このシリーズも19弾になって、まだ開業する
段階の話にもなっていないとは・・・。
相変わらずスローペースで展開していますが、
今回は事業計画書を父親に見せプレゼンをした
話でもしてみます。
当時の僕は、ラーメンに関する知識を短時間で
必死に詰め込んでいました。ラーメンに関する
書籍だけで100冊近くあり、その本を何度も
読み、マーカーでラインを引き、ルーズリーフ
に重点を書き出し・・と、人生で初めてマジに
なって勉強した時期かもしれません。睡眠や
トイレの時間すら惜しく、ラーメン屋勤務時間
以外はラーメンについてばかり勉強していまし
た。
やはり、目標や、夢もなく、勉強するのは辛い
し「こんな事が一体何の役に立つんだ。人生で
必要なのか?」とか思うと、勉強なんて、
あーやめた、やめた・・・後は野となれ・・・
なんて状態になってしまいます。
でも、具体的な目標が出来れば、人間は頑張る
生き物ですね。グータラな僕が必死になったん
ですから。
僕がラーメン屋を開業するには、大きな門番を
説得しなければ先には進めませんでした。
この門番が父であり、ラーメンに関して理解が
まったくない父を納得させるのは容易じゃあり
ません。
多分「芸人になりたいんだ」「ミュージシャンに
なりたい」と言うよりも、親の説得は難しいです。
必死に説得して「やりないなら、好きにやってみろ」
と簡単に話が進む話じゃありません。
自己資金だけでするのならば、簡単な話ですが、
僕にあるのはラーメン屋への夢だけで、貯金は150
万円ぐらいしかありませんでした。ラーメン屋開業
には150万円なんてわずかな足しになる程度で、
厨房機器、食器すらも揃えられません。
僕みたいに何の信用も無い人間に、銀行が融資して
くれるはずも無いし、新規事業者の支援融資の
商工ローンも審査が厳しいです。僕がどんなに特殊
なラーメン屋だと説得しても、ラーメン屋では
特徴ある業種とだとはとてもらえないし、競争率が
激しく3年持たない店が全体の80%っていう危険
な業種に融資したいとは思わないはずです。
だから、まずは父親に頼って、大半のお金を貸して
もらわなければいけません。物凄く大金だから
そう簡単に「ウン」とは言ってくれないのは覚悟の
上で事業計画書を作成しました。
300ページぐらいになる事業計画書でした。
取引業者から、価格見積もり、調味料、材料のメー
カー、店のコンセプト、店のデザイン・設計図、
ユニホーム、メニュー、レシピ、ラーメン屋になど
思いつく限り全て書きました。
でも、情けないことに推定売り上げ、来客数は、
僕の予定数を上回った事は一度もありません。
当時は、根拠の無い自信だけがあり、ラーメンで
革命を起こそうってぐらいの意気込みがありました。
数ヶ月がかりで書きまとめた膨大な資料が出来上がっ
た。
いよいよ、プレゼン・・。
でも、いつも酔っ払っているので、なかなか言い出
せず、無駄に数日過ぎていきました。
そして、ある日の夜7時ぐらい、自分の部屋から
プレゼン用の資料一式を居間に運び込み、父が見てい
たテレビを消した。
父は「今から何がはじまるんだ・・?」って表情で
見ながら「おい、今テレビみてるだろ!!」っと
怒鳴ってきた。
僕が「僕はラーメン屋を独立開業する目標をずっと
持っていたので、僕の話を聞いて欲しい」と言い
突発的に話を始めました。
父は「おいおい。お前に商売なんか出来るわきゃ
ないだろうもん。変な気を起こさんと、一生雇われ
人でやってろ」
「やりたきゃ自分の金でやれ。親を頼りにすんな」
などと、想定内な反撃に合いながら、平常心で
淡々とプレゼンをしました。
父は納得しないまま、
「俺はもう寝るけんが、お前の書いた資料はそこ
に置いとけ。暇な時に読んでやる」と言って寝ま
した。
わずか3時間のプレゼンでは、僕の思いを伝えら
れなかったし、父の説得は長丁場になるかもしれ
ないと覚悟をした。
1週間ぐらい、会話にラーメン屋開業の話は出る
ものの、父は僕に諦めるように促すばかりで、協力
体制に持っていくのは難しかった。でも、会話の
端々に、僕が渡した事業計画書の内容が出ていた
ので、資料は読んでくれている事で、僅かな希望が
ありました。
今日はここまで・・。
次回は、父が応援&協力の姿勢を見せてくれ、僕の
ラーメン屋計画が現実のものとなり、具体的に動き
出す話をします。
「RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~へ
の道」も19話までは、前書きみたいなものです。
次回からが本編です。
段階の話にもなっていないとは・・・。
相変わらずスローペースで展開していますが、
今回は事業計画書を父親に見せプレゼンをした
話でもしてみます。
当時の僕は、ラーメンに関する知識を短時間で
必死に詰め込んでいました。ラーメンに関する
書籍だけで100冊近くあり、その本を何度も
読み、マーカーでラインを引き、ルーズリーフ
に重点を書き出し・・と、人生で初めてマジに
なって勉強した時期かもしれません。睡眠や
トイレの時間すら惜しく、ラーメン屋勤務時間
以外はラーメンについてばかり勉強していまし
た。
やはり、目標や、夢もなく、勉強するのは辛い
し「こんな事が一体何の役に立つんだ。人生で
必要なのか?」とか思うと、勉強なんて、
あーやめた、やめた・・・後は野となれ・・・
なんて状態になってしまいます。
でも、具体的な目標が出来れば、人間は頑張る
生き物ですね。グータラな僕が必死になったん
ですから。
僕がラーメン屋を開業するには、大きな門番を
説得しなければ先には進めませんでした。
この門番が父であり、ラーメンに関して理解が
まったくない父を納得させるのは容易じゃあり
ません。
多分「芸人になりたいんだ」「ミュージシャンに
なりたい」と言うよりも、親の説得は難しいです。
必死に説得して「やりないなら、好きにやってみろ」
と簡単に話が進む話じゃありません。
自己資金だけでするのならば、簡単な話ですが、
僕にあるのはラーメン屋への夢だけで、貯金は150
万円ぐらいしかありませんでした。ラーメン屋開業
には150万円なんてわずかな足しになる程度で、
厨房機器、食器すらも揃えられません。
僕みたいに何の信用も無い人間に、銀行が融資して
くれるはずも無いし、新規事業者の支援融資の
商工ローンも審査が厳しいです。僕がどんなに特殊
なラーメン屋だと説得しても、ラーメン屋では
特徴ある業種とだとはとてもらえないし、競争率が
激しく3年持たない店が全体の80%っていう危険
な業種に融資したいとは思わないはずです。
だから、まずは父親に頼って、大半のお金を貸して
もらわなければいけません。物凄く大金だから
そう簡単に「ウン」とは言ってくれないのは覚悟の
上で事業計画書を作成しました。
300ページぐらいになる事業計画書でした。
取引業者から、価格見積もり、調味料、材料のメー
カー、店のコンセプト、店のデザイン・設計図、
ユニホーム、メニュー、レシピ、ラーメン屋になど
思いつく限り全て書きました。
でも、情けないことに推定売り上げ、来客数は、
僕の予定数を上回った事は一度もありません。
当時は、根拠の無い自信だけがあり、ラーメンで
革命を起こそうってぐらいの意気込みがありました。
数ヶ月がかりで書きまとめた膨大な資料が出来上がっ
た。
いよいよ、プレゼン・・。
でも、いつも酔っ払っているので、なかなか言い出
せず、無駄に数日過ぎていきました。
そして、ある日の夜7時ぐらい、自分の部屋から
プレゼン用の資料一式を居間に運び込み、父が見てい
たテレビを消した。
父は「今から何がはじまるんだ・・?」って表情で
見ながら「おい、今テレビみてるだろ!!」っと
怒鳴ってきた。
僕が「僕はラーメン屋を独立開業する目標をずっと
持っていたので、僕の話を聞いて欲しい」と言い
突発的に話を始めました。
父は「おいおい。お前に商売なんか出来るわきゃ
ないだろうもん。変な気を起こさんと、一生雇われ
人でやってろ」
「やりたきゃ自分の金でやれ。親を頼りにすんな」
などと、想定内な反撃に合いながら、平常心で
淡々とプレゼンをしました。
父は納得しないまま、
「俺はもう寝るけんが、お前の書いた資料はそこ
に置いとけ。暇な時に読んでやる」と言って寝ま
した。
わずか3時間のプレゼンでは、僕の思いを伝えら
れなかったし、父の説得は長丁場になるかもしれ
ないと覚悟をした。
1週間ぐらい、会話にラーメン屋開業の話は出る
ものの、父は僕に諦めるように促すばかりで、協力
体制に持っていくのは難しかった。でも、会話の
端々に、僕が渡した事業計画書の内容が出ていた
ので、資料は読んでくれている事で、僅かな希望が
ありました。
今日はここまで・・。
次回は、父が応援&協力の姿勢を見せてくれ、僕の
ラーメン屋計画が現実のものとなり、具体的に動き
出す話をします。
「RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~へ
の道」も19話までは、前書きみたいなものです。
次回からが本編です。