本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

蜂が死んだ!!

2017-05-22 19:33:54 | 住職の活動日記

庭の水遣り、

 

 

牡丹はみどりの葉を広げ

すくすくと育っている。

ところが

足下に、

 

 

蜂が死んでいる。

先日までは

 

 

一人で頑張って巣作りに励んでいた

本当は幼虫も育っていたのですが

そこに蜘蛛がやって来て

その幼虫を食べてしまったらしい

蜂はその蜘蛛を退治できない

ようなのです。

なされるがまま、抵抗もせず

必死に、

次の命を育てていたようですが

 

やはり自分も

一冬を寒さに耐えて越したのですが

体力も尽きたのでしょう。

 

 

身体もやせ細ってしまったようです。

なにかしら、可愛そうで!

 

袖擦り合うも他生の縁

 

我が家で居を構えたということは

どこかでご縁があったのでしょう。

 

蜂も益虫といいます。

色々な害虫を食べて、

蜜蜂は花粉受精に欠かせない存在

蜂がいなくなると

人間にとっても危機といいます。

 

強そうな蜂、

蜘蛛ぐらい追っ払って

自分たちの子供を守ったらいいのに

と思うのですが、

戦うことなく

自然の摂理に任せて

寿命が尽きてしまった。

 

それが命のあり方かもしれません。

縁が尽きれば亡くなっていく

 

たかが蜂一匹

でも考えさせられる問題でも

あるような気がします。

 

まあ、どこかで死んでしまうより

私の目に触れる所で

亡くなってしまったことは

最後を見届けることができて

それだけは救いでした。

 

本当によく頑張った

ご苦労さまでした。

と、声をかけて

土に戻してあげました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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思い出の余呉湖

2017-05-21 12:54:09 | 住職の活動日記

40数年ぶりに訪れた「余呉湖」

静かな姿を見せていました。

 

 

鏡湖といわれるだけあって

 

 

山に囲まれた中にひっそりと

その姿を見せています。

 

 

美しいところなのに

人もまばらで

また、それもいいものかもしれません

 

 

 

余呉湖は琵琶湖の北側に位置し

余呉湖と琵琶湖を隔てているのは

賤ヶ岳です。

周囲約6キロ余り本当に小さな湖です

 

 

周囲の田んぼでは田植えも終り

これからは稲の成長と共に

緑色に変わり

秋には黄金の色に染まっていく

ことでしょう。

 

 

道は車は離合できないほどの狭さ

所々の空き地を利用して

お互い譲り合いながらのすれ違い

ということです。

 

 

 

途中にはチョとした休憩施設もあり

トイレ休憩や

魚釣りの方達の姿も見うけます。

 

 

このように整備された所もあります

 

 

 

やはり美しい湖なので

俳句を詠まれた方も多く

周囲には俳句の道があります

 

 

のんびりとお弁当食べたり

お茶を飲んだりと

都会の喧騒を離れるには格好の場所

 

 

野の花も咲いていて

 

 

風に揺られている姿が

なんとも可愛らしいものです

 

 

 

よく見ると笑っているのにも

見えなくはないようです。

 

 

大きな花の塊も

 

 

 

何という花かは分かりませんが

ピンク色の美しい花です。

 

水上勉の小説で知った余呉湖

昔と変わらぬ、

美しい姿をしていました。

 

 

 

 

 

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伊香具神社(いかぐじんじゃ)

2017-05-21 12:05:16 | 住職の活動日記

賤ヶ岳を下りて余呉湖へと、

 

 

 

菖蒲を眺めていると、

 

そこに、村の長老らしき人、

是非、「伊香具神社」へ参りなさい

と、その縁起を立て板に水の如く

語られます。

まあ、あの難しい神々の名前が

湧水のように飛び出してくる。

 

足を進めると、

 

 

立派な神社が見えてくる。

参道を進み、

 

 

本殿へ、

話されていた通り、

 

 

ここの鳥居はとても珍しい、

厳島神社のように鳥居の主の柱を

守るように補助の柱が四本ずつ、

そして、

奈良の三輪神社の鳥居の要素も

取り入れるという

独特の形をしている。

 

 

拝殿は葦(よし)で葺いてあり

これも珍しい形、

 

 

本殿はどことなしか伊勢神宮に

似ている。

 

 

奥の本殿の鰹魚木は5本

千木はとがっていて

男性の神さまを祀る

手前の本殿は、

 

 

6本で両端の千木(ちぎ)は

水平でとがっていない、

この社殿は女性の神さま、

6が下で5が上から合わさるように

なってます、

とは、先の古老の説明なんです。

 

 

拝殿の葦で葺いてある屋根の姿も

本当に古い歴史を感じる

 

 

本殿の扉も重厚で

大きな鋲を打ったような意匠は

珍しいものでは、

 

 

社殿は信長の焼き打ちに遭ったり

賤ヶ岳の戦いで焼失

今は江戸時代の造りを伝えている

しかし、この大きな杉木立は

その歴史の長さを感じさせます。

 

 

鶴亀の灯篭、

下で支えるのが亀

上の火袋にあたる所が鶴

なるほど、と納得です。

 

そして見忘れたのですが

弘法大師が独鈷で掘り当てたという

泉もあったのです。

他に見るものも多く、

残念!!

 

 

帰りしなに改めて鳥居を見上げると

注連縄の造りも珍しいものです

なにかしらの塗装がかかっているような

 

 

この参道も昔は海(琵琶湖)

鳥居自体が湖に面していた

裏山が賤ヶ岳、

後ろが山で前が海、

この独特な地形が注連縄にしろ

ここだけの形を生み出したのかも

しれません。

 

また、菅原道真も

この地で生まれたとの言い伝え

もあるそうで、

羽衣伝説のなかに、

8人の天女が舞い降りてきて

ここで水浴びをしていた、

そこに衣を取り上げた人がいて

天女は帰れなくなった、

しかし他の7人は取戻し

天の世界へ帰れたのですが

一人だけは帰れなくなり

この地上で二男二女を儲けた

その一人が菅原道真だというのです。

 

もっと色々とおもしろい伝説も残る

 この伊香のさと、

昔から要衝の地であったのでしょう。

 

ひっそりと佇むこの神社ですが

訪ねてみて本当によかったと

あらためて思いました。

 

(以上、町の長老の話の要約です)

 

 

 

 

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賤ヶ岳のシャガの群生

2017-05-20 21:40:06 | 住職の活動日記

賤ヶ岳の七本槍で有名な古戦場

琵琶湖の北に位置しています。

 

 

この一から見る琵琶湖北端

又、幻想的な美しさ

 

ここへ行くにはリフトを利用して

 

 

上がっていきます。

 

 

入り口には古戦場跡の立札

 

 

七本槍の名前が挙がっています。

 

またこのリフトの足元は

シャガの群生でも有名です。

 

 

足下に広がるシャガの群生

 

 

なめるように空中から眺め

 

 

美しさに見とれながら

あっという間に頂上へ

 

 

シャガの花は自分を主張することなく

めだたないところでひっそりと

 

 

美しさを放っています。

 

 

アヤメ科の花で日陰を好む

しかし、漢字では胡蝶花と書きます

実はこの花を見るのも

一つの目的です

 

 

この花の群生は見事です

 

 

このシャガを抜けて行くと

少し上がったところに

 

 

この見晴らしが広がってくるのです

最初はてっきり余呉湖かと

思っていたのですが、

地図で見ると琵琶湖の北端です。

 

 

賤ヶ岳の戦で亡くなられた

慰霊のためのお堂があり

その周りの石群は五輪の塔や

石塔の石を集めて祀られた

ということです。

お参りをして、

頂上へと向かおうとしたのですが

足下も悪く、ここで断念!!

下へ降りて、余呉湖の方へ

向かうことにします。

 

 

続く

 

 

 

 

 

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薔薇尽くし

2017-05-19 20:35:18 | フラワー

色とりどりのバラの花が

小さなかごに活けられました。

 

 

それにリボンも添えられています。

白にピンクに赤と、

ホワイトローズ、ピンクローズ

とかいえば、この花にピッタリの

感じがしますが、

 

 

 

本当に生き生きと笑顔です。

 

しかし、

バラという字、漢字では「薔薇」

とても難しい漢字です。

 

 

薔薇、の

という字はショウと読み

みずたで、という意味です。

そして、という字は

ビと読み、ぜんまいという意味、

そこで、

薔薇はショウビとも読みます。

 

 

 

 

また、

バラは荊棘(ケイキョク)とも

書きます。

いばらという意味です。

その中には

人を傷つけようとするとげとげしい

心、という意味もあります。

 

 

このような美しい花からは

想像しがたい意味です。

 

また、「いばら」が略されて

「ばら」になったということです。

 

仏華としては花は慈悲を表します

そこで、慈悲に刺があっては

いけないということで

仏前華としては

使われなかったのでしょう。

 

しかし、外国ではとても大切にされ

バラ職人というのは

一つの権威を持っていたようです。

 

野に咲くいばらが改良され

 

 

このような美しい花になった

バラは存在感もあり、

香りも素晴らしく、

生け花としてはとても

豪華差を演出します。

 

しばらくは「バラづくし」

all kinds of Roses

を楽しめそうです。

バラ色の人生ですか!?

 

 

 

 

 

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般若心経の主題は!?

2017-05-18 20:59:09 | 住職の活動日記

お経には必ず主題がある、

ということを聞いていたのですが、

ふと、

いつも読む般若心経の主題は?

何かと考えてみました。

 

お経はほとんどといっていいほど

結論がまず出てきます。

そして、

その内容を順々と説いていく

という構成です。

 

般若心経も

観自在菩薩が般若波羅蜜多を

深く行じる時、

五蘊は皆空であると照見して

一切の苦厄を度したまう

という最初のくだりが結論です。

 

そして、舎利子よ、舎利子よ、と

二回も同じ名前が出てきます

智慧第一といわれた舎利子

舎利弗(しゃりほつ)という名前

でも出てきます。

お釈迦様もこの舎利子に

後のこと、教団としての指導者と

期待をかけられていました。

だから、

お釈迦様は舎利子に向かって

教えを説かれたのです。

ところが、舎利子はお釈迦様より

先に亡くなってしまうとい悲劇が

おきてしまいます。

 

色不異空、空不異色

そして、有名な文句

色即是空、空即是色

が出てきます。

それから空について

空の相は不生不滅、

不垢不浄、不増不減

という説明があり、

だから、

空の中においては

色も無く、受想行識という

意識作用もないのだと

というように続いていきます。

 

だから、

般若心経の主題は『空』と

いうことでしょう。

般若教学の中心課題は

『空』ということです。

 

しかし、仏教では

『空』と否定的な表現をとる

教学だけではなく、

『有』という教学もあります。

説一切有部という教えもあります

また、

『唯識三十頌』という経典は

反対に『有』という立場から

人間の心を分析していきます。

 

空という立場は

一切皆空とか空空大空とか

否定的な表現は一応はいいのですが

人間の有耶無耶言っている煩悩を

一刀両断に断ち切る

という面では勝れているようですが

やや、心の分析ということになると

粗いような気もします。

 

お釈迦様が最初に説かれた十二因縁

からすると、

すべてのものは因縁によって

成り立っているので、

これといいって固執するものは

何一つないんだ、

ということで『空』ということを

言うのです。

だから、

空を観ずるということは

真実なる価値の発見ということ

(私たちは見たもの聞いたもの

すべてに固執して決めつけて

生きているのです)

本当の空の立場に立てば

真実の姿が見えてくる

ということで、

経典では「真空妙有」という

言葉で出てきます。

 

ある先生の話ですが

最初に結論が出ないような話は

つまらん!!

いつ出るかいつ出るか

待っていても

最後まで出ないでしょう!

といっておられました。

 

そういう目で経典というものを

見ていくと、

また違った見方もできて

興味も出てくるかもしれません。

 

お経の文字に見慣れる、

ということも慣れ親しむ

ということで、

読んだり書いたりすることも

とても重要なことではないかと

思います。

そうしていると主題は

ということが見えてくるのでは

ないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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密かに咲いて静かに散っていく

2017-05-17 17:48:28 | 住職の活動日記

15日の日に

名前は分からないけど出会った

白とピンクの蕾の花

 

 

昨日は花開いていました。

 

 

あの蕾からこのような花が

咲いてくるのです

名前を調べたのですが

探し出すことができません。

 

 

ほんの数センチの小さな花

 

 

今日の姿はどうなっているか

見に行ったのですが

その花の影も形もありません!

どこに姿を消したのでしょう?

 

 

代りにまた小さな蕾が出ています

 

昨日は、

 

 

近鉄沿線の土手にちらほらと

 

 

その姿を見せていたのですが

今日はもうその姿を消している

 

人知れず咲いて、人知れず散っていく

花としてはわずか3日の命です

しかし、

この花の生きる生き方かも

しれません、

さっと咲いてさっと

次のいのちをつないでいるのかも

 

野の花々も気を付けてみると

美しい姿です。

 

 

通り道でであった

薄紫の花、

本当にけなげな生き方です。

 

 

自然に生えたのでしょう

昼顔も美しい!

 

 

雑草といわれるかもしれませんが

よく見るとその姿は不思議なほど

 

 

美しい形をしています。

雑華荘厳

本当に人知れず

色々の草花が野原を荘厳している

 

我が家では、

 

 

山法師もやっと

数輪白い花を付けました。

枝を引き下ろして撮ったのですが

自然のままでは

下から見上げるので

花のすがたは見えないのです。

 

 

サツキも咲き始めました。

 

 

蕾もたくさんつけています

 

 

これからが楽しみです。

「皐月」

五月に咲くところから

この名前が付いたのでしょうか?

皋月と書くのが正式で、

この皐月は俗字ということです。

「皋」は光り輝くということが原義

 

すべての命が光り輝くのが

この季節なのでしょう。

 

 

 

 

 

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手なれ、観なれ、心なれ

2017-05-16 21:54:57 | 住職の活動日記

鳳凰大学、

書道クラブの最初の練習日、

今日は新しい新入生も入部です。

休みがちな私にとっても

まあ、新入生のようなものですけど

最初に入部したときは

第一回目から休んでしまい、

今日の講義はとても参考になりました。

 

単純なことながら、

筆の持ち方、墨の磨り方、

終わってからの後始末の方法など

やはり最初から出席しなければ

いけないとつくづく思い知らされます

 

「手なれ、観なれ、心なれ」

 

やはり文字には手で書いてみて

筆になれ、文字に慣れてくる

そして、いい作品をよく見る

そして書いてみると

また作品の良さが解ってくる

そうすると、自分の心が

表現できるような文字になる

ということです。

 

なれるという字も

「慣れる」もあれば「馴れる」も

あります。

『慣』は「手なれた手つき」と

経験を重ねてうまくできるようになる

つめり、なれる、ならう、習熟する

ということです。

『馴』は動物がなつくということで

馬偏が付いているのでしょう。

 

見なれるも、

「見る」ではなく「観る」

でなければいけません、と

見るは、目に入ってくるものを見る

ということで、

観るは、念を入れてみる、とか

明らかに見る、ということです。

昔の字は「觀」を書きます

くさかんむりに口を二つ書いて

その下に隹(とり)を書きます

鳥が餌を探してしっかり見ている

という字だそうです。

 

筆も一日2時間練習したとして

1週間が限度でしょう。

といっておられました。

なんと、そんなに練習するのか?

ちょっと驚きでしたが、

私なんぞ、家での練習もなく

行った時にちょっと書くくらい

うまくなるわけありません。

しかし、

クラブに身を置いているというだけで

見る文字が気になるものです

 

まずは、手なれ、観なれです

習うより慣れろ

ということもありますので

筆を持って書いてみるということが

一番なのでしょう。

 

経典も同じことで

まずは

文字に慣れていくということです。

難しいと頭から退けるのでなく

まずは文字に親しむ

そして気になった言葉を調べてみる

なんだかそうこうしているうちに

つながりも見えてきて

またまた興味も深まっていく

 

読んで、書き写して、また読んで

さらに戻って読み直してみる

すると案外つながりも見えてきて

はっと、驚くことがあります。

そうだったのかと!

眼目というか主題というか

 

変な喩ですが

交響曲にしても主題があり

ベートーベンの第五も

有名なフレーズが形を変えて

繰り返し繰り返し出て来るものです

 

経典も同じで

主題が分かるとその表現として

色々な形で喩が出てきたり

また元に戻ってと、

お経を読んでみると

繰り返しの言葉がよく出てきます

口伝えに伝わったから

口調として繰り返しも多いのですが

そこにも主題というものが

見えてくるものです。

 

そこに身を浸していくというか

慣れるということが大事なのです

 

あらためて、

一からの出発ということを

思知りました。

 

 

 

 

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華曼荼羅

2017-05-15 18:09:27 | フラワー

可愛い花たちが活けられました。

 

 

色とりどりの花です

 

 

どちらから見ても美しい!!

 

曼荼羅(マンダラ)とは

インドの言葉で、

本来は、壇とか壇場という意味で

輪円具足とも訳されます。

 

「雑華荘厳」ということでは

ないですけど、

色々な花が

それぞれ競い合うことなく、

それぞれがそれぞれに

自分の花を咲かせて

全体として調和している。

 

その調和が一つの世界を

作り出しているのです。

自分の精一杯を表現することが

荘厳ということでしょう。

 

 

 

小さい花から足下を埋めていき

大きな花を挿して仕上げていく

ということです。

いわれてみれば、なるほど!

どうやって活けたのか不思議でした。

 

どこからみても

違う姿ではありますが

それぞれに美しいものです。

 

MANDALAという言葉も

mandaとlaに分けて見ることができ

その場合、mandaとは醍醐という

意味合いもあり、

仏さまの徳(果徳)を表し、

醇浄融妙(じゅんじょうゆうみょう)

また、極無比味(ごくむひみ)

という意味になり、

他とは比べられない

なんとも言えない味という

ことになるのでしょう。

 

 

 

上から見ても、

 

 

見上げてみても

それぞれの花が生き生きしている

ようにも見えます。

 

ふと、散歩の途中で見かけた

 

 

 

不思議な花??

雑草の中に小さくてもひときわ

目を引く花です。

 

 

一列に並んで咲いている

花もあります。

 

昭和天皇が、この草は何ですか

と聞かれた時、

お付の方が、雑草です。

と答えたら、

雑草という植物はありません

私たちが知らないだけです。

という話は有名ですが、

 

本当に私たちが知らないだけで

小さな花たちもそれぞれに

その中で精一杯咲いて

草花の中で荘厳世界を

表現しているのでしょう。

 

もう少ししたら

花も開いてくるようです。

また、

気をつけて見てみたいと思います。

 

 

 

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上賀茂神社

2017-05-14 21:53:26 | 住職の活動日記

いよいよ明日は賀茂の祭り(葵祭)

10時半御所を出発して、

下鴨神社にお参りして

3時半ごろ上賀茂神社へ到着です。

勅祭といわれるように

天皇が豪族だった賀茂氏へ

お参りに行くという行事です。

 

 

鳥居をくぐると

広い緑の敷地が見えてきます

走り馬とかの行事があり、

下鴨神社とはまた違った趣

下鴨神社は糺の森を通り本殿へ

というのですが、

 

 

次の鳥居をくぐると趣は一変し

 

 

盛り砂をした佇まいが見えてきます

 

確かこの社殿で娘の結婚式を

したところです。

 

 

式年遷宮を控えて

本殿の屋根とかはまだ工事中

 

しかし、とても好きな場所は

 

 

境内に流れるこの流れです。

 

 

 

森の中を流れる、

水量も多く、

森の中を流れ、

私たちの穢れを流してくれる

そういう思いにかられます。

 

 

京都の市内というのに

こういう自然が守られている

ということは、ご尽力の賜でしょう

 

お参りをして、

もう一つ好きな風景、

 

 

境内の外に出ると

とても趣のあるたたずまいが

続いています

 

 

社家(しゃけ)の方々のお住まい、

立札を見ると

社家の方には「錦部」(にしごり)

という名前が多いようです。

 

テニスの錦織(にしこり)選手

なんだか似たような名前で

読み方も似ているようです。

 

 

よく見ると庭に引き込む

小さな取水口が見えます。

 

 

 

この場所は何とも風情があります。

 

 

道路にガードレールのようなものもなく

本当に昔の形そのままに

 

 

家に入るにもこういう石橋を渡り

という

こういう場所を歩くだけで

幸せな気分になってきます。

 

 

境内も緑の森に朱色の簡単な柵

色の取り合わせも

お互いがとても映えています。

 

 

帰りには門前の「やきもち」を

頂いて、

下鴨は「みたらし」ですが

上賀茂の「やきもち」も絶品!!

 

それともう一つ驚いたのは

 

 

境内の入り口にある、

 

 

トイレです。

まだ作り立てらしく、

 

 

中はヒノキの香りが漂っています

 

 

まあ、なんとも贅沢な

というか、

長い先を見越して

この景観を守るように

作られたのでしょう。

お見えになる方々には

まずここで清々しくなるものです。

 

明日の葵祭、

見たい気もするのですが

大変な人混みですので

テレビで鑑賞ということにします。

 

 

 

 

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