小学校のクラス会をすることになりました。
・九州に住むお友達が東京に帰ってきている
・海外でお仕事をしている方が東京に居る
・6年の時の担任の先生が6月にお亡くなりになった
そんな出来事を全部まとめてお鍋に入れてかき回したら、今日のクラス会になりました(???)
会場は、母校の最寄り駅。
少し早く着いて、学校に行ってみました。
駅からの距離が、当時の半分くらいに感じられます。
校門に着くと、夏休みの校庭開放をやっていました。
担当の、おそらくPTA役員の方に
「昔、この学校を卒業した者ですが、校庭を覗いてみても良いですか?」
と聞くと
「どうぞどうぞ。職員室に先生方も出ていらっしゃいますけれど、ご存じの先生はもういらっしゃいませんか?」
(ウン十年前ですから...)
さてさて、校舎は建て直されたりして当時とかかなり趣が変わっているのですが、
当時と変わっていない場所はコチラ
左)プール
当時は夏休み中は毎日プール開放がありました。
「運チ」の私が唯一なんとかなったのが水泳でしたので、モチロン、夏休みのプールは毎日通っていました。
(その時に、平泳ぎの練習中に隣の人と「けりあわせ」をしてしまい、足の指を脱臼するという「こんなの初めて」by校医、経験もしました)
右)山とトンネル
手前の土管は「トンネル」として、山に埋もれていました。
長い年月で、山の浸食が進み(?)土管がむき出しになってしまいました。
そして、校歌に歌われた
「はる~かに、富士~の見え~る庭」
が
特に高い建物が建っているわけではありませんけれど、樹木が伸びて、隣の空き地が宅地に替わり、本当に
「はるか」
に、見えていた富士山は、おそらく望めないのでは...。
もっと「広い」と思って居た校庭も、当時ほどの広さは感じられず、「不思議の国のアリス」状態?!?
少子化で統廃合が進む現代で、母校が残っていることの幸せを感じました。
・・・・・
6時から始まったクラス会の参加者は9名。
急きょ決まった会にもかかわらず、これだけの参加者があったのはなかなかのモノではないかと。
一応(これがメイン!)恩師に献杯して、そこからは「体感人数3倍」(?)くらいの盛り上がりでした。
卒業以来初めて(ということは40年ぶり?)の人も居て、遠い昔の思い出が次々と甦って来ました。
「先生もきっとそばで一緒に聞いていたような気がします」
と会の後で参加者からメールを頂きましたけれど、たぶん、アキレていらっしゃったのでは...。
でも、先生、
教え子達は、それぞれみんな、それぞれの場所でガンバッテ生きていますので、どうぞご安心ください。