鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 樋脇麓 03

2008-11-15 | 麓-薩摩川内

地頭仮屋跡のある庄内地区を後にする

地頭仮屋跡から移転した樋脇小学校付近

ふと小学校の脇の道を入ってみた

先の石垣に囲まれた屋敷地にぽつんと武家門が残されていた

 

屋敷は取り払われても、武家門は不思議と残る。鄙持ち館主人さんの言葉を思い出す

 

人が住まなくなった屋敷は諸事情で取り壊さざるを得ないのだろうが武家門だけが残るのはなぜだろうか。

せめて門だけでも残したいという屋敷地の所有者の意思の表れではなかろうか

 

 

 

樋脇小学校前の幹線道路沿いに建つ門。

昔からの武家門かは分からないが左右に小さいながらも袖屋根が付いている

(訪問記)

樋脇町は旧役場付近、少し離れた地頭仮屋跡一帯に玉石垣や生垣、武家門構えの屋敷が点在し、外城の面影を十分に残している。これらの歴史的遺産を活かそうという動きは今のところ見られない。おそらく今後もないでしょう。これからも歴史的風景が残り続けることを祈ります。


2008 樋脇麓 02

2008-11-15 | 麓-薩摩川内

樋脇麓の続き

赤い屋根の建物のある敷地が樋脇郷の地頭仮屋跡

 

薩摩川内市指定文化財「樋脇郷地頭仮屋跡」(昭和50年9月1日指定)

 

樋脇郷の地頭仮屋跡で、郷内の行政・軍事・警察の一切を担っていました。江戸時代初期の寛文11年(1671)に設置されました。このあたりを麓といい、ここに郷士の大部分が住んでいました。前の広い通りを馬場といい、郷士が武芸を練った場所で、射撃訓練をした台場跡もあります。明治4年(1871)、外城第4郷校として仮屋跡に学校が設立されました。これが樋脇小学校の起源です。-薩摩川内市教育委員会-

 

麓内を真っ直ぐ延びる馬場。左右に玉石垣と生垣が並ぶ

 

馬場の武家門

 

 

左のブロックが惜しい。この麓も人知れずひっそりと残っている

 

頂部に傘石を載せた石柱のある門構え

 

 

 

 

 

馬場の先で見かけたとても立派な武家屋敷

 

 

左右の生垣や庭木も手入れが行き届いている様子

 

地頭仮屋跡一帯は樋脇町の中心市街地から少し外れており、ひっそりと静かな時間が流れている。

(続く)


2008 樋脇麓

2008-11-15 | 麓-薩摩川内

市比野に出掛けた際に樋脇町の麓地区をまわってみた。初訪問

旧役場の近くで見つけた武家屋敷。門に風格がある。朝方霧につつまれる

 

 

 

晩秋の時期。背後の建物は薩摩川内市樋脇支所(旧役場)

 

近くの路地を歩くと武家門が残っていた。屋敷はない

 

 

天神地区。道の左右に玉石垣が築かれ、その上に生垣が配されている

 

 

 

玉石垣が続く。地頭仮屋跡へと続く道。

 

 

地頭仮屋跡へ続く道に面して二棟の武家門が並び建っている

 

 

 

 

(続く)