古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

早朝に仕事をしてよかった。

2022年06月21日 17時52分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 夜中に起き出して本を読み、午前3時ごろまた就寝。昨日は裏山の芝生を草刈りしました。今日は雨になる。それまでに刈った草をかき集め、芝生の肥料としてJAの鶏糞一袋をまくつもりでした。
 午前5時ごろ起きてテレビの天気予報を見ると、雨が早くなり、午前中から降りそうです。芝生は〈肥料食い〉です。雨の前に撒くと、地面にしみ込んでいい。雨のあとは刈った草が地面にへばりつく。雨の前に肥料を撒きたい。
 早い時間でしたがすぐに着替えて、竹のサラエ(目の細かい熊手)で草をかき集め、鶏糞を撒いて、サラエで散らしました。1時間作業して汗びっしょり。シャワー。
 6時30分からのスワイショーはいつも通りにやって朝食。雨が降りはじめました。早朝に仕事をしてよかった。
 夕方「ブログを書こう」と外に出て写真を撮りました。鶏糞を撒いた芝生です。

 栗の花が落ちています。もう受粉がすんで、先の雄花(花穂)が地面に落ちたのです。芝生に落ちた花穂が写っています。栗は花穂の根もとにできます。小さい栗の形になっています。

『満州国演義』は7巻目を読んでいます。「読む自分の心構え」にショックをうけて、グズグズしています。その部分を引用します。


「死んでるのですよ、女は」永有(満人)が低い声で言った。「屍姦が行われているんです」
「ど、どういうことです、いったい?」
「女は死んだばかりで、その死体を女の母親が売りに出した。さっき苦力たちから金を受け取ったのが母親です。一晩過ぎると、死体は死臭を放つ。売れるのはきょうだけだ。あの母親は死んだ娘を一角で売り、その金銭で第三十四管煙所に向かう(阿片を吸う)」
「どうなるんです、死体は?」
「一晩経ったら、長春街に捨てられる。腐臭を放ちはじめたら、清掃局が大有坊貧民義地に運び、万人抗に埋める」
「酷いな、酷過ぎる」
「その言葉は同情からですか」
 四郎(主人公の一人)はこの科白にはっきりした棘を感じた。
 永有が冷えた笑みを頬に滲ませてつづけた。
「ぼくは威張り腐った日本人が嫌いだが、満人に同情を寄せる日本人はもっと嫌いです。威張りたがるのは単純な民族的優越感のせいだが、同情心は陰湿な優越感に基づいてる。聞いてるだけで虫酸が走ります」


 船戸与一はだれにむかってここを書いたか。日本の読者にむかって書いた。あの〈満州国〉への日本人の意識を告発している。小さなヒロイズム/ヒューマニズム/の根底にある「同じように地球に生きてる人間への優越感」を告発している。その優越感を「われわれはいまももっていないか」と問いかけている。ぼくも問われている。きびしい問いかけ。
コメント
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