かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

春信、写楽を襖に貼る

2015年12月28日 | 暮らしのしつらえ

かねてから部屋の襖に良寛とか空海の書のようなものを貼りたいと思っていましたが、なかなか良いものには出会えませんでした。

そんなおりに、年末恒例の伊勢崎の古本市で春信の浮世絵が何枚も出ているのにめぐり会いました。 

それが1枚100円は妙に安いと思ったら、画集らしきものを断裁して一枚ずつわけたもので、
裏表の絵が1枚になったものでした。

これを襖に貼るには、裏を使うか表を使うか決断しなければなりません。

でも現代の画集であれば、コート紙への印刷になるところですが、艶のない紙であったので、これをそのまま襖に貼っても違和感ないことが予想されました。 

 

早速ふちをカットして両面テープで仮止めしてみたら、とてもうまくおさまりました。

 

 

 

やはり、春信はいいですね。

日常空間にある暮らしの粋を極めてる感じ。

それが、毎日目にする襖にはとても合います。

 

 

 

 

 江戸の人々の日常のなかに、このような季節を味わう感覚は、はたして庶民の間にどれほど浸透していたのでしょうか。 

  一枚一枚の絵をみていると、どんなにそれが一部の人であったとしても、その着物の柄や着こなし、背景の草木や建物、どれをとっても、もしも現代に再現しようとしたら最高峰の世界がそこに、日常空間として営まれている事実だけで、太刀打ちできない世界であることを思い知らされると思います。

そえられた歌の楽しみ方さえ、これらの絵の世界に比べたら、現代ではどう張り合っても薄っぺらな教養にしかならない。

 

 

     松風の 音だに秋は さびしきに

       衣うつなり 玉川の里

                源俊頼   (千載和歌集)

 

これは、きちんと書き記しておかないと、聞かれたときに答えられない。

 

 

 

  

  秋きぬと 目にはさやかに 見えねども

          風の音にぞ おどろかれぬる 

            藤原敏行   (古今169)

 

 

 

 

       こひしさは をなし心に あらずとも

             今宵の月を 君みざらめや

                 源信明朝臣    (新古今)

 

 

 

 「春信一番、写楽二番」なる企画もかつてあったようです。 

 

 当初、襖に貼るには写楽は派手すぎるかと思いましたが、その心配は無用でした。

  写楽は居間ではなく、事務所として使っている部屋の襖で使いました。

 

 

これでまた、うまい酒がのめる。

 

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松尾昭典さんにつくってもらった「月香盃」

2015年12月17日 | 暮らしのしつらえ

前からイメージしていたお酒をのむ盃。

ぐい飲みは様々な種類が出ていますが、飲み口の浅い「かわらけ(土器)」の形のようなものをずっと探していました。

戦国武将が出陣前に盃を手にもって飲む姿が、肘をはって飲み干し地面に盃を叩き付けるようなものです。

これは「浅い」ということがポイントです。

「浅盃」というそうですが、そもそも盃という字は「皿二不ズ」と書くくらいです。

皿に近く浅いのが本来の姿なのでしょう。

貝が原型だともいうし。

 

でもこの形は、盃を口に近づけたときに浅いとこぼれやすいので、水平を保つことに気をつかい、どうしても肘がはった姿になります。

肘が脇について呑むのでは、格好がよろしくない。

それは単なるポーズの選択の問題ではなくて、盃のかたちによって決まるものなのです。

以前、そうしたかたちの盃を冷酒器を探していたときにひとつだけ見つけることができて、とても重宝していました。

 

 ところがこの盃、ひょっとしたはずみで割れてしまいました。

 再度同じものを買うかどうかしばらく迷っていました。

そのうちに似たものが見つかるのではないかと思って機会あるごとに探していたのですが、
いくら探しても類似のこうした浅い盃は見つかりませんでした。

 そこで、馴染みの陶芸作家の松尾昭典さんに相談してみました。

こうしたものはイメージが大事なので、現品のないままうまくそのイメージを伝えられるかどうか
不安なまま松尾さんに話してみました。 

すると、酒のみの気持ちはわかってくれたみたいで、その飲むときのしぐさを真似してくれて
なんとなくこちらの気持ちは届いたような感じがしました。

それから1ヶ月くらいたってからでしょうか。松尾さんの工房を訪ねてみると
焼く前の盃がもう出来ていました。

曰く、「馬上盃」をイメージしてつくったみたとのこと。

「馬上盃」? 

揺れる馬の上で呑むための盃は、高台が高い姿になっています。

器の縁を持つのではなく、高台を手にもつようにできているのでしょうか。

でも、こんなふうに浅い構造だったらなおさら馬上ではこぼれやすいことになると思うのですが。

私のイメージからは、高台の高いことがちょっと不安に感じましたが、
他の形状や仕上がりの色のイメージはほぼ共有できているような気はしました。

期待感と不安が混ざったまま、ドキドキしながら待っていたら、
松尾さんから焼き上がりましたとのハガキが届きました。 

 

焼き絞められたそのかたちは、思ったほど高台は高くなく、
何よりも、色味がすばらしいものでした。 

これは、きっとお酒をそそいだら、もっと味がでるだろうと期待されました。

 

 

 

 家に帰って酒をそそいでみると、予想を遥かにこえて、すばらしい風合いがでました。

手に持った感触がすばらしい。

酒をそそいだ表面の色あいは、まるで月の香りを映しこんだような雰囲気が感じられます。

松尾さんにお願いするしかなかった最大の理由、他に類似品がないことがこの現品をみてあらためて痛感しました。 

これは、居酒屋へ行くときにも、

「マイ盃使ってもいいですか?」 

と持ち歩いていきたいようなものです。

 

日本酒好きならば、是非、これで呑んでみてくれ、と見せてあげたい。

 

 これをいただいてきた今日、松尾さんは病院の検査の日でお会いできませんでしたが、

この感動を早く松尾さんに感謝として伝えたい。

 

松尾昭典「泥魚」

http://kamituke.web.fc2.com/page152.html

 

 

 のちに、みなかみ〈月〉の会の結成記念のイベントでこの盃を見せたところ大好評で、月待ちの場でこの盃を使うともっと大事な役割りがあることに気づきました。

それは、縄文時代からある月の再生思想にかかわる考えで、「月ー子宮ー水ー蛇」という「再生シンボリズム」のなかでとらえることができます。

ネリー・ナウマン『生の緒』(言叢社)に以下のような記述があります。

 月の盆に入った液体は、かならず雨となって降り注ぐふつうの水というわけではない—それは不死の飲み物、永遠なる若返りの飲み物でもある。とはいえ、月神の目や鼻、口などから浸出する涙や鼻水、唾液がどうして「生の水」だとみなされるのだろうか。辻褄があわないように見える。しかしそれらは神の分泌物であり、神のさまざまな資質を分有する液体なのである。しかも、各月末に死んでから新月の開始とともに死者の国から登場してくる神そのものの生の液汁であり、それは「原始的思考ではことごとく永遠の復活や不死、永遠性」を表す神にほかならない

 

 月の水を集める道具として縄文土器や土偶の顔のかたちが理解できると大島直行氏が『縄文人の世界観』(国書刊行会)などで強調されていますが、まさにこの「月香盃」も、そのように月の香だけではなく、月の水を生命再生の象徴として集めていただく盃にして活用していきたいと思います。

 

さらに、のちに知ったことですが、ほかの盃の語源説のなかに、「さかづき」は「逆さ月」からきているというのもあることを知りました。

盃に移る月が、逆さまに写って見えることから生まれた言葉であるとのことです。

これまで盃に移る月を写真に撮ろうとしたことはありますが、なかなかうまく撮れません。


       今のところ、これが精一杯で、この月を飲むほす余裕などありません(汗)

 

のちにこの月香盃は、小鉢としてもなかなか素敵な使い方があることを知りました。

 

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中秋の名月に、三脚型の燭台をつくってみた

2015年10月02日 | 暮らしのしつらえ

 

 「月夜野百景」http://www.tsukiyono100.com/#!autum/cwe3 のホームページで使用する秋の月見のいい写真がまだなかったので、中秋の名月に妻がお供えを用意してくれるときにあわせて、それらしい演出をいろいろ考えていました。

 お供えに相応しい雰囲気を出すには、やはり三脚型の燭台が一番良いのではないかと思い、中秋の名月と地域の観月イベント「指月会」にあわせてつくってみることにしました。

 

 ところが、ネットで検索しても、この三脚構造の燭台の情報や写真がなかなかみつかりません。

 最初は角棒を3本交錯させてつくってみたのですが、どうにも3本の交差部分が、角材ではうまくまとまりませんでした。

 あらためて直径15mmの丸棒を買って来て組んでみました。

 やはり、きちんとした交差のさせかた、固定の仕方が理解できていないと、三脚の上に水平部分をつくるのは容易ではないと気づきました。

 

 

 

 

最初は板を三枚重ねて厚みをつけて、3本の脚が交差する角度で穴をあければよいと思ったのですが、どうにも、この角度で穴をきちんとあけることは簡単ではありません。

結局、この方法は諦め、板は薄い一枚のままで穴にはアソビをもたせるようにして、穴の角度の厳密さは追求しないことにしました。 

 

板の部分の固定がゆるくなったため、この交差部分をワイヤーできっちりと縛りあげることにしました。

でもワーヤー剥き出しでは、黒色のワーヤーを使ったとはいえ、せっかくの和風の仕上がりが色あせてしまう。

そこでホームセンターで園芸用の棕櫚縄を買って来て、上からさらにまきつけてみました。

ところが、やっぱり3本が交差したこの複雑な構造にきれいに巻き付けるのはなかなか難しい。

昔の職人は、こうした部分の仕上げがとても美しい。 

とりあえず、ここはこれ以上深追いはせず、次の作業にすすむ。

 

 

明かりで使う蠟燭は、煤が出ず長持ちするホンモノの和蠟燭といきたいところですが、高価なのでカタログ値で24時間もつというカップ入りの蠟燭を使うことにしました。

いづれ、ホンモノの和蠟燭そのものの魅力を紹介できる機会もつくりたいものです。 

覆いは、手作り枝折用にかつて買ってあった和紙風デザインのA4厚紙が何種類かあったので、それを適当に丸めて底の部分が水平になるようにカット。

 丸めた紙は、とりあえずホチキスで止めてみましたが、仮の固定方法のつもりが結局それがそのまま仕上がりになってしまいました。

 

 

脚の長さは、「指月会」会場のお寺のような広い部屋で使用する高さのあるものと、家で使用するような低いものを1800mmの長さから2本とって、2種類4台を作成しました。

この燭台は、デザインで雰囲気を出すことを第一に考えてつくったのですが、実際に出来あがって使用してみると、その明かりの非日常的な美しさは目をみはるものがありました。

 

それと、よく化け猫が出てきてなめるような、お皿に油を入れて灯心だけを出したかたちのものがこれ。

 

 

 

和ロウソクを使えば、炎も大きく明るくなりますが、コストは高くなります。

 

 

そもそも観月とは、明かりのない闇夜に月明かりが際立って冴えわたることにこそ、その魅力があるものです。

いくら観月イベントとはいえ、照明を煌煌と照らした空間では、とてもその本来の雰囲気は味わえません。

そればかりか、夜の魅力そのものにも気づけません。

暗いものをただ明るくすることの一方向にしか気が向かわない太陽偏重の思考に、月までがあわせさせられるかのような月見から、こうした仄かな明かりは、月に相応しい夜の感覚を取り戻し気づかせてくれます。

 もっとも、お月見の行事も都会ほど昔から灯籠の明かりをともしていた面もあります。

 では、お月見にはどのような明かりのともし方が相応しいのか。

 部屋のこの燭台の飾り方が、明るさを確保するためには4本立てたいところですが、お供えの雰囲気づくりには左右2本がいい気もします。

 そうしたことのひとつの参考事例が、日ごろお世話になっている〈月の会〉の志賀勝さんの『月の誘惑』(はまの出版)のなかで紹介されていました。

 1830年の『清嘉録』には次のように書かれている——。

「十五夜の夜を、また俗に『燈節(とうせつ)』と呼ぶ。各家とも二本の大きな蠟燭を正面の間に燃し、筵席(えんせき)を設けてたがいに招き宴賞しあう。また神祠や会館でも鼓楽をなして宴飲し、華燈籠(かざりどうろう)が万盞(油の皿)も掛けられる。これらを『燈宴(とうえん)』という。(以下略)」

 とりあえず、堅苦しい決まりは特にあるわけではないらしいので、その時々の部屋の使い方に応じていろいろと試してみることにしました。

 

この時のお供えに使ったのは、蕎麦がき団子です。

のちに蕎麦がきは日保ちがしないので、芋名月にちなんで里芋に変えてみました。

 

これが後の十三夜には、栗に変わります。

 

 

おかげで今年の中秋の名月は、かつてないほど空も冴え渡り完璧な月だったこともあり、「指月会」のイベントお手伝いの前に妻と二人で最高のひとときを過ごすことができました。

 
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手作り箱膳のある暮らし

2015年09月06日 | 暮らしのしつらえ

仕事でホテルの部屋の内装や料理メニューなどにかかわっている都合で、手頃な箱膳をいろいろ探していました。

ところが、市販のものだとサイズが小さめであったり、高価であったりして、なかなか納得のいくものがみつかりませんでした。

ならば・・・

自分で作るに限る!

 

 

最近の本棚やブロック棚などのパターンでの制作ですが、

高さ 30cm   幅 45cm   奥行  A:38cm   B:33cm    C:28cm

の3種類 4つを作成しました。

 

毎度のことながら図面も引かず、材料の現物合わせの制作ですが、ほぼ納得のものが出来上がりました。

 

テーブルのように足を隙間に出せない難点はありますが、ひとりの食事を演出するには、この方がずっと楽しく感じられます。質素な食事でも充実した「食」の時間を味わうことができるだけでなく、豪華な食事の演出としてもとても効果があるように思えます。 

 

 

これは、箱膳の配置、レイアウトが自由に変えられることで、人数に応じて、会話の距離感なども自由に調節できることも大きな利点です。

夫婦で隣りあわせて食べる配置、お客さんと向き合って食べる配置、もてなす側ともてなされる側にわかれる配置など、こんな実用的なものはないと思います。

 

 

さらに箱膳の中は収納として十分なスペースがあります。

ホテルでは、お客さんの滞在中のすべての食器がこのなかに収納できます。夕食を出すときに、このなかには明日の朝食で使う食器もすべて入っているんですよ、と説明する。もちろん、それなりの食器であればですが・・・

 

加えて、並べた箱膳の上に写真のような天板をのせれば、通常のテーブルの台としても使えます。

この写真の天板テーブルは、二枚の板を蝶番でつないだもの。使わないときは、二枚を折りたたんでしまっておけます。 

 

 

 

また、箱膳の幅 45cmをタテに使用すれば、正座仕様のテーブルが、低い椅子で使えるテーブルにすることもできます。実際には、低いテーブルであっても、膝の高さ50cmくらいはテーブル下の寸法は必要で、それは次のアイデアで解決します。

 

その後、天板のデザインを替えたものも作りました。

 

 シチュエーションに応じて、違った雰囲気にして使うこともできます。

 

上の写真左上の衝立は、箱膳の上にあった天板を立てて屏風にして飾ったもの。

 

 

 

仕事の提案のための試作品でもありますが、これでわが家の毎日の暮らしが一段と楽しくなったことは間違いありません。

 

 

 

といっても、これが活きるのは、相方のこの料理の腕あっての世界ですが・・・

 

 

箱膳のフタ部分は、お盆としても使用できます。

 

 

 

 

 

たまには、家庭料理でもお品書きをつくってみる。

 

と、ここまでは、箱膳のある新しい暮らしが楽しくて、ハレの日の食卓のみを掲載しましたが、日常は、こんなにキレイに整理されているわけではありません。

しかしこうした箱膳の暮らしを、本来の姿にさらに強く後押ししてくれたのが、土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』です。

 

一汁一菜を日常食スタイルにすることが、どれだけ豊な暮らしを実現することになるか、土井さんが軽い語り口でありながら極めて深い洞察をしてくれています。

 

「忙しいからコンビニ」ではなく、「忙しいからこそ、一汁一菜」なのです。

 

 

季節の食材でつくる具だくさんの味噌汁だけで、どれだけ、健康的で豊な暮らしが実現できるか、実に多面的角度から解き明かしてくれていいます。

お陰さまで、そうした一汁一菜の食生活こそ、箱膳の暮らしが最もふさわしスタイルになることを気づかせてくれました。

 

 

 

現在、部屋には3つの箱膳を置いていますが、そのうちの一つは、まさに一汁一菜の食事用として使い、その箱膳の中には調味料などが収納されています。

 

 

またある時は、晩酌用として。

 

またある時は、コーヒーのスペースとして。

コーヒーミルなども一式、箱膳のなかに入れたかったのですが、残念ながらミルの取手が箱膳の深さに収まらず、断念しなければなりませんでした。

 

 

二つ目の箱膳は、ノートパソコンをおいて、仕事などの作業用として使用し、箱膳のなかに利用頻度の多い資料や文房具類が収容されています。

そして3つ目の箱膳は、ひとつの箱膳でスペースが足りない場合や、来客があったときの予備として使用しています。

 

 

 

基本は、食事や仕事など日常のあらゆる活動を箱膳ひとつに収めるということです。

このおかげで、絶えず本や書類で散乱する日常空間を、ガムシャラに頑張って片付け作業をすることなく、一箱分に収めて片付ける習慣がつきそう・・・

と言いかけたら、たちまち遠くから冷たく嘲る視線が飛んできた(汗)

 


高価なものを買わずとも、自分の暮らしにあったものを手軽につくることでこそ、日常が豊になる幸せを実感することが出来るものです。


ぜひ皆さんも、意外と簡単ですから手づくり箱膳をひとつ作ってみてください。

 

 

 

#箱膳 #手作り箱膳 #一汁一菜 #箱膳のある暮らし

関連ページ

毎週一度の食事のため「お品書き」をつくる

http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/08503092fe1bd1902b92ba4cab46280a

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あれは幻の珈琲だったのか?ケニアの風味

2015年09月04日 | 暮らしのしつらえ

 数年前に出会った私にとって最高のコーヒー、ケニア。

苦味系でありながら、とてもすっきりした味。

これに近いようなタイプのコーヒーはないといってよいほど、私にとっては最高のコーヒーでした。

ところが、数か月前からいつものお店で買っても、これまでのすっきりとした風味がどうもでません。

煎り方を変えてもらったり、一杯の豆の量を変えたりして、いろいろ試してみたのですが、
どうにもこれまでの味が再現できません。

もともと私にテクニックがあるわけではないので、毎度入れるたびに味わいは一度として同じといえることはないのですが、
それでも「ケニア」ならではの味には、いつも決定的な差を感じていました。

なにがどう違うのか、まだ完全に解明できたわけではないのですが、
最近の味では、キリマンジャロの類とあまり差がありません。

 

 

考えてみると、このケニアというコーヒーは、これまで渋川の馴染みのお店で買ったもの以外は、

どれも私の期待に添う味ではありませんでした。

紹介の仕方によっては、「トロピカルな味わい」といったような表現もされていますが、

私の出会った感動のケニアは、決して「トロピカル」などというような感じの味わいではなく、

これが苦味系といえるのかというほどの「すっきりした味」で、

それでいながら仄かな香りがとても心地よくただようものです。

日頃、コーヒーはあまり飲みなれていない叔母が、

「これはおいしいい」

と言うほど年寄りでも安心して飲めるような味わいのものです。

 

ヨーロッパでは、第一級の豆としてかなりスタンダードらしいのですが、日本ではあまり馴染みがありません。

当初、その理由は、マイルド系が主流の日本のには受け入れられにくいためかと思っていましたが、

どうも原因はそれではなさそうです。

 

とても残念なことですが、私の出会った感動的な味のケニアのほうが、市場では一般的なものではなく、

他所で買った、これではとても毎日飲もうとは思わないケニアの方が、日本市場では普通のものであったらしいのです。

どうもそうらしいということが、いろいろ試した結果間違いないのだろうとわかりだしたところなのですが、

それにしても、私としては納得しがたい思いが残ります。

 

 あの苦味系でありながらすっきりとした香りたかい味わいこそ、まさに理想のコーヒーであるといえるはずなのに、ちょっと酸化したような苦味だけが強調された味わいが正常な味として認めるなどということ、どう考えてもおかしい。

私の感覚にしたがえば、かつての幻のケニアこそ、鮮度が保たれたからだにも良い豆で、

最近の苦味ばかりが残るケニアは、酸化が進んで鮮度の落ちたからだに悪い豆ということに違いない。

 

お店の人に豆の仕入れのロットが前とは違うのではないか、などと聞いてもみましたが、

生豆の仕入れをそこまで分けて管理できているわけではないようです。

 

これまでずいぶん多くの人に、あるときはコーヒーには自信を持っていそうなお店にまで、

ケニアという豆の魅力とすばらしさうったえてきたのに、このままでは、どうも真に立証することができないまま、私たち一部の人間だけの「幻」で終わってしまいそうなところに追い込まれてしまいました。

 

所詮、素人知識の浅い体験にしかすぎないのですが、

ほんとうに鮮度のある生豆の力が、大半の市場には出回っていないのかもしれないという仮説、

コーヒーの本物のプロの力を借りて、なんとか立証してみたいものです。

 

 ともあれ、

これまでコーヒー豆の日本市場の現実を理解しないまま、私の勝手な知識でケニアという豆の幻をおしつけられた皆さん、

大変、申しわけございませんでした。

理想のケニアの最低限のレベルの味が再現できるように、なんとか生豆流通の真の実情をつかみ、自分の入れ方の腕を磨き努力したいと思います。

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濱田庄司と益子町 「民藝」から「暮らしのしつらえ」への道

2015年05月08日 | 暮らしのしつらえ

 

GWも終わり、世の中も少し静かになったので「濱田庄司記念 益子参考館」に行ってきました。

 https://plus.google.com/photos/+星野上/albums/6146453741012418017

(河井寛次郎記念館と同じく、写真を自由に撮らせていただけるのがありがたい)

 

私にとっては、民藝を牽引した人物のなかでも濱田庄司はいまひとつピンとくるものを感じられず、河井寛次郎記念館に比べたらずっと近い場所ににもかかわらず、これまで行く機会をもてずにいました。

それがこの間、グラフィック社から出ている『民藝の教科書』という全6巻の本を読んでいたら、自分の理解如何にかかわりなく見ておかないことには話しにならないと感じ、急きょ行ってきました。


 

すると・・・やはり、行って良かった。

京都の街中につくられた異空間、河井寛次郎記念館とは異なり、本来の自然空間のなかに必要な「しつらえ」が十分ゆきとどいていることにまず感動。
妻は、先の東日本大震災の甚大な被害から、ここまでみごとに復旧されたことに感動。
すばらしい空間でした。

でも、私はやっぱり濱田庄司の作品には、いまひとつ入り込めませんでした。
それがそのまま、陶芸のまちとして発展した益子町の奇妙な成功と衰退の同居状態のなかにあらわれているようにも感じられました。
創作作家への道ではなく、「民藝」としての陶芸を志して集まった多くの陶芸家達と一大観光地として発展させた努力も、まずはよしとする。
そのエネルギーに引き寄せられて集まってきて新しい作風を積極的に取り込んだ若手陶芸家たち、これもとてもすばらしい。
ただ、どちらかというと「民藝」の括りから自由であることでこそ羽ばたいている作家が多いようにも感じられます。

「民藝」ブームは、たしかにもう過去のものかもしれません。
でも、時代はいま「民藝」の再評価ではなく、根本的な問い返しを求めています。

その切り込み口がどこかに見えないかと期待して、今回益子へ行きました。


そもそも私にそう思わせたきかけは、益子町が刊行した「ミチカケ」という冊子です。

 益子のまちの人びとの暮らしを丹念に取材し、とても美しくまとめられた冊子で、第4号がこのたびでました。



この冊子を群馬の川場村のCafe de Clammbonさんで知り、陶芸作品のみで表現するこれまでの「民藝」ではなく、そこに暮らす人びとの生活のなかに息づいた「民藝」をもしかして再構築しはじめているのではないかと思ったのです。
これはまさに私が「月夜野」「みなかみ」という土地でこれから目指したいことです。

とんぼ返りで見ただけでなにがわかるかという程度のことですが、やはり実態はどちらかというとすぐれたアートディレクターの力だのみが実態で、なかなか幅広い運動として広がりだしているとはまだ言えないようです。

でも、その活動の規模は、私たちに比べたらずっと大きくうらやましいほどのものです。

お互いに、これから踏み出す世界の話しなので、コツコツと積み重ね続ける努力こそが大事であると思います。

新しい動きの片鱗をさがしたり、月のテーマがらみで使える陶芸作品をさがしたりしながら益子町をまわってきましたが、幸い大きな出費に至ることはなく、今日は写真の皿を1枚買うだけで済ませることができました。

途中、栃木から茨城をまたいだところで、ユニクロの下着を茨城土産(笑)に、買って帰ってきました。

観光や産業の振興以は大事であることは間違いありませんが、それ以上に暮らしの環境の「しつらえ」がいかに大事であるかを道中を通じてあらためて強く感じました。

そう思って振り返ると、日頃お世話になっている赤城村の陶芸家、松尾昭典さんhttp://kamituke.web.fc2.com/page152.htmlの作品の素晴らしさが、また「じわり」としみてきます。

 

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昔は元日にみな年をとっていた

2014年12月31日 | 暮らしのしつらえ

日本では古来、誕生日にではなく、新年元日(旧暦)に年齢を加算していました。
したがって、年をとったことを祝うなら正月であり、生まれた日を祝う習慣はありませんでした。

大晦日の夕方から元日の日の出までの時間は、おじいさんから孫まで、ひとつ屋根の下の家族が、たいへんな高揚感をもってむかえられていたことと思われます。

(さらに一日のはじまりが、かつては午前0時でも日の出の時刻でもなく、日没の時から一日がはじまっていたことを
前に「一年のはじまり、月のはじまり、一日のはじまりについて」
http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/a6cd7eee2428ed18e62d5ab98d5cc637で書きました。)

 

私は、その習慣ははたしていつ頃から変わったのだろうかと思っていましたが、その習慣が昭和の法律によって廃止されたとは知りませんでした。

昭和25年(1950年)1月1日に施行された「年齢のとなえ方に関する法律」(昭和24年5月24日法律第96号)です。

 

西暦で誕生日を祝うことが当たり前になったかのような現代ですが、そうした習慣が定着したのは、昭和になってからのことで、古老の話を聞くと昭和24年のこの法律が施行されても、東京オリンピック(1964・昭和39年)の頃まではかなり広範にこうした習慣は残っていたようです。

誕生日を祝う習慣がなく、新年に一斉に歳をとるということは、誕生日を祝うことが定着した現代では跡形もなく消えたかにも思えますが、「数え年」という年齢の数え方には、そのまま名残として残っています。

「数え年」というのは、私はてっきり早生まれの人だけが意識することかと思っていましたが、これはそういうことではなく、誕生日に関わりなく年齢を計算する考え方で、まさに元旦を持って歳をとるという姿そのものです。

 

「数え年」というのは、0歳という考えがなく、生まれた時点で、1歳となる考え方です。

 以降、1月1日を迎えるごとに、1歳プラスがプラスされていきます。

 

だいたいはこういった説明がされていますが、私たちにとって大事なのは、「数え年」は、こうした数え方がされていますということではなくて、誕生日を祝う習慣がなく新年に皆一斉に年をとっていたのだということの名残としてこの「数え年」があるのだということです。

私たちが「暦」というもののポイントを知るいくつもの大事な要素がこのテーマには含まれています。

そのひとつが、新年イコール太陽歴の元日では、太陽や月の運行に基づいた暦上では何の意味も持たないので、西暦が強要されても庶民の暮らしには、なかなか馴染めないものがあったということ。

つまり、365日の第1日目は、太陽周期の割り算の結果に過ぎず、1年の区切りを天体の運行から見れば、冬至や立春などの日の高さの極日や、満月や新月の日こそが自然界では合理的な区切りであったのです。

 

もう一つは、1日の始まりも午前0時という時間の合理性も、太陽や月の運行からは意味がなく、日の出・日の入り、月の出・月の入りこそが、区切りの大事な目安であるということです。

季節の行事で宵の〇〇、前夜祭などがあるのは、そもそもこうした1日の始まりというのは、午前0時を区切りとしたものではなく、日の入りや月の出こそが1日の始まりであるという古くからの習慣の表れ、名残りであり、それは地球生命のリズムに即して考えれば決して非合理なものでもないということです。

 

 

 

それにしても、長い年月親しまれている国民の生活習慣を、どうしてこれほどまでの強制力を持って変えなければならなかったのでしょうか。

実際には、給料計算や諸手当の支給方法などをケチったり矛盾を解決するためなどの理由もあったようですが、いつの時代でも、為政者は民衆の暮らしに介入して管理を強化し続けるものです。

ところが、明治維新以降は、執拗に国民の「心の習慣」にまで介入するようになりました。

「近代化」という名のもとに。

江戸時代以前も、封建的しがらみに苦しむ民衆は数多くいました。

それでも、ときの幕府が民衆の「こころの習慣」にまで介入することは、
キリシタン弾圧などの他には、それほどはありませんでした。

実際にあっても、様ざまな抜け道や現場の裁量のきくことも多かったと思います。

ところが、明治以降の政府の介入は、「近代国家」づくりのためには、
何事も国の隅々にまでゆきわたる管理でなければなりません。

それは戦後一貫して、一層その流れが強まる傾向にあります。

 

わたしたちは、この「近代化」という大きな歴史のうねりにやっと疑問をもち始めました。

「暦」というものは、「お金」とともに近代国家づくりの大きな要をなすものです。

合理性を求めることは社会に不可欠なことですが、
より自然の摂理にしたがうことと、心の習慣を大切にすることを
もっと社会全体で考え直していかなければならないと思います。

決して古いものが無条件に良いというわけではありません。

「近代化」という社会観は、あまりにもひとつの方向の価値観で
突き進みすぎたように思えるのです。

どちらが正しいか「国家」が決めるようなことではなく、
多元的な価値観が必要に応じて併存できる世の中を
もう少し取り戻してもよいのではないかと思うのです。

 

自然界の割り切れない世界をいかに合理的に割り切れるように説明するか問いう方向と、

自然界の割り切れないものは、割り切れないまま、いかにそれに忠実に生きていくかという方向とを、

無理やりどちらかに統合してしまうことなく、うまく使い分けていきたいものです。

 

 

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塗ったものは剥がれる。美の核心を求めれば・・・

2014年12月26日 | 暮らしのしつらえ

最近わたしは、大工仕事で塗装作業をすることがとても多い。

木の材質によって塗料ののり具合はさまざまで、重ね塗りをしなければならないもの、ニスの上塗りが必要なもの、あるいはそうでないものなど、やりながらいろいろと試行錯誤を重ねています。

こうした経験を重ねるほど木工の場合は、塗装はしても、木の質感をどう残すかがとても大事であることに気づきます。どんなにきれいに塗れても、木の質感がなくなってしまうと、どうしても安っぽいものに見えてしまうのです。この辺が、同じ塗る作業でも漆塗りなどとは根本的に異なるところです。

そもそも「塗る」という作業は、美しくするためではあってもどこかに必ず「ごまかす」という側面を隠し持っているものです。

化粧をしてより美しくするためであったり、素材を保護するためであったりしても、素材そのものの力では何かが足りないと思うことが、「塗装」という余計な作業を付加させる。

この矛盾を最近はつくづく感じるのです。

 

こうしたことを感じるひとつのきっかけは、尊敬する岡本太郎の本を読んでいたときです。

縄文文化に代表されるような日本の伝統を尊重しながらも、それを現代の視点で活かすには、教養や懐古趣味にとどまることなく、鋭く厳しい創作の精神を持たなければならない。その伝統と創造の相克に、岡本太郎は最も果敢に挑んだ芸術家でした。

しかし、彼の造形美に共感できても、どこかその色彩はいかに鮮烈であっても、その造形美が「塗った」ものにしか見えないのが残念でならないのです。

岡本太郎ほど、日本の伝統と創造の問題に鋭く切り込んだ芸術家はいないと断言できるほど、わたしは彼を高く評価しています。にもかかわらず、その造形美は、どうしても「塗った色彩」に終わってしまっていることが残念でならないのです。

もしも、太郎の作品がさまざまな色合いの天然素材をつかって着色せずに、あの造形をつくり出していたならば、それだけで評価はもっと普遍的なものになっていたのではないかと思うのです。

おそらく作品の寿命も、一桁増えた年数になるでしょう。

 

さらにもうひとつ別の視点から、私は同じような「塗装」ということの問題を感じます。

それは、日本古来の仏像や仏教建築をみるとき、現代人はその素朴な肌合いのが醸し出す重厚感に心酔しますが、制作当時の真の姿をみると、再現したCGなどをみるまでもなく、とても原色ケバケバしい華やかな世界があったことに気づきます。

これもよく言われることですが、このケバケバしい原色の世界こそが古代美術のほんとうの姿で、鎌倉、戦国時代以降に芽生えた侘び寂びの日本文化観からゆがんだ目で現代人は古代美術をみているのではないかと。

わたしも長い間、確かにほとんど残存していない原色あふれる古代美術こそ、その真の姿であったとは思いながらも、その現実は、なんとなく素直には受け入れがたい気持ちを残していました。

でも、私が尊敬する岡本太郎が伝統と創造の厳しい闘いに徹していながら、造形美を「塗る」ことで補完してしまった惜しさを感じたのと同じ視点で見れば、古代美術の原色美は、その塗装が剥がれはじめたときにこそ、その本質的な部分、素材の質感と造形力の精神が浮き出てきているといえないでしょうか。

侘び寂び風の日本文化に馴染むということではなく、その制作者の精神は、素材保護のための塗装、着彩演出のための塗装はあくまでも二次的なものであったであろうという原則です。

確かに古代美術も鍍金や着色がされていたからこそ、木という弱い素材が虫に食われず腐りもせずに長い年月を生き延びてこれた面もあります。

さらに芸術作品の場合は、補完する要素がたとえ二次的であろうが、三次的であろうが、ディテールへのこだわりが全体を活かしも殺しもするので、だからといって塗装は大事でないということでは決してありません。

事実、妙義神社の本殿や妻沼の聖天山本殿の華麗な着彩彫刻をみると、原色あふれる着彩であっても、地に黒漆がしっかり塗られていると、とても引き締まった鮮やかさに見えるものです。そこに悪趣味なケバケバしさは感じられません。これは大陸の建築にはない世界だと思います。

塗ることが命の絵画の場合と、形造ることが命の彫刻や建築の問題をごっちゃにしている面もありますが、こうした意味で考えると、「塗る」絵画の世界のほうが、芸術創造の世界ではむしろ抽象言語に近い特殊な世界なのではないかとさえ思えてきます。

 

ものごとなにごとも原則がすべてとは限らず、どんな部分からでも、どんな角度からでも本質に迫ることはありうると思います。

でも、なんとなく二次的要素は、出来る限り減らす、省く方向に進んでこそ、美の核心には迫れるのではないかと最近つくづく感じるのです。

現代の暮らしや生産活動のなかで、この二次的な「塗る」作業を極力減らす努力を重ねていくと、身の回りのあらゆるところからほんとうの美が溢れ出してくるのではないでしょうか。

世界に残る美しいものの共通点を探し求めていくと、なんとなく私にはこれがとても大事なことなのではないかと思えます。

そんなことを感じる今日このごろです。

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稗(ヒエ)を食べて雑穀文化を知る

2014年11月16日 | 暮らしのしつらえ

稗(ヒエ)を食べてみました。

 

私は、30年近く前、盛岡へ仕事で行ったとき、駅近くのお店のメニューに「稗飯(へめし)」があったのをみて食べてみたいと思いましたが、寄ることができずに帰ったことを悔やんだ記憶があります。

その後、観光地の高級田舎料理を食べさせる店のメニューのなかにあるのを見たりもしましたが、それ以来、未だに食べる機会に恵まれませんでした。

それが、最近、古代史や縄文文化、東日本文化といったくくりでいろいろ考えることが増えるにしたがって、どうしても、クリやトチの実の食文化と「雑穀(一般に米と麦を除く穀物)」の食文化は、しっかりおさえる必要を感じ、実際に食べてみたい気持ちがとても強くなっていました。

 ほんとうは、稗と粟、両方手に入れてみたかったのですが、検索すると粟の方は鳥のエサの情報ばかりだったので、今回は稗のみを入手してみました。

 

食べ方を調べると、塩を入れて炊くことが出ているたので、まず味付け面が心配され、おかずとして何か塩辛のような塩分の強いものがないと、食べにくいことが予想されました。

そこで私自身は、まずお粥か雑炊で食べる準備をしていました。

 

ところが、そんなことを考えていたときに別宅の妻がちょうど家に来てくれて、喜んでアイデアをふるって料理してくれました。

 

妻は、最初は鍋のなかに入れてみることからはじめました。

 結果的にはこれが、稗の特色を知るには大正解でした。

 

上の写真の鍋を楽しんでから、途中で稗を入れて食べたのですが、この時は、十分に煮立った他の具材の味と稗の味が、まったく混ざりませんでした。

米のようなカロリーは、まったく無さそうな食べ物。

ものの本には、米より栄養価は高いとあるが、米のように噛んでも味わいはない食べ物。

それが、おいしい鍋の様ざまな具材のなかにいっしょにあるだけの料理、といった感じでした。

 

感動するほどの味ではなくても、もう少しは風味のようなものが感じられることを期待したのですが、このヒエに限ってそうした感じはほぼゼロに等しいものでした。

 

 昔の人が、稗一升に米一合も入ればとても贅沢に思えたという。

でも、山仕事をするときは米を食わないと力が出ない、と。

 

そんな気持ちが「この食感」なのかと、とてもよく理解できました。

 

年寄りから聞く話でよく敗戦後は、芋ばかりの飯にはうんざりした、とか白いご飯に梅干し一個あれば、飯は3杯は食える、とかいった話の実感もこの稗の味を知ることで、とてもよくわかります。

 

白米の前には、まず玄米があり、麦飯があります。

しかし、その次の稗飯(ヒエメシ、へメシ)、粟飯との間にはずいぶん開きがあるような気がします。

 

現代の私達の食生活では、美味いのもと不味いものの区別はよくしますが、このように、これといった味もなく、これといった満腹感にもつながらない食品というものは、ダイエット目的のような食べ物ですらなかなかないものです。

 

ただ、ここからだ大事なのですが、

そんな食べ物であるにもかかわらず「五穀」として、長い日本の歴史を通じて大事にされ続けてきたヒエやアワです。

 

日本人は古来より五穀豊穣を神に祈願してきましたが、「五穀」とは

古事記によれば、稲・麦・粟・大豆・小豆

日本書紀によれば、稲・麦・粟・稗・豆です。

 

「五穀」として大事にさた歴史がありながらも、稗、粟だけは、現代ではほとんど需要がなくなってしまいました。

 

痩せた土地でも育ち、冷害や干ばつにも強いから昔は大切にされたのでしょうが、今では代替作物も増え、そうした心配がほぼなくなったからなのでしょう。

稗がそれほどまでに重視された理由は、まず第一に、やせた土地でほたらかしでも育ち、冷害や病気に強いこと。

第二に、ビタミン豊富で米より栄養価が高く、米に比べて味落ちもせずに5~6年持ち、10年以上の保存にも耐えること。

 

でも、もう飢饉の心配はない時代だから、需要はないし消えてしまっても当然ということではなく、もっと日本の歴史を知る文献以外の貴重な手がかりとして、なにか大事な役割があるように思えてならないのです。

 

私は、万葉の時代の文化をあるホテルのロビーに設置したライブラリーを通じて、ひとつのコンセプトを提案させていただいている都合もあり、ヒエやアワ、雑穀文化はもっと様ざまな角度から掘り下げなければなりません。

さらに、天皇の大嘗祭(新嘗祭)は稲の祭祀かの印象がありますが、行事内容をよく見ると粟と稲の祭祀であ流ことがわかり、加えて粟のほうが先になっていることからも、歴史的に格別の位置付けがあることを改めて考えなければなりません。

 

ちょっと考え始めると、米をはじめとする食文化自体あまりにもたくさんの日本の歴史と文化、あるいは政治に翻弄された庶民の暮らしが見えてきます。 

 

【参照リンク】

稗めしの思い出(その1)
http://www.shokokai.com/ninohe/kinsyoko/mukashi/rekisi/20.html

近世農民の食生活
http://www.city.yamato.lg.jp/web/content/000002028.pdf

http://www1.tcue.ac.jp/home1/c-gakkai/kikanshi/ronbun15-3/09uehara.pdf

日本人は何を食べてきたか
http://blog.livedoor.jp/planet_knsd/archives/50113366.html

 

 

 稗を知るには、ヒエそのもののその不味さ、味のさなを知ることも重要ですが、ヒエの理解の入口としては、やはり、こんな美味しい食べ方があるという面も見せることが、どうしても大事かと思います。

 

お米に玄米、稗を混ぜ、菊を添えた雑穀ご飯。

とくに稗の味が引き立つわけではありませんが、こうした雑穀ご飯こそが一般的な食の姿なのかもしれません。

 

稗の歴史上の食べ方については、野本寛一『栃と餅』(岩波書店)に、以下のような詳しい記述がありました。

まず稗の食法は、①稗飯、②稗粥、③団子、④粉餅、⑤ネバエ(味噌汁に稗粉を入れて練ったもの)、⑥炒り粉、⑦濁酒と、石川県白山麓の焼畑の調査から整理しています。

具体的には、

「稗飯を白く炊くには一升に二合の割で粟を混ぜるとよい」(本川根町長島・滝口さな・明治二七年生まれ)

「五升釜の底にエマシ麦を入れ、その上に米三合を敷く。さらにその上にまたエマシ麦を敷く。米の分だけの水を入れて炊き、火を引く時に稗の粉を湯で掻いてその上に乗せ、しばらく蒸す。蒸し終えて櫃に移す時に全体をかきまわす」(川根町倉平・柿本とめ・明治三八年生まれ)

「鍋で稗を炒り、石臼で碾いて皮を簸出す。できた稗の粉を湯で掻き、それに大根の干し葉を入れて食べた」 (中川根町壱町河内・吉川美智雄・明治二九年生まれ)

「皮つきの稗を鍋で炒り、石臼で碾いてから皮を簸出し、糠と粉の混ざったものを練って塩味をつけて食べた。これを稗餅または糠餅と呼んだ」(本川根町池ノ谷・大村真一・明治三六年生まれ)

などの例があげられています。

 

ただし、世の中で雑穀が安易なかたちで注目されている傾向に、辰巳芳子さんはひとこと釘をさしています。

まずはじめに「胚芽米」に取り組むことが大事で、その次が大麦。それからが雑穀であると。

ものには順がある。順を踏まぬと真の理解に至りつけない。

ファッション的は冷めやすく、生産の場を混乱させるから。

 

 

そんな意味でも翌日の妻のつくってくれたみそ汁は、そうした期待に十分こたえる、とてもおいしいものでした。

油揚げが入ったことが良かったのかもしれません。

このみそ汁にはヒエがとてもよくとけ込んだ味をしていました。

なんとか、この両極の味わい方を演出のなかに入れてみたいものです。

 

 以前、このブログで『フードトラップ』という本を紹介したときに、塩分、糖分、脂肪分の三つが現代人の人工的な旨味、味覚をつくっていることを書きました。

 食べ物が本来の「生命」を自然からいただく営みである原点に立ち返るときに、はじめて気づくほんとうの「味」「うまみ」を知るには、このヒエは格好の食材です。

おそらく、多くの人にこれまで経験したことのない「食」を知る、他には例のない学習材料であるのではないかと思うのです。

 

  

 雑穀には、鉄や亜鉛などのミネラルやビタミンB1、食物繊維、ストレスを緩和するパントテン酸が豊富なので、近年は、健康食品として需要が増えています。

 でも、そんなこととはまったく関係なしに、日本の食文化の歴史を知る大事な手がかりとして、一度食べてみることを皆さんにおすすめします。

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食べものと私たちの命を取りもどす暮らし

2014年10月07日 | 暮らしのしつらえ

 わたしは、専業農家が減り兼業農家が増えることは、必ずしも悪いことではないと思っています。

 もちろん、農家が専業で食べていけないという実態は好ましくないことですが、他方で農業を収入目的でなく、自らが食べて行くためだけに生産するところが増えるのは、本来の人間の命の再生産の意味では、とても素晴らしいことです。

 市場に出して、流通経路を経ることで農産物の本来持っている鮮度は、致命的な打撃を受けます。それを避けるために、様々な無理(冷凍による膨大なエネルギー消費や有害な保存料の使用)をしているのが今の食の実態です。


 それよりも、自分の親やおばあちゃんが作ってくれた自家栽培の新鮮な野菜を毎朝食べられる子どもが、一人でも増えることの価値には、はかりしれないものがあります。

 

 

「 もっと野菜を多く食べなさい」

 

ヘルシー志向が高まるなか、しきりにこうした言葉が繰り返されます。

それは「良いこと」「間違いのないこと」には違いないのですが、

ほんとうに大事なことが何も語られていないことを最近痛感しています。


必要なのは、健康のために「野菜をもっと食べなさい」
ではなく、


「ナスってなんておいしいんだろう」


「ニンジンでなんておいしんだろう」


という体験が先になければ、栄養成分を説明する栄養学なんていくら繰り返しても意味が無いと思うのです。

 

収穫してから一日以上経って店頭におかれたままの野菜が、いくら産地直送などといっても新鮮であるはずがありません。

新鮮なおいしい野菜は、買う時間で考えれば、朝、店頭にならんだものであれば、昼までが勝負です。

 

事実、近所の農産物直売所は、午後に行っても良い野菜はもうおかれていないと妻は言います。

それは、単に商品量が少なく売り切れてしまうということではなく、

おいしい野菜がなにかをそこの消費者が知っているということなのです。

 

 

F1種(種を買い続けない限り実のならない種)などを使わず、化学肥料や農薬も使わず

本来の生命力にあふれた新鮮な野菜を食べることで

まず第一に、「食」というものが、本来、自然の「生命をいただく」ことなのだという基本を取り戻し、体験することができるようになります。

第二に、その命をいただくということが、なによりもアレルギーや冷え性などを無くし、 カロリー栄養学に勝る最良の健康法であることに気づきます。

第三には、新鮮な生命力あふれる食品を食べると、本来の食品そのもの持っている豊かな味を知ることができ、不要な化学調味料や塩分、マヨネーズなどを加えることなく、おいしさを感じ味わえるようになり、忘れていた私たちの味覚を取り戻すことができるということです。

 

流通市場にあふれている食品の多くは、これらに逆行したものにあふれています。

 

企業は、食品のなかの塩分、糖分、脂肪分さえ増やせば、売上げは確実に伸びることを知っています。

フードトラップ 食品に仕掛けられた至福の罠
クリエーター情報なし
日経BP社

 

仮にそうした食品産業の戦略を知ったとしても、現代人の味覚は、すでにどっぷりとその感覚に汚染されつくしています。

 

私は、亡くなった義父に本来の「食」のあり方を学んだのですが、本来、「おいしい」「おいしくない」という味覚は、なによりも、自分の体に良いか悪いかが一番の判断基準であるはずなのです。

健康な人は、まずそういった「自分の体に聞く」感覚としての味覚を持っています。

97歳で亡くなった義父にはナイショでしたが、食卓で義父に先に食べてもらって、これはおいしい、といってくれたものはカラダにいい。

これはマズイといったものは、きっとカラダに悪いと判断させてもらっていました(笑)。 

 

この健康な感覚を取り戻すことを第一に考えないで、カロリー計算やビタミンがどうのこうのを気にしても、健康になることはありえません。

 

おいしい新鮮な野菜を食べると、日頃慣れ親しんだ加工食品や清涼飲料水の甘みが、おいしくは感じられなくなります。ドレッシングやマヨネーズをかけない方が、野菜の味をよく味わえるようになります。 

 

 

これらの食生活を現代の食品流通業界で取り戻すのは、とても難しいことです。

また、自然のままの食品を手に入れることは、なぜかかえって高コストになる現実があります。

多くの生産者が、こうした矛盾をなんとか解決しようと真剣に挑んでいることも事実です。


でも、最も確実に解決に向けて成果を上げているのが、専業農家でない兼業農家や家庭菜園のようなかたちで、自家消費される農産物の生産が増えることです。

 

食料の自給率を上げようとか、国内農業の生産性を上げるために経営の大規模化をはかることは、経済学では大事なことでしょうが、私たちの暮らしと健康のためには、むしろ市場には出回らず経済統計には繁栄されない自家消費型の農業が増えることは、何重の意味でもすばらしいことです。 

それでは、肝心な経済発展による豊かさが後退してしまうではないかと言われそうですが、そんな「豊かさ」を求めて、私たちの暮らしと健康がどんどん破壊される世の中は、もう誰ものぞみません。 

 

 

経済学や社会政策は、「食」の持つ根源的な役割と世の中全体に与える経済を含めたほんとうの効果を未だに評価できない。

でも、政策とはまったく別の次元で、多くの生活者が自分自身を守るために正しい判断をするように少しずつなり始めています。

 

 

そういえば、同じような視点のことを、以前に

「キューバを乗りこえたキューバのキューバしのぎ」
http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/5992ff0f480aae1f3208bd37290e69c8

と題して書きました。

 

 

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健康のための栄養バランスやカロリー計算より大事なこと

2014年09月09日 | 暮らしのしつらえ

 

本屋の店頭では、日ごろ糖尿病などで悩んでいる人や、長い闘病から退院されて栄養管理を真剣に考えている人などが、しばしば食事のカロリー計算の本を見て悩んでいる姿をみます。

一杯の食事の量は、何グラムとか書かれても、いちいち計るのはとても面倒であるばかりか、毎日の食事管理で継続することは大変な労力だと思います。

栄養バランスやカロリー計算が、様々な健康状態によって切実な課題であることはわかります。

きっと奥さんが旦那さんのために、大変な苦労をされていることでしょう。

ことの是非よりも、そうした奥さんの愛情に支えられていれば、多かれ少なかれ寿命が延びることも確かでしょう。

でも、実態を見ればみるほど、細かいカロリー計算や食品成分表をつぶさに見ることにはほとんど意味はなく、もっと大事なことがあまりにも専門家から問題にされていないのが不思議でなりません。

それは、

単に「野菜をたくさんとりましょう。」といったことよりも
まず、その野菜が「新鮮な野菜」であるかどうかということや、
収穫してから半日以内のものか、一日以上経ったものかどうかが、まず第一であると思います。


その次に、それらの食品が、化学肥料や農薬まみれになっていないかどうかが大事。


 

ニンジンの奇跡 畑で学んだ病気にならない生き方 (講談社+α新書)
赤峰 勝人
講談社


これを抜きにして、カロリー計算や栄養バランスを考えても
アトピーや様々な病気が良くなるわけがないと思うのです。

品名をあげて、牛乳、タマゴはダメ。何々のとりすぎは注意などと言っても
化学薬品まみれの食生活、生命を失った色、かたち、食感だけの食べ物をとっている限り、
なんの意味もなくなってしまうのではないでしょうか。

発がん性の疑いのある食品添加物などに気をつけることは確かに大事です。
でも、今日の食生活でそれ以上に大事なのは、
ちゃんと生命力のある食品を日常生活のなかでとること、探し出すことです。
それは、見かけの「有機野菜」でさえあれば良いということでもありません。

 



現代人にとって仕事でも、心のありようでも
生物本来の「食」を取り戻すことはとても大事です。

何々は食べてはいけません、といったことに気をつけることも必要ですが、

今の私たちの食生活のなかでは、

本来の自然の生命力にあふれた食品を手に入れること自体が、

とても困難な環境にあります。

 

野草の力をいただいて 若杉ばあちゃん食養のおしえ五月書房



様々な食の専門家の皆さん生産者ばかりでなく、

小売業者、飲食業、旅館やホテル、学校給食、病院など、

さらには主婦など、多くの人びとが協力しあっていかなければなりません。

 

昔に比べたら、病院の食事も随分改善されたと聞きますが、

最近入院した叔父の話などを聞くと、

まだまだ「食」というものが、カロリー計算や栄養バランス以上に大事なことが

たくさんあることは、あまり意識されていないように見えます。

 

有害食品の危険性を訴える情報も大事ですが、

健全な自然の生命力あふれた食品を日常で手に入れる環境づくりに

もっともっと力を入れていかなければなりません。

 

食料の自給率を上げることの、ほんとうの意味は、

自分の暮らしている身時かな場所で生産されている食物で

日々の食生活が成立つ環境を目指すということで、

決して国際収支や取引額の問題ではありあません。

 

それには、まさに生活習慣病対策と同じく、

日常の暮らしの組み立て方から変えていかないと解決できないのだということを

家内の指導のおかげて最近強く感じています。

 

フードトラップ 食品に仕掛けられた至福の罠
マイケル モス
日経BP社
   

 

 

 

 
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わが家の営業ツール

2014年04月28日 | 暮らしのしつらえ

ネタばらしをあまりしたくない気持ちがないわけではありませんが、

これからの時代のスタンダードスタイルだと思うので、この程度のことは公開します。

 

今日は、これからの仕事の営業打ち合わせを、わが家でしました。

どんな仕事かは、1年後の公開お楽しみとして、

以下の写真には、たくさんの営業ネタが入っています。

 

 

エイジング効果を出す塗装。

エアコン隠し。

インテリアとして自由にレイアウトできる棚。

歴史的価値がこれから上がるテーマの本。 

 

 

生命力のある絞り込んだ食材の活かし方。 

 

障子の意匠デザイン 。

 

ひとつひとつは、どうってことない工夫の数々ですが、プロの建築デザイナーなど使わずに、お金ばかりかけた高級料亭や茶室の「しつらえ」に勝る効果をねらってます。

今日は説明する前に、かなりの部分にクライアント側が反応してくれたので、とても嬉しかった。

 

これからの仕事は、なにを攻めるにも、

「本」だけ、

「食」だけ、

「住」だけ、

「衣」だけ、

では真の価値が伝わらない時代になりはじめているのだと思います。

 

それは、必ずしも「総合的」という意味ではありません。

 

日々の営みのなかで、何に価値をおいて「暮らし」「働き」「楽しむ」かということです。

まだ、多くの人には信じてもらえないでしょうが、年金暮らしの近所のじいちゃん、ばあちゃんでも、収入の少ない若年層でも、実現可能な豊かな暮らし。

そんなことが可能な時代になってたことを立証していく仕事ができてほんとに嬉しい。

これらの発想は、あと20年くらいのうちには、普通の和風住宅建築の世界でも常識になっていくことと思っています。

 

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多様で厚みのあるはずの私たちの「心の習慣」

2014年04月16日 | 暮らしのしつらえ

先日、筑波山へ登った帰りに筑波山神社に立ち寄り、その立派な山門にまず驚かされました。



本堂もとてもデカイ。 

家内と手を合わせようとしたとき、 
あれ?ここは神社?お寺? 
と思わず聞いてしまった。 

筑波山神社。 



でっかく書いてある。 

でも、つい普通の神社の社や拝殿のイメージではないので 
手を合わせるのか、パンパンとたたくのか、ふと迷ってしまう。 



そう、ここもかつては修験道の寺であったのでしょう。 

明治政府の修験道廃止令によって強制的に神社に看板をかえさせられた寺だと思われます。 

仏教、神道とともにかつて修験道は同等の勢力を持っていましたが、今は、限られた伝統行事などを通じてしかその姿をみることができなくなっています。 

歴史的役割を終えている信仰の姿なのかもしれませんが、長い歴史を持つ信仰が、強制的に抹殺されたままになっている現実は、やはりなんらかの心のアンバランスをその後の日本人のくらしにもたらしているのではないかとも思います。 

それは修験道が良い信仰だから単純に守り復活させましょうというようなことではなく、ひとつの心のありようが、政府の強制で一元的な国家神道のもとに、いとも簡単に(実際にはそう簡単でもなかった)葬り去られたままに異常さを問い返したいのです。 

八百の神の例を出すまでもなく、私たちのくらしは多様な層が折り重なった豊かな心の営みに支えられているものです。 

所属の宗派を問う西洋とは異なり、一見、矛盾だらけのように異なるさまざまな信仰を場に応じて使い分けることを、わたしたち日本人は普通の「心の習慣」として持っています。

それが、明治政府による天照皇大神を筆頭にする一元的な信仰形態に、あまりにも強引にまとめられたままに今もなってしまっているのです。

アマテラスやイザナギ信仰がいけないというのではなく、それも古代から脈々と国家の中心に息づいてきた信仰なので大事なものです。

しかし、明治政府の宗教諸政策は、敗戦後の戦後民主主義の改革と経済成長の間も実態は受け継がれました。

お伊勢参りや善光寺参りなどの講庚申信仰など道教系の民間信仰、竃の神、厠の神、稲荷神社や太子信仰、天神様・・・など、交錯したあまたの日常の神々とともにあった私たちの「心の習慣」。

それは葬式や結婚式に接する商売としての儀式ではなく、文化財としての建築でもなく、たくさんの自主的な習慣に支えられた「日常の祈り」の世界でした。

 この巨大な寺院建築をみたときに、私たちが文化財に接することだけではなく、気づかない間に失われた「心の習慣」のあまりの大きさに、いまさらながら気づかされるのです。

 

 

 かつて修験道が栄えていたのは、一方では加持祈祷や薬売りなど、現実に多くのビジネスが成立してからでもありますが、この立派な寺院建築の今の姿は、私にはあまりにも巨大に「空洞化」した語られることのない大きさとしてしか見ることができませんでした。

参拝者が多く繁盛していれば、いいじゃないか・・・ では、

ちょっと納得がいかない姿を感じてしまいました。

 

 

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それを「デザイン」とは言わない

2014年02月13日 | 暮らしのしつらえ

 

本にかかわる仕事をしていながら、わたしには「本のソムリエ」などと名乗れるような自信はまったくありません。

本の世界は、あまりにも広すぎると感じるからです。

分野を限定すれば、可能であるだろうと思うこともあるのですが、分野を限定したとしても、それぞれ相手によって読む人それぞれの色が見えないままでは、なかなかマッチした情報にまではアレンジしきれるものではありません。

これは逃げ口上にしかすぎない。

いかなる場合でも、自分以外の他者がどう感じるかを知ることにしか、コミュニケーションやビジネスの核心はありえないからです。

 北海道砂川市のいわた書店、岩田さんの始めた「1万円選書」は、こうしたツボを最も的確に押さえたビジネスモデルであると思います。

 

 

 「ソムリエ」とまではいかなくても、「情報のデザイン」といったようなコンセプトでは、本に限定することなく私としては、ずっと関わっている世界です。

 

「かみつけの国 本のテーマ館」http://kamituke.web.fc2.com/のなかでも「コミュニティ・デザイン」は大事なキーワード。「Hoshino Parsons Project」https://www.hosinopro.comフ・デザイン」が核心テーマ。

 

ところが、最近そこに「デザイン」という言葉を使うとき、妙に引っかかるものをいつも感じてしまうのです。

 

このことを感じたのは、自分の目指す仕事のレベルが、プロの調理師でもソムリエでもない妻の作る料理の完成度にはとても及ばないと気づいたときです。

 

別居の妻が毎週末に家に来て料理をつくってくれるのですが、毎度、季節の素材を探し、私の体調を配慮して、調理、盛りつけ、器の選択など、その都度その日ごとに与えられた条件のなかで知恵をはたらかせて絶妙の料理をつくってくれています。

味といい、盛りつけといい、毎回、周り中の友だちから贅沢すぎると非難を受けるほど(笑)すばらしい料理を提供してくれています。

このことを思うと、自分の仕事のレベルは、その日その日であたえられた条件(素材)で最良の調理や盛りつけが出来ているかといえば、とてもそんな水準の仕事は出来てるとはいえません。

仕事の創造性を発揮する世界が違う面もあるかもしれませんが、「創造力」そのものの果実で比較すると完全に負けているのです。

本の情報の表現で、どうして妻の料理のような仕事が、日々の仕事のなかで私には出来ないのでしょうか。

 

妻の料理に限らず、料理、「食」の世界というのは、多かれ少なかれこのような世界なのだと思います。

なぜかこうした料理の世界では、高度な創造性を発揮していながらテーブルにならんだ「食」の世界を「デザイン」という表現では語られません。

もちろん、フード・デザイン、テーブル・デザインなどの言葉もありますが、日常のなかで繰り広げられるこの高度な「食」のデザインの領域を語るとき、そこに「デザイン」という言葉はあまり使われないし、なぜかふさわしくもありません。

 

 この漠然とした感覚のなかに、なにかとても大事なことが隠れひそんでいるのではないかと思いました。

 

 

 

今もこれからも「情報」の「デザイン」という作業の重要性に変わりはないのですが、自分の仕事の組み立て方、生活の組み立て方を考えたとき、これまでの「デザイン」重視を強調し、訴える方向は、どこか修正を求められているのを感じます。

なぜ、料理を語るときは、どんなにそれが高い創造性を発揮された美しいものであったとしても「デザイン」という表現がふさわしくないのでしょうか。

 

 

 

 おそらく、「食」や「料理」の世界は、あまりにも生命の本源的営みであるから、それがいかに創造的ですぐれたものであったとしても、なにか「デザイン以前のもの」として感じられるのかもしれません。

とすれば、

デザインという言葉が飛び交うほどに、生命の本源的な営みからは遠ざかる「商業的匂い」のようなものを感じることになります。

決して「商業」が悪いわけではありません。

強いて言えば、「商業」と「生命の本源的営み」との距離感の問題です。

つまり、「仕事」や「商業」を、どれだけ「生命の本源的営み」として捉えなおせるか、「生命の本源的営み」近づけることができるかということです。

 

なにかにつけて「賃労働」の枠でしかとらえられない現代の「労働」を敵視する私ですが、それに対する答えを、妻のつくる創造的な料理の世界にみつけたような気がします。

 

「生命の本源的営み」を軸として考えれば、それは何か「デザイン」されるような方向にあるのではなく、自然生命本来の「輝きを増す」方向に自ずと突き進むのではないでしょうか。

 

大自然の営みに近づくほど、

日々の生活に深く根付くほど、

それがどんなにクリエイティブな創作であったとしても

それは不思議と「デザイン」とは言えない活動になっていきます。

 あとで気づきましたが、パブリック・コードが「デザイン」
パーソナル・コードは、いかにクリエイティブであっても「デザイン」にはならない、ということ。
ひとりひとりがパーソナル・コードを日常で生産できる社会こそが、より「豊か」な社会なのではと思います。

 

そもそも、大自然がもたらす生産性や美しさに、人間の生産、経済活動など遠く及ぶものではありません。

経済的な発展や文化的な美しさの問題を、現代社会のなかで大自然の生命の営みの枠のなかにどう引きずり降ろすか。

日々の人の営みを「労働」と「生活」を分断することなく、ひとつの「暮らし」「営み」としてとらえ直す作業を、もっともっと語っていかなければならないと思ってます。

それは身の回りの生産活動、生命活動のなかから、「不自然」なものをひとつずつ減らしていくとても手間のかかる作業です。

 

 

テーブルに一度の食事が並べられるまでには、料理の腕が求められることに間違いありませんが、そのプロセスは、

○ 新鮮な野菜や魚などの食材を探してにいれる努力。
   またはそれに至る生産農家などとの出会い。

○ 鮮度を維持するための保存方法、冷凍・解凍技術など。

○ 出汁づくりや下ごしらえの手間。

○ 調理の技術や相手の好みや体調への配慮

○ 器選びや盛り付けの工夫、料理を出すタイミング
  (器などを作る作家との出会い)

○ 食事と会話を盛り上げるお酒の選択

○ これら全体を支える部屋全体のロケーションづくり 

などなど、たくさんの要素によって支えられています。

(またそれが伝わるような写真撮影もここではあります)

 

これらの工程のどこをとっても、現代人の暮らしでは「不自然」なものを減らすことにとても手間がかかるものです。

 

 

 

 

現代社会に生きる私たちは、こうした「不自然」なものをなくして「自然」な姿に近づくことはとても難しい社会に生きています。

でも「自然」な姿に近づくということは、「余計な手間」をかけないことでもあります。

このそれぞれ違う方向を目指しながらも、その追求の過程でどちらからも「美しさ」が滲み出てくるものです。

 

それがいかなる領域の活動であっても

1、生命力あふれる素材選び

2、素材の力を活かした加工

3、会話や雰囲気を高める盛り付けや場づくり

などの工程は不可欠なことです。

 

私たちはこうした多くの学びを通じて、余計な手間をかけない「自然」に、これから少しずつ近づいていけたらとも思っているのですが、妻の料理の姿に学ぶならば、読書という営みも、決して知識や教養をためるためであったり、出版「文化」を守るためでもなく、日常の生命の営みのなかに溶け込んでいく道を少しでもかたちにしていけたらと考えるものです。

それは、言葉を変えれば、より多く稼ぐことでしか実現できないかのような「豊かさ」に真っ向から対峙して、そうではない姿を日々の暮らしの中で立証していくプロセスです。

 

後になって、こんな本があることを知りました。


  久保明教『「家庭料理」と言う戦場 暮らしはデザインできるか?』コトニ社

 

まだまだ遠い道のりをうまく表現することが出来ませんが、今回、とても大事なポイントを気づかせてもらえた気がしています。

 

 

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松尾昭典ーひとつの器からはじまる私の暮らし

2013年07月27日 | 暮らしのしつらえ
松尾昭典さんの公式ホームページをつくる前に、
かみつけの国 本のテーマ館内
 
の古いページを手直ししました。
 
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