本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

『バベル』の映画鑑賞

2007-05-01 23:45:56 | 住職の活動日記
 

 『 浄土は 言葉のいらぬ世界である
  
     人間の世界は 言葉の必要な世界である

       地獄は 言葉の通じぬ世界である 』

       
 この映画を見て、このことが浮かびました。

 今の世の中、これほどたくさんのコミュニケーションをとる手段があるのに、

便利になればなるほど、人間同士言葉の通じぬ世界が広がっていく、そして

一人ひとりが孤立していく、不思議と言えば不思議です。

インターネットに携帯、それも常につながっている状態なのに。


 『 一期一会 』 そのときその時の出会い、それが最後かもしれない、

通信手段のなかった昔、それしかコミュニケーションの方法がなかった、

そのときの方が本当の意味で人間同士の出会いがあったように思います。

つまり、真剣勝負のような出会い。


 イニャリトゥ監督が述べておられます。

 「 一番よかったのは、人を隔てる壁についての映画を撮り始めたのに、人と人とを

結びつけるものについての映画に変わったことだ。

つまり、愛と痛みについての映画だ。」

 
 現代とは、人間が完全に「もの」にならなければ生きていけないということになった、

ということではないでしょうか。そこに「人のいない人生」というようなことが出現し

た、そういう一つの危機感、 それを、「バベル」という、神への冒涜という形で表した

のではないかと思います。

 見終わったときは、『 なんだろう? 』と不思議な感じでしたが、

やはり、あとからじわっとくる、良い映画ですヨ。

 もう一回見てみたいと思いました。
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今週の言葉

2007-05-01 18:51:27 | 住職の活動日記
 今週は『 仏のまなこ 』 『 人間のまなこ 』 ということで選びました。

同じ一つのものを見るのにも、自分本位に(自己中心的に)見てしまうのと、

そのものになりきって見るのとでは、ぜんぜん違う世界を見ているのではないか、

と思うのです。


 お釈迦さまが悟りを開かれたとき、

『 奇異なる哉 奇異なる哉 

    山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ) 』

と叫ばれたと、聞いております。

 悟ってみてみると、もうすでに、山や川、草木にいたるまで、全部仏さんではないか、

自分が一番遅かった。

 自分だけが悟りを開いて、一番えらいだろう、ではなく

『 仏のまなこ 』から見てみると、世界が一転するのですね。

 ただの砂粒、道端に咲いている野の花、『 これこそ仏さんではないか 』

この世の中が、光り輝く、仏の世界と見えてくるのでしょう。


 これはよく、癌を宣告された方が、こういう心境になられたのを聞いた事があります。

死ということを目の前にしたとき、出会う人出会う人がいとおしく、

本当に今日が最後、という出会いは、『 命輝く 』ものでしょう。


 以前にも書いたと思いますが、師匠から

     『 そのままでいいんですよ 』    といわれ

     『 このままでいいんですね 』    と答えると 

     『 いや! このままではいかん そのままでいいんだ 』

     『 ? ? ? 』     (じゃー どうすればいいの)

 という、頓知みたいな話がありましたが、

 『 そのまま 』 というのは 仏のまなこですね

 『 このまま 』 でいいと頑張るのは 人間のまなこですね。

 同じものを見るのでも、チョッと立場を変えて、見るのもおもしろいですね。 

「 自分を感情にいれず … 」 そのものになりきって

 が、大事ですね!

  しかし、ほんとうにむつかしい ! 



コメント (2)
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今週の言葉4/30~5/6

2007-05-01 00:16:17 | 住職の活動日記
 
 『 一粒の砂に 一つの世界を見

            一茎の野の花に 仏を見る 』

 遅くなりましたが、今週の言葉です。

 選んだ理由は、また次回書きます。今日は時間がないので言葉だけにします。
   
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