古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

吉武高木遺跡(北九州実地踏査ツアー No.10)

2017年12月24日 | 実地踏査・古代史旅
県道49号線を日向峠に向かって走る。原田大六はここを昇る朝陽が平原1号墓に眠る被葬者を照らしたと言い、古田武彦氏らはここが天孫降臨の場であったと言う、その日向峠も車で走るとあっという間に通り過ぎてしまう。そして峠を降りる頃には日没を迎え、あたりがどんどん暗くなっていく。

もしも明るいうちにここを通過するようであれば立ち寄ろうと思っていた吉武高木遺跡はすぐのところだ。鏡、玉、剣の三種の神器が発見された最古の王墓が出たとして有名になった遺跡。せっかくなので雰囲気だけでも感じようと車を向けた。

写真で見ると空に青みが残っているが、実際はほぼ真っ暗という状況。

真ん中の山が飯盛山。その左手がいま走って来た日向峠。

説明板も明かりを照らさないと読めない。

この遺跡は福岡平野の西端、飯盛山の東麓にあって、弥生時代前期終わり頃から後期初め、とくに中期に最盛期を迎えた。魏志倭人伝に記される伊都国と奴国の間に存在しながら、弥生後期には消滅していたために倭人伝に記されることはなかった。福岡平野東側にあった奴国に吸収されてしまったのだろうか。

最古の王墓の説明。


南西に向かって伸びる甕棺ロードのスタート地点。

幅30~40m、長さ約500mにわたって甕棺墓群が存在しており、その総数は2,000基にも及ぶと推定されている。
明るいとこんな感じ。(前回訪問時の写真)



この遺跡は「やよいの風公園」として整備されている。(前回訪問時の写真)


前回訪問時のレポートはこちら


さすがに長く滞在してもしかたないのですぐに退却。博多駅近くのホテルに向かった。
これで初日の実地踏査は全て終了。桜馬場遺跡をパスした以外は計画通りに進捗し、満足の一日となった。チェックインを済ませて博多駅近くの居酒屋で互いに一日の労をねぎらいました。
コメント
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