老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

879;「介護思想」(12) 病院は病気を治すところ?

2018-08-10 17:08:52 | 介護の深淵
病院は病気を治すところ?

介護の世界に身を置いてきて
時々考えさせられることがある。
それは
(要介護)老人が病院に入院し、
完治し退院されるとき
お土産として褥瘡(じょくそう、床ずれ)ができたり
歩けなくなったり
或は全粥、キザミ食であったりなど
入院前の状態よりレベルが低下した状態にある。

病院は「資格」社会
医師や看護師の免許(資格)がないと
医療行為や看護行為ができない。
医療の専門職が集まった病院で、
褥瘡ができてしまう。
「褥瘡は看護の恥」と看護教育で教えられながらも
褥瘡はなくならない。
人手不足から看護が手薄となり褥瘡はできるのか・・・・

小さな「さくらデイサービス(利用定員10名の小規模事業所)」で
働きたがる看護師は少ない
いまは介護職員と生活相談員、非常勤のあん摩マッサージ指圧師の配置で行っている。
病院からみたら素人の集まりにすぎない小さなデイサービスで
病院で作った褥瘡を治す。
要介護5で寝たきりであった老人は、歩けるようになりいまは要介護2のレベルまでになった。
全粥から軟飯、普通食に食内容を変えると、老人は意欲が増し元気になる。

病院は病気を治すことはでき、退院することはできたが、
生きる力が萎えたまま家に帰されること、
当の老人や家族介護者にとって、それは大変な事態になる。



878;人間の息づかい

2018-08-10 11:21:05 | 老いの光影 第2章
人間の息づかい 

暑い夏
蒸し暑く気怠さを感じる
喉が渇くと
気が滅入ってしまう
喉が渇いても
水を飲むこともわからずにいる
認知症を抱えた老人
だれも冷たい麦茶を淹れてくれる人はなく
居間にじっとしている一人暮らし老人

家族から気にされなくなると
食べることにも事欠く
食の飢えは
愛情の飢えでもあるのか
夏の空腹は
気怠さを覚え生きる気力させ失せてしまう

民家を借りた
小さなデイサービスは
愛情に飢えた老人にとり
オアシスのような居場所
乾いた喉を潤し
飢えた腹を満たす
忘れかけた言葉を取り戻し
人間の息づかいを感じる


再掲blog272

877;「介護思想」(11) 食べられるときに好きな物を食べる

2018-08-10 04:35:46 | 介護の深淵
食べられるときに好きな物を食べる

年齢に関係なく
人間は食べるときというのは
至福の瞬間連続なのだと思う。

いまも元気に生きている109才のお婆ちゃんは、
(介護相談・介護計画作成を担当させて頂いている利用者のなかで最高齢)
「腹八分ではなく、腹七分」
「美味しい物、好きな物だからと言って、腹いっぱい食べない。腹七分」
という。

子どもでも老人でも
年齢に関係なく
食べ物に飢えた状態に置かれると
食を味わうといよりは
貪り食べるといった様になる。
食の飢えは、家族愛の飢えも孕んでいる。

これからお盆を迎える
仏壇やお墓に
故人の好きだった食べ物
お供え物としてあげられる。
故人を偲ぶ意味で
お供え物を上げること、
それはそれでいいのだが、
私ならば
老い病を抱え
余命幾ばくもない、と宣告されたら、
食べられる力があるときに
本人の好きな物を食べさせたり飲ませたりしてあげたい。
死んだらお終い。
何も食べられないし飲むことができない。
最後に
食べたいもの
好きな物を食べて
死ぬ。
人間にとり
最後の晩餐をどう迎えるか
大切なことなのかもしれない。

本人にとり
家族にとり
介護者にとり
お互いに
いまの食事が
最後の晩餐なのだと思い
一緒に食していきたい・・・・。