通るたびに気になっていた
小さな南天
溝の淵のわずかな隙間に
根をお下ろしたのです
種はどこから飛んできたか
周りを見渡すと
5mほどの道の向かい側に
南天の木があります
飛んできたのか転がってきたのか
ちょうど溝の隙間に納まり
根を下ろしたのでしょう
今年生えたようなものでは
ないようです
たくさんの実が落ちて
その中の一つがここに納まった
さいわいわずかな土もあり
水も程よく流れてきて
こうやっていのちを繋いでいます
そう思いながら見ると
南天、結構生命力があるようで
この岩の間にも芽吹いています。
種が落ちたからといって
生え出てくるものでもなく
石の上では生きられないし
また水が多くても
種は腐ってしまいます
そして日も当たらなければ
育たないでしょう。
命が育っていくということは
本当に沢山の縁があればこそです
どの縁が一つ欠けても
命は芽生えないでしょう。
それから「南天」が気になり
見て歩くと
いたるところで見かけます
「南天」は「難転」に通じ
難を転じてくれるということで
家の鬼門とか玄関に植えて
邪気を防いだのでしょう。
お店の玄関先です
実はなっていないものの
グラデーションで紅葉しています
北野天満宮の南天
見事に生っています
この葉を見て思い出すのは
赤飯といえば南天の葉と奈良漬け
縁起のいいお赤飯に難を転じる
南天を添えたのでしょう
しかし、今はその葉もプラスチック
になってしまいました
マンションの入り口にも
やはり植えてあります
この南天も玄関の入り口近く
あります。
この寒い冬の時期に
真っ赤な実を付ける南天は
見ていても元気をもらえそうな
そういう姿で伸びています。
さて、溝の淵に生えた
「根性南天」
掃き掃除のときに取られて
しまうかもしれません
不用意に踏んづけられて
枯れてしまうかもしれません
しかし、
だんだん大きくなっては
邪魔者になり切られてしまうかも
生き物が順当に育っていくのは
本当に難しい
あらゆるご縁の賜物です
それこそ
「今、命有るは有り難し」
です。