今月は人生始まって以来の予期せぬ出来事が起きた。その出来事によって私の人生も変わらざるを得ないことになった。秋に会社を辞めることを決意して、退職届も出した・・・ところが、ところが・・・突然の出来事により、会社を辞めてる場合じゃなくなってしまったのだ。そして、理解ある上司達の対応により、「今、辞めてる場合じゃないだろう。」と退職をなかったことに。会社辞めてる場合じゃないかもしれないけど、辞めたかった私は、上司と人事の人に「どうしようか?決めれない・・・イギリスの学校にお金も予約金払っちゃったし。。。」と言ったり・・・人というのは予期せぬ出来事に混乱するもの。「辞めてる場合じゃないでしょう。海外行けないなら、とりあえずここで働き続けるのがベストでしょう。」と言われて、「そうかも。そうだな。」と有難く続けさせてもらうことにした。まだ、受理されてなかったのが不幸中の幸いだった。
突然、予想だにせぬ不幸な出来事に直面すると、こんな心身の状態になってしまうのか・・・と実感した。人間の体というのは、感情や精神の状態でいかようにもなるのではないのだろうか?嫌な事があると、内臓はすぐに反応する。私は心臓が痛い!と思ったら、心臓は小腸が反射区のようで、小腸が硬くなっていたのだから。実はその出来事がある前からずっと1~2週間、心臓が痛くなって、様子がおかしかったのだ。そして、なぜなのか?眠れなかった。音にいつも以上に敏感になって、眠れなかったのだが・・・実は、父の手術以降、眠れるようになった。つまり悪い予感、何かの予知が私の体に影響を及ぼしていたようだ。心臓は不安を表して、痛かったのだ。呼吸もいつもより深くできない日々に「何かがおかしい?」と感じていた。体ってすごい正直。
12月6日夕方、父が自宅階段から落ちて頭から血を出して、救急車で運ばれたと夜になって母から電話があった。外傷で1週間位の入院だろうと最初は聞いていたので、夜に遠く?(東京)の病院には行けない。翌日にお見舞いに行くことにしていた。すると、今度は深夜に緊急手術をしているという電話があって、電車がなくなる・・・ということで、私はなぜかその1週間前位から夜眠れなかったので、寝不足のまま父の病院に駆けつける気力体力がなかったので、翌日行くことにした。母は心細かっただろうが、夜中に駆けつけるのは難しい。階段から落ちた理由は不明だが、脳出血というのは、頭蓋骨の中の血は血腫となり、ゼリー状の血腫はどんどん脳に圧をかけて、脳の中心線というのを大きく歪ませる命の危険にまで数時間後に達してしまったとのこと。硬膜下血腫ということで、生死にかかわる緊急手術となったというのは、翌日に病院を訪れて医師から聞いた。人によって脳圧が高まる時間というのは、年齢によって違うそうだが、たまたま当直の医師がMRIを入院2時間後とかにやってくれて、急変に気付いてくれたので、手術をしてくれて、命拾いしたのだ。
私の周囲には脳疾患の手術をした人がいなくて、脳外科手術についての知識がなかったので、この手術が高齢な父に与える影響について、知らなかった。手術は成功し時間が立てば、家に戻れるのだろうと思ったが、ベテランの看護師さんによると、高齢でここまで脳圧が高くなって歪んでしまったので、後遺症については何とも言えないが、階段や家の玄関を自力で上がれることはないでしょうとの見解を教えてくれた。医師からは2割が介護付き、補助付きで動けるくらいのサバイバーで、3割が合併症で他界、5割が寝たきりでしょうという見解。術後の経過を見て行かないとなんとも言えないという、暗い予測であった。もう2度とお家に帰ることはないので、家の階段の心配はいらないですよ、と言われた。「ええっつ?そうなの。そんなに悪くなっちゃたのか・・・」という感じ。
術後目が覚めて、意識がはっきりしてきた時に私を見て、父に「大丈夫?」と話しかけたら、目を開けてニコリとして頷いていたので、てっきり・・・普通に家に戻れるのだろうと思っていたのだ。頭蓋骨を半分開けて、ゼリー状の血腫をすべて取り除いて、脳を洗ってもらったのだと言うのだが、頭蓋骨はホチキス止めで3日後位には、ガーゼも取れて普通に空気にさらされていて、感染症が気になったくらいだったのだ。
そこで、私が思いついたのは、とにかく「祈り」と「霊気」と「スピリチュアルヒーリング」だ。こんな時に霊気を使わない手はない。手術中といわれた時と、術後も遠隔レイキヒーリング。そして祈った。
意識が数日朦朧としていて、このまま他界か?寝たきりか?と思われたので、霊気の師匠でもあるミューズのメグ様に遠隔霊気の応援と、有志の方々がいたら遠隔の応援もお願いした。快諾してくれた心優しい方々の応援も得て、パワーアップだと確信。その上、イギリスの公認ヒーラーである方にも私的に1月にお会いする予定だったので、関西に行けなくなってしまったので、連絡しつつお願いした。その方はスピリチュアルヒーリングをしてくださった。私の祈り方というのは、父にとって最善の結果をもたらしてくださいというもの。無理に延命等は父にとってどうか?と思うので、彼にとって最善をお願いした。
医師や看護師さんの見立てでは、このまま寝たきりか他界だろうと思っていたが、医師、看護師さんのお陰もあり、エネルギー的な霊気ヒーリングのご協力と応援、スピリチュアルヒーリングのお陰もあり、ある日突然、意識もはっきりして、言葉もしゃべれるようになった。左脳が異常に歪んだため、右半身にマヒが残ると言われていたが、今のところ右手で自分でご飯が食べれる位まで回復した。右手、右足は最初は動きがまったく期待できなかったほど、重かったが、とりあえず緩慢でも動かせる程度に回復。執刀医も「予想以上にある日突然、どんどん回復されていて、びっくりですよ。もう我々がすることはないので、後は年末年始をここで過ごして、リハビリの病院に移って、機能回復を頑張ってくださいね。」というものだった。先生もびっくりの予想以上の回復。これは、色々な方のヒーリングパワーのお陰だと思うわけです。ありがとうございます。引き続き、よろしくお願いしたいです。自宅復帰まで回復を願う私。
しかし、高齢者の入院というのは「認知」が始まる、「認知」が進むということを全く知らなかった私達。。。認知が始まらないで、このまま回復するのを願いたいところだが。。。自宅に帰れる人は稀だとのこと。すっかり老人になってしまった、手に力がまったく入らない母では面倒も見れない。自宅に戻りたいというところまで、回復できると最高なのだが。。。私と大阪に居る弟が週末にお見舞いに行くと、家に帰るよ、と言いだす父。どうして、自分がベッドに居なきゃいけないのか?が理解できないらしい。勝手に歩き回る恐れがあるとかで、腰にきついベルトをさせられていて、かなり可哀そうなんだけど、「主治医の先生にこのベルト外してって、言ってきてくれよ。」と弟に懇願してた。自由に毎日歩きまわって、縦横無尽に東京を歩いていた父には、狭い病室のベッドに居るだけの毎日は、苦痛そのものなのだろう。術後ずっとオムツをさせられていて、トイレに行かせてもらえない状況が続き、それも「死んだ方がよかった。」と珍しくネガティブな言葉を毎回、言っている。術後3週間目にして、トイレトレーニングもさせてもらっているようで、ちょっと安心。弟に「爪切ってよ。」といきなり言いだした、先日。「ええっつ?なんで?」とびっくりする私と弟。母が爪切りも使えないほど、手に力が入らないということもあるが、親の爪なんて、生まれてから一度も切ってあげたことない私達は、けっこうショック状態・・・ええっつ??という感じだ。
親のために冬休みを費やす私と弟・・・人生初めての、家族の共同協力体制???おじ、おば、いとことも、珍しく頻繁に連絡取ったりして、こうゆう時は家族・親戚が密接になるのね~と、子供の頃よく集結してた親戚ともお近づきになる。実家の周辺のご近所のおじさん、おばさんとも珍しくお会いする。
まったく今まで意識の外にあって、他人事だった高齢者社会のこと、介護のこと、高齢者施設のこと、とりあえずさらっとは調べたけど、全然理解できない。。。こうなったら、お金の心配なのだということだけが、理解できる。こんなにお金かかるのか???と思ったり。
こんな予期せぬ12月が過ぎて、来年はどんな年になるのだろうか?会社、日本、東京から離れようとずっと考えていた私は、2014年からは海外で暮らそうと思っていたのだから・・・しばし呆然なのだが、とりあえず何かの大きな意味があるのだろと、思っている。この出来事の意味は、何だろうか?とすぐに頭に浮かんだ。来年の後半はしし座の私にとって14年に一度の最高最善の運勢らしい。。。
今年お世話になった方々、ありがとうございました。さようなら2013!
皆様も良い年をお迎えくださいませ。健康で素敵な2014を!
突然、予想だにせぬ不幸な出来事に直面すると、こんな心身の状態になってしまうのか・・・と実感した。人間の体というのは、感情や精神の状態でいかようにもなるのではないのだろうか?嫌な事があると、内臓はすぐに反応する。私は心臓が痛い!と思ったら、心臓は小腸が反射区のようで、小腸が硬くなっていたのだから。実はその出来事がある前からずっと1~2週間、心臓が痛くなって、様子がおかしかったのだ。そして、なぜなのか?眠れなかった。音にいつも以上に敏感になって、眠れなかったのだが・・・実は、父の手術以降、眠れるようになった。つまり悪い予感、何かの予知が私の体に影響を及ぼしていたようだ。心臓は不安を表して、痛かったのだ。呼吸もいつもより深くできない日々に「何かがおかしい?」と感じていた。体ってすごい正直。
12月6日夕方、父が自宅階段から落ちて頭から血を出して、救急車で運ばれたと夜になって母から電話があった。外傷で1週間位の入院だろうと最初は聞いていたので、夜に遠く?(東京)の病院には行けない。翌日にお見舞いに行くことにしていた。すると、今度は深夜に緊急手術をしているという電話があって、電車がなくなる・・・ということで、私はなぜかその1週間前位から夜眠れなかったので、寝不足のまま父の病院に駆けつける気力体力がなかったので、翌日行くことにした。母は心細かっただろうが、夜中に駆けつけるのは難しい。階段から落ちた理由は不明だが、脳出血というのは、頭蓋骨の中の血は血腫となり、ゼリー状の血腫はどんどん脳に圧をかけて、脳の中心線というのを大きく歪ませる命の危険にまで数時間後に達してしまったとのこと。硬膜下血腫ということで、生死にかかわる緊急手術となったというのは、翌日に病院を訪れて医師から聞いた。人によって脳圧が高まる時間というのは、年齢によって違うそうだが、たまたま当直の医師がMRIを入院2時間後とかにやってくれて、急変に気付いてくれたので、手術をしてくれて、命拾いしたのだ。
私の周囲には脳疾患の手術をした人がいなくて、脳外科手術についての知識がなかったので、この手術が高齢な父に与える影響について、知らなかった。手術は成功し時間が立てば、家に戻れるのだろうと思ったが、ベテランの看護師さんによると、高齢でここまで脳圧が高くなって歪んでしまったので、後遺症については何とも言えないが、階段や家の玄関を自力で上がれることはないでしょうとの見解を教えてくれた。医師からは2割が介護付き、補助付きで動けるくらいのサバイバーで、3割が合併症で他界、5割が寝たきりでしょうという見解。術後の経過を見て行かないとなんとも言えないという、暗い予測であった。もう2度とお家に帰ることはないので、家の階段の心配はいらないですよ、と言われた。「ええっつ?そうなの。そんなに悪くなっちゃたのか・・・」という感じ。
術後目が覚めて、意識がはっきりしてきた時に私を見て、父に「大丈夫?」と話しかけたら、目を開けてニコリとして頷いていたので、てっきり・・・普通に家に戻れるのだろうと思っていたのだ。頭蓋骨を半分開けて、ゼリー状の血腫をすべて取り除いて、脳を洗ってもらったのだと言うのだが、頭蓋骨はホチキス止めで3日後位には、ガーゼも取れて普通に空気にさらされていて、感染症が気になったくらいだったのだ。
そこで、私が思いついたのは、とにかく「祈り」と「霊気」と「スピリチュアルヒーリング」だ。こんな時に霊気を使わない手はない。手術中といわれた時と、術後も遠隔レイキヒーリング。そして祈った。
意識が数日朦朧としていて、このまま他界か?寝たきりか?と思われたので、霊気の師匠でもあるミューズのメグ様に遠隔霊気の応援と、有志の方々がいたら遠隔の応援もお願いした。快諾してくれた心優しい方々の応援も得て、パワーアップだと確信。その上、イギリスの公認ヒーラーである方にも私的に1月にお会いする予定だったので、関西に行けなくなってしまったので、連絡しつつお願いした。その方はスピリチュアルヒーリングをしてくださった。私の祈り方というのは、父にとって最善の結果をもたらしてくださいというもの。無理に延命等は父にとってどうか?と思うので、彼にとって最善をお願いした。
医師や看護師さんの見立てでは、このまま寝たきりか他界だろうと思っていたが、医師、看護師さんのお陰もあり、エネルギー的な霊気ヒーリングのご協力と応援、スピリチュアルヒーリングのお陰もあり、ある日突然、意識もはっきりして、言葉もしゃべれるようになった。左脳が異常に歪んだため、右半身にマヒが残ると言われていたが、今のところ右手で自分でご飯が食べれる位まで回復した。右手、右足は最初は動きがまったく期待できなかったほど、重かったが、とりあえず緩慢でも動かせる程度に回復。執刀医も「予想以上にある日突然、どんどん回復されていて、びっくりですよ。もう我々がすることはないので、後は年末年始をここで過ごして、リハビリの病院に移って、機能回復を頑張ってくださいね。」というものだった。先生もびっくりの予想以上の回復。これは、色々な方のヒーリングパワーのお陰だと思うわけです。ありがとうございます。引き続き、よろしくお願いしたいです。自宅復帰まで回復を願う私。
しかし、高齢者の入院というのは「認知」が始まる、「認知」が進むということを全く知らなかった私達。。。認知が始まらないで、このまま回復するのを願いたいところだが。。。自宅に帰れる人は稀だとのこと。すっかり老人になってしまった、手に力がまったく入らない母では面倒も見れない。自宅に戻りたいというところまで、回復できると最高なのだが。。。私と大阪に居る弟が週末にお見舞いに行くと、家に帰るよ、と言いだす父。どうして、自分がベッドに居なきゃいけないのか?が理解できないらしい。勝手に歩き回る恐れがあるとかで、腰にきついベルトをさせられていて、かなり可哀そうなんだけど、「主治医の先生にこのベルト外してって、言ってきてくれよ。」と弟に懇願してた。自由に毎日歩きまわって、縦横無尽に東京を歩いていた父には、狭い病室のベッドに居るだけの毎日は、苦痛そのものなのだろう。術後ずっとオムツをさせられていて、トイレに行かせてもらえない状況が続き、それも「死んだ方がよかった。」と珍しくネガティブな言葉を毎回、言っている。術後3週間目にして、トイレトレーニングもさせてもらっているようで、ちょっと安心。弟に「爪切ってよ。」といきなり言いだした、先日。「ええっつ?なんで?」とびっくりする私と弟。母が爪切りも使えないほど、手に力が入らないということもあるが、親の爪なんて、生まれてから一度も切ってあげたことない私達は、けっこうショック状態・・・ええっつ??という感じだ。
親のために冬休みを費やす私と弟・・・人生初めての、家族の共同協力体制???おじ、おば、いとことも、珍しく頻繁に連絡取ったりして、こうゆう時は家族・親戚が密接になるのね~と、子供の頃よく集結してた親戚ともお近づきになる。実家の周辺のご近所のおじさん、おばさんとも珍しくお会いする。
まったく今まで意識の外にあって、他人事だった高齢者社会のこと、介護のこと、高齢者施設のこと、とりあえずさらっとは調べたけど、全然理解できない。。。こうなったら、お金の心配なのだということだけが、理解できる。こんなにお金かかるのか???と思ったり。
こんな予期せぬ12月が過ぎて、来年はどんな年になるのだろうか?会社、日本、東京から離れようとずっと考えていた私は、2014年からは海外で暮らそうと思っていたのだから・・・しばし呆然なのだが、とりあえず何かの大きな意味があるのだろと、思っている。この出来事の意味は、何だろうか?とすぐに頭に浮かんだ。来年の後半はしし座の私にとって14年に一度の最高最善の運勢らしい。。。
今年お世話になった方々、ありがとうございました。さようなら2013!
皆様も良い年をお迎えくださいませ。健康で素敵な2014を!
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