本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

細川忠興・ガラシャ夫人結婚の地

2016-08-23 21:19:31 | 住職の活動日記

天正6年(1578)、

明智光秀の三女「玉」(ガラシャ)は

勝竜寺城主、細川忠興の下へ

嫁ぎました。

 

京都の南西、宇治から見るとほぼ西

長岡京というところに、

勝竜寺城はあります。

 

 

長岡京の地は

奈良の都平城京が平安京に遷都する

間の10年余り都があった所です。

桓武天皇により造営され、

淀川を上り、宇治川、桂川、木津川の

合流地点に近く、物資の運搬にも便利で

また、交通の要所ともなり

肝心要の場所だったようです。

都は水に恵まれ、各家々に水が引かれ

汚物もその水を使って流され

今でいう水洗が完備した都だった

ようです。

 

ということもあり、時代が下がっても

この地は都の要ともなったのでしょう。

細川忠興の父藤孝は

織田信長の命によりこの地に

勝竜寺城を築いたのです。

 

 

石垣を築き瓦で葺くという

要衝にふさわしい堅固な城だった

ということのようです。

 

忠興とガラシャはこの城で

幸せな新婚時代を過ごしましたが、

天正8年には丹後の宮津城に

移ります。

ところがその2年後に

大事件が起こります。

明智光秀が信長を討ったのです。

光秀はこの勝竜寺城の近く

山崎に陣を構えます。

が、光秀が破れて

玉(ガラシャ)は丹後に幽閉されます。

 

お城をのぞいてみます。

 

 

正門から入ると、両脇の塀は

鉄砲間(はざま)が再現され

 

 

小さいながらも往時の姿を

偲ぶことができます。

 

 

軒丸瓦は細川家の家紋である

九曜紋を入れて葺いてあります。

 

堀も水を貯え、

 

 

ハスの花が植えられています。

 

今日も暑い!!

 

 

ハトもこの暑さで、日陰を求めて

塀の下の屋根の木陰で涼んでいる

のでしょう。

 

このお城の前の通りは

 

 

ガラシャ通りと名前が付いています。

 

勝竜寺というのでお寺があるのでは

と、ナビを入れるとほんの近くに

 

 

真言宗のお寺で、

歴史を読んでみると

弘法大師に関係が深く、

弘法大師(空海)が中国での

教えを受けたお寺

「青龍寺」(しょうりゅうじ)から

名前を取って「青」を「勝」に

変えて「勝竜寺」と名乗った

ということです。

 

 

こじんまりとした佇まいながらも

どこか歴史を感じさせる

 

 

ちょうどお盆の施餓鬼供養が

終わったところでしょうか

 

 

ご住職が片づけに汗を流して

おられるご様子です。

 

熊本に馴染みの深い

水前寺公園にある「古今伝授の間」

天正2年(1574)6月17日

細川藤孝(幽斎)はこのお城で

三条西実枝から古今伝授の

切り紙を受けとっています。

古今和歌集の解説の秘説が

こうやって伝わり

熊本にも作られたということは

なにかしら

不思議な因縁を感じます。

 

先週のNHK大河ドラマ「真田丸」で

紹介されましたので

訪ねてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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