本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「何等の乗に置くとは」

2023-06-02 21:13:40 | 十地経

こういう何でもないような

言葉を紐解いていかれます

「何等の乗ジョウに置く」

乗ということも

大乗とか小乗とかという

ことをいいますが

「乗」ということは

ヤーナといって乗りもの

という意味で、

運載ウンサイとか運度ウンドと

いって、運び渡すという

意味もあります。

そこから、

衆生を運びのせて彼岸へ運ぶ

ということで仏の教え

を意味します。

 

講義では

「誰を如何なる方法を以て

乗に置くかと、

どこに置くかと。

誰をどういう方法でもって

どういうところに置くかと、

こういうような

全体の文章ができている。

「以」というのが三つ

「置く」ということも三つ

あるんです。

 

これは教育ということを

一つ考えられてもそうです。

衆生を、

衆生というものを乗に置く

野に衆生を理解して、

その理解に応じて如何なる

乗かを選ぶんです。」

 

こういう簡単な文章ですけど

こういう言葉が一つのヒント

になって洛南高校の

クラス分けになったように

思うのです

 

三浦先生が模索されていた

のは、どういう生徒を

どういうクラスに置くか

すべての生徒を一緒にして

教えるのは不可能では、

やさしすぎれば

進んいる生徒にとっては

物足りないし

難しすぎると

まだ進んでいない生徒には

ついていけない

という問題が起こります

 

そこで、自動車科とか

商業科、普通科、特進科と

いうクラス分けをする

今では

当たり前かもしれませんが

その当時、特進科という

ことがなかった時代には

画期的だったのです

 

これも、安田先生の

どういう衆生、どういう生徒

をどういう科に置くか

こういう簡単な先生の問いが

三浦先生にとっては

大きなヒントに

なったようです

 

教育ということも

やはり乗ジョウということです

生徒を運ぶわけですから

その生徒にも色々ある

その生徒に合った教育方法で

教え導くわけです

 

安田先生も常に

仏教の教えは教育なんだ

ということがテーマでした

簡単な一言ですが

問題を持っている人には

大きなヒントになり

解決の方法が見つかる

ということです

 

ですから、

この『十地経』の講義は

ただの教えというより

非常に実践的な教えだった

ように思うのです

しかし、そのことを

そのまま実践された

洛南高校の先生方も

非常に素直に受け取って

おられたところに

この講義の面白さがある

ようです

 

教えが形になっていく

反対には

形があるところには

必ず教えがあるはずです

形あるところから

その中に潜む教えを

掘り出していくということも

形を作った人の責任

のようにも思います。

 

講義も、

「以て」と「置く」という

この二字の中に意味を

見出していかれる

なにかしら

経典には「字眼」という

言葉があって

それを中心に教えが展開

していくという

面白さがあるようです。

 

 

 

 

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