老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

死に場所、死に方

2022-04-10 07:15:41 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録

この写真は本文とは関係ありません。元気9才の誕生日

1872 最期の時

老衰となり、どこで死に場所を迎えるか
人それぞれ違うように
生き方も老い方もそれぞれ違う
ならば死に場所もいろいろあっていいと思う

住み慣れた我家の畳の上が本望だが
様々な事情により死に場所は変わってくる
病室であっても介護施設であってもいい

穏やかな表情で寝ているような感じで逝けたらいい

最期が近いな、と感じたとき
意識あるときに
家族や身近な人と最後の語らいやスキンシップを持つ

最期の瞬間手を握れたら、それはそれでいい

ひとり暮らしのまま死を迎えることを望んでいる人もいる
それを「孤独死」、と決めつけないで欲しい

自分はまだ臨終の場面にないだけに
死というものがわからない
ただ、最後はどんな風景が映り
何を思い(想い)死に逝くか

まだ死は先にある、と思っているが
突然死神が訪れることもある
いつ死んでもいいようにしておきたい

まだ生(命)あることに感謝し、今日を生きる