松本の桜と云えば弘法山が随一である
開花まで後2カ月ほどと思われる、雪交じりの風の中を山頂に向かった。
枝先にはまだ花の片鱗すらみえない。
吹き寄せられた落葉に靴を沈めて、見下ろす市街地は雪にけぶっていた。
松本の桜と云えば弘法山が随一である
開花まで後2カ月ほどと思われる、雪交じりの風の中を山頂に向かった。
枝先にはまだ花の片鱗すらみえない。
吹き寄せられた落葉に靴を沈めて、見下ろす市街地は雪にけぶっていた。
ひいらぎナンテン
昭和32年頃から電気補聴器は市販されていた
私が見た最初の補聴器は、ショルダーバックに電池と共に格納された真空管式補聴器であった。親指程の真空管がつかわれていたが、やがて箸の先ほどの小型真空管が開発され、補聴器はポケット型に進化し、補聴器は加速的に普及した。
当時 補聴器は医療機器商が取り扱うのが一般的で、汽車やバスを乗り継いで遠方から来てくれるお客さんも多かった。
その頃の補聴器は振動やショック、そして湿気には驚くほど脆弱にできていて故障も多かった。
何時間も掛けて遠方から来るお客様は、多少待っても、その場で修理することを希望した。
部品の点数は少なく、故障個所もたいがい同一だったから、慣れるに従って手際よく修理を終えられるようになり、それが評判になってお客様も増えた。
修理が終わって、正常に動作する補聴器を手にして喜ぶお客さんの笑顔を今でも思いだす。
最近 現代口語短歌誌未来山脈に発表された「なかむらさだこさん」の作品である。
「周りに補聴器は良いという人は無く 踏み出せないでこのままいく」
「耳の聞こえのわるさがたのしみを奪う 一人で出かけた落語会」
補聴器は難聴者に音を拡大して聞かせる電子機器である。
小声は聞き取りにくいという人に、大声で話すと意思が通じることと同じ理屈である。
それでは 音さえ大きくすれば難聴が即座に改善されるかというと、そんな単純なことでもないらしい。
音は複雑な過程を経て電気信号に変換され脳に伝えられ、音とした感知される。
しかし聞こえの悪い人は長期間音と途絶した世界にいたために、耳の機能が退化しているのではないかと思う。
山中で静かに隠遁生活を送っていた人が、ある時急に都会の雑踏に放り出されたようなものだろう。
だから補聴器を初めて使う人はそれなりの訓練が必要になる。
しかし 哀しいかな訓練を惜しむ人が多いらしい、それには販売する側にも大いに問題がある。
売ることに専念するあまり、フォローが二の次になることである。
補聴器を購入しても良く聴こえないことが多いようで、販売店へ相談に行くと、もっと良いものがあるといわれまた購入する。
多くの人が「補聴器は駄目なもの」と諦めタンスの中に格納してしまう。
補聴器は役に立たない物という風評が世間に定着してしまったようだ。
そのことはとても悲しいことである。
雪がいつか細かな雨に代わって、紅葉の枝に積もった雪を溶かした。
まだ固い紅葉の芽の先に小さな水滴がついて、氷の粒かと触ってみると指を伝わって流れ落ちた。
路面は雨でしっかり押さえこまれた雪が残り、除雪は濡砂を掘る重量感があった。
寒い日が続いているのに夏椿の芽が大きくなった、形良い種子殻に積もった雪
昨日の帰る時間帯は、視界が遮られるほどの猛烈な雪が降って、見る見るうちに路面に積み重なっていった。
湿った重い雪なので、翌朝の除雪を考えると憂鬱な気がした、今年の積雪は量は少ないが回数が多い。
しかし 朝の積雪は3センチほどでであった。
それでも庭の雪を一か所に集めるのは大変だった、額に汗が噴き出してくる。
一面白黒写真の世界である
北西方向の展望 中央より雲に隠れる雪山は針の木岳
右手山裾の白い建物はホテル翔峰
今年は 町会役員改選年度にあたる。
役割の重要性は認識しているのだが、できれば回避したいのが普通の人の考えである。
昨夜の会合(町会の下部組織常会総会)でそれぞれの役割分担を決めた。
輪番制だから特別な事情が無い限り断れない。
しかし勤務先の都合で次期と交代したいとか、家族の疾病などによる延期など柔軟に対応できる。
任期は原則2年と定められている。
会議は執行部が作成した原案通り進行し、終了後慰労会に入った。
慰労会は最長老の乾杯で始まるのが恒例である。
最長老のTさんが所用で、会議だけに出席して帰った。
最長老の次席は私である。
いつの間にか世の中そういうことになっていた。
美ヶ原温泉で同級会があった。
10分くらいの距離だけれど送迎用マイクロバスが来てくれる。
90名の同級生がいたが、18名は既に旅立ち、昨日の同級会には各地から28名が集まった。
みんな寒い寒いと言いながら元気である、それでも若い時のようには飲めない、幹事の肝いりで、酒は飲み放題でセットしてくれたけれどホテル側の一人勝ちに終わったようだ。
90歳の恩師が「子供の学力低下がよく話題に上がるけれど、大人の学力低下と云う話は聞かない、でも考えると一番困るのは大人の学力低下ではないだろうか」と厳しいことをおっしゃった。
子供は途中で挽回できるけれど、大人はそうはいかない「君たちもっとしっかりしろ」と後期高齢者に対する恩師の励ましであった。
まだ固い白木蓮の蕾
確定申告の季節が巡ってきた。
国税局のPR「確定申告書等作成コーナー」で申告書を作成して下さい!!便利!に曳かれてその気になった。
国税電子申告納税のe-Taxの準備が間に合わないのでとりあえず申告書だけをパソコンで作ることにした。
説明に沿って数字を入力すれば極簡単に申告書が完成するという。
鼻歌交じりでパソコンに向かったが、大きな落とし穴があった、パソコンのポップアップを解除にしないと入力できないのである 。
ごく簡単なことらしいが、その簡単ができないところが、パソコンの恐ろしいところである。
悪戦苦闘したすえ、今日は忙しいから 明日に先延ばしした。
2月11日は例年、フィリッピンに医療奉仕で出かけたり、同級会が開催されたり行事が多い日になっている。
今年は紀元節の歌を知っている仲間との同級会に出席する、だからいつまでも、パソコンとじゃれあってはいられない。
紀元節は学校から、日章旗が描かれた紙に包んだ味噌パンを貰ったことだけを覚えている。
遠縁に当たる 明治42年(1909)生まれの方が亡くなり、昨日お葬式に参列した。
お歳は103歳 小学生の可愛い曾孫さんが、お別れの言葉を読んだ。
「おおばあちゃん」と呼ばれたその人の人生は、決して平坦な道のりではなかったと思う。
しかし幾度かお会いしたことがあるが、いつも明るかった。
葬儀の終りに「川の流れのように」が流れた、おおばあちゃんはこの歌が好きだったという。
知らず知らず 歩いて来た、細く長いこの道
振り返れば 遥か遠く、故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道、地図さえない それもまた 人生
ああ 川の流れのように、ゆるやかに
いくつも時代は過ぎて、ああ 川の流れのように
とめどなく空が黄昏に、染まるだけ
昨秋 室内の空き空間と、腕力衰えを鑑みて、目をつぶってアボカドの思い切った整枝を試みた。
ところが年末年始 枝に残した葉が次々と乾いた音を立てて落ち、裸木同然の姿に変ってしまった。
熱帯の植物には過酷な仕打ちだったかもしれない。
もしこのまま芽吹きがなかったら、赤道直下の地から持ち帰り頒布頂いた正木さんに、なんと報告しようかと後悔した。
皮肉なことに今年は厳寒の日々が続き、その上省エネの掛け声も強くなって、アボカドには受難の日々が続いていた。
先ごろ 春の雨が二日連続で降って、急に気温が上昇した日があった。
その事が引き金になったのだろう、裸木の数か所から一斉に瑞々しい新芽が成長を始めた。
一足早い春の訪れである。