かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

偶数:奇数 と ○:△ 人間界:物質界の曼荼羅

2008年04月27日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里
わたしたちが日常している会話の大半は、そのまま活字にしたら
ほとんど意味が通じない断片な言葉だけでやりとりしていることが多い。

ホームページの表現に比べるとこのmixiやブログは、
なんとなくそんな会話表現と文章の中間に位置するような気がします。
といってそれは、私がただ、まとまりのない文章しか書けないことのいいわけにしかすぎないかもしれないけど・・・[m:60]

というのも、昨日、家紋の本を買いにきた店のお客さんと、意匠デザインの魅力を話しているうちに、前から気になっていながら文章としてはまとめることのできない漠然と思っていることを、随分系統的に話す機会を得ることができたからです。

話の中身がもったいないので、ここに、その会話の内容をまとまりのないままですが、
整理して記録しておきたいと思います。

家紋の図柄の○や◇の見事なデザインを見るにつけて、
私たちは古代から人間の意識のなかにある単純な図形や数、形態の意味を連想せずにはいられません。

だいぶ前にも書いたことがありますが、中国の古い時代からの思想で儒教に由来するものは偶数をよく使い、
道教に由来するものは奇数をよく使うという話をラジオで聞いたことがあります。

里見八犬伝などの仁義礼智・・・の「八」にみられるように
人の心の持ち方に関することがらには偶数が多い。
といっても、儒教の歴史の積み重ねは大きく、原則以外の事例は多い。

それに対して道教は、
北斗七星などの「七」などに代表される、
五斗米道や三綱五常など
自然界や民間習俗信仰にかかわるもので
奇数の原則が残っている傾向が強い。

こうしたことから、儒教と道教の対比を別の側面からは、
自然界を中心に考える奇数思想としての道教、
人間界を中心に考える偶数思想としての儒教と言い換えることもできる。

このイメージは、さらに
自然界:奇数 → △
人間界:偶数 → ○(なぜか■ではありません)
と置き換えることもできる。

この関係を、かつて私の参加しているNPOの会合の場で
組織論、人間社会論の説明で使ったことがあります。

物質文明中心のこれまでの時代は
この△の内側に○が内包されていた時代。
この時代はそのかたちのとおり、世の中になにかと角がたつ。

それに対して、これから私たちが目指す社会というのは、
○の内側に△が内包される時代。
人間の心が自然界を包み込む時代。
(これはmiraijinさんに教わったアワとサヌキにも符号している)

といったイメージなのですが、
この○と△の関係もこのどちらが内包されるかということだけではなく、
それぞれに運動(エネルギー)が加わった場合には、
また別の関係が発生する。

物質界は分子構造などを見た場合でも三角形の結合を
一番安定した基本構造とみることができますが、
その三角形も、運動エネルギーを加えて回転させると○(円)になる。

いびつな物質の形態にエネルギーを加えると丸くなる。
三角形それ自身が回転して円になる場合や、
原子の周りを回る電子の活動のように。

この話がまた数字や悟性論理を軸とした物質界の話と
割り切れないことを常とする円、○の世界の対比として見えてくる。

私たちの日常生活は、たいていのことは数字で割り切れるかのように思えるのですが、
時として割り切れない現実にぶつかることがあります。

数学的な円周率のことを一般の人が知るのは近代以降のことかもしれませんが、
円という世界に最初に直面したのは、おそらく
太陽や月のかたちとその周期、軌道であったのではないでしょうか?
1年を12ヶ月で割る
1ヶ月を30日で割る
1日を24時間で割る

どれをとってみても数学的には簡単に割り切れるはずなのですが、
現実には暦の苦労をみてもわかるように
どう処理しても割り切ることが出来ない世界です。

どれも太陽の運行と月の運行の辻褄併せの難題だけでなく
それぞれの一回転周期を数字で表現することの困難さに
ずっと人類は人種や文明、時代にかかわりなく挑み続けてきたともいえます。

大雑把に、運動している物体は、不安定を必然とするがゆえに
安定した状態を求めて運動を続け、
運動を維持した安定状態として円○になるが、
それは、どうしても数学的には割り切れないままである。

この個々の物体は一定の法則を持っているにもかかわらず、
それが割り切れないものでなりたっているからこそ、
エネルギーを発生しているのかもしれない。

ここに占星術が成り立つ根拠があるのかもしれないが、
人間のエネルギーの源も、ここに見ることができるような気がする。


「人に熱あれ」

そう考えると
有名なこの言葉の意味は深いですね。



こうした文章にすると、論理の飛躍甚だしい表現ですが、
これが会話だと、なぜかお互いすごく納得してしまうのです。

ま、ただのメモ程度のことですが、
こんな話の流れで次回は
暦、旧暦と太陽太陰暦のことについて書いてみようかと思います。
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月夜野町はなくならない

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里
世の中、自然の再生産が出来ない時代になるとともに、
いつしか、地域の再生産も難しい経済社会になってしまい、
あげくは人間の再生産も危うい社会になってしまいました。

このたびの平成の市町村合併には、反対でしたが、
決まってしまったことは仕方がありません。

ただ、地方が財政難だけを理由に辻褄あわせにはしり、
限りなく「自治」という言葉から離れていくことは
どうか考え直していただきたいものです。
「地方自治体」がいつのまにか「地方行政体」になってしまいました。

本来、お金がないからこそ、
力が弱いからこそ、
知恵を出し合って、力をあわせて
助け合っていくのが「地方自治体」なのではなかったでしょうか。

たとえ無駄な合併が行われてしまったとしても
将来、地域の自治、コミュニティ機能の復活を考えるのならば
必ず「月夜野町」は復活させられるべきものと思います。

行政単位としての「みなかみ町」はそのままでも、
自治単位としては、しっかりと「月夜野町」を育てるべきです。

願わくば、遅くはない将来に
自治能力を発展させて、
独立国としての「月夜野国」をつくりたいものです。

【かみつけの国 本のテーマ館内の私の発言】

「アワニー原則、サスティナブルコミュニティのこと」
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page178.html

「起業力、創業力、イノベーションの時代」
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page174.html

「上野村」が教えてくれること
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page110.html

バカな話に見えるかもしれませんが
これからしばらくおつきあいください。




    正林堂店長の雑記帖より転載
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月夜野町は旧暦を公用暦に

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

小つごもりささっと地球の塵ぬぐう  掌

昨年末に私のピアノの師匠のyamanvaさんが日記に書いた句です。

私はちょうど同じ日、たまたまラジオで「つごもり」が
「月隠もり」であるということを知りました。
ところが、昨夜は、月は限りなく満月に近く満ちる時期。
「月こもり」は、「隠れる」だから月が欠ける時期で
まったく逆のはなしになってしまっています。

こうしたことは、陰暦と陽暦の食い違いからおこることですが、月夜野町こそ、旧暦(陰暦)の良さ、メリットを後世に伝える拠点になってほしいと思います。

これは、行政区としての「みなかみ町」はそのままで、
自治コミュニティ単位としての「月夜野町」を育てて発展させる
大きな鍵になります。
旧暦を公式暦に採用した自治特別区をつくろうというはなしです。

このはなしは、わたしの大真面目な冗談話ですから、決してまじめには信じないでください。

もともと、暦というものは、陰暦であろうが、陽暦であろうが、太陰太陽暦であろうが、必ず矛盾はおこり、どこかで辻褄あわせをする、閏年や閏月はいずれにせよ必要になってきます。現行の暦が最も合理的であるとはいえ、決して完璧なものではありません。

どうせ完璧でないのなら、月夜野町だけでも、月の運行に重点をおいた陰暦を採用してみてはどうだろうか。
一口に、旧暦、陰暦といっても様々なものがあるのですが、
月と自然の季節の移ろいにもっともマッチした旧暦を、月夜野町で作成するのです。

するとどうなると思いますか?
農作業などは、暦にしたがってとても理解しやすくなります。
また、一日は太陽暦の発想ですが、旧暦志向ということで、夜明けを明け六ツ、日の入り時刻を暮れ六ツとして、現在の均等割り24時間の発想ではなく、日の短い冬などは日暮れとともに時刻も夜となる。暮れ六ツになれば、暗くなったのだから、世間がどうであれ仕事をしてはいけない。そんな町になります。

ところが、
日常生活は、世界中の暦と違うものを採用するわけですから、
不便きわまりないものになります。
誰も使ってくれる人はいないでしょう。

しかし、そんなことに妥協していては何事もなしえません。
そこで強権発動!
月夜野町憲兵隊を結成し、旧暦を使わない月夜野町民はバサバサと取り締まるのです。
役場で月夜野町民が旧暦を使わずに住民票の写しなど申請したら、即罰金!
暮れ六ツを過ぎても仕事をしているような会社があったら、
即、山に木を1本植えてくるの刑!

こうした取り締まりを強化していくと、渋々でも月夜野町民は旧暦に次第になれてきて、無意識のうちに、太陽の運行、月の運行に興味関心をもつようになり、夜は、テレビなんか見ているよりも、月明かりとともに楽しむすべを次第に身につけてきます。
つまり、世界に誇る省エネコミュニティが育ってくるのです。

みなさんが夜、テレビを見ているほんの1時間、2時間が、
テレビを離れて月明かりとともに楽しむことに振り返られただけで、
どれだけ日常生活が変わるか想像つきますか?

                   (つづく)


   正林堂店長の雑記帖より転載
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暦の基礎知識

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里
2007年02月16日

外はいい月。
満月。
酒がうまい!

ほんとは昨日が満月で、今日は1%くらい欠けてそうですが、
肉眼でその差はほとんどわからない。

月夜野町民たるもの
月の満ち欠けと暦のことぐらいは
基礎知識として知っていなければいけない。

ところが
暦のことは、難しくて私もよくわからないのでここでおさらいをしてみましょう。

月夜野町にとって、月の運行を軸にしてまず基本におかなければならないのが「太陰暦」です。

以下、『現代こよみ読み解き事典』(柏書房)から引用です。

【太陰暦】
 太陰暦は、太陰つまり月の周期的変化を基礎として暦法で、世界のすべての民族が一度は経験したはずの暦法である。
 地球上のどこに住んでいても月は頭上に輝いて、毎日毎日その姿を変えてくれる。そして、新月・上弦・満月・下弦と規則的に変化していく。

 (イスラム暦が代表的な例)

 厳密にいえば月の公転の周期は複雑で、基準の取り方によっていろいろ長さが変わってくるが、普通は新月から満月を経て次の新月に至る朔望月が用いられる(朔には本当は月が見えない。新月というのは次の日の月をいっていた。)一朔望月は約29日半、正確には29.530589日である。
 十二朔望月が太陰暦の1年であるが、これは約354日である。したがって実際の1年間、つまり太陽年に比べると約11日短い。だから太陰暦をそのまま使用していると、だんだん年始の来るのが早くなってくる。3年弱で1ヶ月、15,6年で約半年に達する。
 このような欠点があるが、太陰暦はこれといった面倒臭い規則を覚えこまなくても、誰にでも簡単に理解できるという長所がある。したがって極めて素朴な社会にでも受け入れることができたのである。

【太陰太陽暦】
 一般に、陰暦とか旧暦とか呼ばれるものは、この太陰太陽暦をさしている。
 さて、月の満ち欠けを1ヶ月とする太陰暦の12ヶ月は、太陽年と約11日の差があり、これをこのまま放置すればイスラム暦のように、実際の季節と暦日がどんどんずれてしまう。農耕を主とする諸民族にとっては、これは重大な事態であるから、かなり古い時代より、何らかの方法で両者の調整が試みられてきた。
 太陰暦を太陽暦と調和させるために、人類はさまざまな工夫を重ねてきた。12朔望月と1太陽年との差は、前述のように約11日なので、2,3年ごとに1ヶ月の閏月を挿入する方法が早くから用いられていた。
いろいろな置閏法のなかで、19年7閏法、つまりメトン法は東でも西でも共通して使用された単純で比較的精度の高い方法であった。

(代表的な暦でバビロニア暦、ユダヤ暦、ギリシア暦、マケドニア暦、ヒンズー暦などがある)

【太陽暦】
 現行のグレゴリオ暦やその前のユリウス暦など、太陽年(回帰年)を1年の単位とする暦法である。季節とのずれはないが、月(太陰)の運行と一致しない欠点がある。太陽暦にはエジプト暦のように、厳密にいうと恒星暦というべき性格の暦もあり、新大陸のマヤ暦のような特殊なものもある。


この程度のことを頭に入れておけば、
月夜野町民にふさわしい
一段とうまい酒をのむことができる。




 正林堂店長の雑記帖 より転載
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これは先の長ーい話

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里
これは先の長ーい話

結論は急がないでいただきたい。
これは先の続く長ーい話の導入部なのです。
このトピでは、種をまくような作業をしてみなさんの反応を聞けたらと思って書き出したもので、具体的なことは、また他の場で出すつもりでいました。


少しだけ、ことわり書きとして加えるならば、

地方都市や街中の商店街が衰退しているのは、ご存知のようにみなかみ町に限ったことではなく、日本中でおきていることです。
そればかりか、先進国のほとんどで同様の現象はおきています。
これは、産業資本主義社会の発展とともに進行してきたことですが、とりわけここ2、30年の間にどこも劇的に悪化をとげました。

これにたいするこれまでの行政やコンサルタント達の行ってきた施策は、ほとんど失敗に終わっているといっても間違いないと思います。

ところが、もう少し長い歴史のスパンでふり返ってみると、どこの郷土でも、災害や飢饉、戦争など、壊滅的ともいえる打撃や衰退は経験しながら、その土地の歴史はその都度復活を遂げ受け継がれてきています。
ただ、今、各地で起きている現象というものは、それらと少し趣きが異なり、ひとつの文明が衰退していくときのような様相を呈しています。

その意味で、特定の行政施策による解決という考え方ではなく、自分の力をわきまえない無茶な話かもしれませんが、文明論的な観点でまず問題をとらえなおす作業をしなければいけないのではないかと思ってます。

自然の法則にいかにのっとって人間の暮らしを組み立てるかを考えたときに、まずここで取り上げた「暦」は大事なキーワードになります。

また、地域でのそれぞれの暮らしや生き方を考えたときには、そこにいる人びとの人間らしい「働き方」というものが、大きく問われるものです。
これは、今話題になっている雇用対策や景気対策の問題ではありません、これからの時代の人間の働き方のことです。

さらには自然環境の再生も最優先の問題です。

これらのことをすべて取りまとめて
このトピの冒頭に

世の中、自然の再生産が出来ない時代になるとともに、
いつしか、地域の再生産も難しい経済社会になってしまい、
あげくは人間の再生産も危うい社会になってしまいました。

と書きました。

私は、環境問題の専門家でも、地域経済の専門家でも、街づくりの専門家でもなく、ただの小さな本屋の店長です。
ですが、月夜野人さんも同じだと思いますが、
それぞれの人びとが、
今いる場所で、
今いる人の力で、
その人「固有の人間関係」と、
その人「固有の仕事」を通じてこそ、
すぐれた地域はつくられていくものだと思います。

そこに必要なのは、世間一般の正しい理論よりも、
自分の生活を、
自分の仕事を、
自分の家族をなんとかしたいという強い気持ちだと思います。

前に別の場所で話したかと思いますが、
「世間」とは、その実体を見れば

まず、「私(かみつけ岩坊)」と「あなた(月夜野人さん)」なのです。


今の時点で、このトピの話がどうなるか
大まかなイメージしかもっていませんが、
その出発点で月夜野人さんという心強い対話相手がいてくれることは、とても心強く思ってます。
3人目が現れるまで、まずは二人でがんばりましょう。


(本文はmixiコミュニティ「月夜野町」に掲載したものを転載してます)
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遠く感じる「自治意識」

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

 最近、かかわるようになったNPOの例会のあと、何人かの仲間とよく夜遅く、時には明け方まで話をすることがありますが、先日もそのような話の場で、地方自治体の復活の可能性についての話題になりました。
 そこで、中心的な活躍をしている村議の女性が、将来はこの地に吉里吉里国のような独立国をつくりたいというような夢を語ったら、他のひとからそういうことは言わないほうが良いなどと注意されたという話を聞きました。

 今、地方自治体の問題はどこも溢れんばかりのなか、地方分権など叫ばれてはいるものの、その議論の多くを見ると、この度の平成の大合併の問題でもそうですが、地方「行政」の問題をどうするかという議論に終始しており、地方「自治」をいかに取り戻すかといった視点は未だにほとんど見られないのがとても悲しく思えます。

 根深く浸透してしまったこの感覚、地方自治体の仕事、住民が役所に要求する内容も含めて、どこをとっても「行政」への苦情やお願いに終始しており、自らの「自治」能力によってつくろうとする視点が、あまりにも少ないのです。

 「地方自治体」という言葉の意味は、すでに死語に近く、ほとんどの実体は「地方行政体」といって間違いないといえます。

 先の自分の住んでいるところを将来独立国にしたいという話ですが、今の人からすれば極論に見えるのかもしれませんが、私からすれば、地方自治の本分からすれば、むしろ将来何らかの独立・自立を目指すことも考えずに、いったいどこに真の「自治」の意識があるのだろうかと疑問に思えてならないのです。

 突破口としてとても期待される「行政特区」ですら、中央の許可、お墨付きを得た範囲でしか許されない「地方自治」にしか私には見えません。

 国レベルで、そこに住む国民の権利を守るためには、警察機構や軍隊などを不可分のものとして持つことにはほとんどの人が異論をはさまないことと思います。
 それが、地方自治体レベルの地域住民の権利を守るためには、なんの努力も闘いも権力機構もなしで自然に与えられ許されたものしか最初から想定していないことが私にはとても理解できません。

 なにもすべて鉄砲持って闘うことを要求しているわけではありませんが、民間企業ですら、ひとつの許認可や法解釈のために、役所との交渉で途方も無い努力の積み重ねによってひとつひとつの事業を前進させていることはある程度は理解できると思いますが、住民自治がそのような努力なしに、国や地方自治体から保障された範囲内で出来て当然のような感覚は、正当な権利を主張しているようでありながら、人の生きる意志、基礎体力のようなものははるかに後退してしまっていると思わざるをえません。

 最近、知人のブログに、憲法で保障された権利の話題でも似たようなことを書きましたが、憲法でも、基本的人権でも、常にそこには条文も含めて骨抜きにしようとする勢力とその実質を守り勝ち取ろうとする勢力の興亡の上になりたっているものだと思います。
 勝手な方向に持っていく人が悪いと非難する前に、自分たちが自らの財産としてそれを守り育てていくという覚悟がまずなければなりません。

 地方自治も同じです。
 行政が悪い、役人が悪い、それは事実あるかもしれませんが、それらの問題を解決するには、まず自分たちで必要なものをつくっていく姿勢、「自治」の意識がまずなければなりません。

 私のいる町では行政の旗振りで立ち上がった「まちづくり」市民会議なるものが生まれようとして期待されていますが、どうもまだ話が行政への市民からのお願いの場のような内容が多く、参加者の期待を裏切る話ばかり耳に入ってきます。


 財政赤字などの対策で行政組織を統合・合併することはかまわないと思いますが、地方自治体が「自治」のための組織づくりを考えるならば、今、必要なのは「より大きく」よりも「より小さく」の方向であり、より密度の濃いコミュニケーションの可能な関係づくりのはずです。

 そして、その住民の意思を貫徹することなど考えるならば、必然的に「自治」とともに「独立」した確固たる権限を伴っていなければなりません。
 この道理に「国」であればあって当然、「地方自治体」には認められるべきではないといわれる理由はありません。(日本の場合は、地方自治体に限らず、国にももう少しこの姿勢があって欲しいものですが)

でも、そんな現実を現状の権限の範囲内で見事に突破した自治体があります。

独立国をつくりたいといっていた村議さんもよく知っていましたが、
今、話題の東国原宮崎県知事のおかげで再び注目されている宮崎県綾町の例です。

どこも、町の再建を観光や事業によって成し遂げているなか、
夜逃げの町とまで言われた典型的な衰退をたどる町の再建を、
なによりもその目的の中心を町民の自治意識を高めることにおき、
粘り強い説得、議論を何年にもわたり続けることでなし遂げたこの町は、
未だに真の自治体再生の事例としては突出た事例として注目されます。

体をはって町長が照葉樹林の樹を守り抜いたことや、無農薬有機農業をブランド化した町としても有名ですが、それらの理解を得るために町長は、何年もかけて町民と、関係職員と粘り強い議論を重ねたうえに為しえており、そのプロセスこそ、多くの人にみてもらいたいものです。

 意見を言うとき、文句を言うときに求められる「覚悟」というものの大切さ、これを忘れたら民主主義は形骸化して「たかり民主主義」になってしまう危険も常に持っています。

なにをつくったかよりも、どのようにしてそれをつくったかを
多くの人に見てもらいたい、知ってもらいたいと思います。



私の読んだ本は絶版になっており、もう入手できないものかと思っていたら、
ちゃんと改訂版が出ていました。

宮崎県綾町前町長 郷田實 郷田美紀子 共著
『増補版 結いの心 子孫に遺す町づくりへの挑戦』評言社 1500円+税
白垣詔男 著 『命を守り心を結ぶ -有機農業の町・宮崎県綾町物語-』自治体研究社 1600円+税



(2007年07月21日に他のブログに掲載したものを転載しました)

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