この写真は本文とは関係ありません。元気9才の誕生日
1872 最期の時
老衰となり、どこで死に場所を迎えるか
人それぞれ違うように
生き方も老い方もそれぞれ違う
ならば死に場所もいろいろあっていいと思う
住み慣れた我家の畳の上が本望だが
様々な事情により死に場所は変わってくる
病室であっても介護施設であってもいい
穏やかな表情で寝ているような感じで逝けたらいい
最期が近いな、と感じたとき
意識あるときに
家族や身近な人と最後の語らいやスキンシップを持つ
最期の瞬間手を握れたら、それはそれでいい
ひとり暮らしのまま死を迎えることを望んでいる人もいる
それを「孤独死」、と決めつけないで欲しい
自分はまだ臨終の場面にないだけに
死というものがわからない
ただ、最後はどんな風景が映り
何を思い(想い)死に逝くか
まだ死は先にある、と思っているが
突然死神が訪れることもある
いつ死んでもいいようにしておきたい
まだ生(命)あることに感謝し、今日を生きる