2ヶ月ぐらい前のネタになるのですが,安曇野・塩尻巡検からの記事です。
安曇野では屋敷林や景観協定地区,拾ヶ堰などを中心に回ったのですが,当日,現地で手に入れたガイドブックをみて,ちょっと面白そうと思って立ち寄ったのが「安曇野市天蚕センター」。
天蚕(野蚕ともいう)は,ヤママユガという主にクヌギやナラの葉を食す大型の繭をつくる蛾のことなのですが,対になる言葉を聞いた方が分かりやすいです。「天蚕」と対になる言葉は「家蚕」。家(家畜としての)の蚕に対して,天然・野生の蚕という訳です。ただ,食草が違うのでお分かりの通り,別の種類。
卵から幼虫を育て,繭及び次代に繋ぐ卵を採取する一年の生業の流れをビデオで視せてもらったのですが,クワの葉も採取してくる形で蚕室だけで完結するカイコ(家蚕)と比べると,ヤママユガ(天蚕)は丁寧に仕立てたクヌギ畑(飼育林)に,一定数ずつヤママユガの卵を付けていく作業(山付け)から始まり,繭を採取するところまでが屋外,何となく魚の養殖に似ている感じが面白いです。
蛾や飼育法の違いは上記のような感じなのですが,繭から採取される糸は,天蚕糸は家蚕糸(通常の絹糸)と比較して,写真のように淡い翠色で光沢があります。こうした特徴を生かして,着物の刺繍などによく用いられてきました。加えて,糸自体が強く丈夫で伸縮性を有するので,「天蚕三代」と呼ばれ,天蚕糸で織られた織物は親・子・孫と三代で使えたといわれています。一方で,伸縮する糸は織るのが大変難しく,熟練の技を要したそうです。
明治中期の最盛期には,3000haから800万粒もの繭が生産されていました。しかし,その後,病害の流行や災害などにより衰退,戦争の影響も受け,一度は途絶えてしまったそうですが,戦後に穂高町の働きかけにより飼育が復活し,現在に至るそうです。
安曇野では屋敷林や景観協定地区,拾ヶ堰などを中心に回ったのですが,当日,現地で手に入れたガイドブックをみて,ちょっと面白そうと思って立ち寄ったのが「安曇野市天蚕センター」。
天蚕(野蚕ともいう)は,ヤママユガという主にクヌギやナラの葉を食す大型の繭をつくる蛾のことなのですが,対になる言葉を聞いた方が分かりやすいです。「天蚕」と対になる言葉は「家蚕」。家(家畜としての)の蚕に対して,天然・野生の蚕という訳です。ただ,食草が違うのでお分かりの通り,別の種類。
卵から幼虫を育て,繭及び次代に繋ぐ卵を採取する一年の生業の流れをビデオで視せてもらったのですが,クワの葉も採取してくる形で蚕室だけで完結するカイコ(家蚕)と比べると,ヤママユガ(天蚕)は丁寧に仕立てたクヌギ畑(飼育林)に,一定数ずつヤママユガの卵を付けていく作業(山付け)から始まり,繭を採取するところまでが屋外,何となく魚の養殖に似ている感じが面白いです。
蛾や飼育法の違いは上記のような感じなのですが,繭から採取される糸は,天蚕糸は家蚕糸(通常の絹糸)と比較して,写真のように淡い翠色で光沢があります。こうした特徴を生かして,着物の刺繍などによく用いられてきました。加えて,糸自体が強く丈夫で伸縮性を有するので,「天蚕三代」と呼ばれ,天蚕糸で織られた織物は親・子・孫と三代で使えたといわれています。一方で,伸縮する糸は織るのが大変難しく,熟練の技を要したそうです。
明治中期の最盛期には,3000haから800万粒もの繭が生産されていました。しかし,その後,病害の流行や災害などにより衰退,戦争の影響も受け,一度は途絶えてしまったそうですが,戦後に穂高町の働きかけにより飼育が復活し,現在に至るそうです。