『 浄土は 言葉のいらぬ世界である
人間の世界は 言葉の必要な世界である
地獄は 言葉の通じぬ世界である 』
この映画を見て、このことが浮かびました。
今の世の中、これほどたくさんのコミュニケーションをとる手段があるのに、
便利になればなるほど、人間同士言葉の通じぬ世界が広がっていく、そして
一人ひとりが孤立していく、不思議と言えば不思議です。
インターネットに携帯、それも常につながっている状態なのに。
『 一期一会 』 そのときその時の出会い、それが最後かもしれない、
通信手段のなかった昔、それしかコミュニケーションの方法がなかった、
そのときの方が本当の意味で人間同士の出会いがあったように思います。
つまり、真剣勝負のような出会い。
イニャリトゥ監督が述べておられます。
「 一番よかったのは、人を隔てる壁についての映画を撮り始めたのに、人と人とを
結びつけるものについての映画に変わったことだ。
つまり、愛と痛みについての映画だ。」
現代とは、人間が完全に「もの」にならなければ生きていけないということになった、
ということではないでしょうか。そこに「人のいない人生」というようなことが出現し
た、そういう一つの危機感、 それを、「バベル」という、神への冒涜という形で表した
のではないかと思います。
見終わったときは、『 なんだろう? 』と不思議な感じでしたが、
やはり、あとからじわっとくる、良い映画ですヨ。
もう一回見てみたいと思いました。