長崎といえば,エキゾチックな歴史的建造物や交易・キリスト教を通した文化の香り,それに戦争とつながる悲しい歴史の数々が浮かんできます。
佐世保から長崎市内に入る直前にガイドさんが暗唱で紹介された著書『この子を残して』には,びっくり! いうまでもなく,自ら被爆者になられた永井隆博士の著書です。一節とか一文を読み上げるというのでなく,まったくの長文をよどみなく暗唱されたからです。
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内容もすごかったのですが,朗唱の才には驚き入り,一同聴き入っていました。いずれ孤児となるであろう二人の子への思いが深く染み入る文体で綴られていて,こころを打たれ続けました。あとで聞いたところ,返って来たことばはこうでした。「若い頃に覚えた文は頭からは消えないものです。今は覚えられませんが」。淡々としたことばにプロ意識が見えました。というより,被爆地のこころをすこしでも語り継ぎたいという意志があらわれていたのかもしれません。
そういえば,車中の案内は途切れることなく,そして解説書を読んだりそれを紹介したりするわけでなく,いつもバスの後方を見ながら話をなさっていました。すべてのことが頭に入って,頭の引き出しに順序良く整理されている様子が窺えました。もうあっぱれとしかいいようがありません。
こんなわけで永井博士の著書を読み返したくなりました。下写真は車中から撮った永井博士の住居『如己堂』です。二畳一間という規模からも,当時の悲惨さが垣間見えます。
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懐かしの平和公園で平和祈念像と再会。ここで仲間と撮った記念写真が思い出されました。
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被爆直後に人々が求めたのが水。水はいのちを支えます。水がわたしたちに語りかけています。
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バスの中から見ただけですが,山王神社の一本柱鳥居と被爆大楠。
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浦上天主堂の,破壊された構造物の一部。
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それらは歴史的遺産として,平和を願う人々の確かな道しるべであり続けるでしょう。
大浦天主堂や修復中の旧グラバー邸の佇まいも,昔の印象と変わりませんでした。海と山に挟まれて発展している国際都市ナガサキには,これから先も“ならでは”を一層発信するまちであってほしいと願っています。