本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

蛸薬師通を歩く

2020-01-08 20:40:52 | 住職の活動日記

「蛸薬師通」

京都には面白い通りがあります

 

 

ちょうど今いる所は

烏丸蛸薬師

 

 

烏丸通りは南北の通りです

それに対し蛸薬師通は東西の通り

ここから西へ行ったところに

 

 

私の愛用の眼鏡店があります

面白い門松飾りでしたので

写真に収めました

 

そうやって今度は東に向かって

歩き出すと

門松を見たせいか、

気になってきて

 

 

こういう、一番シンプルな門松

京都では根引きの松といって

根の付いた松を門松にします

 

東へ行った突き当りが

寺町通りです

 

 

そこには通称「蛸薬師」と

親しみを込めて呼ばれる

お薬師さんがいらっしゃいます

今日はちょうど「初薬師の日」

ちなみにご縁日という日があって

18日はお観音さん、24日はお地蔵さん

28日は当院の本尊でもある

お不動さまの縁日です

 

 

初薬師とあって

本堂からは

お経の声が聞こえてきます

般若心経に続いて

『大般若経』転読法要があり

太鼓や鐘の音が響き

活気があります

 

このお寺もお店に挟まれるように

 

 

こじんまりと建っています。

寺の寺伝によると

正式には「瑠璃光山永福寺」といいます

本尊は石造の薬師如来

昔は二条寺町にあった、

付近に池があったことから

水上薬師(みなかみ)とか

澤薬師(たくやくし)と呼ばれ

これが訛って「蛸薬師」に、

もう一つ、

この寺の善光という親孝行の僧が

戒律に背いて病気の母のため

蛸を買って帰るところを

町の人に見とがめられ

箱を開けるよう迫られた

薬師如来に、

「この難をお助け下さい」

と念じたところ

蛸の足が八巻の『妙法蓮華経』に

変わり難を逃れた。

その後、母の病気も薬も飲まず

全治した、

親孝行の僧侶善光を守った

本尊の霊験であるとして

本尊の薬師如来を

「蛸薬師」と呼ぶように

なったということです。

 

お参りしたのち同じ道を

西へ向かって帰る

 

 

振り返ってみると

突き当りが「蛸薬師」のお寺

東行きの一方通行の道です

 

四条まで戻ってきて

 

 

ふと見ると

デパートの門松も立派です

このデザインも面白く

松の葉で丸く盛り上げ

それに梅と竹が挿してあり

足元には

 

 

亀さんの飾り物があります。

 

初薬師もお参りで来たし

色々の門松も見れて

ちょっとしたお散歩でした。

 

そういえば今日は風がとても強く

関空の連絡橋も通行止めに

また淡路島へ渡る橋も

通行止めになっていました

春の嵐のような日でした。

 

 

 

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せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ

2020-01-07 20:23:19 | 住職の活動日記

今日は「七草粥」

福知山へ行ったときに途中の

亀岡のドライブインでもとめた品

今日作ってくれました

さほど美味しいものでは

ありませんが、どことなく

懐かしい味がするものです

お正月の御馳走で食べ過ぎ気味の

お腹には優しい感じがします。

 

せりなずな、

ごぎょうはこべらほとけのざ

すずなすずしろ

春の七草

とリズムよく憶えたものです

 

山部赤人の歌に

「あすからは若菜つまむと

  しめし野に

 昨日も今日も雪は降りつつ」

があります。

また、百人一首には

光孝天皇の

「君がため春の野にいでて

  若菜つむ

 我が衣手に雪はふりつつ」

という歌もあります。

 

昔のこの頃は雪が降ったので

しょうか

今年は雪が降らないと思って

いましたら、

5日には比叡山で雪が降った

という報道がありました

 

七草ではないかもしれませんが

平安時代の頃、

雪に閉ざされて

新鮮な青物の野菜を頂けない

それでも、雪をかき分け

その中から萌えいずる緑の

若菜を探し求めて

大事な方への贈り物としたのです

 

しかし、調べてみると

七草というものは古い行事かと

思いきや、そうではなく

鎌倉時代後半あたりから

始まったようです

さらにそれを「七草粥」として

食べるようになったのは

江戸時代に入ってから

ということです

 

中国ではこの日を

「人日(じんじつ)の節句」

といって

気候の具合によってその年の

一般人事を占う、

という行事が七種類の菜を入れた

熱い吸い物を食べて、

邪気を払ったのです。

それに、

日本の若菜つむという風習が

重なって、「七草粥」になった

ということのようです。

 

胃袋も一休みということで

なかなかいいことではないかと

思うのですが

最近では若い人の口には

合わないのではないかと思います

しかし、それも

まあ、

年と共に懐かしくなってくるので

心配いらないと思います。

 

ホッと一息

美味しくいただきました。

 

 

 

 

 

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ONEの対立

2020-01-06 20:51:33 | 住職の活動日記

「ワン・チーム」という言葉が

話題になりましたが、

スポーツの世界でも

はたまた政治の世界でも

この言葉が使われています。

 

一つになって戦うというか

物事を実践するという

昔の言葉では「一丸となって」

ということでしょう

全員が一つになって、という意味で

ワン・チームということが

いわれるようですが、

この言葉にも微妙なニュアンスが

あるように思うのです。

 

「世界は一つ」

ということが言われますが

とてもいい響きを持った言葉です

私たちにとっては、

でも、

このことを問題視する人もいます

世界は一つでいいのですが

その中心になるのは誰か?

ということが問題です

世界には色々のイデオロギー

それから宗教もあります

そのそれぞれが

「私が世界の中心だ!」

と叫んでいるところに

問題が生じ、

戦争が起きているように思います

 

どこかの大統領が言い出した

「何とかファースト」

それに続くようにどこの国でも

強調ということより

自国第一を掲げるように

なってきたように思います

 

ある哲学の先生が

言っておられましたが

これは駄々っ子の原理だとか

人間は成長するのではなく

幼児に戻っているのが

今の世界ではないかと、

 

「ONE」という言葉も

色々の内容を持っているようです

先日テレビで、

「ウィアザワールド」

という歌を高らかに歌って

いましたが、

よく聞くとどうも

神様のもとに私たちは一つになる

というような内容にも

聞こえてきました。

 

ONEということも

仏教でもとても大事にします

お釈迦さまも生まれてすぐに

七歩歩んで

「天上天下唯我独尊」と

名乗りを上げたと

この言葉にも「独尊」という

「独」という一人という

言葉が入っています。

似た言葉に「弧」という字が

あります

二つ合わせて「孤独」という

言葉もありますが、

「孤立する」ということと

「独立する」ということでは

内容が少し違てきます

 

教えを聞く時は

その他大勢として聞くのではなく

自分一人(ひとり)の問題として

我一人(いちにん)という

他の人はどうでもいい

というのではなく

この問題は自分の問題なのだと

自分に引き受けて聞く

そうでないと見に入らないのです

お客様として聞くのではなく

今日のこの話は自分の事なのだ

という気持ちで聞かないと

響いてこないのです。

 

こういう一人が「独」という

ことになると思います

弧ということは、

昔よく言われていたことは

出家ということは家出とは違う

自ら世を厭い離れるのを出家

世から捨てられたのを家出

出家しても世から捨てられては

いけない!

ということ厳しく言われました。

 

一人でいても寂しくない

大勢の中にいても邪魔にならない

そういう独立心を大切にしている

のが仏教の立場だと思います。

 

今はニュースを見ていても

非常に危険な状態のようです

あまりにもファースト・ファースト

ということが叫ばれ

自国のことだけ考えて

他を認めようともせず

自分の国さえよければということが

どうも気になって仕方ありません。

 

ファースト、ワンチーム、独立、

という言葉を考え直し

まやかしの言葉に

惑わされないようにしなければ

いけないように思います。

 

 

 

 

 

 

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明智光秀の福知山城

2020-01-05 20:11:19 | 住職の活動日記

今月19日から始まる

NHK大河ドラマ「麒麟が来る」

明智光秀が主人公です

ということもあって

テレビでは「本能寺の変の謎」

とか、明智光秀に関する

企画が目白押しのようです。

 

明智光秀は築城の名人でも

あったようでいろいろの城を

築いています

そこで

ひとっ飛び、1時間半

「福知山城」へ

 

 

小高い丘の上に建っています

まず気になったのは石垣です

テレビでもやっていましたが

 

 

転用石といういろいろな石を

使っている所です

 

 

五輪の塔の台石でしょうか

蓮の花のような形が見えます

テレビでは

ひっくり返して使っているので

災いを転じるとか

墓石というと一度使ったものは

他には使用しないものです

それをあえて

逆さにして使うという

逆転の発想

 

 

いたるところに見えます

といっても何かしら無造作に

組み込まれています

 

 

城の方の説明では

その当時は墓石というものに

さほど重要性を置いていなかった

とか ?

諸説あるのでしょう

 

光秀の居城は他に坂本城があり

その近くは石垣積の

穴太衆(あのうしゅう)が

いるところです

しかし、この石垣は

穴太衆の積み方ではないようです。

 

城内は展示場になっていて

光秀に関する品が並びます

 

 

狭間がいたるところにあります

 

 

ここから弓矢とか

 

 

鉄砲を放つのでしょう

下にある細長いところからは

石を落としたという所です

 

 

4階が天守閣の一番上です

そこからは福知山市内が一望に

見わたせます

 

 

由良川があり、向こうは日本海

福知山は盆地の山間ですけど

川を利用して商業の拠点とした

そこも光秀の知恵のようです

 

 

この日は小雨交じり

時折晴れたりと複雑な天気

ということもあって

鯱のしっぽの部分にかすかながら

虹が出ました

 

 

帰りは別のルートでくだり

お城の別な表情を見ながら

いろんな姿の白を楽しみました

壁を板で覆っているところが

独特の表情を見せています

 

 

城内には立派な神社もあり

朝喗神社(あさひ)といいます

城内にこれだけ立派な神社が

あるのは珍しい

 

 

そこから見上げる天守閣も

美しい

 

 

面白い形で

上に見える櫓のような建物が

門になります

細長い道を行ったり来たりして

門にたどり着くという

仕掛けです

 

 

時代によって積まれ方が違う

石垣です

 

 

ここの石垣は色々な積方が

あるようで

一見乱雑そうに見えて

石自体を奥に深く積むという

それで強固なものになっている

ということです

 

 

この櫓は資料館です

大河ドラマに備えてでしょう

今は展示替え中とのことです

 

 

振り返ってみる姿もいいものです

 

 

思わず何枚もシャッターを

押してしまいました

 

 

ちょうど足元には

山茶花が咲き誇ってました。

 

帰りの道中

ふと思っていたのですが

「明智光秀」という名前

仏教に関係がある文字ばかり

「明」(みょう)というのも

愚かさの闇を破って真理を

さとる聖なる智慧、ということで

また、

十地の菩薩が具える十種の智明

というものがあります

ひっくり返せば「明智」です

それから、

「光」は仏を表し

仏の背中には光背といって

背に光を背負っておられます

無量光如来(阿弥陀如来)とも

いいます。

そういうのが「秀」でている

というのですから

まあ、

大変な名前でもありますね。

 

ということもあってか

今度の大河ドラマ楽しみですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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子の年・ネズミ年

2020-01-04 20:20:27 | 漢字

ちょうど令和が始まったのと

同時に干支も最初の子から始まり

すべてが新しく始まる予感です。

 

 

ネズミさんというと

私の干支ということもあり

身近に感じるのです。

 

けれども、

「鼠」という漢字になると

あまりいい言葉はないようです

鼠という字は亀や龍と同じく

鼠部という部類です

文字は象形文字で、

上から、歯、からだ、爪、尾を

表しています。

その意味の内容は、

ネズミということと同時に、

秘かに害をなす者にたとえる

とあります。

鼠賊-こそどろ

鼠輩-ねずみのような

   とるにたらぬやから

ただ一つよさそうなのは

いつもの鍋島先生が

「鼠径部が大事よ!!」

とおっしゃるように

足の付け根、

リンパの流れる部分です。

 

それから調べていくと

私にぴったりの言葉がありました

「鼯鼠の五技」(ごそのごぎ)

鼯はムササビのことで

いろいろな能力があっても

たいしたことはなく、

どれも役に立たないこと。

(なるほど!! ぴったりです)

ムササビは飛べるが

屋根まで上がれない。

木に登れるが先端までは登れない

泳ぐが谷を渡り切る事はできない

穴を掘るが身を隠すほど

掘ることはできない

走るが人より速くはない

という五つです

鼯鼠の五能ともいいます。

 

また、鼠という字に

穴冠が付くと

「改竄」(カイザン)となり

昨年は色々問題になりました

「竄」という字は

鼠が穴の中に入る意味で

逃げ隠れする、ということです

「竄」も本来は「あらためる」

という意味でいいような気も

しますが、

もっぱら不当に改める場合に

この字が使われるようです。

 

それから、

「四十八茶百鼠」

という言葉もあります

江戸時代の人は

茶色でも48種類の色を識別でき

ねずみ色に至っては

100種類の色を使い分けたとか

利休鼠という色が有名です

私も白衣というより鼠色の衣が

好きで普段にはよく着たものです

この微妙な色の変化を楽しむ

というのも

日本人の美意識でしょう。

 

ネ年の「子」も象形文字で

手を動かしている子どもの形で

そこから、幼い子供、若者の意

転じて男子の敬称に用いられる

ということです

この字からは

「好」女性が子供を抱く姿で

母親が子供をかわいがる姿

「学」子どもに世の中のしきたり

をならわせる、ということが

もともとの意味です

その反対に、

「教える」という字にも

子という字が入っています

子どもに枝(攵)で打って

はげましおしえる

という意味なのです。

(昔の先生はそうでした)

だから叩かれて教えらたのは

本来の姿だったのですね!

お経も習う時も

叩き込むというように

師匠は片手に扇子を持って

拍子をとりながら

間違うとそれで叩かれた

そのようにして教わりました。

 

見ていくと

「ねずみ」さんという字は

あまりいい意味がありませんが

ただ一つ

英語になると「マウス」で

「ミッキーマウス」は

みんなのヒーローです。

彼がいるので何か救われる

気がしますが… ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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冬を越す野の草花たち

2020-01-03 20:44:18 | 住職の活動日記

今年はまだ京都の方では

初雪の情報はありません

こういうことも珍しいようです

やはり温暖化の影響でしょう。

 

草花たちはこの寒い冬に

じっと耐えもうすぐ来る春を

待っているようです

 

 

アジサイもすっかり緑をなくし

わずかな芽を蓄えて

次の春に備えているようです

 

 

 

この草は何でしょう?

本を片手に

たぶん「エゾノギシギシ」

でしょうか

茎をすり合わせてギシギシと

音を立てたところから

この名前が付いたとか

春に咲いたときにまた

見てみないと定かではありません

 

 

この花はよく見かけます

たぶん「ノゲシ」?

ヨーロッパ原産の帰化植物

葉を傷つけると白い乳液がでる

ところからケシに似ているので

この名前が付いたようです

似た花で「オニノゲシ」があり

この花は葉にトゲある

 

 

今の時期、花がないので

この黄色い花がひと際きれいです

 

 

また、タンポポのような

白い毛の種をつけます

 

 

これはどうも名前が見つからない

こういう冬を越す草は

葉を広げて土のぬくもりを

もらって寒さに耐えるのでしょう

 

 

これは「スイバ」という草かも

葉をかむとすっぱいところから

この名前が付きました

葉の茎が紫になる

というので、

スイバかなと思います

 

 

オシロイバナ、

咲き誇った花も落ちて

種も落とし、

よく見ると少し残っています

 

 

先程のノゲシですが

こうやってアップにしてみると

美しいものです

 

 

こうやって、

伸び放題に伸びています

はた目には迷惑な

生きものかもしれませんが

頂いた場所で

精一杯生きているのです

 

 

これこそ「ナカバギシギシ」の

ようです

明治時代に日本にやって来て

今はいたる所

北海道から九州まで

どこでも見ることができます

「ギシギシより全体に緑色が深く

葉の緑が縮んで波打つ」

とありますから正にそうでしょう

 

冬の野も殺風景にも見えますが

よく見ると

いろいろな野の草花たちが

春に向けてじっと耐えている姿は

力強さもあり健気でもあります。

 

気が付かなければそれまでですが

なんでもじっと見てみると

そこにはいろいろな営みが

見えてくるようです。

 

 

 

 

 

 

 

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主観の妄執を破る

2020-01-02 17:16:03 | 十地経

自我の妄執というか

「分別の妄執」「主観の妄執」

を破るという言葉も

耳に残っている言葉です。

大学生の頃に聞いた言葉なのに

強烈だったのでしょう

奥底に眠っていた言葉です。

 

ちょうど、

『十地経の講義』も

第七地を過ぎ第八地に入った

ところです

この講義も直線的ではなく

円環的というように

また、八地という所に立って

初地から見直されています。

 

初地の面目は「大願」ということ

そして、行としては布施であると

波羅蜜の行が述べられています

初地は「初歓喜地」と言うので

歓喜ということです

何が歓喜かというと

「分別の固執」を破った

ということです

 

歓喜、喜びというと

普通には良いことがあった

宝くじに当たるとか

何か都合のいいことがやって来た

ということのようですが

そうではなく、

長年自分でも持て余していた

自我の妄執を

破ることが出来たと

 

講義では、

「主観の妄執を破ればですね、

地獄に堕ちるんじゃない

真理の中に落ちていく

真理に堕ちてくれば、

初めて事実が分かる。

真理というものに裏付けられて

初めて事実の実相が分かる。

 

いまだ見なかったものを

見たとかですね、

長い間無意識、

本能としてですね、

求めたものを初めて

得ることができたと。

それは主観を破ることができた

だから大いに歓喜するんだと。」

 

というように述べておられます。

 

また、

布施ということが初歓喜地と

言っておられますが

難しい言葉ですが

「法界を証するというような

ことで初めて布施が成り立つ

自分のものを人に施すんじゃない

自分のものなんかというのは

ないんだと。

あらゆるものをあらゆるものに

かえしていくんだと。

だからして慈善というような

ことはないような、施し。」

 

自分の持てるものを

人に施すということが

布施のように思っていましたが

そうではないようです

慈善事業ということも

一歩間違うと

上下関係というか

上から目線で恵んであげる

というような優越感にも

落ちいってしまうことも

あるようです。

 

そこのところは

よくは分かりませんが

読み進めるうちにまたでてくる

のではないかと思います

それまでの宿題です。

 

学生自分に聞いた

「主観の妄執」

という言葉に再び出会い

その時の光景を思い出し

この、自我の妄執を破る

ということが大きな修行の眼目

のように思います。

 

この一つを取って見ても

令和2年の大きな目標のようです。

 

 

 

 

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初詣

2020-01-01 20:07:24 | 住職の活動日記

あけましておめでとうございます

今年もどうぞよろしく

お願いいたします

 

初詣に行こうということになって

どこに行こうか?

小さな子供連れ、駐車場、

さほど人も多くない

その後子供が遊べるところ

などなど条件が重なり

選んだところは御所の西にある

「護王神社」

 

道中、さほどの車の混雑もなく

結構スイスイと走り

御所の駐車場もガラガラ状態

 

 

ちょうど、護王神社は蛤御門の

お向かいにあり

 

 

禁門の変の生々しい矢玉の後が

門や柱に残る傷跡を見て

 

 

護王神社へ

本殿にお参りするには少し並び

でも誘導もいいせいか

スムースにお参りできました

 

 

今年はネズミ年

年男です、6回目の!

 

 

この神社、和気清麻呂をお祀りし

猪にゆかりのあるところで

いたるところにイノシシの置物や

しるしを見ることが出来ます

 

 

欄干の金具も真新しく輝き

その下の柱にも

 

 

イノシシさんがいます

 

 

鈴を鳴らし参拝

休憩所もありそこには

イノシシのコレクションが並びます

 

 

天上には干支をあしらった

方位盤のような飾りがあります

そこに後にして

御所の遊園地へ向かいます

 

 

目連の木でしょうか

毛におおわれたつぼみが

美しい姿をしています。

 

子供たちはブランコや滑り台

鬼ごっこで走り回り

ひと汗流したようです

 

 

歴史好きの彼を伴い

御所の鬼門を見に行きます

やはり有名な場所のようで

カメラ片手の方々が次々と

訪れています

「御幣を持ったサル」が

お祀りされています

 

 

その横には

明治天皇がお生まれになった

中山亭跡があります

 

御所の自然は

できる限り手を加えないで

自然の姿を留めています

そこでいつも気になるのが

 

 

こういう桜の木です

中の芯の部分はほとんどなく

皮だけで元気にしている姿です

周りから杖で支えられて

それでも新しい枝を伸ばし

花を咲かせています

 

 

公園の近くにもこういう

桜の木があります

この桜もほとんど皮だけの姿

それでも新しい枝が伸びる

というのはいのちの力を感じます

 

 

ひとしきり遊んで

お参りもしておみくじ引いて

こういう空間で遊べたのは

何かしらよかったような

気がします。

 

今年はサラリーマンの方には

10連休や11連休の方も

あったようですが

もう、

明日、明後日には帰省ラッシュ

長いようでもあっという間の

休日のようですね。

 

お身体大切に

6日から頑張ってください!!

 

 

 

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