最近 現代口語短歌誌未来山脈に発表された「なかむらさだこさん」の作品である。
「周りに補聴器は良いという人は無く 踏み出せないでこのままいく」
「耳の聞こえのわるさがたのしみを奪う 一人で出かけた落語会」
補聴器は難聴者に音を拡大して聞かせる電子機器である。
小声は聞き取りにくいという人に、大声で話すと意思が通じることと同じ理屈である。
それでは 音さえ大きくすれば難聴が即座に改善されるかというと、そんな単純なことでもないらしい。
音は複雑な過程を経て電気信号に変換され脳に伝えられ、音とした感知される。
しかし聞こえの悪い人は長期間音と途絶した世界にいたために、耳の機能が退化しているのではないかと思う。
山中で静かに隠遁生活を送っていた人が、ある時急に都会の雑踏に放り出されたようなものだろう。
だから補聴器を初めて使う人はそれなりの訓練が必要になる。
しかし 哀しいかな訓練を惜しむ人が多いらしい、それには販売する側にも大いに問題がある。
売ることに専念するあまり、フォローが二の次になることである。
補聴器を購入しても良く聴こえないことが多いようで、販売店へ相談に行くと、もっと良いものがあるといわれまた購入する。
多くの人が「補聴器は駄目なもの」と諦めタンスの中に格納してしまう。
補聴器は役に立たない物という風評が世間に定着してしまったようだ。
そのことはとても悲しいことである。