老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

892;老人と子ども(8) 巣立と旅立

2018-08-15 16:45:24 | 老人と子ども
舗装がない路を探して歩くのは難しくなってきた 畦路を行く チョッとピンボケかな

巣立と旅立 

子どもは
社会への巣立
老人は
死への旅立ち

再掲blog235 

891;終戦記念日

2018-08-15 09:00:30 | 老いびとの聲
終戦記念日

玉音放送から流れる
昭和天皇の肉声により
戦争終結の言葉があった。

東京大空襲
ヒロシマ、ナガサキの原爆投下
父の兄はアツツ島で戦死した。
戦後の日本は焼け野原と貧困に喘ぎ
そこから奇跡の復活を成し遂げた。

私は未だこの世に産まれてはいなかった。
祖父から開拓農家を引き継いだ父
痩せた田畑を耕す貧農であった我家。

憲法9条の改正よりも
8月15日を国民の祝日とし
平和を誓う日でありたい。

890;「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

2018-08-15 00:00:08 | 阿呆者
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
ゴーギャンのこの言葉は、深海の如く奥底深さを感じてしまう。

老い、そして死が知らぬ間に近づいてきているなかで
ゴーギャンの言葉から何を想う・・・。
自分は何者か。
何者であるか、考えてきたであろうか。
自分のことは自分が一番知っている、と
錯覚しがちだが、
自分を一番知らないのは、自分なのだ。

認知症老人から「あなたは誰?」、と話しかけられたとき、
「星光輝です」と答えたところで、
認知症老人は名前を問いただした訳ではない。
それは「あなたは誰」
それは「あなたは何者」のことを指し、
あなたは「どんな人間か」、と話しかけたのかもしれない。

自分は「何者か」
一言で他者に話すことができようか。
自分は「何者か」
自分は何のために生きている。
自分は残された時間、何をしたいのか。

そして何者であるか、わからないまま
自分はどこへ行くのか。
「行く」は「逝く」という言葉を連想してしまう。
「どこへ行くのか」は
人それぞれ違う。
自分が死んだ後、どこへ行くのかは、
未知のことであり余計にわからなくなる。

死んだ後、それは死ぬ前において
自分は何を遺すのか。
それは内村鑑三の著書『後世への最大遺物』(岩波文庫)のなかに
大人は後世(子ども)に何を遺すのか、ということが平易に書かれている。

自分は何をしたいのか。
何故それをしたいのか。
誰のためにそれを行うのか。
ゴーギャンは、お前は「何者」で、「どこへ行くのか」という言葉は
自分の狭隘な理解のなかでは
「どこへ行くのか」の「行く」は「生く」であり、
「(残された時間=老後)自分はどう生きるか」
を問かけられているような気がしてならない。


暑さ負けでまとまりのない話でした
最後までお読みいただきありがとうございます。