本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

本蔵院万灯会リハーサル

2021-08-07 20:41:39 | 住職の活動日記

新しく菩提樹苑に建立された

納骨供養の慧日堂にて

万灯会の法要は

明日の午後6時から

勤められます

でも今回は

コロナ禍ということもあり

リモートでの法要となります

 

職員の子どもさん達も

献灯献花のお役目があり

リハーサルに余念がありません

 

 

お参りの方は

お見えにならないのですが

テレビに映るということで

真剣そのものです。

 

万燈万華会

(まんとうまんげえ)

の法要はその昔

天長2年(832年)8月22日

高野山において弘法大師

空海によって勤められました

 

その時の願文が有名で

「虚空尽き 衆生尽き

 涅槃尽きなば

 我が願いも尽きなん」

という一節です

 

とても壮大な願いです

この文の原点は『十地経』の

ようです

願ガンということが主題です

『十地経』の初歓喜地から

発菩提心ホツボダイシンと

いうことで願のことが出てきます

 

ちょうど講義に中でも

「どんな人間でもみな如来の

願というものを背負って

生きている」

ということが出てきます

 

その願いが発見されずに

目先の欲望という願いに

惑わされて

本当の願いが見えてこない

ということです

しかし、欲望がある

ということは

本来は

本当の願いを求めている

という証拠です

ただ、方向が少し違っている

ということです

 

しかし、このことも

微妙な意味を含んでいて

ただ人間の願いの延長線上に

本当の願いがあるのではなく

人間の願いが終わるところに

本当の願いがある

ということです

 

弘法大師の願いも

自分一代だけの願いではなく

自分でダメなら

子ども、子供でも駄目なら

孫と、さらにその先にと

人間が尽きるまで

その願いが尽きることがない

ということでしょう

 

出来るから願う

というのはそろばんの世界で

出来るできないを超えて

願わずにいられない

というのが

本当の願いでしょう

 

万燈万華会で

弘法大師はそのような深く

息の長い願いを

人間がもっている本来の願を

願われたのでしょう。

 

 

その様子を優しいまなざしで

ご本尊の阿弥陀如来は

見守っておられるようです。

 

明日は台風も接近する様子

今回は慧日堂での

法要となりますので

安心できることでもあります。

 

 

 

 

 

 

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