老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

93;私が寝たきりや認知症になったときは・・・・

2017-05-12 14:42:28 | 老いびとの聲
福島県天栄村 レジーナの森 初夏風景

ご訪問いただき、ありがとうございます 

私が
寝たきり、或は認知症になったとき
自宅で妻と暮らし 介護をしてもらいたい
と 思うが
もし私が80歳のときに寝たきりになったら
妻は58歳
私の介護のために
「自由のない」生活にはさせたくないので
介護施設を選ぶが
どのような介護施設にするかは
ベストな施設はないと思うので
ベターな施設を選んでいきたい
でも
老後の介護においても
「金次第」なのか
お金がなければ 
ベターな施設で世話を受けることができるかどうか
それはわからないが・・・
介護施設で
人生の最期を終えるとき
傍らで誰かに手を握ってもらい
あの世に逝きたい


人間生れたときには
傍らに誰かがいた
ならば
死するときも
傍らに誰かに居てもらいたい
誰知れずあの世に逝くのは
寂しい・・・

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1 コメント

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こんにちは (まりも)
2017-05-12 15:19:41
奥さま、とてもお若いんですね~☆
そこにまずびっくり!し、何だか感動しました~(*´▽`*)
きっとずっと、傍に居て下さると思います。

寝たきりや認知症の状態にもよりますが、、
夫がもしそうなれば、出来るだけ自宅で看てあげたいと思ってます。
でも本人は、ゼッタイ施設に入りたい!と言ってます(笑)
私自身がそうなったときは、やっぱり施設でしょうか。
どちらにしても、お金が必要ですよねー(*´ω`)

そして最期のときは、やはり誰かに見守っていてほしいですね。
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