この夕景色を見ると落ち着くことができる。
アジアからの留学生は松本の町は全体に暗いという。
そうかもしれない。彼女の出身国の治安が、日本より少し悪かったとしたら十分うなずける。
以前の話だけれど、東南アジアのある首都で、夜の自由行動に出る前に「暗い小路などには絶対近づかないでください」とガイドさんに真剣に言われたことがある。
5秒露出でこんなに明るくなった。
快晴の青空を背にした常念岳と槍ケ岳
悠々と飛行する模型飛行機 近くで見れば人の背丈を超える大きさだ。
右手奥は岩小屋沢岳 窓から見える最北端に位置する。
原料の野沢菜収穫
漬菜洗い風景が消えてから、もう半世紀にもなるだろうか?
農家では収穫した漬菜を、町家では購入した漬菜を荷車やリヤカーに積んでススキ川に運び、それぞれが洗い場を急造し、川岸に膝をついて菜洗いが始まった。
上流から下流まで流域の住民はそれぞれに割り振られた洗い場があって、川岸の道路には菜を運ぶ荷車が並んだ。
漬菜の漬け込みは農家非農家を問わず、年末を控えての大仕事であった。
「お葉漬けは終わったかね?」がしばらくの期間、日常挨拶として使われたものだ。
漬けた量も半端ではなかった、子供の背丈より高い大桶2本にびっしり詰めて冬の備えとしていたが、長野県が長寿県として輝きを増すとともに、漬物量は激減した。
野沢菜の隣に季節外れの菜花が咲いていた。れっきとした野菜、遠くでかすかにほろ苦い食料花である。
土手のススキの穂綿が飛び去って、花穂には箒のように細い茎だけが残っている。
一握り折り取って、雑司ヶ谷ふうのミミズクを作った。
境内のの古木の洞に毎年ミミズクが営巣しヒナを育てていた。
時々洞から顔を出す雛鳥のイメージに近づけたいのだが、そのイメージが薄れかけている。