老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

750;よい介護とは・・・・

2018-05-20 20:14:01 | 老いびとの聲
「く」の字にならず死にたい
 
老いた人が寝たきりになり、
介護されぬまま放置されると、
母親の胎内に居るときと同じような状態になってしまうのは、
何故か不思議な気がしてならない。

両手は握り拳になり、肘は「く」の字に曲がり伸びない。
脚も同じく「く」の字に曲がったままになり、
四肢の状態は胎内のなかで羊水に浮かぶ赤ん坊の姿に似ている。
 
病院や介護施設で老人の四肢が拘縮し、
褥瘡ができたまま逝くほど、
痛々しく辛く切ないものはない。

両膝が伸びず「く」の字に曲がったまま柩に安置したとき、
棺の蓋が閉まらないため、
葬儀屋は遺族の知らないところで、
脚の骨を折る。
それは、
拘縮した膝関節を「真っ直ぐ」に伸ばすことにより、
棺に納まる。
「死人」だから「痛く」ない、と思われるけど、
「死人」であっても脚の骨を折られるのは
「痛み」が伝わってくるようである。

褥瘡ができるのは「看護の恥」と言われるが、
手足が「く」の字となり拘縮したまま亡くなるのは「介護(ケア)の恥」である。
死後のことも思い遣りながら介護を為すことも大切である。

両手の指は合掌するように組み、
両脚は真っ直ぐに伸び、
褥瘡もなく、
眠るような顔で逝きたいものである。

よい介護とは
脚の骨を折らずに
柩に納まるご遺体のことをいう


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