Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

ガラスの仮面 第43巻発売!

2009年01月30日 | 映画・コンサート・演劇
ガラスの仮面 第43巻発売!




・・・やっと発売になりました
ガラスの仮面 第43巻。

うぅぅぅ何年待っただろう。。。

いつもまだかまだか、と
こっそり本屋のコミック売り場でチェックしていた。

こういう”ガラスの仮面ファン”は少なくないだろう。

ガラスの仮面のコミックを最初に手にしたのは
私が小学生の頃だから・・・

いったい、何年続いているのだろう・・・。


1巻から読みたい方はどうぞ。
ちゃんと本棚に全て揃っていますから。ふふふ。








何をかくそう、

私も姉も、演劇大好き少女だった。

姉にいたっては、日本で超難関といわれる
某演劇集団の女優さんまでやっていたことが、ある。


私は、どちらかというと
脚本を書いたり、演出をしたり。

演劇部だったので、もちろん舞台にも立っていた。

・・・男役が多かったけどね。


私の演劇人生は幼稚園から始まっていた。

休み時間になると、
クラスのお友達を全員集めて、
ダンスやお遊戯を指導、定期的に”公演”していた。

小学生になると
原稿用紙が私の宝物になり、

暇さえあると、オリジナルの脚本を書いていた。

それをもとに、また休み時間に友達を集めては
廊下で演出をし、定期的に”公演”していた。


これは、なんと高校2年生の文化祭まで続く。

中学・高校時代は
東大卒のかなり本格的に演劇をやっていた先生が顧問の演劇部。

つかこうへいや
阿部公房などの作品や

シェイクスピアのマクベス、間違いの喜劇、
そして、真夏の夜の夢などなど・・・


一番の思い出は、

高校1年の夏、文字通り
シェイクスピアの<真夏の夜の夢>を

イギリスのクライストホスピタルという有名進学校の
講堂で、一般のイギリス人を観客にして、上演したこと。

もちろん、英語で。


外人が歌舞伎をやるようなもので、
ほんまもんのイギリス人相手にシェイクスピアをやるなんて
私たちも大した度胸があったものだ。

ちなみにその時、私の役柄はおちゃらけの
<ピーター・クインス>。
姉は
主役の<妖精 パック>だった。

これは、ガラスの仮面で北島マヤも演じていた役柄。


最後の作品は
アガサクリスティーの”ナイル殺人事件”。

を、英語で公演。

日本語と英語の原作を照らし合わせて
脚本の原案を作り、
ダンスの演出、そして、主演の”犯人”までやった。

それで、引退。

(シナガワさん、笑っているでしょ。でも本当です。)







ガラスの仮面、に話を戻そう。

この43巻は<紅天女>の練習と
速水真澄との、
結ばれない魂が約束した相手への気持ちが中心のストーリーで、

数年経ってやっと発売になったにも関わらず
内容は殆ど進展は無い。


しかし、かなりスピリチュアル度が濃くなっている。


作者の美内すずえさんはかなり、
というか、すごいスピリチュアルな方で

美内さんが神社のご神木のそばに立たれた時には
この世のものとは思えないような
不思議な光の渦が登場したり、

私のオーブ撮影などをはるかに超えた
幾何学模様のオーブなどが出現したり・・・

と、すごい”光”の写真集を出版されていらっしゃる。


なので、
第43巻は、かなりスピリチュアルなメッセージが
てんこ盛りの内容となっている。



久しぶりに子供みたいに
コミックを購入して、

ドキドキしながら、近くのスターバックスで一気に読んでしまった。








ガラスの仮面は
演劇部だった私にとって、
大切な指南書でもあった。


大学に入ってからの友人たちは、
私が演劇大好き少女だったことを知る人は少ない。


しかし・・・

息子が幼稚園の時、
<クリスマスこども会>なるものがあり、

保護者が子供たちに
歌のプレゼントをすることになった。


”ただ、歌うのつまんないぢゃん。”

と数人で盛り上がり、自腹でサンタやトナカイの衣装を購入。


振り付けと衣装つきで、クリスマスソングを歌った。


”マサト君(息子の名前)のお母様が一番、楽しそうだったねえ・・・。”

と校長先生からコメント。


・・・本性、ばれた。


ガラスの仮面、第43巻
書店では、売り切れのところも。

急げ












蔵王へ~その3 温泉三昧

2009年01月26日 | 旅館&Hotel
蔵王へ~その3 温泉三昧





ココロが洗われるような、情景




さて、息子がスキー三昧をしている間
私は何をしていたか、というと・・・

もちろん、”温泉三昧”で、ある。



今回の宿泊先は
<タカミヤヴィレッジホテル樹林>という
蔵王の上の台ゲレンデの中腹にある宿。

目の前がゲレンデ。
つまり、ホテルの玄関を出るとそこから滑れる、という宿。

タヒチでいうと水上コテージ。
つまり、部屋からそのまま海へドボン、と飛び込めるのと同じ。


なので、この宿の利点はそこにつきるのだが、
あと2つ、特筆すべきことがある。

その1 源泉かけ流しの湯
その2 魔術師のような、指圧のお兄さん




内風呂


山形から山道を上がり、蔵王に着いたとたんに
どこからともなく、硫黄泉の匂いが・・・。

この宿にも、”やすらぎの湯”という
天然温泉のお風呂がある。


まず初日、夜にお風呂に入ったとき

お湯が熱いことと、
成分が濃いのか、皮膚がびっくりした感じがあり、
顔などお湯をつけようものなら
目が開けられないほどヒリヒリしてしまう。


なかなか手ごわい、ホンモノの湯だなぁ・・・。


しかし、これが温泉に入る回数を重ねるごとに
肌になじんで、しみていくようになる。

最終的には、この湯に足を入れただけで
ココロがほっとして、
お肌もつるつる、
東北の色白美人になっていくような、
おめでたい感覚さえ覚えた。

何回も、何回もお湯に浸かりに来る私と
お湯とは、仲良しになれた気がした。




たったひとつだけある、露天風呂



私には、温泉の神様が味方してくれている、と
確信出来ることが、ある。


それは、殆どの場合
私が入る時間には、他のお客さんは入ってこないで
湯船を独り占めできる、のだ。


今回などは、大型の温泉旅館とは違って
天然温泉の湯船は男女1つづつ。
そのうち、露天風呂は入れ替え制で1つしか、ない。

しかも、それぞれせいぜい3~4人入れば
あふれてしまうくらい、小さな湯船だ。



おりしもスキーシーズンの週末とあって
ホテルのロビーにも食事どころにもお客様はいっぱい。

つまり、これらの人々はみんな
温泉に入っているに、違いない。

・・・のだが、なぜか

朝も、
昼も、(昼は確かに皆さん、スキーしているのだろうけれど)
夕方も、
そして、夜も

いつ行っても、私が入ろうとすると
誰かが丁度浴衣を着て出て行き、

私が湯船から出て、カラダを拭いていると
5~6人づつの団体が

”え~っ、狭いねぇ、入れないかもぉ~”

と言いながら脱衣所で右往左往する。

といった状況。


今回の場合、

初日の夜の1回、
2日目にいたっては、朝から夜まで合計7回、
3日目も午前中2回とも、

実はたった一人で雪見風呂を楽しむ
湯船独占状態だったのだ


これはすごいことぢゃないでしょうか








・・・というわけで
念願の雪見風呂もしっぽり一人で楽しむことが出来た。


息子は、タイミングがあわず
おじさんたちに囲まれて、足湯しか出来なかった、と
出直したりしていた。



お湯から出ると、肌をさすような冷たい空気。

こういう冷たい空気の土地に
こんなに温かい湯が沸くなんて、
本当に地球ってすごい



私の場合、
自分を愛してあげる、大切にしてあげる・・・というと
まず頭に浮かぶのが

<お風呂><温泉>。

温泉の神様はきっと、私を静かに癒してあげよう、と
張り切って、”時”を操ってくれたのかも、しれない。





山形県の温泉がずらり・・・



本当か嘘かわからないけれど
上記の山形県温泉年表には
蔵王温泉が最古の湯とされている。


こんこんと沸き続ける熱い湯。
エネルギーをたくさんもらえそうだ。


さて、温泉の話ばかりだが
食事はというと・・・



野菜がたっぷりの、しゃぶしゃぶ


いつもご紹介しているような
お部屋食の特別なお料理、というふうにはいかず、

大勢のスキー客の皆様とご一緒に
ワイワイと宴会場みたいなところで頂く。

ジンギスカンのお客様もいらっしゃれば、
すきやきのお客様もいらっしゃる。

で、私と息子はしゃぶしゃぶを頂いた。

窓の外のナイターのゲレンデを眺めながら
ふうふう、と熱い鍋を囲むのも
とっても幸せな、食卓。


そして、この
<タカミヤヴィレッジホテル樹林>には
目立たないけれどマッサージのコーナーがあり、
お部屋でも、施術が受けられるのだけれど


・・・これが最高。


温泉宿でのマッサージは、本当に当たり外れがあるのだけれど
ここのは、ホンモノ。

最初の一押しで、すぐわかる。


施術が終わった後は
キリンみたいに、首がすっきりなが~くなった感覚。

スキーしなくても、
温泉と、このマッサージだけでも
結構、至福の宿にランクインできるほど。






帰りは、このような
ほのぼのした雪景色を新幹線の車窓から眺めながら

米沢名物、米沢牛のお弁当を頂く。

これ、全国の駅弁ランキングでも
常に上位にランクインされているお弁当。

美味でした








こうして、

息子はスキー三昧、
私は温泉三昧の、冬の旅は終わった。



蔵王へ~その2 スキー三昧

2009年01月26日 | せずにはいられない・・旅の話
蔵王へ~その2 スキー三昧





窓からは、こんな雄大な景色が・・・



宿がゲレンデの中腹にあり、
私が宿泊した部屋の窓の向こうはそのままゲレンデ。
皆さん、朝早くから
張り切ってスノボーやスキーをやっている。


初日は朝から太陽がのぞいたり、
かと思えば
雪がちらついたり、
かと思えば
ふぶいたり・・・と山特有の変わりやすい天気。






息子はひさしぶりのスキー。
まずは慎重に足元を確認。


今回の蔵王での息子のスキーのお供をしてくださるのは

<蔵王ハイムスキースクール>のトマキ先生。

ちょっとかっこいいのだふふふ。






ホテルの玄関の真上を
リフトが通っているので、私はちらつく雪と遊びながら
二人が頭上を通るのを待つ。






寒い中待っていただけあって、
なかなか良いショットが撮れた。

滑っているところも・・・とカメラを構えていたのだけれど

あっという間に、二人は雪の中へ消えていった。






午前中、まずは勘を取り戻すために
付近のゲレンデを何往復かしたらしい。

お腹をすかせて、ホテルに戻ってきた。

お昼休みは約1時間半。




何と、<牛丼と豚汁>をトレイにのせて
猛烈な勢いで、食べだした息子。


・・・食べ盛りの男の子の食べっぷりになってきた。

母としては、何だか頼もしくなっていくようで、嬉しい光景。


午後はだいぶ雲が垂れ込めて
雪の降り方も激しくなってきた。





ふぶいてきたにも関わらず、
息子はまた雪の中へ消えていった。



息子の蔵王への目的は<樹氷>を見ることだった。

宿のフロントにどうしたら樹氷が見られるか問い合わせたところ、

何でも、どこそかまでバスで行き
そこから、ロープウェイを乗り継いで・・・・

と、結構樹氷のある山頂までは大変らしい。

スキーで樹氷を見られるコースもあるらしく
地図で教えてもらう。

リフトを乗り継いで、乗り継いで、
はるか山頂あたりまで行く、なかなかの難コース。


私は、

”ママは寒いのはもう、十分だから
 樹氷みたいのだったら、先生に頼んで
 二人でスキーで行っていらっしゃい。”

と冷たく息子を突き放す。


息子は私が大の寒がりということを良く理解しているので
スキーで樹氷を見るコースの地図を
トマキ先生に見せて

”ここに行きたい。”とリクエスト。


トマキ先生は、午後は天候があまり良くないので
明日の朝行こう、と約束してくださった。

明日は、晴れるといいね。







翌朝。 晴れました。

青い空と白い雪。

雪がキラキラ光って、ダイヤモンドのよう。

昨日だいぶ雪が降ったので
まるで、あたりは粉砂糖か
あるいは生クリームで覆われたケーキみたいに
ふっくら、ふわふわな雪景色。



”晴れてよかったね。”

と、トマキ先生。


二人は、なんと一番山の上まで行き、
樹氷を見ながら、滑ってきた。


私は行かなかったので、樹氷の写真が無くて
ごめんなさい。


でも、息子のココロの中にはしっかりと
その偉大な自然の姿が映されてきたと思う。


”寒かったぁ。。。”

と言いながら、大満足の息子。

よくこの蔵王の山頂まで行って
滑ってきたね、偉いぞ。偉いぞ。



こうして、息子の待望の
<樹氷を見ながらスキーをする。>が達成された。

ひとつの経験が
大きく息子を成長させてくれることに感謝。


そんな、スキー三昧の、蔵王の旅。





蔵王へ~その1

2009年01月25日 | せずにはいられない・・旅の話
蔵王へ~その1



今年最初の旅は、山形県、蔵王。


息子が中学に合格したら、スキーに行きたいと言っていた。

昨年の冬は塾、塾、塾・・・でスキーに連れて行けなかったので
2年ぶりの、スキー。

私も毎年恒例の誕生日旅行を今年は決行していなかった。

旅好きの私はそろそろ横の移動が必要。


合格祝い&誕生祝い&癒しの旅に行っちゃえ


突然、行くことに、決めた。












”蔵王で、樹氷を見たい。”と息子。

磐梯猪苗代湖あたりで、
あるいはNASPA湯沢かな、と考えていた私は

”ええ~っ、遠いぢゃん。”と思いながらも
カッコイイ山形新幹線つばさ、に乗るのも悪くないなと
急いで、宿と新幹線を押さえる。



山形新幹線<つばさ>




何しろ、急に思い立って、
スキーシーズンの週末に宿と新幹線を押さえるなどと
無謀ではあるけれど、
旅好きの私は、思いついたら止まらない。

サクサクとインターネットで
蔵王事情を調べ、
宿とスキーのインストラクターを押さえる。








最初にお断りしておくが、
私はスキーをしない。

実は、我が家はスキー一家だった。

父は指導員の免許を持ち、
父の親族は皆、一級保持者だ。
このスキーの血筋が引き継がれたのは、姉まで。

私は、一族でただ一人、スキーをやらない。

その昔、父に

”おまえはスキーをやらないから、彼氏が出来ないんだ。”

とたしなめられたことがあるが

寒いのが大嫌いな冷え性の私。

おまけにかさばる荷物を持つのも保管するのも嫌だし、
だるまのように重ね着をするのも大嫌い。

願わくば、毎日
タヒチの人のように、パレオ一枚を身にまとって
朝から目の前にある海がお風呂がわりに
ドボン、と海に浸かっていたい。


そんな私だから、
何を好き好んで、寒い中、寒いところへ大荷物を抱えて行き、
つるつる滑らなければいけないのか・・・。
と、反スキー派である。


・・・がしかし、息子にはこうなってほしくない。

いずれ、彼女が出来たときに

”僕、寒いのが嫌いだから、スキーなんて嫌だよう。

なんて、カッコ悪い男の子になってほしくない。


私は、息子が5~6歳の頃から
スキーキャンプにほうりこんだ。

軽井沢では、インストラクターが
付いてくれることを知り、私はホテルで過ごしながら息子はゲレンデに行った。


体育会系の友人、タナッキーと
ヨシイ君夫妻と息子はスキーを楽しんで
私はホテルでのんびり過ごしたことも、ある。


・・・というわけで、
おかげさまで、こういう母親でも
息子はスキーが好きになり、
スイスイとオトナに混じって滑れるようになっていた。


・・・よしよし。一安心。
これで、彼女とスキーをやっても
一応、サマになる。


これも、母の務め。ふふふ。










到着したのは金曜日の夜。


ゲレンデまでの送迎すら
寒くて億劫な私が選んだ宿は、

なんと、ゲレンデの中腹にある。
つまり、目の前がゲレンデ。

<タカミヤヴィレッジホテル樹林>。

スキーヤーのための、ホテル。

なので、シンプルこの上ないホテルなのだが
源泉かけ流しの天然温泉もあり、
静かに温泉で心身を癒したい私にも満足。










真っ暗な空に浮かび上がる、
幻想的にライトアップされた
ナイターのスキー場の光に、息子はココロ躍らせる。



さあ、明日は朝から息子はスキー三昧。
そして、私は朝から温泉三昧の、

蔵王の一日がはじまる。





日枝神社の、おみくじ

2009年01月16日 | 神社めぐり
日枝神社の、おみくじ




ここ数年、私はまず

・お正月元日に自宅側の氷川神社を参拝
・9日の自分の誕生日に赤坂の日枝神社を参拝

というパターンで新年を迎えている。


これは結構、正当な参拝の仕方のようで
まず元日は地元、そして日を改めて
自分の氏神様あるいは信頼している神社を参拝するのが良いと
色々な本にも書いてある。







今年の私の誕生日の9日はあいにくの寒い雨
翌日に息子の試験ということで
その日の参拝は見送り、
翌日、息子が試験を受けている最中にお参りすることに、決めた。



”ママ、僕が試験受けている間、何してるの?”

と息子が聞くので

”日枝神社で、お参りしてくる。”

と私が言うと

”お百度参りみたい”と、息子。



試験当日、通常の学校よりも試験科目が多いので
午前9時半過ぎからお弁当持参
午後3時までの長丁場の試験。


私は息子が試験会場に引率されるのを見送った後、
日枝神社へ向かった。


10日は前日とはうって変わった晴天。
神社参拝にふさわしい、澄み切った青空だった。

そして、その青空には勢いの良い、雄雄しい雲が・・・。










年に一度、神様からのメッセージを聞くツールとして
<おみくじ>がある。

アマノコトネさんも
自分の信頼している神社のおみくじは
大切なメッセージと思っていい、とおっしゃっていた。


私は神社が大好きなので
神社へ行くと<おみくじ>はひくのだけれど

日枝神社の<おみくじ>が
私にとっては一番の神様からのメッセージ。


いやいや、良く当たるのだ。本当に。
そして、おみくじの和歌の部分も
その時の自分自身の様子を良く言い当てた和歌でもある。









日枝神社のおみくじの凄さを知ったのは

私が息子を産む年のお正月にひいたもの。



6月出産の私のお腹はそこそこに大きく、
元気にお腹の中で育っている様子で、
そのお正月の時点では
私は最高に幸せな妊婦だった。

しかし、おみくじには

<出産、5月には要注意>みたいなことが書かれてあり、

<なんのこっちゃ

まあ、転んだりしないように気をつけよう、とくらいに思っていた。


ところが、その後大ドンデンがあり、
何と出産直前の5月に離婚

確かに、そのショックとストレスから
それまで順調だった妊婦ライフから一変し、
悲劇の妊婦となった。


日枝神社のおみくじのことを思い出したのは
ずいぶん後になってからだったけれど
そういえば、<5月 要注意>は本当だったのだ。







そして、今年は・・・。


~吹く風に 沖辺の波は高けれど 心静けき わが港かな~

これまで幸福に恵まれたるは、皆ひとえに
祖先積善の餘慶遺徳の報いなれば、
みだりに自負せず人を慈しみ社会に貢献すべし。

他所は嵐吹きて浪風激しけれど
港の恩恵をうけて
何事も無くて幸多しと。






・・・まあ、本当に。・・・



確かに今の私、
とりわけ2007年半ばからスタートした
Happy道は、ひとえに<祖先積善の餘慶遺徳>。


また、<積善家>という、曽祖父 梅屋庄吉の書が残されており、
この言葉は、庄吉が好んだ言葉の一つであるが

これは易経の<積善の家には必ず餘慶あり>から取ったもので
善行を積み重ねた家には子孫まで幸福が訪れる、という意味。


まさに、梅屋庄吉、トク夫妻パワーが
今の私のHappyの原動力であることは、間違いない。


そして、嬉しいのは

<他所が嵐吹きて、浪風激しいけれど
 港の恩恵をうけて何事も無く、幸多しと>


この大激変の荒波の中、
私は穏やかでいられる、ということだ。


そう、
自分は穏やかで幸多し。
みだりに自負せず人を慈しみ社会に貢献すべし。


そのことに意識をフォーカスして、今年を過ごそう。


今年も日枝神社のおみくじパワーに驚きを感じざるを得なかった。


ココロがワクワクしたので、
調子にのって
境内にある甘味屋さんで、おしるこを頂きながら
更なる至福のひと時・・・。







・・・その頃、息子は超難問に頭を抱えていたのだった・・・・。






合格しました!

2009年01月13日 | mama
合格しました!





息子が、第一志望の学校に合格した。








お正月明け、おそらく
いち早く行われた試験だったので
受験シーズンの幕開け的存在の試験だったけれど
我が家にとってはそこが念願の第一志望校。


実はまだ新しい学校で、
息子が4期生になるのだけれど
その学校の青写真の段階から私が絶対に息子を入れたい
思っていた。





私はいわゆる受験生の母親としては失格だったかもしれない。

受験に失敗したら、私のせいかも・・と思った時も。


他のママたちみたいに
塾の予習、復習を一緒に夜中まで机の横で指導したりしなかった。

夜疲れて、息子が勉強しているのに
先に寝てしまうこともあったり、

受験直前なのに、酔っ払って帰宅したことも・・・

なのに、偏差値が下がると怒ってしまったことも、ある。


ごめん・・・息子よ。



多くの書籍に、

”中学受験は父親のかかわり方で決まる!”みたいに
書かれてあり、

説明会や合格判定テストなどには
父親の姿も沢山みかけた。


息子は
父親いない、
母親が私みたいな状況で、良く頑張った。


はっきり言って、
ここのところの中学受験は年々受験者が増え続けているので大変だ。

息子も小学低学年から塾に通った。
夜9時までの授業を週に数日。

6年生になってからは
土曜日も朝から夜まで、
日曜日も朝から夜まで、
夏休みが塾の合宿で一日10時間以上、
お正月も元日から一日中・・・

もしかしたら
私には出来なかったかもしれない。


悪かったテストを隠すことはあっても、
塾をサボったり、
体調を崩す事も無く、良く乗り切った。






息子よ、愛してるよっ


そして、合格おめでとう。




happy-san's Happy Birthday

2009年01月12日 | 見つけたHappyたち
happy-san's Happy Birthday



誕生日からなんと3日も経ってしまった。

早くブログを・・・との思いはありながら

その1.息子の受験

その2.せっかく楽しみに計画していた仕事が、
(まあいつもの事ではあるけれど)
社長に土壇場で潰されかかっている・・・


などの理由からドタバタで
喜びに溢れたブログが書けずに、いる。


・・・が、私はいつものように
多くの方々から愛と祝福を受けた
素晴らしい誕生日を過ごしていたことを、ここにご報告。





まず朝一番に姉と母(天国でぇす)からお花が届く


そして、

お誕生日おめでとうメールが続々届く。


毎日煩雑な日々の中で
なかなか家族以外の
友人の誕生日など過ぎ去って忘れてしまいがちなのに

ちゃあんと、覚えていてくれる友人たち。


ありがとう 愛してるっ





仕事の打ち合わせなのに、
カヨコさんたら、こんなにLovelyなプレゼントを用意してくださった。






職場のみなさんからもお花が届いた。
この素敵な花束はフレンチのレストランの皆様から






グリルのみなさんからは元気が出そうな
明るい色のアレンジメントを頂く。

”このチューリップの名前は<バレリーナ>ですよ。”と
メッセージ付。

バレリーナかぁ・・・。
息子の初恋の彼女はバレリーナ
なので、このチューリップの名前、息子にも教えてあげようっと。








おおぅ
毎年、このチューリップの大きな花束。

何本入っているか、数えていないけれど
もしかして、年の数???

いやいや、多分、もっと入っているだろう。

毎年、このチューリップたちが部屋を埋め尽くし、
寒い季節なのに、部屋は明るい春の色でいっぱいになる。





そして、コートの懐にそっと隠して
この真紅のバラを差し出しながら

”お誕生日おめでとう。

ふふふ。
映画みたいでカッコいいでしょ。

女性はこの真紅のバラで最高に幸せになれますよね。







きゃあ嬉しい。
中味はナイショよ。







・・・そして、
真冬なのに、すいかも・・・

結構な甘味があり、
息子とサクサク頂きました。



そして、私の誕生日の3日前は
ケータイ小説家のひかりちゃんの誕生日でもあり、
(ひかりちゃんの小説は文庫化もされています!)
フォーチューンカウンセラーのかのんちゃんとお祝いした。







ひかりちゃんも私も山羊座であることから
フォーチューンカウンセラーのかのんちゃんから
今年の山羊座についてコメントを頂く。


”恋愛運がとってもいいですよ。


おっほっほっほ・・・

やったぁ~


かのんちゃんのフォーチューンはあたる。

去年は、”山羊座は怖いものなし、の最強の運勢ですよ。”と言われ
本当だったもの。




・・・というわけで


息子の受験だ、

と言いながらも、私自身は
多くの愛する方々からの愛に包まれた、

Happy Birthdayを過ごした。



もう一度言わせて。


”みんな、ありがとう。 愛してるよっ








WEDGEWOODが・・・

2009年01月06日 | work
WEDGEWOODが・・・



今朝の朝刊で英国で250年も続く老舗ブランド
<WEDGEWOOD>が経営破たんしたニュースを知る。

・・・えっ、本当ですか・・・




WEDGEWOODのテーブルセッティング



何を隠そう、私は
大学卒業後、Waterford Wedgewood Japan株式会社にて
テーブルコーディネーターとして勤務していたのだ


WEDGEWOODは母の大好きなブランドでもあった。

高校時代、Regent Stのお店で
母のコレクションしていた”Gren Mist”の
Tea Potなどをお小遣いで買って
母にプレゼントした。

母はとても喜んでくれた。

そんな思い出から
私は就職先に迷わずWEDGEWOODを選んだ。


いわゆる私の世代は<バブルでGO>の時代で
一番いいご時勢に育った。

就職が決まってすぐにアルバイトとして
学生時代からWEDGEWOODで働いた。

当時は、売れて売れて売れて・・・

とにかく、日本中の人が必ず
洋食器を求めるなら、まず<WEDGEWOOD>から、というような
風潮さえあった。

Wild StrawberryやPeter Rabbitは
必ず皆さんの食器棚に一つはあるだろう。


研修先の横浜高島屋で
午前10時から午後6時まで
包装の場所が無いため、ゴミ捨て場の隣に板を置いて
ひたすらに商品を包装し続けたこともあった。


一応、<お嬢様>として育てられた私は
泣きながらゴミ捨て場の隣で
一人で作業をしていたことは、会社ではかなり有名になっていた。


研修が終わった後は
日本の北は北海道から南は沖縄までの出張続きの日々だった。
1週間のうち、3~4日は東京以外の場所にいた。


全国で売るために

<王室とWEDGEWOOD展>やら
<ジョサイヤ・ウェッジウッドと10reign(王朝世代)展>など

さまざまな展示会を開き
そのテーブルセッティングの準備で24時間働いたことも、ある。


若さと旅好きもあって
出張は楽しかったし、その土地の美味しいものを頂く喜びもあった。

外資系で私より一回りくらい上の先輩に囲まれた
職場ではあったけれど
お互いに食材を持ち寄って、お昼休みに<手巻き寿司パーティー>を
開いたこともあった。


今となっては、本当にキラキラ光る思い出の日々だ。








家庭の事情で、WEDGEWOODを辞めて
家業に入らなくてはならなくなった。

実はその時は悩んで悩んで、

毎日<銀座でランチ>していたにも関わらず
7kgも痩せてしまった。


しかし、私が辞めたと同時に
会社の事務所も移転し、

社長もイギリス人ではなく、
フランス人やドイツ人などに代わっていき・・・


暫くすると、

私が大好きだったクラシカルなシリーズが殆どなくなり

どこにでもありがちな、HOMEWAREなどを扱うようになっていった。


ワクワクドキドキするような、
夢をみているような美しい、

足を踏み入れると緊張感さえ覚えるShopから
カジュアルラインのShopに変わっていった。


そして、昨年5月
10数年ぶりに訪れたLondonのReget Stのお店は
まるで
アウトレットのように、商品が積み重なっており、

高級感も、緊張感も、何も無い店になってしまっていた。







それでも、私はクラシカルなWEDGEWOODのシリーズが大好き。

今でも母が選んだ<Colombia Sagegreen>のシリーズを
仕事場のフレンチレストランでは使用している。



そんなにアメリカや日本で大量に売ることを考えずに

品質の良い
伝統的なしっかりとした商品を大切に扱っていれば
もしかしたら
今回のような経営破たんにはならなかったかもしれない、と思った。



しかしこれは、WEDGEWOODだけに限ったことではなく、

”売り上げ至上主義”の全ての分野で今、
経験している挫折でもある。





私の大好きだった、ロンドンの町並みの一角




”スピード。今まで経験したことのないスピードで世界が動きます。
今年は変化が生まれた物はいち早くハンドルを切りよい方向性を持たなくては成りません。もたもたできません。

このハンドルの切り方、時期如何によっては
今まで考えても見なかった良い方向で動き出します、

良かれと見える選択肢が沢山用意されます。
ここで、一番初めのボタンの掛け違いに注意が必要です。”



アマノコトネさんが年頭にあたって書かれた文章。


私も会社の年頭の挨拶で
わかりやすく砕いた表現でこの事を社員に伝えた。

(大多数の社員は、きょとん、としていたけれど・・・



自分で社員の皆に言っておきながら、

何だか今日のWEDGEWOODの経営破たんのニュースを考えながら

しっかり足元固めながら行かなくては、と襟を正す思いがした。







・・・会社に着くやいなや・・・

早速、電話やら、何やら・・・重要なことが立て続けに降ってきて・・・

確かに、スピードが速すぎる。


自身の処理能力を超えた
物事のスピードに、


まるで、人間が想像している宇宙人のように
頭が膨張していくような気さえ、した

世の中が正月休みから完全に目覚めた日、であった。