鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 美山窯元祭り 02

2008-11-07 | 麓-串木野・日置

美山窯元祭りのつづき

ここの武家門は美山を訪れる度に写真を撮る。とても好きな場所。手前の花もきれいだし

 

 

 

朝鮮の始祖とされる檀君を祀る玉山神社への参道入口。調所笑左右衛門の墓も途中にある

 

もと来た道を引き返す

 

この通りにはきれいな石垣と生垣が続いている。きもちよく散策できる

 

 

 

上の道を下ると沈寿官窯の正面に出る

(訪問記)

コーヒーカップを1脚購入

参考:最初の美山訪問(2007.11)春の訪問(2008.05)


2008 美山窯元祭り

2008-11-07 | 麓-串木野・日置

11月1日から3日まで日置市美山で窯元祭りがあった

沈寿官窯の武家門は美山のランドマークになっている。主屋根と袖の瓦が新しくなったようだ

紅白の幕が垂れる左右の壁にも瓦屋根が付けられている。昔の姿に戻したのだろうか

 

門を入ると日韓の国旗が掲げられている

 

 

昼に出掛けたため人出が多く、車も混雑していた

 

隣りの店も賑わっている。骨董品や手作りの布製品を販売

 

 

 

さらにその向こうのお店では苗木や盆栽を販売していた

 

苗代川黒陶器産業組合之跡の碑。美山は苗代川と呼ばれていた

 

外城第九十四郷校並びに下伊集院村役場跡の碑があった。現在は保育園

外城第九十四郷校は現在の美山小学校の前身

 

左に上がると美山陶遊館。「こけけ王国」の名前はいかがなものか

 

美山陶遊館

 

 

共同登り窯。四百年窯。日韓友好の炎

 

「1598年、文禄・慶長の駅(韓国では壬辰倭乱といわれています。)で、薩摩藩の島津義弘は、朝鮮半島から多くの陶芸技術者を連れ帰りました。そのうち、串木野市の島平浜に上陸した陶工たち43名は、当初、串木野での厳しい生活に耐えながら、生きるための焼物作りをはじめました。しかし、言葉や風土の違いなどで、土地の人との間に不都合が生じ、苗代川(現在の美山)に安住の地を求め、現在に至ったのです。以来、400年の間、陶工たちは朝鮮陶芸の技術を連綿と受け継ぎながら、祖国から持ってきた僅かばかりの陶土と釉薬で焼物を作りましたが、火だけは日本のものでした。そして、永い歳月の中で技が磨かれ、伝承されて「薩摩焼」として発展してきました。」(東市来町-現地解説板より引用)

(続く)