本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

忘れるという罪

2007-05-16 23:13:38 | 住職の活動日記
 マザーテレサは

  『 愛の反対はなんですか ? それは無関心です。 』

 といいます。

 仏教では 『 無明 』 (むみょう) といって、

知らない 忘れました 無関心 を最大の罪といいます。

 
 2000年問題、いろんな場面で問題がありました。 パソコンもそうですが、

バチカンでは全世界から枢機卿を集めて、過去1000年におけるキリスト教会が犯した

罪、それについて会議が開かれたそうです。それは二つあるといいます。

  一つは科学的真理を無視したこと(ガリレオとかを有罪にした)。

  二つは分裂したこと(カソリックとプロテスタントに)。

 その罪を懺悔して、新しく出発しようと。すごいことと思います。

単なる2000年問題ではないのですね。1000年の罪を懺悔して、

その罪業をきちっと確認して、それをどう乗り越えるかという課題をもって、

2001年の扉を開いたのです。


 ふと立ち返って、仏教徒として、何か大きな忘れ物をしているのではないか。

例えば、『 オウム問題 』 も次第に私たちの記憶の中から薄れていっています。

この問題について、いまだに問い合わせてくるのは外国のメディアだけだそうです。

 このオウム真理教が偽りの宗教であると、誰でも口にします。

偽りというのであれば、真なる宗教があるはずです。

しかし、真なる宗教について、仏教徒として誰も答えませんでした。

たった12年で記憶から消え去っていい問題ではありません。

 厳粛な意味で、この問題は自分自身に問い返さなければいけないと思います。

なんか心重たい問題です。

 今の時代ほど宗教まがいのものが盛んな時はないようです。と同時に、

まったく宗教に無関心であるということも現代の特徴のように思います。

 この時にあって、『 真の宗教 』 とは、問い続けていかなければいけないと、

心新たにしました。

 と同時に、 『 忘れていく 』 というこわさも感じました。


 
コメント
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