本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

無上菩提

2020-12-18 20:57:58 | 十地経

「無上菩提」ということ

難しく言えば

「阿耨多羅三藐三菩提」

インドの言葉そのままでいうと

アノクタラサンミャクサンボダイ

となるのです

別な訳し方には

「無上正等正覚」

(ムジョウショウトウショウガク)

簡単には「無上菩提」と

 

この上ない究極の菩提(さとり)

ということです

上がないという表現

とても面白いともいます。

普通、私たちは厳しい修行とか

すると、もうこれで

自分は最高の位に行った

とか思ってしまいますが

そういう心を否定して

上がないのだ、

修行に終わりはないという

ことを戒めているのでしょう。

 

読んでいる所は

第65講

昭和53年5月30日です

講義の終わりに、

「仏教が一番、徹頭徹尾

自らに依ってある願を

明らかにするために、

一切は他に依ってあるんだと。

他に依ってある

ということによって、

実体性を破るんだ。

仏教学の特色というのは

形而上学でもないんだ。

神学でもない。

その、存在論ですね。

そんなことが今僕の頭に

あるんですけどね。

長い間うろうろしてきましたけど

何十年。

今年僕は70、

70ぐらいにならんと

分からんもんです、年寄らんと。

70年かかって結晶してきた思想

ですけどね。

大体分かるでしょう。

いおうとするところは。」

 

というところで結んでおられます。

安田先生は昭和57年(1982)

2月19日に亡くなられました。

ですから、この講義は

亡くなられる4年前になされた

ものです。

 

70過ぎても何も分からず

いまだウロウロしている自分が

恥ずかしくもあり

今まで何をしてきたのだろうと

考えさせられます。

 

逆に講義の前を見ると

「菩提心を修行する場所は

厳しさの世界で、

厳しさを逃避したらそれは

阿羅漢になってしまう。

無上菩提心、願心というのもを

修練する切磋琢磨する場所は、

厳しい人間の世界しかないんだ

煮ても焼いても食えん、

穢土ですね。

それだけが清浄を生み出してくる

 

だから政治問題でも経済問題でも

それからイデオロギーの問題でも

この厳しさこそが

無上菩提心を磨く、

一番近づいとる場所なんだ。

そういう意味で、

人間の世界と無上菩提心と

いうものは絶対反対で

結びついとるんです。

 

人間の中で人間に耐えるんじゃ

ないんですよ

人間の一番底じゃない

人間の底を破った底がある

人間を背負うような底があるわね

そうでしょう、

そういうもの…、

人間の底を破るが故に

人間を上に超えてしまうんだ

そういうものがないと

生きれんでしょう。

 

無上菩提がなければ

自己を失わずに不動である

ということはできんです。

上がないんですから。

だからわしはもう

仏教を卒業したということは

ないんです。

上がないんですから。」

 

と続けられておられます

こころにグサッとくる言葉

難しいですけど

アップしました。

分からん言葉ですけど

何かしら感じることがあります

難しくても

齧カジってみるのも

おもしろい。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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