旧高山町で流鏑馬と同じく有名なのは二階堂家住宅
二階堂家住宅
手前がオモテ。奥がナカエ。江戸時代の郷士屋敷。興味深いのは、武家(郷士)の屋敷らしく作りがしっかりしており、保存状態が良いことから国の重要文化財に指定されたこと(ウィキペディアより)。当時は各地に民家が建っていたのでだろう、ほとんどが消滅したなかで、ここの屋敷が現在まで奇跡的に残った点はそれなりに理由があるのだろう
庭木をきれいに剪定作業していた
二階堂家の武家門。茅葺。親柱は自然木の枝を落としただけの素朴なもの。
なるほど昔の郷士屋敷は屋根瓦もなく素朴な佇まいだったのが分かります。
この後、高山川の向こうの上之馬場へ向かったが車を停める適当な場所が見当たらず。
四十九所神社方面へ引き返す。上之馬場付近にも麓らしい景観が残っている。
肝属氏の歴代の墓もそちらにある。
四十九所神社の参道。
10月19日に流鏑馬が行なわれた。未舗装路を馬が疾走する。普段は車が低速で通る。
四十九所神社
八幡馬場付近の風景。高山麓には多くの用水路がある
歴史を感じさせる石柱のある門構え。
鹿屋市内や近郊の国道や幹線道路を走ると石垣の立派な家があちこち見られる。
このような味わいのある意匠の石柱を門に構えてくれたら歴史の継続性が感じられてとてもいいと思う。
肝属町新富の交差点付近
(訪問記)
旧高山町を訪れたのは2回目。先週の流鏑馬祭りに行けなかったのは残念。
旧高山町の麓地区は武家門はそれほど残っていないが麓らしい雰囲気は残っている。
役場前の景観を整備するだけで町並みの雰囲気はぐんとよくなると思う。肝属氏の本拠地であったことを伝える情報や案内板があれば高山の歴史の深さをもっと感じることができると思う。
参考⇒二階堂家住宅と旧高山町(2007年8月訪問)
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