昨日に引き続き、父のピカイチです。
弁当食われた悔しさも癒えないのに、さっきみたYahoo!のトップに飾ってあったカラスの写真に激怒した。
まあ、普段何でもなかったら文句も言わず、すげえと感心したんだろうが、弁当を包んでいたナプキン?もあけられ、ふたも開けられ、食われるってあり得ないだろう。
普段から、ここで食事をしている連中をみて覚えたんだろうが、俺としちゃあ納得いかねえ。
そこへきてYahoo!のニュースだ。
え?知らん?カラスが公園の水飲み場の水道の蛇口をひねって水飲んでるという動画。
まじすげえと思うが、
「へんっ!開けたんなら閉めることも覚えろ、バカガラス」
と毒づいた。
んで、教授の温室の前の杉の木に向かって、
「ばあかガラス~、横浜のカラスは蛇口をひねって水飲むぞ~、お前らドロボーガラス~」
と叫んでやった。
やったら、カラスが1羽2羽と増えてきて、何するかと思ったら、止まっていた杉の枝の上で大きく羽ばたいて、スギの枝を揺らし始まった。
「あ~!!」
枝から黄色い煙が…。
「なにやってんですか~!!」
嵐1号が、すっ飛んできて俺を温室に連れ込んだ。
「いい加減にしてくださいよ~」
赤軍派みたいなスタイルの嵐1号の両目は充血。俺はすでに注射を打っているんだが、しかしもろに黄色い花粉を浴びたもんだから、涙と鼻水がずるずる。。。
「バカなことして~。ここのカラスは中島&片山教授の性格をそっくりそのままな性悪カラスたちなんだから、二度とかかわらないでくださいよっ!!」
と叱られてしまった。
「ほんと、カラス相手に大人げない…」
大人げないのはよおくわかった、鼻水と涙目で仕事にならんわっ!!
お久しぶり、父のピカイチです。
さて、進級がかかるこの季節、私立の学校は授業料が完納しないとどんなに成績がよくても進級は認められません。
そんなわけで、学園総合事務局勤務にして課長を拝命しているわたくしめの仕事は、中学・高校・大学の各生徒・学生たちの授業料の総チェックを、各学校の事務へと通達しに回るということだ。
要するに愛車のチャリで学園内を、自力で回るということで、課長とは名ばかりのしょうもない仕事なんだな、これが。
そこで、昼飯を外で食べようと、ちょうどよい時間帯にチャリを走らせ、大学グラウンドの階段のところで一休みしようと考えた。中学、高校と回り、タコ壺に顔を出したまではよかった。そこから中島教授の温室に、むちゃぶりな請求書をよこしたので一言文句を言いに立ち寄ったのがよくなかった。チャリの荷台に備え付けてある書類入れの箱にお弁当を書類ケースとともに入れておいた。そこから書類ケースを取り出し、ふたを閉めずにそのままにしておいたんだ。
「わしは学部長だああああ」
という怒号を粉砕し、外へ出てきて気が付いた。
箱に弁当が入っていない。
「え?」
と確かに入れたよな、と周囲をきょろきょろと見まわしたが、弁当の影も形もない。
そこへ、納得のいかない教授が追いかけてきたが、自分の様子を見て不審に思ったのか、
「どうしたんだ?」
とたずねてきた。
「あ、いや、弁当が…」
「弁当?弁当でどうするつもりだったんだ?何?外でピクニック?」
と、上を見上げ、
「おのれは、バカか?こんなところに弁当をそのまま野ざらしにしておくやつがおるか」
と言い木の上を指さした。
「あ?」
と、憎たらしい杉の木の上を見上げれば、ひらひらと俺の弁当を包んでいた布切れが落ちてくる。
次にはし箱と弁当箱のふたがどこんと落ちてくる。
木の枝には数羽のカラスが止まっており、かあかあかあかあと勝ち誇ったように鳴いているじゃないか。そのうちの一羽が気が付いて、
「かっ」
とバカにしたように鳴いた。
「なんだあ?」
と叫べば、カラスが寄ってたかって俺の弁当と思しき箱にくちばしをつつきこんで何やら食っている。
「ああああああああ!」
俺の叫び声に、
「毎年いるんだ、こういうバカが。。。何年ここに勤めているんだ、ボケが」
カラスが飛んできた。
またカラスが飛んできた。
一羽、二羽と飛んできた。
「俺の弁当がああああ」
かあかあかあかあ、かあかあかあかあ。
あ~、うるせえうるせええ!
俺の脇で教授が馬鹿笑いしている。俺は、カラスにむかって届かない石を投げつけるだけ。
そのうち、食い終わったのかカラスが一斉にとび立ち、そのうちの一羽が足に弁当を持ち、俺の頭めがけて落としてきた。
「ぶわっはっはっはっはっは!」
教授が大爆笑して、
「ここまでやられたドアホはおまえだけだ、ざまあみやがれ」
と、むせながら俺にむかって毒づいてきた。
「くっそおおおおお」
「金なんぞ、出すか~!」
「へっ、そんなことしたら、今のこと全部振れまわってやるからな、覚悟しとけ!」
「ああ、やれるもんならやってみろ」
と、中島教授の温室の前で、大変な目にあってしまったというしょうもない俺だった。
と、話はここで済んでしまえばよかったんだがよ、嵐1号が全部動画でとっていやがって、タコ壺で大鑑賞会が開かれてしまい、怒りのあまりいつになく目が充血してしまった。
カラスの野郎!!
世間では、あの日を忘れないと昨日はあちこちで追悼集会が開かれていた。
そんな昨日は、須庭寺で行われた法要に参加したへちま細太郎です。
あの日は何してた?と聞かれても思い出せない。
で、当時を振り返ってみたら、学園内の大清掃の日だった。
落ちてきた田子作の銅像を落ち葉に埋めてたな、藤川先生は。
「3.10は東京大空襲の日だったですわね」
と、藤川家の大おばあさまがおっしゃったそうで、
「あの時のことを思い出せと申されましても、私もう思い出せませんのよ」
とも付け加えられた。
「あら、お忘れになってしまわれたのですか?」
百合絵さまが、おいしいお茶を入れかえ、両足に毛布を巻き付けてあげる。
最近、体調がすぐれないのに、こうして3.11の法事に参加していただいている。今月はもう一度あるんだけどね。
「いえ、無理に思い出そうとしても恐怖だったとしかないの。そうすると連鎖反応で、亡くなられた方々を思い出してしまうでしょ?どうせ、もうすぐ会えるのですもの」
やめてよ、大あばあさま。
「でも、3.11がきっかけで百合絵さんがご住職のもとに嫁がれるなんて、おめでたい出来事もあったので、人ってわからないものですわよ。早く、東北の皆さまも立ち直られるとよいですわね」
藤川家は、かつて幕末のおり東北の藩が官軍に攻めらていた時、なんもしなかったことを悔いていたそうだ。
そうりゃそうだ、食うことしか考えていなかったんだから。
だから、いろいろ炊き出しとかやったわけだ。
でも、そんなことが幕末の罪滅ぼしにはならんわなあ。
「今年の桜はいつ咲くのかしら?」
大おばあさまは、そうつぶやかれてお茶を一口飲まれた。
「おいしいこと」
そう、みんな心からお茶が飲めるといいね。
へちま細太郎です。
大学の春休み、久しぶりに母校の孟宗学園に遊びにいった。
行先は当然のことながら、タコ壺保健室と中島教授の温室。
荒波たちもついてきて、中島教授の愛する小百合を見て驚愕。
さらに、温室に咲き誇る原種のパフィオのペンダントなんたらかんたらという不気味な蘭を見て、パニック状態になった。
「キモ~!」
「気持ちわる~!」
「…」
北海道出身の白崎にいたっては、虫を食っている蘭に無言。
嵐軍団さんの相方の片山教授の弟子が、Gをぶち込んでいたからだ。
「Gって表現すごいな」
「Gって、あれだろ?G・・・・SのG」
「Gはゴメスだろ?」
と後藤を振り返れば、
「Gは、GIANTSのGだ」
「ってことは、Gは、ごっきーにもG・・・・Sにも通じる
「Gってゴ…リだし」
そんなことを3人で言い合っていたら、GIANTSファンの教授が、鬼の形相で仁王立ちしていた。
「ぶああかもんがああああああ!!」
「げっ」
温室内をかけまわる4人の姿に、蘭の門外不出の肥料を持った高橋さんが、
「ぶっかけたろうか、これ」
とぼそりとつぶやくのをきいた。
「内緒で、乾燥Gのすりおろしいれたろうか、ばかやろう」
と、嵐軍団さんも後ろの方でつぶやいたのも聞いた。
本当にやらかしたら、小百合以上のものができるに違いない、と想像して卒倒しそうになったぜ、おいらは。。。
細太郎です。
お父さんと違って、花粉症ではありません。
さて、長野に吹っ飛ばされていたキチローが返品されてきた。
愚にもつかないウンチクをかましたあげく、野沢菜と納豆を混ぜて食べるという行為を繰り返し、しかもその野沢菜がご隠居さまとそのご母堂であるおおおばあさま、しかもおおおばあさまの遠縁にもあたるやんごとない人々への贈り物ときては、野沢菜工場の人々も激怒するだろう。
まあ、俺的にはとてもうまそうな食い方だな、と思うし、捨てちまったり腐らせてしまったわけじゃないから、そこまですることでもなかろう、と珍しくキチローの肩を持った。
ところが、藤川家の人々にとっては、おおあばあさまの存在は格別のものなんだそうだ。
ご隠居の怒りは半端なく、キチローに杉花粉の舞う林にしばらくそこで暮らせ、と蹴り飛ばした。
ご隠居は、自分が花粉症ではないが、周囲に花粉症を患っている人がたくさんいて、ゴーグルをかけているキチローもその一人だと勘違いしたようだ。
「う~ん、こればっかりはコブタもかわいそうだ」
「あいつ、ああみえて、スキー得意なんだよねえ」
例のごとく春休みのバイト生活に突入している美都地区豪農コンビが、頓珍漢な会話をしている。
「スキー三昧だった長野での生活を忘れられないのか、コブタ」
といいつつ、スギ花粉も何のそのの豪農コンビとキチローは、スギ林の質の高いものを捜し歩き、
「レバノン杉に負けねえ香油を作ろうぜエ」
と怪気炎を上げておりましたとさ。
という話をくしゃみで涙目のゴメスと荒波からきいて、思わず、
「たくましい人たち」
とつぶやいたのだった。