老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

労いの言葉

2024-01-25 18:29:39 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2016 松さんが亡くなった


         2024年1月25日 阿武隈川辺散歩路 朝陽に照らされて
                             beagle元気と老い人の足跡


ショート利用中 食事中に詰まらせ亡くなった。
予期せぬ死であった。

薔薇の花を食べた89歳の認知症老人 故松さん(女性)。

無言でショートステイから家に帰った松さんの顔は、穏かな表情であった。
言葉をかければ、いまにでも眼を覚ますかもしれない。
自分は穏やかな表情で死にたい、と思った。

老母の介護から解放され、本当に最後まで介護をされてきた長女。 
「できる限りのことはやったから悔いはない」
「亡くなった父親が、もう俺のところに来いと母親を呼んだのでしょう」

「ショートの施設に対しては恨みはなく、介護して頂いたことで感謝しています」
「桜デイサービスには本当に助けてもらった。医院や病院の付き添いをしてくれたときは、本当に助かった」
「一時、自分の両腕はあがらず、腰も痛く、辛かった。本当にありがとうございました」
と 穏やかに話された。

ショートステイでの事故 介護スタッフが目を話したときに 喉を詰まらせ亡くなった。
施設を責める訳でもなく、長女の気持ちは複雑ながらも、老親の死を受け入れてもらえることができ、ホッとした自分。

長女は、老親の介護にかかわり 身をもって苦労したから
ショートステイの介護スタッフの大変さをわかっていたからこそ
責めることはしなかったのかもしれない。

「夜間の徘徊、頻回に重なったトイレの介助
朝方玄関上がり框での度重なる転倒による負傷等
最後は本当に大変でしたよね。
娘さんも憔悴しきった表情で
この先介護続くのかと心配していました。
でもよく介護されていて、お母さまは幸せでしたし
安心してご主人のところへ逝かれたと思います」
と 言葉をかけると
最後は涙ぐまれていた。

介護を終えた後
介護者に労いの言葉をかけることも
大切なことである。

妻が夫の老親の介護を終えたとき
介護の協力はなかった夫であったけれど、
最後に「介護お疲れ様、本当にありがとう」
と、その一言でいままでの苦労や辛さが報われた気がしました。
 
「ありがとう」「長い間お疲れ様」、その一言は

心身共に蓄積された介護疲れは、ふ~と心が軽くなります。

2017-06-15掲載。 一部書き直したり付け加えたりしました。


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2 コメント

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Unknown (ピエリナ)
2024-01-25 20:47:08
こんばんは🤗

誤嚥というのはいつ何時起こるか分かりませんし、しかも静かに起っている場合もありますので、本当にどうしようもないですね。

私もかなり気をつけてはいますけれども、こればかりは防ぎようがないので、万が一のことがあっても自分を責めることのないように。
また、もちろんスタッフの方を責めることもないようにとドクターに言われています。

よく人は自分の死に際を決めてくると言いますけれども、このお母様も娘さんがもうギリギリの限界で倒れる前に逝かれたのかもしれませんね。

本当にお母様も娘様もお疲れ様でしたとお伝えしたいです。
そして、もちろん施設のスタッフの皆様やケアマネの星光輝さんにも。
返信する
Unknown (星光輝)
2024-01-26 20:46:27
こんばんは
唾(唾液)だけでも誤嚥性肺炎になったりします。
口から食べることが大切ですよね。

忘れられない刺青の老人がいました。
そう長くは生きられないかもしれない。
退院し自宅に帰ってきた。
病魔が躰を蝕み座ることもままならぬときもあった。
それでも孫を膝に乗せ満面の笑顔。
誤嚥のリスクがあり、食べるとすぐむせてしまう。
どうせ先は短いから好きな物を食べて死ぬ、と言っていた彼。
咳き込み、むせながらも生ハムを食べていた。
翌日急変し救急搬送され翌日帰らぬ人となった。

家に戻る前1週間で住宅改修を終え
便座が上り前屈みになる手すりがあり、10万円の見積。役場介護保険係は渋った。福祉用具購入最大枠10万円を一つの福祉用具で使うことになるからだ。
本人はよたよたと歩きながらもトイレでしたい、
それがないと生活ができない、排せつができない、と必死に食い下がった結果、OKとなった。

家に居た期間は蝉のように短く一月だったけれど
彼は好きな生ハムと孫を抱いて旅立った。

誤嚥で亡くなることは哀しいしやるせない。
誤嚥で亡くなるまでの間、その人をどうかかわってきたのか、そのことが大事です。

好きなものを食べて死ぬ
家族に食べさせてもらったその介護が
最後にいなるかもおしれない
そのとき誤嚥で亡くなったとしても
その人は幸せだった、と思います。

ショートステイ中
家族が面会に行き食事介助することは
いいことだし、本人も喜び顔の表情も明るくなります。

介護スタッフのなかに、施設まできて面倒みるなら
別にショートステイなんか利用しなくても、と
思っている人もいます。

自分は施設に居た時そのようなスタッフには
「そうではないよ」、と仕事を終えてから話したこともあります。

家族介護者が施設まで足を運び、お世話してくれたときがいい機会です。

そのときにご家族の苦労やどんな方法で介護をされているのか、知る絶好の機会なのです。

介護スタッフは、自分たちの介護方法が正しいと思っているところがあります。

介護テキストからみると
家族の介護方法が間違っているときもあります。

間違っていてもそれで介護スムーズにでき
当の本人も満足しているのであれば
その介護は間違いではないのです。

介護のやり方には正解はないのです。

家族から学ぶ、老人から学ぶことが大切だと思っています。

長くなり申し訳ありません
いつもコメントありがとうございます。
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