本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

伏見大手筋界隈 パートⅡ

2017-05-14 17:05:25 | 住職の活動日記

歴史の爪痕が点在する伏見の地、

見て回れば興味もだんだん

おもしろさが増してきます。

 

 

 

おやっと、?

このモダンな建物は

新しい中にも古さを残しています。

 

 

雨水利用のタンクですが

木目でカバーして

周りの雰囲気を壊さないように

アレンジしてあります。

 

 

樋も銅で作ってあるところは

なんとも憎いかぎりです。

 

 

京都市の上下水道局です。

本当におしゃれな造りです。

屋根には伏見の酒蔵のように

杉玉デコレーションも掛けられています。

 

隣に区役所もあるのですが

ここも同じように歴史に調和した

造りになっています。

 

歩いていると

 

 

 

金札宮‥‥ ?

「きんふだ」お金儲けができそうな

ところがです、

ここのお宮は伏見では一番古い神社

とても縁の深いお宮さんです。

 

「金札宮」(きんさつぐう)

と呼ぶようで、

金札白菊大明神がご祭神です。

日照りのときにも白菊を振ると

水がわき出てきた、

そこで神社を作っていると

天から金の札が降ってきた

ところからこの名前が付いた

ということです。

 

 

ちょうど、例大祭の時のようで

境内には出店がでています。

15日はとても賑おうようです。

 

その近くには真言宗のお寺も

 

 

大黒寺というお寺です。

 

 

本堂は鉄筋コンクリートながら、

屋根の反りとかは木造の形を

上手に表現しています。

 

古くは空海の開基ともいわれ、

秀吉も信仰したとか、

また、江戸時代には

薩摩藩の守り本尊出世大黒天と

形が同じだったことから

薩摩藩の祈祷所になっていた

ということで「薩摩寺」とも

呼ばれていたそうです。

 

中には、

西郷隆盛や大久保利通が

国事を論じた部屋もあり

 

 

ここの屋根瓦は薩摩の家紋

丸に十の字が刻印されています。

 

ご本尊は秘仏のようで

60年に一回、甲子の年に

拝むことができます。

本堂前にはお前立でしょうか

小さな大黒様がお祀りしてあります。

 

ほんの少しの時間でしたが

とても興味深いものでした。

歴史の表舞台だった伏見

まだまだ見るべきもの

そして深く知れば知る程

奥深いものがあるようです。

 

 

 

 

 

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伏見の大手筋界隈

2017-05-13 21:58:46 | 住職の活動日記

秀吉の愛した伏見、

その名残を訪ねて伏見大手筋を

歩いてみました。

 

 

ちょっとした繁華街です。

土曜日とあって人通りも多い、

この先に伏見城があったのでしょう。

分かりにくいかもしれませんが

お城に向かって緩やかな坂に

なっています。

 

この道筋を入ると

色々な史跡を見つけることができ

おもしろい発見があるものです。

 

 

ビルの間に挟まるように

お寺があります。

なんだか珍しそうな建物が

目に飛び込んできます。

「源空寺」とあります。

源空とは法然上人の名前

 

 

そして、諡号として与えられた

「円光大師」の石碑があります。

 

 

山門なのですが

とても立派な、門の風というよりも

何かの建物のような

伏見城の巽櫓を移築したとあります

 

 

門の中には「愛染明王」、

そして、

 

 

秀吉の念持仏であったという

即一六体の地蔵菩薩、

台座の周りに六地蔵が彫られている

 

その反対側には

 

 

朝日大黒天、

伏見城の巽の櫓に祀られていて

秀吉もこの大黒さんを信仰していた

ということです。

 

 

このような門に

これだけの素晴らしい仏たちが

おまつりしてあるとは驚きです

 

 

あらためて見上げてみると

櫓といえば櫓のような

けど、立派な門といえば門のような

不思議な形です。

 

 

なるほど!!

今週の言葉が掲げられています。

 

 また、りっぱな本堂が見えてきます

柵越しに

 

 

真宗のお祖師方の名前が

 

 

旧跡とあります

 

 

横から入ることができ、

西芳寺というお寺です。

 

 

寺内はとても美しく掃き清められ

清々しいお寺です

 

 

何気ない、

玄関の両脇にある白い飾り

こういう所にも歴史を感じます。

 

 

そして、美しい花も

 

 

葉っぱはアジサイのような形

でも花の形が違う

何の花でしょう ??

 

 

 続く!

 

 

 

 

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実際

2017-05-12 21:02:51 | 漢字

「実際」という言葉、

普通には

「あの人は実際に良くできた人だ」

というように、

「ほんとうに」、というような

意味で使います。

調べてみると、

「理論と実際とは異なる」

とか、

「実際にやってみて驚いた」

という例を出して、

現実のありさま。事実。

という内容を持った言葉です。

 

「実」という字も

古くは「實」と書き、

貝が付いた言葉です。

家の中に財宝(貝)みちる

ということです。

「際」も、

交際とか国際交流とか

際限(きわ)、水際ということもあり

結構広い意味で使われます。

 

ちょっと驚いたのは、

『十地経』の中にも出てきて

仏教用語としても使われる

ということです。

 

「この菩薩は、実際行を行じて、

 しかも寂滅定を証せず。」

 

という形で出てきたのです。

これはどうも私たちが普段使う

意味とは違っている。

 

やはり仏教辞典には

「真実際極」の意とあります。

これが略されて、

「実際」となったのです。

事実の究極ということで

本当のあり方は何か

ということを求めていくと

究極の存在である、という

真如ということを表し、

それは涅槃のさとりを表す

ということが、

「実際」ということの

意味になります。

 

私たちも、特に最近は情報も多く

実に沢山のことを知っています。

逆に、

知りすぎて、

本当のことから遠ざかっている

ともいえるのではないでしょうか

 

修行とは

肝心要のただ一つのことを知る

それを求めていく、

ということです。

 

善財童子(ぜんざいどうじ)

という方は、本当のことは何か

そのことを知りたくて

師を訪ねて、歩まれます。

ついに53人の師を求めて

結局は元の師のところへ

もどってきた。

という話があります。

(そこから、東海道53次も

 生まれたとかいわれています)

 

やはり修行とは、

本当のことは何かということを

求めて勤めるのです。

 

本当に知るべきものの際(きわ)

アルティメイトコンサーン

という、究極的関心

いろいろな事を求めているのですが

心の底では

ただ一つの嘘のない世界を

求めているのでしょう。

 

実際ということをほんとうに

と使うのも、

ある意味、真実の際ということで

究極の本当のこと

ということになるのではないでしょうか

何気なく使っているこの言葉も

案外本当のことを求めているという

暗示なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

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我が家も新緑に包まれて

2017-05-11 21:00:57 | フラワー

こちらに来て3年半

庭木も力強く

根を張ってきたようです。

 

 

山法師も美しい葉を広げ

気持のいい木陰を創り出して、

 

 

葉も初々しいものです。

 

 

下のサツキも

花芽を膨らませています

 

 

これから花を咲かせてくれます。

 

玄関先の

 

 

ピンカミノールも花も終り

今は新らしい葉を伸ばしています。

それから、

牡丹の木は花もすっかり終わって

 

 

肥料も頂いて

来年に向けて準備を始めました

 

 

梅の木の若葉、

本当に、

生まれたての赤ちゃんのような

 

 

一見すると弱々しそうな葉ですが

これから葉を広げしっかりとした

葉に成長して

来年にむけて花の準備をしています。

 

 

それから「カトリ草」も葉を伸ばし

花の蕾もたくさんつきました。

 

それから、

 

 

小山園の「宇治抹茶アイス」

これもおいしい若緑です。

宇治市の観光協会の方が

ゴディバを越えた味、

と言っておられましたが

確かに、

とても品よく抹茶の味も効いて

病み付きになりそうな味です。

 

玄関には、

小さなカーネーションも

活けられました

 

 

連休が続いたりで、

お稽古が休みだったので

 

 

ご近所で見かけた花が

活けられました。

 

先程のカトリ草

もう花を膨らませています

 

 

身体の割には本当に小さい

可愛い花を付けるものです。

 

 

まだ、固い蕾もあり

これから、

徐々に咲いていくことでしょう。

 

花を咲かせるのが

草木の本当の姿なのでしょうか

また、

花を落とし、葉を広げ

光合成をするのが本当の姿

はたまた、

葉をすっかり落とし

土の中で根が活躍するのが

本当の姿なのでしょうか??

 

その時その時の

一生懸命のハタラキそのものが

草花の姿なのでしょう。

 

 

 

 

 

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『伏見城と淀城』IN京都考古資料館

2017-05-10 21:25:00 | 住職の活動日記

「伏見城と淀城」というテーマで

その出土品や副葬品の展示が

京都考古資料館で開催されています。

 

 

堀川今出川を西に行った所に

京都考古資料館はあります。

もう建物自体が考古資料として

価値がありそうな、

 

 

たぶんしょわ初期の建物でしょう

 

 

結構長期にわたって開催されて、

6月25日まで、

 

安土桃山時代というように、

桃山というのは伏見のことで、

秀吉のころの政治の中心は伏見

大阪城は秀吉のプライベート

のようなものだったのです。

 

以前から気になっていた伏見桃山城

最初は指月城として宇治川沿いに

 

 

奈良へ行く国道24号線に面して

作られていたようです。

それが慶長の大地震で全壊、

その後東北の方角に当たる

木幡山に伏見城の再建

 

 

地図でいうと中央下が指月城

その右上が倒壊した後再建された

伏見城です。

 

 

この指月城を取り込むように

伏見城は大きな城として

再建されていきます。

 

この宇治川を挟んで

徳川家康の向島城は作られ、

伏見城と相対するような位置関係

になります。

家康は秀吉の死後この向島城から

伏見城へ入っています。(慶長4年)

また、家康は日本で最初に伏見の地で

銀座を開きました。

 

 

 

まあ、そのころの力を示すのでしょう

秀吉の「五七の桐」家紋に金箔を貼った

軒丸瓦が出土しています。

 

 

出土する瓦はほとんど金箔が張られ

 

 

いかに素晴らしいお城であったか

偲ばれるようです。

 

また、墓地の副葬品には

 

 

焼けたおにぎり

腐らないように焼いて

炭状(炭素)にして

亡くなった方に持たせたのでしょう

 

 

 

トウモロコシもあったり、

これも亡くなった方の好物

だったのかもしれません。

 

 

下駄、

今の人に比べればやや小ぶり

のような気もします。

 

 

かんざしや櫛に扇子、

 

 

漆器のお椀類も、

結構保存状態もよく

400年も前の生活が身近に

感じられます。

 

横には入れ歯の歯もあったり、

メガネのレンズもあったりと

愛用品を一緒に埋葬したようです。

 

その当時の歴史を垣間見る

なによりの展示会と思います。

 

入場無料、

是非ぜひ見て欲しい展示会です。

 

 

 

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ハレとケ

2017-05-09 21:36:52 | 漢字

先日のお茶のお話で

茶室が晴れであれば水屋はケと、

いうような話でした。

晴れは分かるのですが

晴れ着とか晴れ舞台というように

表向きの、また正式なというような

意味があります。

 

そこで、ケということが気になり

辞書を引くと

難しい「褻」字が出てきました。

この字は衣へんで出てきます。

衣の字の間に埶(ゲイ)という字が

入っています。

 

似たような字では「褒」

ほめるという字があります。

この言葉も衣の間に保が

入った字です。

「裏」という字も同じで

衣と里から出来た字です。

 

衣が入っていることは

やはり着物に関する意味合いが

その成り立ちです。

 

褒めるも、

すそが広い美しい衣ということが

もともとの意味です

そこから、ほめるという意味も

出てきたのです。

 

そこで、

「褻」という字ですけど

読みはセツ、けがれるという意味

身につける、ということが原義で

普段着、肌着の意味です。

そこから、けがれるという意味に

借用した文字になります。

あまり使わない字ですが、

猥褻(わいせつ)

という言葉があります。

 

褻は普段着、

というようなことからすると

晴れということに対して

日常生活、普段の生活という

ことになるのでしょう。

 

だから私たちにとっても

生活の大部分は褻(ケ)の生活です

一定の規則に従った生活が繰り返され

それこそ日常茶飯事です。

 

お茶の世界でも裏方の仕事

ケの仕事がいかに大切か

晴れの世界は本に氷山の一角

水屋にはたくさんの約束事があり

どこに何を置くか

一定の決まりごとがあるのです。

 

客人をお迎えするのに

掃除が第一、

最後い水をまく

水には清めるという意味があり

そのあと、その水が

お客の着物に付かないように

石に撒かれた水で滑らないように

水をふき取っていく

葉っぱに付いた水を一枚一枚

ふき取っていく、

その細かい仕事にケとしての

大切な意味があります。

 

行住坐臥

当たり前の行動を

いかに巧みにこなすか

そのケの世界ができてこそ

晴れ舞台、晴れ姿が活きてくる

ということでしょう。

 

ハレとケ

日常と非日常

大部分は日常の世界

それはだらだらしたことではなく

一体の法則に則った

ある種のルーティンのような

 

イチロー選手の日常を見ると

自分で決めたことを

決められたように日々過ごしていく

そこから

あの偉業が出て来るのでしょう。

 

ルーティンを繰り返す

そこにもケということの

意味があるようにも思います。

 

ケの世界を仏教では

下座行(げざぎょう)と

いうようです。

衣着てお経読むということも

大切なことですが

それ以上に作務ということが

いかに大切な仕事であるか

ということを褻(ケ)ということは

教えているようでもあります。

 

 

 

 

 

 

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東福寺三門へ上がる

2017-05-08 17:51:26 | 住職の活動日記

今の時期、色々の社寺では

特別拝観が公開されています。

東福寺三門もその一つ、

急な階段を手すりをたよりに

へばりつくようにして上がり、

 

 

やっと三門の上へ、

三門の中にはお釈迦様を中心に

善財童子、十六羅漢が

お祀りしてあります。

天井には迦陵頻伽(かりょうびんが)

この鳥を見たら極楽往生できるとか、

や極彩色の画が描かれています。

 

 

その扉越しに見る外の景色も

一枚の絵のようですが

写真が悪くてその実感は分かりません

 

学生さんのガイドながら、

わかりやすい丁寧な説明があり、

三門のことも、

空門・無想門・無作門の三つ

という説明もなされていました。

 

 

欄干も風雨にさらされた様子が

うかがえます。

向こうには法堂(はっとう)・本堂

が見えます。

 

 

東福寺では

坐禅の邪魔になるということで

桜の木は切ってしまったそうです。

 

 

向こうに見えるのは日本一のトイレ

このトイレが東福寺の財政を

支えていたということです。

昔は、糞は売ることができ、

そして、美味しい京野菜ができた

このトイレが京野菜を支えていた

ということです。

 

 

解せないのは、

門の前には蓮池があり

細い石橋が架かっていて

その先は行き止まり、

右側に小さな勅使門があり

この三門をくぐれたのは

管長さんと勅使さん…??

そのためだけに

このような大きな門を作ったのか。

 

 

三門の上の額は

「妙雲閣」と書いてあります。

 

 

新緑もこうやって俯瞰できるのは

また違った目線で楽しめるものです

 

 

三門の足元を見ると

等間隔で穴が開いています。

 

 

 

東寺の金堂もそうですが、

また、奈良の大仏殿も同じ造り

柱を固定するために

この穴に横木を通し柱を固定して

上の骨組を組み瓦をのせ

完成したら横木を抜く

その後がこの穴です。

 

新緑に包まれた東福寺も

これからグングン葉を伸ばし

秋には、

見事な紅葉へと変わっていくのです

 

 

この庭の景色も

全く違った趣に変わっていきます

 

 

それはそれで自然のハタラキ

自然法爾(じねんほうに)という

姿を見せてくれます。

 

 

 

 

 

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お茶の「表と裏」 佐藤宗順先生

2017-05-07 20:59:36 | 住職の活動日記

裏千家茶道教授、佐藤宗順先生の

お話を聞きました。

表と裏ということで

表千家と裏千家かと思いきや

表舞台としての「茶室」

裏の仕事場としての「水屋」

という、表と裏のお話です。

 

東福寺も緑が真っ盛り

新緑の名所としても有名です。

 

 

サツキの新緑、これから花でしょう

 

 

躑躅は今が見ごろ、

 

 

モミジも初々しい新緑

秋には見事な紅葉へと

姿を変えていく

 

 

 

みとれるほどの緑を見上げながら

勉強の会場へ

 

とても面白い話でした

「日常茶飯事」ということも

当たり前のことなのですが

最近の小学生、

お茶は知っているけど

それはペットボトルのお茶

お茶の葉を見たことがない

ということです。

日常茶飯事ということも

死語になりつつあるのでしょう。

 

茶室でお点前をする以上に

裏方の仕事がいかに大切か

水屋を任されるということは

それだけ信用ができる人という

ことなのです。

 

禅宗でも「典座」(てんぞ)

という仕事があり、

台所の仕事なのですが

お坊さんの位では一番上の人が

する仕事だそうです。

 

道元というお坊さんが

中国へ行った時

日本から来た船ということで

向こうのお坊さんが買出しに見えた

貴方は日本から何を学びに来たのか

禅を学びに来た、

あなたは、というと

私は買い物に来たという老僧

そうかといって別れたのですが

なんと、その老僧が

道元が行くお寺の

一番偉いお坊さんだった。

という話があります。

それから道元は食事を作る

お坊さんを一番上に置いた

ということです。

 

お茶の作法も仏事の作法も

よく似たところがありますが、

一休にしろ利休にしろ

お坊さんですから当然のことです。

 

庭掃除が一番大事

塵一つない庭ではまだだめで

前日に掃き清めた庭に

朝方、葉が数枚落ちるている

これが最高である、と

無為自然(むいじねん)というか

自然法爾(じねんほうに)というか、

作為でありながら

作為が見えない、ということが

最高のおもてなしということです

 

「掃くほどに

  風がもてくる落ち葉かな」

 

という歌もあります。

木をゆすって

葉を無理やり落とし

掃き清めてもそれは風情がなく

自然でもないのです。

 

 

今日のお茶菓子は藤をあしらった

ものです。

 

 

 

いかにも古そうなガラス

景色がひずんで見えます

それも風情のうち

窓ガラス越しに頂く一服のお茶

何とも最高のおもてなしです。

美味しくて二服頂きました。

 

 

境内の一角には

生垣よろしく

お茶の木が植えてあります。

5月2日が八十八夜です。

茶摘みも始まったことでしょう。

 

お菓子の甘さに合わせて

お抹茶の量も調整するとか

やはり絶妙のお味です。

口の中に香りと共にお茶の味が

広がっていきます。

 

 

庭の池では蛙も鳴いています。

京都市内でもこういう

自然に接することができるのは

なんとも有り難いかぎりです。

 

しかし、境内には

「猿とイノシシに注意」

という立札がありました。

そういえば、

都ホテルにイノシシが出て

けが人も出る大騒動があったとか

東山沿いのここにも

出没するのかもしれません。

 

 

五感を満足させる

素晴らしい一時でした。

 

 

 

 

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雑華荘厳

2017-05-06 19:51:42 | 住職の活動日記

雑華荘厳(ぞうけしょうごん)

と読めるでしょう。

雑華でもって荘厳する。

ここから出てきた言葉が「華厳」

ということです。

『華厳経』という経典もあり

この経典がもとになって作られた

仏さまが奈良の大仏さまです。

 

「雑」という言葉ですが

雑草とか動物では雑種、

最近は雑種と言わなくてミックスと

しかし、

もとの意味は色々の布を集めて

作った衣服とあります。

ちょうど、袈裟ということも

ぼろ布を集めて作った衣ですから

どこか共通するところがあります。

そこから意味は、

まじる、まじわる、まじりあう、

ということになったようです。

 

「雑用雑事は仏さまの仕事」

ということがあります。

いかに雑用雑事を

巧みにこなしていくか

そこに人生の妙味があるようです

雑用雑事をおろそかにしていると

とんでもないしっぺ返しを受けます

 

また、

「雑念」ということもあり

三昧・定を妨げる、

対治しなければ大切な修行の

一つがあります。

雑念、

とても悩ましく苦しむもの

失くそうと思えば思うほど

雑念というものは沸いて出てきます

 

ここで言う

「雑華荘厳」ということは

色々な花で荘厳するという

日本では花も少なかったのでしょう

一輪差しとか、

数少ない花で荘厳(飾る)する

でも、インドという所

花もふんだんにあったのでしょう

華鬘(けまん)といって

花の部分だけを取りレイにするとか

散華(さんげ)と言って

通り道に花をまく、

そこから

色々な花がたくさんあり

それぞれの花が競い合うことなく

入り混じって咲いている

「雑華」いろいろの花

「荘厳」それ自身を完成する

ということが出て来るのでしょう。

 

今の時期、

季節の移り変わりとともに

いろいろな花がそれぞれの美しさを

比べることなく咲ききっています

それぞれの花がそれぞれの主体を

表現しているのです。

 

振り返って、

私たちを見てみると

どうでしょうか

私たちを表現するものは

仏教では昔から

「三業」(さんごう)

といわれています。

身・口・意(しん・く・い)

ということですが、

いつもお唱えする「十善戒」では

 

身(殺生・偸盗・邪淫)

口(妄語・綺語・悪口・両舌)

意(慳貪・瞋恚・邪見)

 

というようにいわれています。

私たちの行動をこの十の中に

納めているのです。

この十善戒の行いが完成することが

私たちの人生を完成する

つまり、

人生を荘厳していくことです

荘厳ということも

美しい世界があるのではなく

やはり、動詞として、行として

荘厳という世界を

一歩一歩の歩みの中に完成させて

いくということでしょう。

 

スマップの

「世界に一つだけの花」

ということも

この、「雑華荘厳」ということを

表しているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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蜂の巣異変!

2017-05-05 21:32:42 | 住職の活動日記

温かくなって活動を始めたようです

死んでしまったかと

思っていましたが、

寒さにも耐えて一冬越して

一匹だけが頑張っていました。

 

これから、子どもを作ってと

 

 

もしいなくなれば

巣も取り壊してしまおうと

思っていた矢先でした

一匹でもいれば

見守ろうかと、

蜂も人間から見れば益虫

木に着く虫を取ってくれます。

 

ところが、

最初のころは幼虫がいた

様子だったのですが、

 

 

どうもいない様子、

どうしたものかと??

観察していると、

 

 

巣の上にクモがいるようです

ハンターのクモ

蜘蛛の巣を張ることなく

出かけていって虫を狙っているのです

 

思うに、

幼虫たちはこのクモに

食べられたのではないでしょうか。

 

 

また頑張って、

子孫を作っていくのでしょうか

気になるところです。

 

どうでもいいような話ですが

なにせ我が家で起きた出来事

ただ、見守って

その成り行きを見つめるしか

ないのですが、

どんどんハチの子が生まれて

庭中ハチが飛び回っても

困るのですが、

クモに食べられてしまうのも

可哀想なような

 

しかし、

これも自然のハタラキ

生れる命もあれば

亡くなっていく命もあります。

小さな我が家での出来事ですが

それぞれの命の死の凌ぎ合いが

あるようです。

 

 

 

 

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