみくじだったので
大切に持ち帰る。


そして、来た道を戻り、
大浦天主堂へ。



大浦天主堂



NHKの行く年来る年で、
毎年この大浦天主堂にて
白いレースのベールをかぶり
熱心に祈りを捧げている人々の映像が
流れるたびに、

一度、行ってみたいなあ、と
思っていたところだ。


木造ゴシック様式の美しい教会で
光がステンドグラスを通して、教会内に
たどり着くその様は

思わず、そこに膝まづいて
大いなるものに祈りを捧げてしまいたくなる。


大浦天主堂の裏道を歩いていくと
グラバー園のエントランスに着く。









おおっ
なんとエスカレーターが完備。

園内は丘の上とあって
エスカレーターで上に上にと
上がっていく。


長崎港を望む小高い丘の上に
幕末から明治時代にかけて、
当時市内に点在していた
美しい洋館を集めたところが

この<グラバー園>。


夏に旅行した函館の
小高い丘の洋館のある公園から
港を見下ろした風景と、似ている。



グラバー邸



コンサバトリーの美しい洋館や
木造平屋の可愛らしい洋館など
住宅に対する
ヨーロッパの人の美意識の高さが
うかがえる。

当時、これらを建設したのは
日本人の大工さんたちだっただろうけれど
彼らはこの洋館をどのように感じていたのだろう・・・。












冬だというのに
園内の庭や邸宅の入り口には
手入れされた
美しい花が咲いている。







ゆっくりと花たちと愛でながら
園内を散歩する。


そして、旧自由亭発見。

明治11年に日本で最初の本格西洋料理店
<自由亭>が開業された。
現在はティールームとして公開されている。









温かい紅茶とアップルパイにしようか、

大好きなモンブランもあるなあ・・・


港が見下ろせる窓辺の席に座って
洋館でのティータイムにココロおどらせる。



・・・カステラセット・・・


長崎名物のカステラと
オランダの水出しコーヒー・・・という組み合わせ。


ならば、

これを頂きましょう









グラバー園を出ると長い坂道がある。

びいどろを買ったり
お土産のカステラを買ったり

修学旅行生にまぎれて

女ひとり旅




長崎は色々な顔を持った不思議な街。

港町なので横浜もそうだけれど

洋館あり、中華街あり、坂があり、

港があり、教会がある。




幕末から明治にかけてにぎわっていた
名残を感じながら、
オランダ坂を歩く。



そんな、冬の日の

グラバーあたりのぶらり散歩。

























長崎その1~100年後の街

2007年12月09日 | せずにはいられない・・旅の話
長崎その1~100年後の街












長崎は私の母方の曽祖父の生まれ故郷だ。

13歳の時に、上海へむけて家を飛び出して
その後はシンガポール、香港、そして
東京・・・と活動の場を求めたので

今は長崎には親戚もいない。


でも長崎の血が流れているせいか

昔から、九州の土地柄も、人も、言葉も好きだ


”ハウステンボスにしか行ったことない。

そう言うと色々な人に、笑われた。

今回、はじめて、祖先の生まれた地に
足を踏み入れたのだった。












長崎空港から市内まではバスで40分くらいかかる。

バスを降りた後、道オンチな私は
地図をひっくりかえしてみたり
横からみてみたりして
現在地とホテルの場所を確認する。

宿泊先のJALシティホテルに荷物を置いて
すぐに私は街へ飛び出す。

どうしても、真っ先に行きたいところが、
あるのだ。












昔の地名と地図をたよりに
曽祖父の生まれた場所を探す。


私は、曽祖父が生まれてから
丁度、100年後に生まれた曾孫だ。

100年後、まさか自分の曾孫が
自分の生まれた場所を探しにくるなんて
曽祖父は思っていなかっただろう。

でも、もし、例えば私の曾孫が
いつの日か、
私の住んでいた場所を探して歩いているとしたら

なんだか、とっても嬉しくなって

”ここよ、ここ”と合図を送るだろうな







くろがねばし


よろずばし







ちょうど、昔の資料で見ると
このくろがね橋とよろず橋の間、
くろがね橋から3件目あたりが
曽祖父の生まれた場所。


くろがね橋のたもとは
土佐商会、海援隊発祥の地でもあり

ここらへんの土地のパワーは

”世の中をよりよいものにしよう”!という
人間を生み出す力を持っているのだろうか。







土佐商会跡





土佐商会跡に白い猫がいた。

実は私の曽祖父はこの目の前の
中島川に落っこちて、溺れて、一回死んだのだった。

お葬式の日に、ふっと息を吹き返して
街中の人が驚き

”猫魂の持ち主だ。”と言われたという。


白い猫は私が近づいても
逃げるふうでもなく、じぃ~っと私を見ていた。

もしかしたら、

<Welcome>と言ってくれていたのかも、しれない。












・・・ここらへんだろうな。

と足を止めた瞬間、頭の上の上の上のほうから

びぃぃぃ~んと何かが私の周りを取り囲んだ(感じがした)

多分、曽祖父母からのメッセージだ。


暫く、そこの地に佇んだ。


目を閉じ、耳を傾ける。


100年前の人々の生活の音が聞こえてきた(ような気がした)


貿易商だった曽祖父の実家には
きっと大勢の人が出入りして
にぎやかだったことだろう。











よろず橋からくろがね橋を眺める。

この夕焼けちかい太陽の光が
川に映り、

ゆるやかな風に柳が揺れる風景は

もしかしたら、100年間、変わっていないかも、しれない。




その場所から10分もしないところに、

<出島>がある。

もっと大きな島かと思っていたら
とても小さな場所だった。

こんな小さなところだけで
外国との取引が行われていたなんて


そして、私の曽祖父が海の向こうへ
思いを馳せ、旅立った気持ちが良く分かる。

だって、出島がお隣にあるんだもの。








出島の跡は当時の模型やら倉庫などの
様子が復元されていた。

そして、出島の表門から外を見てみる。


こんな小さな門が

世界への唯一の扉だったなんて



出島の表門





出島を歩きながら

私が関わっている中国とのこと、

そして偶然に姉が今
オランダにいること、

出島とリンクして、不思議な気持ちになった。





長崎の中華街



その日、長崎は足元から凍るような寒さだった。


ひとしきり、歩ききった私は
そういえば朝から何も食べていなかったことに
気づく。

時計は午後4時。

ホテルの隣は、長崎の中華街になっている。

そこで、温かい<ちゃんぽん>を頂くことに、する。

入ったお店は<江山楼>という
大きなお店だ。








ちゃんぽんの味の評判が高いという

”王さんの特上ちゃんぽん”を注文。

ふかひれや干しナマコなど
20種の豪華な食材から出たうまみが
特徴なのだそうだ。


とにかく、カラダが冷え切っていたので
温かいスープから、頂く。

ミルキーで、栄養がありそうなスープ。
お野菜もたっぷりで

これひとつで、栄養バランスもとれそう




江山楼



100年前に曽祖父が生まれた街を歩く。


ココロが色々な気持ちで満タンになって

美味しいちゃんぽんでお腹も満タンになった

長崎、西浜あたりの、100年後の街の、散歩。















はじまりと終わり

2007年12月08日 | オーラソーマ・ボトルストーリー
はじまりと終わり




12月に入ってまもなく
私は新しいボトルを使いはじめていた。


その時の私に必要なボトル自身が
割れたりして私に知らせることもあるし

自分自身がその<色>を必要と感じて
選ぶ場合もあるのだけれど

今回はブルー系の何か・・・というところで
暫く迷っていたのだけれど


<時を司る天使>オリオン&アンジェリカ

を選んだ




オリオン&アンジェリカ




このボトルは<はじまりと終わりのボトル>とも
言われている。

アンジェリカが朝のカーテンを開け、
オリオンが夜の帳をひいていく・・・。


物事の終わりと始まりがスムーズにいくように
働きかけるので、プロジェクトや人間関係が
開始する時や終了時に使うとよいとされている。



まさに今

私に必要なボトルであったことを
つくづくと感じている。

そして、このボトルを使っていることで
その

<はじまりと終わり> をより強く

感じ、味わっているので、ある。









ブログでも何回かお話したが

今年、私はいつもの仕事のほかに
演劇公演に<特別協力>ということで
携わっていた。

先日の北京もそう、そして
今回の長崎がその千秋楽、最終公演だった。

わたしにとって
この公演に携わるということは、

体力的には少々厳しいところも
実はあったのだけれど
(仕事と子育てに、プラス、のことなので)


素晴らしい出会いがゆきだるまのように
コロコロと膨れていった
とても大切な体験となった。


俳優のみなさんとは
公演後に飲みに行ったり
一緒に飛行機で移動したり
楽屋に遊びに行ったりしているうちに

仲間のように親しくさせて頂いたり


実は、中国公演では、幾つかの
”綱渡り”的なことがあったのだけれど

<一緒に綱渡りした相手>とは

より絆が深まったようで

短い間ではあったのだけれど

戦友・同士、みたいな気持ちさえ、生まれていた。



演劇公演には必ず<終わり>が来る。

さっきまで舞台の上で一人の人物として
生きていたのに。

私には、舞台が無事終わった喜びと同時に
表現出来ないほどの、寂しさがこみ上げてきた。



千秋楽が無事温かい拍手に包まれながら
終了した後

東京で照明やら衣装やらダンスの先生、
俳優さんはもちろん、そのマネージャーさんまで
全員大集合して、

<打ち上げ>が行われた。

劇中にも全員で写真を撮るシーンがあり、

”はいっ、チーズ”

のかわりに

”おっぺけぺ、おっぺけぺ、
おっぺけぺっぽーぺっぽっぽ 

という掛け声で写真を撮るのと同じに

”おっぺけぺ~”と言いながらの、

関係者全員の、集合写真




谷村新司さんご夫妻もかけつけてくださり・・・。




その日は朝から宇宙からいいパワーが
届いているなあ、
何かに包まれているなあ、という感覚があったのだけれど

なんと、この打ち上げには

この劇中に登場したご先祖さまたちの
魂も参加していたようで・・・


分かる方はようく見ると
この写真にも、きれいな魂が写っているのですが、

おわかりになりますか?


他にも私が写っている写真の
まわりには、

祝福して、一緒に楽しんでいるようにもみえる

綺麗な曼荼羅模様の結晶の魂たちが
いっぱい写っていた




これは、ひとつの終わり。

そして、これからのはじまりでも、ある。



ここで出会った全ての方と
打ち上げにまで参加してくださった
ご先祖さまやそのまわりにいた魂たち、に

感謝をしながら

<はじまりと終わり>を

静かに感じているので、ある。














ベスト(!?)3

2007年12月04日 | mama
ベスト()3




今、息子が一番大好きなTV番組が
<ザ・ベストハウス1・2・3>。


世界中の現象や動物の珍場面、乗り物・・・
さまざまなタイトルのベスト(あるいはワースト)3を
発表する番組だ。


はまるとなるとトコトンはまる性格の彼は

例えば、

鉄道マニア、いわゆる”鉄っちゃん”だった時は
日本中の駅名や路線を覚える勢いだったし

相撲マニア、の時は
力士の本名から部屋名から体重から・・・
そんなことを覚えていたし

お魚マニア、の時も
魚図鑑に載っている魚をかたっぱしから
覚えていたし


とにかく徹底的にはまる性格なのだ。

で、今はというと

自分なりの<ベストハウス図鑑>を作成中で
机に向かって
勉強しているように見えるのだが
なんと

<仰天!世界の~・・・ベスト3>

などと図鑑やインターネットやギネスブックを
調べてベスト3作成に挑んでいる。




冬の小花・・・ベスト3?



日曜日、嬉しそうな顔をして部屋から出てきた。


”ママ、新作が出来た
<ママのナイナイ・ベスト3>”



”・・・は
 何?<ナイナイ・ベスト3って?”




”じゃじゃ~ん、発表しますっ
<ママのナイナイ・ベスト3

まず、

第3位!

・給料が上がら ナイ

第2位!

・彼氏が見つから ナイ

第1位!

・息子の成績が上がら ナイ 




・・・・おいおい・・・・
わが息子なのに、
なんとネガティブなラインナップ

だいたいそれは、

<ベスト3>ではなくて<ワースト3>なんぢゃないの








私は言う。

”あのね、ネガティブなことを言うと
ネガティブな現象が起こるのよ。

想いが現実をつくるんだから。

だから、成績が上がらナイなんて
言うんぢゃなくて

上がりますっって言わなくちゃ。”



反抗期というか、思春期の入り口にいる
息子はすぐにレスポンスしてくる。


”ぢゃあ、ママもポジティブな想いを持って
ワースト3をベスト3にすればいいぢゃん













来年2008年はどういう年にしようかなあ・・・と

漠然と思っていたところだった。

感覚として、私にとっていい年になるだろうと
いうことは感じている。

でも今年のような<猪突猛進>な
日々ではなく、もう少し内なる幸せ、というのか
そういう日々になるような、予感もある。


しかし、明確な目標的なものは
まだ掲げていなかったところへ、

息子のするどい<ご提案



・・・ということで

ポジティブにさきほどのことを
ベスト3に置き換えて
来年の目標とする。


・給料が(収入にしておきましょう)あがりました

・彼氏が見つかりました

・息子の成績があがりました  


ありがとうございます。 

感謝合掌



(*宇宙の法則的には過去形で言葉を
放ったほうがよいようなので、すでに
あたかもそのことが起きたように、願います。)




今年最後の宇宙のサポートDayは
24日(クリスマス・イブ)の日。

それまでの期間で

来年から始まる新しい幸運のサイクルを
つくる準備エネルギーが地球に来ているそう

この期間に自分が大きくした運気に
まつわることを徹底してやってみるのが
良いみたい。

恋愛・仕事・成功・お金などなど
自分が最も気持ちがあるものに
関わり、動かすことで
より良く変わっていくそう・・・



・・・ということで

これから私は11時35分の
飛行機に乗って、
今年の出来事の総集編とも言える
出来事のために
長崎へ出発してきます


そして、今週の日曜日には
<日帰り出雲>決行



さあ、2008年のベスト3に向かって
動き出そう








*気づきを与えてくれた息子に感謝

*宇宙パワーのお話は佳川奈未さんの
 メールマガジンから情報を頂きました。
 ありがとうございます


















代官山で、チャイニーズ

2007年12月01日 | friends
代官山で、チャイニーズ




中国茶の専門家でいらして
薬膳料理の先生でもいらっしゃる

ヨシコさんとは、不思議なご縁がいっぱい


そのヨシコさんと

東京が真冬の寒さに見舞われた午後、

代官山で、チャイニーズのランチの約束。


場所は駅からほど近い<海苑>。

9年前まで代官山に住んでいた私は
その場所はすぐわかるけれど
お店の中ははじめて。


代官山も、今はもう同潤会アパートや
小さな間口のこちょこちょとしたお店は
少なくなって

美しいガラス張りのブティックや
カフェが立ち並ぶ。



代官山には思い出がいっぱい。

だから、駅に降り立つと

”あの頃”に降り立ったような

錯覚にさえ、陥る。











お店の中に入ると
すぐにお店の方が

”ヨシコ先生のお連れ様ですね?”

と。


店内は個室風に仕切られていて
ここなら、ゆっくりと
時間を過ごせそう

とっても素敵な空間だ。

さすが、中国茶とお料理の専門家の選ぶお店。



(中央が上海蟹)


前菜のお酒で調理された
”酔っ払い”の上海蟹は絶品。

思わず、”美味しい、美味しい”を連発。


中国料理に造詣の深い
ヨシコさんはそれぞれのメニューについて
きちんと説明してくださる。

私は、お昼だというのに

次から次へと出される豪華食材に驚き


<半年分くらいの、栄養を1食で頂いたような
感じです。


と言ったら、ヨシコさんは

<そんなことないでしょ。どんどん
美味しいものは食べないと。>

とおっしゃる。

だけど、本当に

ふかひれだの、上海蟹だの、牡蠣だの、
すっぽんだの・・・・


普段、バウムクーヘンをかじりながら
仕事をしている私にとって

こんなゴージャスなランチはめったにない。






この点心の向こう側にあるスープが
またすごい。

すっぽん入りなのだが、他にも
色々な薬膳素材がいっぱいはいっていて

特に寒い日だったので

足のつま先にまで栄養と温かさが
行き渡るような絶品スープ。


<広州では、スープの美味しいところが
いいお店とされているのよ。>

と、本場の中国料理のお話をしてくださる。






この牡蠣も一瞬、火を通してあるが
食感は生牡蠣そのもの感を残していて

調理長の腕の良さが感じられる一品。



次々と出される料理の間に

私達のおしゃべりも、尽きない。


ヨシコさんとは多分、いや
絶対にご先祖様がつなげてくださったご縁がある。

広州在住のヨシコさんとは

まだお会いして数回という日の浅さにも
関わらず

とにかく、友人・知人が不思議なくらい
つながっていく。

あまりにつながるので笑いが出てしまうほど、だ。



知的で、

世界を広く見ていらして、
(ご自身もJALにお勤めの経験もおありになる)

落ち着いていて、

ご自身をきちっと持っていらして、


”何かお手伝いできることはないかしら?”

という愛ある行動を自然となさる方だ。




仕上げは、坦々麺




ミシュランの話題で持ちきりのTokyoだけれど

私が求めるのは

実は”食”そのものだけではなく

一緒に食べる人。


どんなに美しいレストランや料亭で
どんなに素晴らしい器に盛られて
どんなに厳選された食材が使われて
どんなにスマートなサービスをされたとしても

その食事を一緒にとる人との

<会話>によって、味って変わってくると思う。



なんだか、波動があわないなあ、と
言う人とどんなに素晴らしい料理を食したとしても

ぜったい、カラダもココロも喜ぶ美味しさには
ならないと思う。


でも、大好きな人となら

ちょっとした焼き鳥屋さんでも
最高に美味しいと感じるでしょう?



ヨシコさんとも、お話をすればするほど

ほっこりした気持ちになるし

知的好奇心もくすぐられるし

時が経つのを忘れてしまうほど、

会話がすすむ。



そこに、コラーゲンたっぷりのお料理が

次々と供されるんだもの、


ココロも
オハダも

プリプリになったハズの、


代官山での、チャイニーズ・ランチ。