老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

wifeにかぜを感染させてしまった

2022-04-03 19:50:37 | 阿呆者


1868 肋骨にヒビ

先月の22日頃から
自分はかぜ症候群を発症
喉が腫れたときイソジンで予防すべきだった
甘くみていたのがいけなかった

喉が痛く腫れ、咳き込みが続いた
3回目のコロナウイルスワクチン接種を終えたときに
自分のかぜはwifeに感染し
wifeも同じく咳きの症状になった。

寝ているときに咳き込みが多く
咳の度に強い胸痛を訴える
肋骨にヒビが・・・・

自分の不注意で、痛みと苦しみを与えてしまった
wifeに比べ自分の肋骨のヒビは重症ではない

明日受診させたい

※私的なブログ内容になってしまった


🇺🇦ウクライナに平和を




554;「捨てる石」あれば、「拾う石」あり

2022-04-03 08:32:10 | 阿呆者

「捨てる石」あれば、「拾う石」あり

齢は初老に入った
背後から死の足音が聞こえるようになった。

路傍に転がっている石は、
何の変哲もない石でしかない。
手にしたところで捨てるしかない無価値な石。

作家 高見順は詩のなかで、小さな石を蹴らないでくれ、小石にも“いのち”があると。
路に転がっている小石。
古代は、ぬくもりの石と呼ばれ、言葉を表していた。
私は石に、何を感じ、何を想うであろうか。


「捨石」【すていし】
は,
庭園では「景石」【けいせい】と呼ばれ、
庭園の何処に、どのくらいの大きさやどんな形や色の石を、そして石の置き方によって
庭の景色が大きく変わってくる。
他人によっては無価値な石であっても、
景石」は置かれた場所によって
存在感をもたらし役割を果たしている
ことに気づかないでいた。
「石は捨てたものではない」といまは感じている。

“捨石(捨てる)”とくれば、”拾う”である。
“拾遺”【しゅうい】という熟語が浮かんだ。

「拾遺」から『拾遺和歌集』を連想した。
平安時代の勅撰和歌集で、前代の勅撰集に漏れた秀歌を拾い集めたものであり、恋歌も多い。
そこから「拾遺」は、漏れたものを拾って補ったり、またはつくり直したもの、という意味がある。
「拾遺」から“拾”という漢字は「捨てたものではない」。
                                          
老人になると意固地になり愚痴や昔の自慢話などの繰り返しに嫌気をさしてしまう.
老人は、いままで「できていた」ことが「できなくなり」、記憶のピースがまたひとつ抜け落ちてゆく。
老人は、喪失の時であるだけに
老人から「いいところ」や「できること」を見つけ、引き出すことは、「拾遺」そのものである。

それ故に「拾遺」の想いで、
初老の身になったけれども「人生捨てたものじゃやない」。
残り少ない時間になり、「終わりの始まり」といった気持ちを抱きながら、
小さな夢、実現に向かい「できること」を行うことで、
「本当に生きた」という実感を抱きながら逝きたいものだ。

「捨石拾遺残日録」のカテゴリーがあり、そのなかに〔捨石拾遺〕の言葉が記述されていた。
捨石拾遺の意味をブログNo554 から読み取って頂ければ幸いです。2017年11月13日に掲載したブログです