原料の野沢菜収穫
漬菜洗い風景が消えてから、もう半世紀にもなるだろうか?
農家では収穫した漬菜を、町家では購入した漬菜を荷車やリヤカーに積んでススキ川に運び、それぞれが洗い場を急造し、川岸に膝をついて菜洗いが始まった。
上流から下流まで流域の住民はそれぞれに割り振られた洗い場があって、川岸の道路には菜を運ぶ荷車が並んだ。
漬菜の漬け込みは農家非農家を問わず、年末を控えての大仕事であった。
「お葉漬けは終わったかね?」がしばらくの期間、日常挨拶として使われたものだ。
漬けた量も半端ではなかった、子供の背丈より高い大桶2本にびっしり詰めて冬の備えとしていたが、長野県が長寿県として輝きを増すとともに、漬物量は激減した。
野沢菜の隣に季節外れの菜花が咲いていた。れっきとした野菜、遠くでかすかにほろ苦い食料花である。