老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

907;要介護老人の「死の備え」(6)  家で死ねて幸せ

2018-08-25 03:54:01 | 生老病死
 要介護老人の「死の備え」(6)  家で死ねて幸せ

18時50分頃
肺水腫により三郎さんが
眠るようにして自宅で
永遠の眠りについた
92歳だった

長男から「息がしない」、と電話が入り
急いでキャンバスに乗り三郎さん宅に向かった
8分後には到着
三郎さんの手を握るとまだ温かった
本当に穏やかな表情だった

今日16時頃は
三番目の孫娘から好きな蒲萄を食べさせてもらい
恵比須顔の三郎さん
最期まで「自宅で死にたい」、と話され長男夫婦に看取られた

ヘルパーにおむつを取り換えてもらい
訪問看護師はエンゼルケアを
日曜日で主治医に連絡がつくかどうか杞憂したが
早く連絡がとれ、死亡確認を行うことが出来た

大の病院嫌いで
前回はSpO2が70台まで下がり
先月は急遽搬送し入院した
その後回復し退院

酸素療法となり訪問看護 訪問入浴 訪問介護を入れ
看取りの支援体制をとってきた

食べたいものを食べ
傍らには妻が居て
つねに母屋から長男嫁、長男が訪れ
家族の絆(つながり)があった

病院のベッドではなく
長年生活してきた自宅で亡くなることができた三郎さん
本当に幸せ者だった
今の世の中
なかなか自宅で死ぬことは稀である


blog741 再掲

三郎さんは
大の病院嫌い
リハビリ目的でデイサービスをプランに組んだこともあったが
デイサービスも1日だけ行ったきり

老いた妻と家で過ごす
ただそれだけ

肺に水が溜まり入院
腎臓の機能も低下し血液透析(人工透析)寸前の数値

先は長くはないと、感じた
本人は「自宅で死にたい」、という気持ち
長男夫婦に問いかけた

最期まで自宅で看よう、ということになった

自宅で看取りをされる場合
家族が最期まで自宅で看取る、という強い覚悟と
そして、本人や家族介護者を支える人たち

いままでは手すりの福祉用具しか介護サービスを利用していなかった

人生の最終コーナーでは
利用できる介護サービスを使った

 訪問看護 自立呼吸は困難となり在宅酸素となった
 訪問入浴 大の風呂好き 血圧や酸素濃度の数値をみながら入浴
      訪問入浴のスタッフ3名のなかに看護師が1名配置されているから安心
 訪問介護 ねたきり状態になり、トイレに行けなくなった。
      はじめての紙おむつ。ヘルパーによるおむつ交換とおむつ交換の仕方を教わる長男嫁
 福祉用具 介護用ベッド、エアマット

 在宅酸素の機器
 訪問診療 泌尿器科の医師

退院したときには、上記の各サービスに係る人たちが集まり
看取りの支援体制について話し合いをもった

かかりつけ医への情報とかかりつけ医からの指示は
訪問看護師とケアマネジャー(私)

最期、呼吸が苦しい状態を見て
家族は救急車を呼びたがるが
「家で死にたい」という本人の気持ちを汲み取り
気持ちがぶれることなく 看取ることが大切

それには何かあったら、専門の看取りチームがあること
長男夫婦には支えになった

孫やひ孫まで囲まれながらの「死」の看取り

繰り返しになるかもしれないが
在宅で安心して「死」ぬには

「家で死にたい」という本人の気持ち
家族の協力

本人、家族の不安を少しでも軽くさせる 
ケアマネジャーのこまめな訪問と訪問看護師、ヘルパーなどからの言葉かけ

介護は「金」がかかる (三郎さんの場合は自己負担は2割であった) 
(介護費用が厳しいときには、ケアマネジャーに相談されることが大切)
(月額にしてどの位かかるのか、ケアマネジャーに試算してもらう)

訪問系介護サービスのフル活用
かかりつけ医への情報提供となにかあったときは「かけつけてくれる」という信頼関係

夜中でもケアマネジャーや訪問看護師がかけつけてくれる事業所を選ぶこともポイント

夜間、休日に関係なく「死」は訪れる
夜間でも休日でも、時間外でもケアマネジャーと連絡が取れる
電話連絡がとれアドバイスを受けても不安
かけつけてくれ、対応してくれるケアマネジャー




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