古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「あの広い畑は来年かぎりにする」思いはいま。

2017年11月23日 03時50分59秒 | 古希からの田舎暮らし
「あの畑は来年一年つくってやめようか」という思いが頭をかすめたのは、2ヵ月と5日まえのブログでした。「やっぱり答えが下りてきたのかなあ。あの思いは順調に育ってる」とあのブログを読み返しながら思います。もう一度あの日の「思い」をアップします。
 ブログ『とりあえず80歳へ』の2017年9月18日の文です。


 夜中に本を読んで、また寝床に入るとき「あの畑は来年一年つくってやめようか」という思いがフッと頭に浮かびました。「必要なら買えるもの」をつくっているだけです。「つくらねばならない」ものではありません。それに年々畑仕事で手いっぱいになっています。追われてきます。裏山に手がまわってない。生活全体に畑で無理をしています。
 親の代、祖先の代、からの『老舗』を思います。
 世の中が変わって、潰れそうになっている。ジリジリ追いつめられて、空しくあがいて「いつまで老舗を守るか」。「いつかやめる」ときが来る。「守る」に頭を占拠されて「自分が主体的にやめる」発想がない。
 いままで道子さんとぼくの発想は「何歳まで一反三畝(400坪)の畑を〈お守り〉できるか」/「いつまで土手の草刈りができるか」/「広い畑でいつまで野菜をつくれるか」/「大豆をつくり、有機の大豆で味噌をつくり、黒豆枝豆をつくり、胡麻をつくり、イチゴをつくり、とれたもので喜びをわかちあう」/でした。
知らず知らずに無理して、頑張ってる。
 だけど「自分の選択でやめることができる」。という方向に思考がいきませんでした。
 擦り切れるまでやるのでなく、自分の選択で「やめることができる」。いつか(主体的に)やめるとしたら「いつ」。 …… 芽生えた「そんな思い」をしばらく〈育てて〉みます。


 部屋のドアに「三木げんき村」企画・制作の『美嚢郡西国三十三ヵ所霊場』の一覧表を貼っています。三木は、歴史のある、お寺の多い街です。縁あってその町に暮らすことになり、町を愛する気持ちもだんだん育ち、あちらこちらのお寺を訪ねたい。伽耶院・善祥寺・蓮華寺・教海寺・法光寺・永天寺・金剛寺・東林寺・法輪寺・安養寺・歓喜院・雲竜寺など数えてみると十数ヵ寺には行ったことがあります。
 今年は三木の霊場巡りをしよう。集印帖を用意して巡るつもりでしたが、一ヵ寺もお参りしないで一年が過ぎようとしています。
 畑仕事が多くて、生活が圧迫されている。そのことに気づくのが遅かった。ということかもしれません。
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