2017年11月、「魏志倭人伝と神功・応神の痕跡を訪ねる旅」と称して古代史仲間3人で北九州を巡る2泊3日の実地踏査ツアーに行ってきました。レンタカーを借り、真っ盛りの紅葉や観光を楽しみながら、次のような行程で20か所以上を訪問してきたので、エピソードをまじえて順に紹介したいと思います。今回のメンバーもいつも通りのSさんとOさんです。ちなみにこの3人で実地踏査と称して古代遺跡や神社を巡るのは5回目になります。
3日間の行程は以下の通りです。博多を拠点に初日は西へ時計回りに、2日目は北へ時計と逆回り、3日目は東へ、というルートになりました。なお、私自身は二度目の訪問であったところが多く、二度目のところはあまり写真を撮らなかったので、必要に応じてひとりで訪ねたときの写真を流用します。
●初日
福岡空港
→吉野ヶ里遺跡
→菜畑遺跡(末盧館)
→宇木汲田遺跡・柏崎遺跡
→志登支石墓群
→伊都国歴史博物館
→井原鑓溝遺跡
→三雲南小路遺跡
→平原遺跡
→吉武高木遺跡
→福岡市内(泊)
●2日目
福岡市内
→板付遺跡(板付遺跡弥生館)
→須玖岡本遺跡(奴国の丘歴史資料館)
→大分八幡宮
→飯塚市歴史資料館
→立岩遺跡
→宗像大社(神宝館)
→新原奴山古墳群
→福岡市内(泊)
●3日目
福岡市内
→筥崎宮
→香椎宮
→高良大社
→平塚川添遺跡
→小迫辻原遺跡
→宇佐神宮
→大分県立歴史博物館
→川部高森古墳群
→大分空港
地図にプロットするとこんな感じです。
早朝6:15羽田発のJAL303便で福岡へ。上空からの富士山はお決まりのショット。
朝が早かったので機内で少し眠ったものの、到着前に目が覚めて思い出したように窓の外の景色を確認。2週間前に奥さんとの車中泊ツアーで行ったばかりの九州であるが、そのときに壇之浦パーキングからまじかに見た関門海峡を上空からも見ておきたかったので。
こうしてみると、海とは言いながら川のように狭いのがよくわかる。古来、ここが数々の歴史の舞台になったことがよくわかる景色でした。
関門海峡を過ぎるとすぐにもうひとつのチェックポイントの洞海湾と遠賀川下流域に広がる遠賀平野。ここは仲哀天皇の時に熊襲が反乱したのを聞いた天皇が紀伊の徳勒津宮(ところつのみや)から、神功皇后が敦賀の笥飯宮から穴門の豊浦宮を経て橿日宮(香椎宮)に向かったときのルートだ。天皇が船で海岸沿いに進み、皇后がこの洞海湾を進んだと日本書紀に記されている。遠賀川下流域は古代には古遠賀潟と呼ばれた潟が広がっていて洞海湾とは水路でつながっていたと言う。それを空から実感したかった。
左側真ん中の横に伸びるのが洞海湾。右側に上から遠賀川が流れ、両側に平野が広がる様子。これを見ると水路でつながっていただろうと思える。
これで安心してふと気を抜いた瞬間に思い出したのが宗像大社。あわてて撮った写真がこれ。
写真ではわからないけど、左上に辺津宮の宗像大社、左下が中津宮のある大島にわたる神湊。真ん中には新原奴山古墳群があり、周囲に広がる平野は古代は入り江になっていたという。GoogleMapの航空写真でも見ることができるが、やはり自分の眼で確かめることに意味がある。
さあ、いよいよ福岡空港に着陸だ。
3日間の行程は以下の通りです。博多を拠点に初日は西へ時計回りに、2日目は北へ時計と逆回り、3日目は東へ、というルートになりました。なお、私自身は二度目の訪問であったところが多く、二度目のところはあまり写真を撮らなかったので、必要に応じてひとりで訪ねたときの写真を流用します。
●初日
福岡空港
→吉野ヶ里遺跡
→菜畑遺跡(末盧館)
→宇木汲田遺跡・柏崎遺跡
→志登支石墓群
→伊都国歴史博物館
→井原鑓溝遺跡
→三雲南小路遺跡
→平原遺跡
→吉武高木遺跡
→福岡市内(泊)
●2日目
福岡市内
→板付遺跡(板付遺跡弥生館)
→須玖岡本遺跡(奴国の丘歴史資料館)
→大分八幡宮
→飯塚市歴史資料館
→立岩遺跡
→宗像大社(神宝館)
→新原奴山古墳群
→福岡市内(泊)
●3日目
福岡市内
→筥崎宮
→香椎宮
→高良大社
→平塚川添遺跡
→小迫辻原遺跡
→宇佐神宮
→大分県立歴史博物館
→川部高森古墳群
→大分空港
地図にプロットするとこんな感じです。
早朝6:15羽田発のJAL303便で福岡へ。上空からの富士山はお決まりのショット。
朝が早かったので機内で少し眠ったものの、到着前に目が覚めて思い出したように窓の外の景色を確認。2週間前に奥さんとの車中泊ツアーで行ったばかりの九州であるが、そのときに壇之浦パーキングからまじかに見た関門海峡を上空からも見ておきたかったので。
こうしてみると、海とは言いながら川のように狭いのがよくわかる。古来、ここが数々の歴史の舞台になったことがよくわかる景色でした。
関門海峡を過ぎるとすぐにもうひとつのチェックポイントの洞海湾と遠賀川下流域に広がる遠賀平野。ここは仲哀天皇の時に熊襲が反乱したのを聞いた天皇が紀伊の徳勒津宮(ところつのみや)から、神功皇后が敦賀の笥飯宮から穴門の豊浦宮を経て橿日宮(香椎宮)に向かったときのルートだ。天皇が船で海岸沿いに進み、皇后がこの洞海湾を進んだと日本書紀に記されている。遠賀川下流域は古代には古遠賀潟と呼ばれた潟が広がっていて洞海湾とは水路でつながっていたと言う。それを空から実感したかった。
左側真ん中の横に伸びるのが洞海湾。右側に上から遠賀川が流れ、両側に平野が広がる様子。これを見ると水路でつながっていただろうと思える。
これで安心してふと気を抜いた瞬間に思い出したのが宗像大社。あわてて撮った写真がこれ。
写真ではわからないけど、左上に辺津宮の宗像大社、左下が中津宮のある大島にわたる神湊。真ん中には新原奴山古墳群があり、周囲に広がる平野は古代は入り江になっていたという。GoogleMapの航空写真でも見ることができるが、やはり自分の眼で確かめることに意味がある。
さあ、いよいよ福岡空港に着陸だ。