昨日のニュースで、「女性教諭、授業で児童に湯川さん遺体画像見せる」とあった。
ご存知のとおり、湯川さん、後藤さんの惨殺後の画像は、インターネットで検索できる。
女性教諭は、授業で、「情報を生かすわたしたち」をテーマにし、情報発信で注意する点や発信側の責任を学ぶ内容だった。
女性教諭は「情報のあり方を考えさせ、生命の大切さについても目を向けてほしかった。」と言い訳している。
テレビ、新聞等では、殺害後の画像は暈(ぼか)して表示してある。
その暈した画像を、小学生に見せて良いかはメディアの対応を見れば、誰でも分かる。
私も興味を持って、その時、その画像を見たが、この画像では、掲載できないと思った。
普通の感覚なら、これを小学生に見せようとは思わない。
ましてや、小学生に見せることは絶対にありえない。
隣にいる先生や教頭・校長に相談したら、こんなことにはならなかったと考える。
この教師は、何故、この題材にしたのかも、分からない。
この女子教師は、「私はインターネットでこんなことも検索できるのだ」と自慢したかったのか?
逆に、普通に何度かクリック検索したら、誰でも見ることができる画像。
「情報を生かすわたしたち」がテーマなら、私だったら、国会の予算委員会のやりとりの映像と、翌日の新聞の取り扱いを題材にする。
小学生でも分かり易い質疑応答にしたら、このテーマの題材にはピッタリと考える。
質疑応答を見て、どうして、翌日の新聞に載らなかったのかを考えさせたら良い。
または、最近話題の朝日新聞の慰安婦問題でも良かった。
何故、30年間も事実を歪められた記事が報道され続けたのか?
または、近所の万引き事件は、どうして掲載されないのか?
近所の人が、老死してもどうして掲載されないのか?
地方紙では、掲載される死亡記事が、どうして首都圏では掲載されないのか?
身近な話題でも、教えることができる教材は、沢山ある。
情報とは、生データそのものではなく、フィルトレーションされたものであることをチャント教えることが大事と考える。
この女性教師は、少なくとも、職員内でのコミュニケーションも取れない先生であることは間違いない。
教師の前に、社会人として、一人前でない。
教師としての判断も、不通ではない。
閑話:
私も父兄参観の授業を見た時、大人として担任教師を見た。
担任教師は、できが悪そうだった。
教職員免許を取得したから、良い先生とは限らない。
昔は、「でもしか先生」と呼ばれた先生もいました。
休題:
この手の先生をどう処分するかは、難しい問題である。
盗撮する教師、暴力を振るう教師、心に傷を残すようなこの女性教師は、本来、教師の免許を剥奪するくらいの処分が必要と考える。
それくらいの危機感を教師に植え付けないと、この手の駄目教師は減らないと考える。
ましてや、少子化で生徒も少なくなり、教師が不足している時代ではない。
教師になれなくて、他の仕事についている教師志望者は沢山いる。
子供が好きだからの教師ではなくて、子供を正しい方向に導ける教師を増やして欲しいと感じました。