家族や家もろとも失い、いまだに生活再建の目処もたたないまま避難所暮らしを強いられている人たち。
2,3日の間の避難かと思って家を出たら、これからもそのまま自分の家には戻って住めなくなってしまった人たち。
テレビや新聞、ネットの報道などを通じて、私たちは十分それらの人たちの苦しみや悲しみを見て知っている。
しかし、他方で、そうした悲惨な生活を毎日している人の苦しみ、さらには、それがこれからいったいいつまで続くのかもわからない人の辛さは、外から見ている人間にはとても理解できないだろうともよく言われます。
その苦しさを知っているのは、その当事者だけだと。
手がある、足がある。
家がある。家族がある。
水がある。電気がある。
普段は、あってあたりまえのもの。
そのありがたさを知ってしるのは、それを失くした人たちだけ。
酒井大岳さんは、このことばを誤解してはならない、と言います。
「それなら失くしてみなければならないのか」 ―――と。
こんなふうに受け止めてはならないのです。
(以下は引用です)
大切なのは、小さな体験は小さな体験なりに、それを生かそうというところにあります。(略)
人間は生きているとさまざまの体験を味わいます。子育ての最中の親に、せつない体験を持たない親は一人もいないでしょう。でもその体験をわが子にどのように語っているかということになると、これには首を傾けてしまう親が少なくないのではないかと思います。
わたくしごとですが、今から十五、六年前、当時幼稚園児だった長男が、右脚を三つに折ってしまったことがありました。1年たってようやく治りましたが、さて走るとなるとこれが大変です。どうしても思いきって走れません。わたしは毎日長男といっしょに走りました。歩幅を小さくして右の肩が落ちないようにと、声をかけながら、ときに並び、ときに後ろについて、長男から目を離さず、日が暮れるまで村道を走り続けました。
母親は療養所に入院中でした、一年生になった長男の運動会を見に来るというのです。そのときまでに何とかふつうの走りかたができるようにと、親子とも必死だったのです。
運動会の数日前、長男は父親のわたしから合格点をもらい、当日も母親の見ている前で思い切り走ることができました。「ふつうに走ることはむずかしい」と長男は今でも言っています。いい体験だったと思うのです。
「典子は、今」という映画を作った松山善三さんは、「同情という言葉ほど美しい言葉はない」と言われました。「思いやり」ではなくて、心が一つだというのです。
仏教では「同悲」と言っています。
相手の悲しみを思いやるのではなくて、悲しみが一つということです。そこにはへだたりがありません。
「あたりまえ」のことを「あたりまえじゃない」と思わせるためには、まず親自身がその心を持たなければならあにでしょう。それには、親はいちだんと視野をひろげ、不幸不運のどん底にある人たちのことを、広く深く知るべきです。
そして、わが子にちいさな痛みがおとずれたとき、もっともっと大きな痛みのぱることを語れる親でありたいと思います。
知らなければ語れません。語れなかったら親ではないのです。
大事なときに大事なことを語れる親でありたい、と切に思うのものです。
(酒井大岳 『仏教に学ぶ生き方』弥生書房より)
今は、手に入らない本なので、少し長い引用をさせてもらいました。
「語る」人と人との関係。
これも、今こそ失わずに育てていきたいものです。
brog『復興支援の輪 ~本屋の村の仲間たち~』への投稿より転載